◇◆二十三話 鴆(チン)◆◇
「これより、神聖なる清浄の時間……下らぬ反抗で邪魔をするな」
珊瑚妃に付いていた宦官――否、皇帝暗殺を目論む邪教団――《清浄ノ時》に所属する《邪法士》は、印を結び《妖力》を発揮する。
彼が支配するキョンシー達が動く。
狙う先は、小恋、爆雷、烏風――この状況で戦う決意を決めた、三人だ。
烏風は自身の《退魔術》を展開し、召喚した魑魅魍魎で楓花妃と皇帝を守る防御壁を作っている。
小恋と爆雷が、行動を開始した。
「オラァッ!」
鉄をも引き千切る怪力の剛腕が、襲い来るキョンシー達を薙ぎ払う。
一方、小恋も、この混戦状況では弓は不向きと判断。
一旦背中に戻し、キョンシー達の波状攻撃をスルリスルリと回避しながら、《邪法士》との距離を縮めていく。
「……ちっ」
接近する小恋の姿を確認すると、《邪法士》はすぐ真横で腰を抜かしている珊瑚妃の襟首を掴んだ。
「ひっ!」
そして無理やり引っ張り上げると、そのまま迫る小恋に向けて押し出す。
「!」
たたらを踏みながらこっちに来る珊瑚妃が、悲痛な顔で叫ぶ。
「待って! 私は敵じゃない! 無関係――」
「邪魔!」
惨めったらしく言い訳する珊瑚妃を、小恋は撥ね飛ばす。
「ふげっ」
床に顔から落下する珊瑚妃。
しかし、小恋が前を見ると、既にそこには《邪法士》の姿が無い。
珊瑚妃を囮に使って、姿を晦ましたようだ。
(……逃げた、わけないよね……キョンシー達の中に紛れた?)
小恋は振り返る。
気付けばその場は、キョンシーだけでなく、宮女や皇帝の側近達も入り乱れての大混乱と化していた。
「ひ、ひぃい!」
「な、なんなのだ、こいつらはぁ!?」
逃げ惑う側近達。
「楓花妃様!」
「この! よくも、楓花妃様を!」
宮女達は手にしたお盆や木の棒でキョンシー達を殴りつけている。
以前、キョンシーを前に震え上がっていた時に比べて、とても逞しく成長していた。
「くそっ! キリがねぇ! どんだけいるんだ!?」
爆雷は的確に首の骨を折ったりしながら、キョンシー達を無力化させていっている。
(……見当たらない)
視線を走らせるが、《邪法士》の姿は確認できない。
《妖気》の探知を行うか?
いや、もしキョンシー達に紛れているなら見つけ出すのは不可能――。
「……まさか――」
そこで、小恋は気付き、振り返る。
視線を向けたのは、魑魅魍魎の壁で守られている楓花妃と皇帝の方だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「楓花妃……」
『きゅー』『きゅー』と鳴き声を上げる魑魅魍魎が折り重なって作られた、壁の内側。
皇帝は、横たわった楓花妃の傍に寄り添っていた。
呼吸も脈拍も弱まり、肌の色の変色も止まらない。
紫色を通り越し、どす黒くなってしまっている。
皇帝は悲痛に顔を歪め、楓花妃の手を握る。
「……すまない……こんな事になってしまうなんて」
「謝罪ならば、地の獄にて行うがいい」
――皇帝の背後に、《邪法士》が立っていた。
「!」
いつの間に。
どうやって、魑魅魍魎の壁の内側に。
皇帝が考える間も無く、《邪法士》は腕を持ち上げ――。
――瞬間、魑魅魍魎の壁に穴が空き、そこから矢が飛んできた。
「!」
《邪法士》は腕に重なるように展開した翼を翻し、向かってきた矢を防ぐ。
「とうっ!」
と、同時、続いて穴から小恋が飛び込んで来る。
「小恋!」
「勘が当たって良かったです……烏風に、魑魅魍魎の壁に穴を開けてもらったら、予想通りこの男の姿が見えたので」
見ると、《邪法士》の後方の魑魅魍魎の壁の一部が、グズグズに溶けているのがわかった。
あそこから侵入したのだろう。
何らかの《邪法》を使ったのかもしれない。
「………」
そこで、小恋は改めて、《邪法士》の広げた翼を見る。
禍々しい色合いの羽、そして、毒の力――。
やはり――と、小恋は確信する。
「憑依させてる妖魔……鴆だね」
「……ほう」
小恋の発言に、《邪法士》は驚いたように声音を変えた。
「知っているのか」
妖魔――鴆。
その羽や血肉に毒を持つ怪鳥。
鴆の羽を特殊な方法で酒に浸すと、溶けて混ざる。
この酒を使った毒殺法は〝鴆殺〟と呼ばれ、密かに暗殺術として用いられていた。
――というのが、父から教わった知識。
ここからは、その知識と現在の認識による小恋の考察だが。
おそらく、鴆の毒は酒に混ざると《妖気》を発しない。
まぁ、既に本体から離れた部位なので、当然と言えば当然かもしれないが。
そしてこの毒は、対象の体内に入った時点で《妖力》を発揮し、未知の毒気を起こすことができるようである。
「なるほどね……鴆殺の用法が少しは理解できたよ」
「………」
一方、《邪法士》は目前の小恋に対する警戒心を高める。
鴆殺は、あまりにも特殊な暗殺術のため、一部の妖魔に携わる職業・界隈の者達により文献にも残されていた。
が、近年はその文献も《邪法士》達の手により処理をされ、意図的に認知度を落とされている。
だが、この小娘は知っている。
(……危険だ……ここで、確実に始末せねば)
考えると同時――《邪法士》は既に行動を開始していた。
「きゃああっ!」
甲高い悲鳴が聞こえ、小恋は音源を振り返る。
魑魅魍魎の壁に空いた穴の向こう――キョンシー達が活発化し、周囲の宮女や側近に襲い掛かっていた。
「う、うわあああ!」
「た、助けてくれ!」
怯え、逃げ惑う側近達。
「くそっ! なんだこいつら、いきなり!」
一体のキョンシーの首を締め上げながら、爆雷は周囲の混乱に動揺する。
「烏風!」
そこで、小恋が叫ぶ。
皇帝と《邪法士》の間に立ち塞がったこの位置では、錯綜する広間の全景を確認することができない。
小恋の意図を読み取った烏風が、一旦、魑魅魍魎の壁を解除したことで、状況を視認することができた。
大広間の中――キョンシー達が、近くにいた宮女や側近達を羽交い絞めにしている。
簡単な話――彼女達を人質に取ったのだ。
「くっ……」
爆雷も手を出せなくなり、周囲を警戒する事しかできなくなっている。
(……まずいね)
相手にまともな分析・判断の余地を与えず、最短最速で叩きのめす作戦だったが――優位を取られてしまった。
(……何か、策を――)
状況を打破する妙案に、思考の矛先を向けた小恋。
無論、《邪法士》がその隙を逃すわけがない。
瞬く間、その腕に纏った鴆の翼を振り上げ、毒の羽を射出していた。
「まずは、貴様からだ」
(……しまっ――)
全員の意識が、キョンシー達に人質に取られた宮女や側近への安否に向けられていた。
故に、小恋の反応も遅れた。
この距離――躱せない。
迫りくる毒の羽を前に、小恋は歯を食い縛る――。
――小恋の眼前に、影が差す。
――皇帝が、彼女の前に飛び出していた。
「――え」
先刻、楓花妃が皇帝を庇った時のように。
今、皇帝が小恋を庇い――襲来した羽の攻撃を、その身に受けていた。
「ぐっ……」
胸や腹に羽を突き立てられ、皇帝が崩れ落ちる。
「――な、何を!」
倒れた皇帝に、慌てて小恋が縋りついた。
羽は間違いなく命中している。
彼の体も、楓花妃同様、毒による浸食が開始していた。
「馬鹿が。あろうことか皇帝が、何故下女を庇う」
一方、《邪法士》も、彼の行動が理解できないのだろう。
床に横たわった皇帝を見て、悪態を吐く。
「皇帝一族の断罪という悲願の清浄――その時に身を浸し、喜悦を噛みしめながら行いたかったものを」
「……し……小、恋……」
そこで小恋は、皇帝の唇が、震えながら懸命に声を紡いでいるのに気付く。
まるで、荒い呼吸の狭間から、最後の力を振り絞るように。
「君なら……倒せる」
「………」
「この状況を、どうにかできる、はずだ……そう、思ったからだ」
鴆の毒に蝕まれ、肌を青褪めさせていく中で、彼は小恋に、そう言った。
「………」
――どうすればいい。
小恋の脳は、光速で思考を巡らせる。
楓花妃を救いたい。
皇帝を救いたい。
無論、宮女達も、側近達も助け出さなければ。
そのために、自分に、何ができる。
………。
(―――《退魔術》)
私の中に眠る――《退魔術》。
今目覚めないで、いつ目覚める。
八方塞のこの状況を、どうにかできる力。
目覚めろ、目覚めろ、どうすれば目覚める。
どうすれば、目覚めてくれる?
「――――」
そこで、小恋の脳内に閃光が走った。
『自身の中の《妖力》を自覚し、操作する――それが、《退魔術》の初歩である』
そう教わり、烏風に指導を受け、今まで色々と試してきた。
しかし、小恋も爆雷も今日まで《妖力》の自覚には至れなかった。
言わば、自分の体の中のどこかにある、通常の人間には備わっていない臓器とその臓器で製造される力の存在を把握し、動かせと言われているようなもの――こればかりは、自分で気付くのを待つしかない、とのことだった。
だが、よく考えてみれば、〝探す〟という力なら小恋には既に備わっている。
《妖気》の探知能力。
「くっ!」
《妖気》の元、《妖力》――自身の中の《妖力》を探知しようと、小恋は力を籠める。
厳密には、烏風が語った原理とは違うのだ――できるかどうかは、わからない。
だが、悪足掻きでもなんでも、今はやらないわけにはいかない。
――体内、丹田。
――体の奥底にあるであろうものを、全力で読み取れ。
いつもよりも気合を込めて、もっと正確に、細かく、意識を使え。
瞬間、頭の中を貫く痛み、全神経がささくれ立つ感覚。
激痛に見舞われる肉体。
何か、生暖かいものが鼻孔の奥から流れ出たのが分かった。
頭痛、出血、声を上げてのたうち回りたい衝動。
だが、今はそんなことしていられない。
それよりも何よりも先に、自分がやらなくちゃいけないのは――。
「あ――」
と、か細い声を上げ、小恋の体が、皇帝の上に折り重なるように倒れた。
「小恋!」
爆雷が叫び、烏風が眉間を顰める。
「なんだ? 何をしている、この小娘は」
いきなり、何かに集中するように瞑目し、呻吟を上げ、血を落としながら倒れた小恋を気味悪がり、《邪法士》は警戒するように距離を取る。
「……見付けた」
掠れた声で、小恋の喉が呟く。
――刹那、跳ね起きた小恋が、その手に弓と矢を掴んだ。




