◇◆十八話 皇帝の来訪◆◇
ここは、後宮の一角――白虎宮。
「楓花妃……あの娘、ぴんぴんしてたわ……」
薄暗く、燭台の仄かな灯だけが照らす、妃の私室。
現在、仕えの宮女や侍女も払われ――その部屋の中には、二人だけしかいない。
一人は、この宮の主である、珊瑚妃。
焦った様子で、うろうろと部屋の中を歩き回っている。
「顔色もどんどん良くなっていってるし、廃屋寸前だった陸兎宮も綺麗になっていってる……」
自身の手の爪を噛みながら、珊瑚妃はぶつぶつと焦燥感を露わに呟く。
そして、足を止めると振り返った。
「ねぇ、本当に大丈夫なの!?」
振り返った先、一人の男が床の上に腰を下ろしている。
宦官の服を着た男。
口元を黒い布で覆った、珊瑚妃付きの宦官の男は、手にした札に筆を走らせていた。
「慌てすぎだ」
その札の表面に、不可思議な文字を書き連ねながら――宦官は言う。
「私の力を借り、他の宮へ邪法による攻撃を行い、後宮での女の争いを勝ち抜く……お前がこの策に乗った時点で、大体の説明は行ったはずだ。怪しまれないためには、地道に、必要以上の証拠を残さず、密かに行動を起こさなくてはならない、と」
「それは、わかってる! ……けど、陸兎宮の評判が良くなってきているのは事実なのよ」
再び、珊瑚妃は爪を噛みだす。
「宦官達や宮女達の間でも、もっぱらの噂よ。もし、この声が皇帝陛下にまで届いたら……私の地位だって脅かされかねない」
そう、珊瑚妃は不安がる。
「………」
宦官の男は、黙って札に文字を書き続ける。
「……原因は、あの《退魔機関》からやって来たっていう《退魔士》?」
そんな彼に、珊瑚妃はチラリと視線を流しながら問う。
「いや、私のキョンシー達が潰されたのには、別の要因も絡んでいるだろう」
男は、一旦筆を置いた。
「遂最近、炎牛宮に潜んでいた〝同胞〟が狩られた。その《退魔士》が来る前の話だ」
「ど、どうするの!? 本当にこのまま、あんたを信用してていいの!?」
声を荒げ、詰め寄る珊瑚妃。
瞬間。
「黙っていろ」
宦官は立ち上がると、手を伸ばし珊瑚妃の顎を掴んだ。
「ひっ」と、珊瑚妃の喉が小さく悲鳴を上げる。
「白虎州公の子の中でも、比較的器量に恵まれていたから後宮に嫁入りできただけの分際が」
「……っ」
「皇帝の寵愛に恵まれず州に戻れば、お前など所詮は大勢居る州公の跡取りの一人に過ぎない。政治ができるわけでも、何か特技があるわけでもない。適当な成金の貿易商人に嫁がされるのがオチだ。お前よりも、20も30も年上の好色家のな。それがお望みか?」
「……い、嫌に決まってるでしょ、だから……」
「そうだ。お前は私の言う事を大人しく聞いていればいい」
男は、珊瑚妃を離す。
「心配しなくても、次の策は既に考えてある。一転攻勢の策をな」
低い声で、怪しく笑う宦官。
彼を前に、珊瑚妃は思い詰めるように顔を俯かせると、近くにある大きめの座布団に、腰を落とす。
すると、そこに、一匹の小さな子供の白い虎がやって来る。
まだ、少し大きな猫くらいの大きさだ。
ごろごろ……と喉を鳴らしながら、その子虎は、珊瑚妃の膝の上に前脚を乗せてくる。
「玉……」
子虎――玉の背中を撫でる珊瑚妃は、その瞳に黒く深い炎を滾らせる。
「絶対に勝つ……負けてたまるか」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さて。
場所は、陸兎宮内の、少し広い庭。
いつも楓花妃との運動用に使っている庭で、烏風が小恋と爆雷を前に立っている。
「さぁ、お待たせ、《退魔術》に関する指導の時間だ」
その細い目を更に細め、微笑みながら烏風は言う。
「ここ数日、君達を《退魔士》として育成するための手順や方法等を色々と考えていた。今日は、本格的に実践に移りたいと思う」
「やっとかよ」
爆雷が悪態を吐く。
烏風は咳払いを一つし。
「そもそも、我々真の《退魔士》が扱う《退魔術》とは、特殊な才能を持つ者のみが極められる力だ」
講義を開始した。
「体内から特別な力、《妖力》を生み出せることが大前提である」
「ほー、じゃあ、その《妖力》っつぅ力が俺達には宿ってるのか」
と、爆雷が腕をぶんぶんと振り回しながら言う。
無論、そんな方法で《妖力》は出ない。
「その通り、まぁ、君に関しては認めたくないところだが」
「ああん?」
「まぁまぁ」
宥める小恋。
「さて、ここまで話した簡単な前提を踏まえた上で、小恋の持つ〝妖魔の存在を感知できる〟という能力に着目してみよう」
「私の、力?」
「そう。具体的に、君の感覚は妖魔の〝何〟を感知しているのかという点だ」
烏風の言いたい事は、ここまでの説明を聞くに大体予想がつく。
「《妖力》」
「そう。ただ厳密には、感知しているのは妖魔の発する《妖気》だろう」
《妖気》。
また新しい専門用語のようだ。
「《妖気》とは、妖魔の発する活動気配のようなものだ。妖魔も《妖力》を持ち、それが外界に発散されると《妖気》になる」
「人間でいうところの汗や呼吸、気配みたいなものですね」
「もしも小恋の探知している〝妖魔の存在〟が、風水思想に基づき〝悪いもの〟を感知しているのだとしたら、おそらくこの考えであっていると思われる……」
……さて、と、そこで烏風は一拍置く。
「つまり理屈上、小恋の能力は妖魔だけではなく、《妖力》を持ち、その《妖力》を《退魔術》として使用した際に《妖気》として発散する《退魔士》の気配も探れるはずだ。小恋、爆雷から《妖気》は感じるかい?」
「………」
小恋は試しに、爆雷に対し感覚を研ぎ澄ませてみる。
しかし、今日まで彼と何度も行動を共にし、そして妖魔退治の仕事も行ってきたのだ。
結果は明らかだった。
「感じません」
「ああん? どういうことだ? やっぱり俺には《妖力》が無いのか?」
「そうじゃない。では小恋、私から《妖気》は?」
「烏風さんも同様ですね。感じません」
首を傾げる爆雷に、烏風は説明を開始する。
「小恋が私達から《妖気》を感じ取れなかったのには、それぞれ別の理由がある。一つ、私は現在《退魔術》を使用していない。つまり、《妖気》を外界に発散していない」
「俺も同じじゃねぇのか?」
「今のところはね。だが君の場合は、自身の中に《妖力》の存在すら自覚できていない。つまり君の場合は、《妖力》を外に発散する術を知らないということになる。逆に言えば、君は《妖力》を体内で使い規格外の怪力を発揮していたということだ。ここから、君の《退魔術》を発展させていく必要があるね」
「烏風さん、質問ですが」
そこで、小恋が尋ねる。
「爆雷の件はわかりましたが、烏風さんが先程言っていた件も気になります。《妖気》は《妖力》を発揮しないと発散されない。つまり……」
「そう。《妖力》を持つ者は意識して《妖力》を抑え、《妖気》を発散させないようにする事もできる。妖魔の中にも、それを理解している者もきっといるだろう」
そうなれば、小恋の感知からも逃れられる。
つまり、妖魔や《退魔士》だからと言って、必ずしも小恋の探知で見付けられるわけではない、ということだ。
この情報を知ることができたのは、何気に大きいかもしれない。
「君達は、ここから更に成長しなくてはいけない。まず、《妖力》を自覚し発露する訓練。次に、《妖力》を意識し操作する特訓だ。当然だが、《妖力》も《妖気》も目では見えない。自分自身で掴んで操るしか術がないからね」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
こうして、烏風による《退魔術》のレクチャーが開始。
色々と指導を受けながら、特訓を続ける日々が始まった。
――そんな、ある日の事だった。
下女の宿舎周辺に戻り、色々と仕事道具等を仕入れてきた小恋は、現在内侍府の中を歩いている。
すると。
「最近、陸兎宮の状況が良くなってきているらしい」
そんな、宦官達の立ち話が聞こえてきた。
「なんでも、内侍府長が厳選した《退魔士》を一人雇ったそうだ」
「ほう。だから最近、陸兎宮の怪奇騒ぎを聞かなくなったのか」
「宮女達も戻り、宮も以前より綺麗に修繕されていると聞く」
「楓花妃も元気を取り戻したようで、最近ではどんどん姿に磨きがかかっていると噂でな」
「それは素晴らしい。まぁ私は以前から、あの妃にはそれだけの素質があると睨んでいたがね」
(……調子の良い事言ってらっしゃる)
でも、これは良い兆候だ。
宮廷全体に噂が広がれば、いずれは皇帝の耳にも届くだろう。
小恋に直接の命を下すほど、陸兎宮の事を気に掛けていたのだ。
これでひとまずは安心するはずだ。
「よし、風向き良好良好」
手応えを感じながら、小恋は陸兎宮へ帰る。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
で、宮に戻り雑用を済ませると、その日の訓練の時間が開始した。
「《妖力》は腹の奥、丹田という器官から生み出される。そこに意識を集中するんだ」
小恋と爆雷は、いつもの庭で、腹の前に両手を重ねるようにして仁王立ちし、瞑目して集中している。
烏風から、《妖力》を操る方法を学んでいるのだ。
「ぐぅ……よくわかんねぇな。腹殴ったら出て来ねぇか?」
「出てくるわけないだろ。吐いて終わりだ。馬鹿な事を言っていないで集中したまえ」
「これは何の練習をしているんだい?」
「《退魔術》の訓練ですよ。こうやって《妖力》の自覚と操作を……」
そこで、小恋は気付く。
あまりにも自然に会話をしてしまっていたが、今登場人物が四人いた。
横を振り向く。
そこに、一人の男性が、小恋と同じポーズを取って立っていた。
異国の人間のような、白銀の色の髪に、同じ色の瞳。
身に纏っている衣服や装飾品、それらすべてから気品と高級感が伺える。
どこか超然とした、不思議な雰囲気を醸す人物。
小恋は、思わず叫ぶ。
「こ、皇帝陛下!?」
その声に、爆雷と烏風も慌てて反応した。
「陛下……マジかよ!」
「この方が……」
爆雷は急いで背筋を伸ばし、烏風はその場に跪く。
「また変わった事をやっているね、小恋」
皇帝は、その顔を和らげ、小恋に微笑む。
「いつの間にいらしてたんですか……」
というか、どうしてここに?
この方もこの方で、神出鬼没だなぁ……。
『ぱんだー!』
小恋がそう思っていたところで、もう一人(一匹)の神出鬼没が現れた。
子パンダの雨雨である。
皇帝を発見し、嬉しそうに駆けてくる。
「元気にしていたかい、雨雨」
『ぱんだ~!』
「……不思議な生き物ですよね、その子」
小恋は、皇帝に言う。
皇帝のペットであり、言葉をしゃべり、加えてその身から《妖気》を発散する(つまり、《妖力》を持っている)パンダ。
本当に謎の多い子だ。
小恋の発言に対し、皇帝は微笑すると、雨雨の背中を撫でる。
「パンダは、先祖代々、皇帝一族と所縁の強い動物でね。しきたりで歴代の皇帝達の傍には、ペットとして置くようになっているんだ」
「え、いいんですか? そんな大事な子を、私が預かっちゃってて」
「構わないよ。きっと、小恋にも加護を与えてくれるはずさ」
そう言って、小恋をジッと見据える皇帝。
(……何だろう)
前に遭った時もそうだったけど。
皇帝陛下が自分を見る時の目は、どこか、普通じゃない気がする。
小恋がそう思ったのと、同時だった。
「しゃおりゃーん、そろそろお茶の時間なのじゃー」
宮女達を連れた楓花妃が、てくてくとやって来た。
「……え?」
そして、小恋達の前に立つ人物の存在に気付くと――。
「………………ここここここここここここ、こここ皇帝陛下!!!????」
鶏のような声を上げて飛び上がった。
「楓花妃、元気になってなりよりだ」
そんな楓花妃の姿を見て、皇帝は一瞬おかしそうに微笑むと。
すぐに顔を、キリッと真剣なものにした。
「いずれ知らせが来ると思うが、近々君の宮に伺う予定だ」
「へ……え? あ、はいですじゃ!」
「楽しみにしているよ」
それだけ言って、皇帝はその場を去っていく。
(……あれ? そんなに楽しみなら、ここで話でもしていけばいいのに)
まぁ、皇族のしきたりはよくわからない。
順序とかの関係で、そういうわけにはいかないのかもしれないけど。
「き、聞いたのじゃ? みんな……遂に、皇帝陛下が妾の宮に来られるのじゃ」
一方、皇帝からの言葉に、楓花妃はフルフルと震えあがっている。
皇帝陛下が、正式に陸兎宮へ訪問に来ると宣言したのだ。
「い、急いで準備をしないと!」
それを聞いていた他の宮女達も、大慌てである。
「……あの方が、皇帝陛下か」
跪いていた姿勢から立ち上がり、烏風が言う。
「不思議な雰囲気の方だったね」
「………」
そんな中、爆雷が皇帝の帰って行った方向を、ジッと見詰めていた。
「どうしたの、爆雷、いつになく真剣な目して」
「当たり前だろ。俺の目標が、目の前に現れたんだ」
軽口を叩く小恋に、爆雷は言った。
「へ? 目標? 爆雷、皇帝になろうと思ってるの?」
「おいおい、頭の中の年齢が三歳くらいで止まっているのかい、君は」
「うるせぇ! 世界征服とか言ってた奴が偉そうに言うな! あと、目標ってのはそういう意味じゃねぇ!」
散々な言われように吠えると、爆雷は改めて言い直す。
「ガキの頃からよ、俺はいつか、皇帝の禁軍になるのが夢だったんだ」
「禁軍……」
禁軍とは、皇帝の近衛兵。
宮廷に仕える武官の中でも、ほんの一握りの実力上位者からなる強者の集団である。
「そして、そんな禁軍の中でも傑出した力量を持つ十人の近衛兵が、《禁軍十神傑》と呼ばれている。名実ともに、この夏国最強の戦士達だ」
「へぇ、こりゃまたわかりやすく、男の子が憧れそうな設定だね。当然、爆雷もその十神傑を目指してるんでしょ?」
「当たり前だろ。つぅか、何を隠そう俺の親父が、元禁軍十神傑の一人だったからな」
爆雷は誇らしげに言う。
なるほど、そんな関係性があったんだ。
「じゃあ、爆雷が武官になったのは、お父さんの影響だったんだ」
「まぁ、否定はしねぇ。そういやぁ、昔、親父が酔っぱらった勢いで伝説の禁軍兵の話をしてたっけな」
「伝説の禁軍兵?」
「おう。なんでも、事情があって表の歴史からは抹消された、伝説的な強さの禁軍兵がいたんだと。つっても、泥酔した親父が口から出まかせに語っただけかもしれないけどよ。名前は確か、砦――」
「ほら、無駄口はそこまでだ、鍛錬を続けるよ」
おっと、そうだったそうだった。
爆雷の話は無理やり終了、私達は引き続き、《退魔術》の訓練を行う。
――そして、その翌日、陸兎宮に皇帝陛下からの勅使がやって来た。
――正式に、皇帝陛下が楓花妃に会いに来る日取りが決定したのだ。




