◇◆二十四話 《退魔術》――《風水針盤(ふうすいしんぱん)》◆◇
「!」
突然の、小恋の異常行動。
そして突如の復活、再起動、臨戦態勢。
その行動に、《邪法士》も警戒の構えを取る。
しかし、小恋がそこで攻撃の矛先を向けたのは、《邪法士》ではなかった。
自身の体の内側から湧き立つ力――《妖力》の存在を自覚し、そして抽出する感覚を掴んだ小恋は、その力を、手にした矢に〝纏わせる〟。
すかさず弓に番え、引き、発射。
撃った先は、キョンシー達の方向だった。
「おい!」
小恋の起こした突拍子もない行動に、爆雷が叫ぶ。
一方、こちらに向かって矢が向かって来るのに対し、キョンシーはすぐさま、人質にしていた宮女を前に押し出し、盾にする。
このままでは、真っ直ぐの軌道で飛ぶ矢は、宮女の体に命中してしまう――。
――そこで、不可思議な現象が起こった。
――矢が空中で、まるで飴細工のように〝ぐにゃり〟と曲がり、宮女を回避してその背後のキョンシーの頭部を貫いたのだ。
「な……」
矢の威力に首の骨を折られながら、キョンシーは床の上を派手に転がる。
その現象に、《邪法士》も言葉を失っていた。
「小恋……今のは」
「私の《退魔術》……みたいだね」
烏風の質問に、小恋が答える。
この状況をどうにかしたいという願望は、見事に叶えられたようだ。
小恋の持っていた、〝妖気を探知する〟という能力が反映された《退魔術》。
彼女の《妖力》を纏わせた矢は、狙った《妖気》、《妖力》を自動追尾するようだ。
狙った獲物を追うという単純な力。
だが、狙った獲物は絶対に貫くという、強力な力である。
「みんな! そこから動かないで!」
瞬時、小恋は文字通り、矢継ぎ早で矢を放つ。
狙いを定める必要は無い。
その場で、構えて撃ち続ければいい。
何故なら、矢は自動的にキョンシーを撃ち抜いてくれる。
瞬く間、人質を取っていたキョンシー達は一網打尽にされ、一気に数を減らされた。
「オラァッ!」
その隙を逃さず、爆雷が残党のキョンシー達に攻撃を仕掛ける。
「頭か首を潰せ! そこが弱点だ!」
「「「「「はい!」」」」」
更に、自由になった宮女達がキョンシー達を取り囲み、長い棒でぼかすか殴り始めた。
逞しく成長し過ぎである。
「くっ……」
一方、一気に劣勢へ追いやられた《邪法士》は、歯噛みしながらも横たわった皇帝を一瞥する。
「……まぁ、いい。当初の目的は達成した」
言うと同時、真っ直ぐ小恋に向かって走り出す。
「動くな!」
襲来する《邪法士》に向かって、すかさず小恋は矢を放つ。
しかし《邪法士》は、飛来した矢に臆することなく、懐に隠し持っていた短刀を取り出すと、振るう。
破壊音と共に、切り落とされる小恋の矢。
邪法や妖魔を操るばかりでなく、近接戦闘もできるようだ。
肉薄してきた《邪法士》が、鴆の翼を振るってくる。
それを飛び退き、回避する小恋。
だが、《邪法士》の本当の目的は小恋との戦闘ではなかった。
彼が辿り着きたかったのは、横たわる瀕死の楓花妃。
《邪法士》は楓花妃を掴み上げると、その首元に短刀を当てる。
「動くな、とはこちらの台詞だ」
楓花妃を人質に逃げるつもりだ。
《邪法士》は、幕で隠された顔を歪め笑う。
「どうする? この小娘を救いたいのだろう? 毒を祓えるかどうかはわからないが、微かな希望に縋りつきたいのだろう? ならば、ここで見殺しにするわけには――」
「ごちゃごちゃうるさい」
そんな《邪法士》の態度に、小恋は毅然と言う。
彼女の手に、《妖力》が集まっていく。
「楓花妃様も救う。あんたもこの場でぶちのめす。当然、両方とも達成するよ」
但し、今の彼女の手には矢は握られていない。
空中に噴き出した《妖力》が、形を成していく。
それは、《妖力》で作られた矢だった。
既存の矢に《妖力》を纏わせているのではない、《妖力》そのものが矢の形をしている。
「何だ……それは……」
《邪法士》は、思わず身構える。
何だかわからない。
わからないが、何かマズい。
直感で危機感を覚えた《邪法士》は、すぐさま逃げの一手に出ようと考えるが――。
小恋の行動はそれよりも早かった。
《妖力》の矢を弓に番え、引き、撃つ。
放たれた矢は、真っ直ぐ《邪法士》に向かって来る。
「くっ!」
短刀で物理的に叩き切れるかもわからない。
慌てて、《邪法士》は腕の中の楓花妃を盾にしようとする。
――が。
『ぱんだー!』
真横からいきなり、何かに体当たりを食らい、《邪法士》の腕の中から楓花妃が離れた。
彼に激突を食らわせたのは、子パンダの雨雨だった。
「こいつ! 突然どこから!?」
あまりにも唐突に降って湧いた雨雨の登場に、混乱する《邪法士》。
だが、楓花妃は解放された。
更に、烏風が使役する魑魅魍魎が、すかさず楓花妃に覆い被さりその身を守る。
そして、《邪法士》の体に、小恋の放った矢が命中した。
「が、は」
胸のど真ん中を撃ち抜かれた。
しかし、衝撃こそあれ、痛みも出血も起こらない。
まるですり抜けるように、《妖力》の矢は《邪法士》の体を通過していった。
まさか――不発?
そう思った、《邪法士》の背後で――。
「クァアアアアアアアア!」
奇怪な悲鳴が聞こえた。
振り返ると、壁に磔になった巨大な怪鳥の姿が映る。
禍々しい色合いの翼をばたつかせ、やがて力を失い、首を落とす鳥は――《邪法士》が操り、自身に憑依させていた妖魔――鴆だった。
「な……」
《邪法士》は理解する。
あの矢は、《邪法士》の中にあった〝《妖力》を持つ存在〟のみを撃ち抜き、引きずり出した。
だから、憑かせていた鴆のみが穿たれたのだ。
そして、知覚する。
あの矢が、《邪法士》の体外に排出させたのは、鴆のみではない。
彼自身の持つ《妖力》もだ。
撃ち抜かれ、あの鴆と同じように、無理やり体外に放出させられた。
(……あの矢は、人体に物理的なダメージは無いが、《妖力》や妖魔のみを撃ち抜く事ができるのか!)
即ち、今の《邪法士》は邪法を扱えない。
キョンシーも操作できない、他の邪法も駆使できない。
《妖力》はいずれ回復するが、少なくとも一時的に無力化された。
「く……おのれぇ! この小娘がぁあああ!」
憤怒を露わに、《邪法士》は短刀を振り上げる。
襲い掛かった先は、ふらふらの小恋。
「う……」
力尽くによる《退魔術》の覚醒に加え、《妖力》の大量消費。
彼女も、既に限界が近かった。
動こうとするが、その場に膝をついてしまう。
「死ねぇッ!」
小恋の首筋目掛け、《邪法士》が短刀を振り下ろす。
――その刃を、横から伸ばされた手が掴んだ。
「テメェが死ねッ!」
爆雷だった。
規格外の膂力によって短刀の刃は握り潰され、更に渾身の勢いで振るわれた拳が《邪法士》の顔面に突き刺さる。
「がぶるげぇ!」
鼻っ面を粉砕された《邪法士》は派手に吹っ飛び、床に転がって、そのまま動かなくなった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……う」
膝をついた姿勢を起こし、小恋が顔を上げる。
爆雷によって昏倒させられた《邪法士》は、そのまま縛り上げられている。
どうやら、決着はついたようだ。
小恋は視線を動かす。
横たわった皇帝と楓花妃の傍に、側近や宮女達が集まっていた。
「……かなり浸食されてしまっている」
鴆の毒に侵された二人を前に、烏風が苦しげに言う。
皇帝は男性で、体も丈夫だ。
そのため比較的症状の経過は軽いが、それでも息も絶え絶えである。
一方、体中がどす黒い斑点に覆われつつある楓花妃は、最早か細い呼吸音しか発していない。
その姿を前に、宮女達は悲痛そうに嗚咽を漏らしている。
「烏風! どうにかならねぇのか!」
爆雷が、もどかしさから叫ぶ。
しかし、その気持ちは烏風も一緒だ。
「……鴆という妖魔に関する文献は、《邪法士》達によってあらかたこの世から消された。自分達で技術を独占するためだ。私にも知識が無い……すまない」
「おい、ボケカス! とっとと起きろ!」
束縛した《邪法士》を掴み上げる爆雷。
毒を祓う方法があるなら、知っているのはこの男だけだ。
首がもげそうになるほど、ブンブンと振り回す。
そこで――。
「爆雷、いいよ」
ふらふらとした足取りで、小恋がやって来た。
「小恋……大丈夫か?」
「へーきへーき、まだ、最後の仕事が残ってるから……その後ぶっ倒れるよ」
烏風に言いながら、小恋は皇帝と楓花妃の傍に立つ。
「……二人とも、君の名前を呼んでいたよ」
烏風の言葉に、「楓花妃様……」と、宮女達が泣き声を上げる。
「下女……お前が、お二人の最後の言葉を聞くべきなのかもしれない。強く信頼されていた、お前が」
側近の中の一人が、そう言った。
皆、完全に諦めムードだ。
小恋は、嘆息する。
まったく、本当に側近?
「最後の言葉? 何を言ってるんです」
そこで、小恋の手の中に、残り少ない《妖力》で矢が二本作られた。
小恋はその矢を弓に番え、床に寝かされた二人に構える。
「助かる人間に遺言を喋らせる馬鹿が、どこにいるんですか」
小恋の放った矢が、皇帝と楓花妃の体を貫いた。
酒に溶けている時点では《妖気》を感じない鴆の羽だが、体内で毒気になった時点で、それは《妖力》の毒。
ならば、この〝《妖力》のみを貫く矢〟で撃てば――。
小恋の矢によって、二人の体外に鴆毒――《妖力》の毒が排出され、空気中に霧散したのがわかった。
「見て! お二人の体が!」
宮女の一人が叫ぶ。
皇帝と楓花妃の肌の変色が止まり、徐々にだが薄れて行っている。
体内の毒が排除され、体が元に戻ろうとしているのだ。
わっと、騒ぐ皆。
「まだ安心するな! あくまでもお二人の体を蝕む大元が無くなっただけだ! 至急、安静な状態と体力の回復を!」
「お医者様を呼んできます!」
烏風が叫ぶと、宮女達はバタバタと走り出し、側近達はへなへなと腰を抜かす。
「これで、二人とも助かるのか!」
「一応、危機は脱したと言ったところだ」
爆雷に言って、烏風は小恋を見る。
「小恋、流石だ。君は正真正銘、この国の皇帝陛下とその妃の命を救った。二人の命の恩人だ」
「うん、まぁ……安心したよ」
興奮気味に語る烏風と、「うおおおおおお!」と歓喜の雄叫びを上げる爆雷の一方、深く溜息を吐き、小恋は腰を落とす。
もう、へとへとだ。
(……《妖力》を使うって、こんなに体に来るんだ)
思いながら、小恋はすぐ目前、瞑目している皇帝の顔を見る。
「……まったく、皇帝の癖に下女を助けて死に掛けるなんて……」
あの《邪法士》の言葉ではないが、本当に、何を考えているのやら。
もう少し、自分の立場を自覚して欲しい。
と、考えていると――。
「う……」
皇帝の目が、薄く開かれた。
あ、まずい、今の発言聞かれてたかな? ――と、小恋がどうでもいい心配を抱く一方、彼は未だ判然としていない意識のまま、横の小恋に視線を向ける。
そして――掠れた声で、呟いた。
「……秀愛……よかった、無事……だった、か」
「え?」
それだけ言って、皇帝は再び気を失った。
やがて、陸兎宮に医者が何人もやって来て、皇帝と楓花妃の体を診始める。
彼等だけでなく、この戦いで負傷の可能性もある宮女や爆雷、烏風や小恋も診てもらうことになった。
その中で、小恋の頭の片隅には、皇帝の呟いた言葉が引っかかっていた。
(……秀愛)
彼は、自分を誰と見間違えたのだろう?




