◇◆二十一話 宴◆◇
遂に始まった、楓花妃、珊瑚妃合同での宴の席。
陸兎宮の奥の広間。
上座には皇帝陛下が。
少し距離を取って楓花妃と珊瑚妃の席が設けられており、両サイドに花を添える形となっている。
楓花妃の横には、『傍にいて欲しい』という要望通り小恋が。
「俺達はメシ食っちゃいけねぇのか?」
「何を言っているんだ、君は。あくまでも私達の立場は護衛だよ」
その後方に、爆雷と烏風が控えている。
……一方、珊瑚妃の横には宦官が一人。
今日は口元のみならず、顔まで黒い布で隠した――あの宦官だ。
皇帝付きの側近達にも席が用意されており、皆着座して各々会話を交えている。
「珊瑚妃……楓花妃とは普段から仲が良いのか?」
皇帝が、左側の珊瑚妃の方を向いて問い掛ける。
「ええ、とても」
珊瑚妃が、ニコリと笑みながら答える。
「珊瑚妃様には、とても良くしてもらっていますのじゃ!」
と、楓花妃も言う。
そこで、ちょうど宮女達が料理やお酒を運んできた。
事前に小恋のアイデアが採用された、彫刻の施された盆や膳を使い、静々とした動作で広間に入ってくる。
皇帝の前にも用意がされる。
使われているのは、当然銀食器だ。
「お注ぎいたします」
宮女長の紫音が、陸兎宮から取り寄せた酒の入った甕を持ってきた。
小恋の父も好きと言っていた、あのお酒――。
(……ん?)
ふと、小恋はそこで、甕の封が微妙にずれていることに気付く。
(……いや、気のせい、かな)
考える間も無く、封はすぐに取られ、銀の盃に酒が注がれる。
「食前にこちらを。陸兎州から取り寄せた高級地酒です」
「うむ」
そこで、皇帝が居並ぶ側近達の中に目配せをする。
一応、銀食器に反応はないので大丈夫だとは思うが、側近達の中から一人、毒見役の者が出ようとする。
その時だった。
「お待ちを」
声を発したのは、楓花妃だった。
「毒見の役は、妾がさせていただきますのじゃ」
「え?」
予想外の申し出に、小恋も思わず声を漏らす。
事前には、何も聞かされていない。
どういうこと?
疑問符を浮かべ、楓花妃を見る小恋。
彼女は、真剣な眼差しを皇帝に向けていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――話は、少し前に遡る。
宮内の見回りが終わり、宴が始まる直前。
珊瑚妃が、秘密裏に楓花妃を呼び出していた。
『どうかしたのですか? 珊瑚妃様』
『楓花妃様。一つ、お尋ねしたいことが』
他には誰もいない――二人だけだ。
そんな中で、珊瑚妃が楓花妃に問い掛けた。
『楓花妃様は、今回の皇帝陛下のお迎えを、最高の形にしたいとお望みですか?』
『え? そ、それは当然。そうなる事が最善ではないのですか?』
珊瑚妃の質問の意味がわからず、楓花妃は混乱する。
『窺った話によると、この宮の見栄えはあの下女達のおかげで再生し、怪奇現象も《退魔士》の者が来てから鳴りを潜めたと聞きます。皇帝陛下の評価も上々でしょう』
『うむ!』
嬉しそうに頷く楓花妃。
対し珊瑚妃は、真剣な面持ちで言う。
『しかし、それはあくまでも楓花妃様の周りの者達の評価。楓花妃様ご自身の印象は、いまいち強く皇帝陛下には残らないのでは』
『う……』
そう言われ、楓花妃は俯いた。
『確かに……妾は何もしていないのと同じじゃ』
『そこで、私から楓花妃様にご提案がありますの』
ニコッと微笑み、珊瑚妃は言う。
『ここで、楓花妃様ご自身が陛下や周囲の側近の方々に一目置かれるような行動を取れば、貴女自身の評価も上がる。何より、貴女のために尽くしてくれた皆への恩返しにもなるのでは。成長した姿を見せられるのですから』
『な、なるほど!』
それを聞き、楓花妃も真剣な顔になる。
『珊瑚妃様! では、妾は何をすればよいのじゃ!? 是非、ご教授お願いしたいのじゃ!』
『では、お耳を』
警戒するように周囲に視線を走らせた後、珊瑚妃は楓花妃の耳に唇を近付けた。
『他の宮の、陛下を迎えた経験のある妃様から聞いた話なのですが……昔、陛下が初めて宮に訪れた時、本当にその妃が皇帝のために尽くす器量の持ち主かを測るため、酒宴の席にて陛下の毒殺を疑い、妃自身に毒見をさせるならわしがあったそうです』
『ふむふむ……』
『この後の酒宴の席にて、陛下にお酒が注がれた際、向こうから何か言われる前に先んじて毒見を申し出れば、よくできた妃だと思われるでしょう』
『ほう! なるほど!』
珊瑚妃のアイデアに、楓花妃は深く感心する
『大丈夫。事前に銀盃の反応を見て、毒が含まれていないと分かった上での事だし、あくまでも側近達に対するパフォーマンスですから。古い習わしだけど、礼儀にうるさい重役達に好印象を与えられますわ』
本当、礼儀としきたりにうるさい場所よね――と、珊瑚妃は笑う。
そんな珊瑚妃に、楓花妃は……。
『……珊瑚妃様は、どうして妾のためにそこまでしてくれるのじゃ?』
そう、率直な疑問をぶつける。
『………』
『珊瑚妃様も、まだ皇帝陛下のお渡りが無いとお聞きしますのじゃ。なのに、言うなれば競争相手でもある妾に、どうしてここまで……』
『……楓花妃様の事は、貴女が入宮した時からずっと気に掛けていたの』
楓花妃の疑問に、珊瑚妃は真っ直ぐ答える。
『まだ幼い、年下の妃……この混沌とした争いが渦巻く後宮へ、その身一つに重責を担わされ、やって来た女の子……ただ単純に、力になりたかったの。微力かもしれないけど、ずっと』
『珊瑚妃様……』
『確かに私達は競争相手。でも今回は、全力で援助しますわ』
だからと言って、負けを認めたわけじゃない。
絶対に追い付くからね。
そう言って、珊瑚妃は微笑んだ。
『……珊瑚妃様は、本当に優しい方じゃ』
楓花妃は、目元を拭う。
小恋といい、本当に自分は人の縁に恵まれている。
心底――そう思えた。
『いいですね、楓花妃様。決して、周りの者には言わないように、秘密でいきなり行うのですよ』
『わかったのじゃ!』
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「毒見の役は、妾がさせていただきますのじゃ」
時間は戻り、現在。
そういった経緯から、楓花妃は自ら率先して毒見を申し出た。
「妃自ら、毒見を……」
「ほう……これは殊勝な」
と、感心する側近達。
「構わないぞ、楓花妃。毒見役はいる」
その提案を断る皇帝だが……。
「いえ、是非! 妾に、妃としての覚悟を!」
「……そ、そうか」
そう強く出る楓花妃に、仕方無し、皇帝も応じる事となった。
一方、小恋はこの事態を怪しんでいた。
楓花妃の行動は、自ら毒見の役を買って出て、皇帝陛下への忠誠心を示す……とか、そういった類の行動だろう。
その行動自体には、理屈が通っている。
楓花妃自身の思い付きなのかもしれない。
が、何か引っかかる。
(……何かが、あった?)
そこで、小恋の視界に、珊瑚妃の姿が映った。
楓花妃へ向ける目付きは、事の成就を願い、成り行きを見守るような目。
しかし、純粋に、楓花妃の行動の成功を望むようなものとは、何か違って思えた。
(……まさか……)
小恋は、瞬時に意識を集中する。
《妖気》の探知。
探知の針を向ける先は、皇帝の銀盃。
……が、酒からも盃からも、何も感じない。
「………」
理由はわからない。
銀食器にも反応はない。
《妖気》も感じない。
……だが、嫌な予感がする。
(……どうすればいい)
どう行動する事が最善なのか?
考えている間にも、盃は楓花妃の手に渡る。
「……まさか」
そこで、ふと、父の記憶が蘇った。
厳密には、父が語らった妖魔の情報。
特に、〝要注意〟と称して話していた、そんな情報の中に――。
(……もしかして……でも、〝あの妖魔〟が関わっているのだとしたら……)
そして考える。
最悪の状況を想定し、この事態を突破する方法を。
(……珊瑚妃……銀食器)
――思い付いた瞬間、口が開いていた。
「待ってください」
唇に盃を近付け、酒を口内に含もうとした寸前――小恋が、楓花妃を止めた。
「小恋?」
「楓花妃様。そういえば、今回の皇帝陛下の食事に使用させていただいている銀食器は、珊瑚妃様からの贈り物ではなかったでしょうか?」
小恋の言葉で、楓花妃の毒見は中断される。
「う、うむ、その通りじゃが……」
珊瑚妃や側近達、爆雷や烏風も、小恋のいきなりの行動にざわつく。
そんな中、小恋は淡々と進める。
「そして、今回使用させてもらうのが初めて」
「うむ……」
「楓花妃様も、同じ陸兎州の出身であればご存じでしょう。陸兎州には、『贈り物をいただいた際には、まず贈り主に礼としてお返しする。食材なら料理を作って一口目を食べてもらい、食器なら先に使用してもらう』という風習があります」
「え……え?」
小恋の発言に、楓花妃は首を傾げる。
自身の無知に焦っているのか……。
否、これは小恋が適当に作った口から出任せだ。
重要なのは、礼儀やしきたりを重視するこの場で――。
「楓花妃様、毒見役を買って出るのはまたの機会に。本日はまず、同席し共に宴を盛り立ててくださる珊瑚妃様に、礼をお返しするべきでは」
逆に、珊瑚妃を追い込み、状況を読み解く。
「それが、節度というものです」
小恋の発言に、楓花妃も珊瑚妃も、目を見開く。
「え、え、でも、小恋……」
「お黙りください、楓花妃様。礼を欠きますよ」
小恋が強く言うと、楓花妃は「ふぇっ」と怯えた声を出した。
ごめんなさい、楓花妃様……でも今は、事態の把握が先決。
そう心の中で思う小恋の視線の先には、どこか焦った様子の珊瑚妃がいる。
「い、いえ、お構いなく……楓花妃様にまず毒見役の誉をと思い……」
「では、それこそ珊瑚妃様にお譲りするべき事」
困惑する珊瑚妃に対し、小恋も譲らない。
「いや、古いしきたりだ、何もそんな事をする必要は……」
どうにも得体の知れない状況に、皇帝も口を挟もうとする。
が、そこで、小恋が皇帝に目配せをした。
「………」
小恋の強い視線から、皇帝も何かを感じ取ったのだろう。
「……珊瑚妃、せっかくの申し出だ、受けてはどうだ。陸兎州の習わしに則り、其方へ礼を尽くすと言っているのだ」
「え」
そう、小恋を援護しだした。
「安心しろ、銀食器にも反応はない」
「は、あ……はい」
「ほら、楓花妃様。珊瑚妃様にお酒をお渡しして」
「は、はいですじゃ」
あわあわと、銀盃を珊瑚妃の元まで持っていく楓花妃。
渡された盃を前に、珊瑚妃は停止する。
小恋は睥睨する。
これで……わかるかもしれない。
彼女が、何をしようとしていたのか。




