◇◆二十二話 烏風と楓花妃◆◇
(……どうしてこんな事に……)
――一方、珊瑚妃の内心は焦燥の嵐に襲われていた。
実は、あの甕の中の酒には、事前に〝毒〟が仕込んであったのだ。
仲間の宦官――今、隣に座っている邪法士が用意した、銀食器にも反応しない、特殊な〝妖魔の毒〟。
現在の医学では分析できない、未知の毒だ。
彼が問題無く仕込んだと言っていた。
筋書きは単純。
得体の知れない《退魔士》達に誑かされ、楓花妃は皇帝の毒殺を目論んだ。
皇帝の前で自ら毒見を行い、潔白を装い、特殊な毒で皇帝を殺そうと考えていた。
それを事前に察知した珊瑚妃は、自身の機転で逆に楓花妃に毒の酒を飲ませ、皇帝を救った。
そして、それに共謀していた小恋をはじめとした陸兎宮の仲間達も全員皇帝暗殺未遂の疑いをかけ、問答無用で全滅させる。
単純――実に簡単な筋書きだったのだ。
珊瑚妃の額から汗が噴き出す。
彼女は横に座る、顔を隠した宦官の方を、チラリと一瞥する。
この筋書きを考えたのは、この邪法士だ。
……しかし、助けを求めても邪法士は微動だにしない。
そうこうしている内に、動きの止まった珊瑚妃の様子に、側近や宮女達も訝り始める。
いつまでも止まっているわけにはいかない。
考えなければ。
珊瑚妃は、手の中の盃を――その中で揺蕩う、一見変哲の無い酒を見る。
(……これ、飲んでいいの?)
否、飲んでいいわけがない。
間違いなく、毒が仕込まれていると言っていた。
どうしてこんな事に――。
そこで、珊瑚妃は思い付く。
(……そ、そうよ! 楓花妃に飲ませることはできなくなったけど、こうなったら、この場で酒の中に毒が仕込まれていると暴露すれば! そして、それは楓花妃の仕業だと――)
……いや、待て。
そもそもこの毒は、人間の体内に入った後、毒として作用するものなのか?
それとも、体内に入った後、何らかの邪法で作用させるものなのか?
それ次第によっては、口にする情報を色々と整理しないと、ボロが出てしまう。
既に当初の筋書きから外れてしまったのだ、新しい物語を頭の中で組み上げないといけない。
しかし、そんなことをしている余裕も時間も無い。
(……くっ……この邪法士も、どうして事前に正確な情報を話してくれなかったのよ! こんなことなら、もっと細かく打ち合わせしておくべきだった!)
ダメだ、頭が回らない。
この場にいる全員が、自分に注目している。
妙な言動をできない。
どうすればいい。
どうすれば――。
「ど」
頭に血が上り、珊瑚妃は叫び出した。
「どうすればいいのよ! 黙ってないで、何とか言ってよ!」
手にした盃の中身を床にぶちまけ、彼女が吠えた先は隣の宦官。
その光景に、全員が絶句する。
そんな中、宦官は小さく溜息を吐くと――。
「……ここまでか」
――そこからの、宦官の動きは迅速だった。
彼の体から邪気が浮き出る。
かつて、月光妃が妲己を身に宿していた時にもあったような、あの邪気だ。
自らの身に、妖魔を宿している証明。
同時、彼の腕に重なるように、おぞましい色合いの〝翼〟が顕現した。
彼が腕を振るうと、その動作に連動するように、浮かび上がった〝翼〟も振るわれる。
そして、その〝翼〟から〝羽〟が数本、皇帝に向かって発射された。
全員の反応を待つ間も無く行われた、強行。
毒々しい色の羽は、弾丸のように真っ直ぐ、皇帝の体に――。
「あ――」
――その前に、楓花妃が飛び出した。
咄嗟の事だった。
珊瑚妃に盃を渡し、自分の席に戻る手前で珊瑚妃の動向を見守っていたため、楓花妃が誰よりも皇帝に近かった。
楓花妃が、皇帝の盾になるように身を挺する。
飛ばされた数本の〝羽〟は、楓花妃の体に突き刺さった。
「あ、ぁ……」
「楓花妃様!」
崩れ落ちる楓花妃。
小恋が、慌てて駆ける。
「な、何事だ!」
「珊瑚妃とあの宦官は一体――」
「楓花妃様!」
いきなりの事に、側近達や宮女達はパニックを起こす。
「全員、動くな」
そこで、宦官が自身の身に纏う宦官服を開く。
前開きの上着の内側には、大量の札が犇めいている。
宦官が何かを唱える。
瞬間、夥しい量の男達が、大広間の入り口を破壊しながら突っ込んできた。
全員が青白い肌で、牙を剥き、胡乱な呻き声をあげている。
キョンシーの大群だ。
「そこの楓花妃の毒殺騒ぎの混乱に乗じ、密かに暗殺を決行するはずだったが……仕方がない」
寄り固まってガタガタと震える側近や宮女達。
広間を埋め尽くすキョンシー。
倒れた楓花妃に寄りそう、小恋、爆雷、烏風。
そんな中、宦官は、皇帝へと言う。
「皇帝陛下、貴様を殺しに来た」
「……お前は……まさか」
皇帝は眉間を顰める。
宦官は顔を隠したまま、左手を見せる。
その左手に、奇妙な形をした金細工が握られていた。
丸い円の内側に、細い棒が縦一直線についた、そんな形の金細工。
「……やはり、邪教団の者か」
皇帝は呟く。
この国の闇に存在する、現皇帝一族を殺し、自分達が国を支配しようと目論む者達――。
「我等『清浄ノ時』。これより、浄化を開始する。まずは、大罪の支配者の一族。その血を、この場で滅す」
――一方、小恋をはじめ、烏風、爆雷は、倒れた楓花妃の傍に膝を落とす。
「楓花妃様!」
「……しゃぉ……」
小恋が、楓花妃の衣服をずらす。
羽が突き刺さった部位を見ると――その部分の皮膚が、青紫色に淀んでいた。
じわじわと、その範囲も拡大している。
「おい、小恋! こいつは――」
「探知したよ。間違いない、《妖力》を感じる」
小恋は呟く。
これは、妖魔の力による攻撃。
間違いない――あの宦官は、自身に〝あの妖魔〟を宿している。
そう、小恋は確信した。
「妖魔の体から生み出された、特殊な毒。楓花妃様の体は、その毒に蝕まれてる」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「………」
小恋と爆雷の一方――。
烏風は、昏倒状態の楓花妃の手を取っていた。
既に呼吸も脈拍も弱まっている。
目に宿る光も仄かだ。
小さな手。
まだ幼い少女が今、明確な死に向かっている。
――信じた者に騙され、利用され。
「………」
烏風は、思い返す。
それは、彼が陸兎宮にやって来てしばらく経った頃の事。
楓花妃と、少し会話を交えたのだ。
『烏風殿』
廊下の途中で、見回りついでに小恋と爆雷の鍛錬法を考えていた烏風に、楓花妃が話しかけてきた。
『烏風殿は、小恋の事が好きなのじゃ?』
出し抜けな質問に、烏風は一瞬目をパチクリさせる。
おそらく、あの夜――キョンシー達が陸兎宮を襲った、あの日の事を思い出して、楓花妃は言ってきたのだろう。
どこかドキドキした様子で伺ってくる楓花妃に、烏風は苦笑する。
『はい、好きです』
『のじゃ!? ……ひ、人前ではっきり言えるなんて、烏風殿は凄いのじゃ』
『ふふっ、楓花妃様、しかし一つ勘違いされないように』
烏風は訂正する。
『私が彼女に抱いている感情は、男女の恋愛のそれとは違う。彼女という存在そのものに、私は惚れ込んだのです』
『のじゃ? のじゃー……』
よくわからないのか、楓花妃は小首を傾げている。
『小恋と一緒に、世界を征服しないかと言っておったが』
『まぁ、言葉の綾ですが、本意ではありますよ』
烏風は言う。
普段は、あまり自身の本音を人には話さないのだが……まだ無知な彼女には、語ってもよく理解できないだろう、問題無いだろうと思ったからだ。
『私は、人間が嫌いなのです。特に、悪意や欺瞞に染まった人間が』
『………』
『私は、ある《退魔士》の家系に生まれました。正妻の子ではなく、妾の子として。当然、由緒ある家ですから、私は良い扱いは受けない。私の母も同様だった。まぁ、それも仕方がない。母と私、二人で互いを支え合い生きていける。どうでもいいと、そう思っていました』
烏風は語る。
『しかしある時、私の中の《退魔士》としての才能が本家の跡取り達をも凌ぐ程のものであると発覚しました。当時から、《退魔士》の家同士での争いもあり、優れた跡取りが欲しかったのでしょう。私は、実の子供として本家に迎え入れられました……そして母は、二度と本家の敷居を跨ぐ事も、私の前に顔を出す事も禁じられた』
――お前はもう、本家の跡継ぎとなったのだ。今までとは違う。
――お前は優れた存在だ、これからの生活は今までよりも良いものになる。
――あの女は邪魔だ、お前の未来のためにも。
――お前は選ばれた者、あの女の事は忘れろ。
――むしろ、お前は救われたのだ、感謝しろ。
『……この世界にいると、多くの腐ったものや汚いものを見ることになります。私は、そんなすべての汚い人間共……いや、最早人間ですらない、芥の如き猿共が嫌いでした』
烏風は、軒先から空を見上げる。
『小恋は、素晴らしい才能を持つ存在。彼女のような存在は残り、汚物は排除される。そうやって綺麗な世界を生み出したい。〝お前達は選ばれなかった存在だ〟と知らしめてやりたい。それが私の望みですよ。絵空事のような願望です……まだ、君には言ってもわからないとは思うけどね』
『……そうか』
話を聞き終わり、楓花妃は烏風に言う。
『烏風殿は、母上の事を愛していたのじゃな』
『………』
『大切な人が、自分のために尽くしてくれたから、その恩に報いるために頑張りたいのじゃな』
楓花妃は、自身の胸に手を当てる。
『妾も、小恋にはとても助けられた。いや、小恋だけじゃないのじゃ。紫音や真音や、みんなに助けられた。だから、みんなのために頑張りたい。烏風殿と、一緒なのじゃ』
『……ふは』
『のじゃ?』
純粋な楓花妃の反応に、烏風は笑ってしまった。
彼女は、生きるべき人間だ。
烏風の基準で、素直にそう思った。
――そして、今、彼女は死に掛けている。
「………」
死に瀕した楓花妃の、その手を握る烏風。
その耳に、あの宦官――邪教団に所属する邪法士だという男の声が、聞こえてくる。
「今のこの国は間違っている。数多の屍の上に樹立した新国家も、自らを皇の帝などと名乗る傲慢な一族も、破滅させ我々達が支配者となる」
「皇帝陛下、違います、私は――」
珊瑚妃が、床に這い蹲って何やら喚いている。
「私は、利用されていただけです! 皇帝陛下を暗殺しようなどと、決してそんな!」
「この女は役に立った。妃という立場にあるものの、付け入る隙のある女だったからな。皇帝を確実に仕留められる、すぐ近くにまで接近できる、そんな状況を生み出すために利用させてもらった」
「ほら! 私は何も知らなかった! 何も知らなかったのです!」
無様に言い訳する珊瑚妃。
べらべらと自身の正義を説く邪法士。
かつて、利のために烏風を利用しようとした本家の人間達が重なる。
烏風の未来のため、自ら行方を晦ました母と楓花妃が重なる。
「……芥猿共」
烏風の口から洩れたのは、呪詛の言葉だった。
「さて、これより――」
邪法士が動く。
皇帝陛下に向かって腕を伸ばす。
「……ん?」
――その皇帝と邪法士の間に、小恋が立ち塞がった。
「………」
思わず、烏風も目を見開く。
邪法士は、訝るように顎を引いた。
「どけ、小娘。これより清浄である。お前達の出る幕は――」
「爆雷! 烏風!」
小恋のバカでかい咆哮が、広間に轟いた。
その声に、喚いていた珊瑚妃も、偉そうにふんぞり返っていた邪法士も、たまらず黙る。
「立って! 楓花妃様を助けて、なおかつ皇帝陛下を守る! そのための最短最善の道はどうすればいい!?」
「……決まってんだろ!」
続いて、爆雷が拳を鳴らしながら小恋の横に立つ。
「このボケもキョンシー共も全員ぶちのめして陛下を守り、楓花妃は大急ぎで医者に連れていく! このボケは解毒の方法を知ってるかもしれねぇから殺さず生け捕りが最適! 以上!」
「流石ゴリラ! よくわかってる!」
バシン、と、爆雷の腕を叩く小恋。
「………ふっ」
烏風は嘆息する。
本当にぶれない。
彼女も、爆雷も、この状況で正しい道が見えている。
「……どけ、清浄の時間を汚す下郎ども。貴様等の相手はこいつらだ」
邪法士の言葉と同時、数体のキョンシー達が飛び掛かってくる。
この日の為に用意した、妖力を込めた死体達なのだろう。
襲来するキョンシーに、小恋と爆雷が身構える。
「森羅潜みし万象の澱! 五法山神川ノ神!」
刹那、印を結ぶ烏風の足元に広がる黒い沼。
そこから、大量の魑魅魍魎が湧き出る。
「《退魔術》――《怪生三昧》!」
魑魅魍魎は飛び掛かって来たキョンシー達に纏わり付き、更に皇帝と楓花妃を守るように壁を作った。
「ちっ!」
邪法士が慌てて〝羽〟を飛ばすが、それは魑魅魍魎の壁に阻まれた。
「烏風!」
「私の力で陛下と楓花妃様を守る。さぁ、実戦訓練だ」
小恋と爆雷の横に立ち、烏風が言う。
「《退魔術》を極める最大の近道を教えよう。戦いの中でコツを掴み、目覚めさせる事だ」
「つまり、実際に経験して覚えろってこったな。今までで一番わかりやすいぜ!」
「そうだね。ゴリラの君にはきっと最適だ」
「二人とも、最短最速だよ」
弓を構える小恋、拳を手の平に叩き付ける爆雷、印を組む烏風。
三人は、目前の邪法士とキョンシー達に向け、動く。
「全速力で叩きのめすから、そのつもりで!」




