◇◆十六話 烏風(ウーファン)◆◇
「痛い目を見てもらおうか」
烏風の足元の黒い沼が広がり、そこから魑魅魍魎が湧き出てくる。
黒くて丸く、赤い目が二つ付いたそのチビ妖魔達は、『きゅー』『きゅー』と鳴き声を発しながら、折り重なっていく。
そして、見る見る内に膨れ上がり――。
「な……」
三人の《退魔士》達は、絶句する。
彼等の目前に、魑魅魍魎が合体した巨大な塊――まるで、神話の中に出てくる巨人、蚩尤のような巨体が誕生した。
『ぶぉおおおおおおおおおお!』
そして、その頭部が牛のような雄叫びを上げ、三人組に向けて巨腕を叩き込んだ。
「うぉ!」
衝撃に、小恋と爆雷は身構える。
「発言には気を付けたまえよ、まったく」
烏風が手を打ち鳴らす。
漆黒の巨人は崩壊し、数百匹の魑魅魍魎達に戻った。
そして――その拳の下から、地面に横たわった三人組の姿が現れる。
全員、白目を剥いて気絶していた。
雨雨にボコボコにされ、爆雷にボコボコにされ、そして烏風にボコボコにされ、ボロボロになった三人の《退魔士》。
ご愁傷さまです、と、小恋は手を合わせる。
「煩型は黙ったようだな」
そこに、新たな声が聞こえた。
振り返ると、現れたのは内侍府長の水だった。
「来てたんですか、内侍府長」
「念のため、な」
小恋が言うと、水は場を見回す。
活動を停止したキョンシー達の亡骸。
意識を失っている《退魔士》達。
そして、無事な様子の、楓花妃や宮女達。
「成り行きは、大体わかった」
「内侍府長様」
その時だった。
烏風が水の前へ進み出ると、瞬時に彼の前で跪いた。
「我々の度重なる無礼な行動の数々、誠に申し訳ございません」
先程までの浮かれていた態度から一変し、真摯な様子で水に謝罪する。
「あの三人組は、元は山賊崩れや商人の出身で金稼ぎの事しか頭にない輩でした。そして、この国の今の《退魔士》に関する組織は、ほとんどがそんな連中の集まりと化しています」
「………」
「《退魔術》に関する修行や研鑽、妖魔に関する情報収集や勉学……そういったものは蔑ろにされています。特殊な才能を持つ者も、血が途絶えたり組織を後にしたり、また派閥争いで消されたり……ともかく、どこもかしこも腐り切っており手の施しようがありません」
すっ――と、烏風は三人組の方を指さす。
「お詫びの印に、この者達をこの場で粛清させていただきたい」
粛清――早い話が、首を撥ねるつもりだろうか。
もしくは、先程の《退魔術》を使うのか。
どちらにしろ、不穏な発言だ。
「………」
そこで、水がチラリと、視線を楓花妃と宮女達に向ける。
「楓花妃様、ご無事で」
「は、はい、小恋達が助けてくれたので、妾達に怪我は無いですじゃ」
「……ご迷惑をおかけいたしました」
水は首を垂れる。
「本来ならこれだけの横暴、許すわけにはいかないが……後宮の、妃の住まいを無駄な血で汚す必要もない……」
烏風の申し出を、水は断ったようだ。
まぁ、英断だろう。
楓花妃の目の前で、わざわざ処刑現場を見せる意味もない。
「それに、既に粛清は済んでいるようだしな」
「かしこまりました。では、この者達に関してはこれまで……そして、ここからは私の話です」
烏風は、水を真っ直ぐ見上げ、言う。
「先程、内侍府長殿はああ仰られましたが、それでは私の気が収まりません。責任を取らせていただきたい」
「では、何をするというのだ」
水が問う。
烏風は、笑みを湛えた。
「私を、この宮廷を守る《退魔士》として徴用していただきたい」
烏風のいきなりの宣言に、小恋も爆雷も瞠目した。
「おい! さっきから何を勝手に――」
そして、当然爆雷が黙っているはずがない。
烏風に後ろから詰め寄る。
そこで、烏風が爆雷を振り返った。
「君の、その常識外れの怪力も、おそらく《退魔術》の素質の欠片の可能性がある」
「……なに?」
「しかし、残念ながら、まだその力の本質を発揮できていないようだ」
瞬間、だった。
再び、烏風の足元に、黒い沼のような円が発生。
その中から、魑魅魍魎の群れが飛び出し、爆雷の体に張り付いていく。
「んな!?」
いきなり大量の魑魅魍魎に纏わり付かれ、爆雷の体は身動きを封じられ――その場に倒れた。
「くそっ! こんなもの……」
例によって馬鹿力を発揮し、魑魅魍魎を跳ね除けようとする爆雷。
しかし――。
「な、なんだ……力が、出ねぇ……」
「これが、私の用いる《退魔術》。魑魅魍魎を調伏し、使役することができます」
烏風は、水を振り返る。
「どうです。悪くない実力ではないでしょうか?」
なるほど、爆雷を利用して自身の力の程をアピールしたのか。
小恋は内心で納得する。
「加えて私には、この宮廷の安全を守るための更なる案も考えております」
「……具体的には?」
更にアピールを続ける烏風に、水は問う。
烏風はバッと、小恋に手先を向けた。
「彼女を、《退魔士》として成長させます」
「え?」
いきなり矛先を向けられ、小恋は思わず声を漏らした。
「彼女の妖魔を探知するという力は、私の知る限り《退魔士》の界隈でも見かけない程、稀有な能力。しかし、彼女は残念ながら《退魔士》に関する素養はほとんど持ち合わせていない様子。無論、にも拘らず現時点でこれだけの力を発揮できている……これは、見過ごすわけにはいかない才能です」
「………」
「もし、彼女が成長し、その能力を常に発動、体調等にも左右されずに使うことができるようになれば、この後宮……のみならず、宮廷中に潜む邪気を見張り、いち早く察知。厄災を事前に防ぐこともできる、最強の守衛になれるのでは」
「……なるほど」
水は、小恋を一瞥し頷く。
納得したようだ。
「わかった。貴殿の徴用に関し、私からの許可を進言しておこう……と、その前に、まずは爆雷の拘束を解いてやってくれ」
「おっと、これは失礼」
烏風が手を打ち鳴らすと、爆雷に纏わり付いていた魑魅魍魎が、水に墨が溶けるように、霧となって消えた。
「但し、まだ実績の無い貴殿をいきなり専属と迎え入れるわけにはいかない。最初の内は、この小恋と爆雷等と共に行動してもらい、その働きの程を評価する。構わないな?」
「ええ、ええ、願ったりです」
委細希望通りといった感じで、頷く烏風。
続いて水は、小恋を振り返る。
「この死体や、《退魔機関》の者達……後始末は、こちらですることもできるが?」
「……いえ」
小恋は、彼等を一瞥し水に言う。
「少々、あの死体に関しても調べたい事があるので……この場の後始末は、私達に任せていただいてもよろしいですか?」
「わかった。後程、報告を持ってくるように」
以上だ――そう言って、水は立ち去って行った。
その後ろ姿を、小恋達は見送る。
「……何が目的ですか?」
彼が立ち去ったのを確認すると――小恋は、烏風に言った。
先程の水への物言い。
渡りに船とばかりに、小恋と共にいるための口実を申し出たように思えて仕方がない。
「目的は、私ですか?」
「その通りだよ」
一切繕い隠すことなく、烏風は言った。
「私は君が欲しい」
「はぁ……」
先程も聞いた発言に、小恋は気の抜けた返事を返す。
しかし、続いて烏風が口にした言葉に――。
「小恋、私と一緒に世界を征服しないか?」
……小恋は、立ったまま固まってしまった。
「………」
「おっと、引かないでくれ。そんな目で見ないでもらいたい。言葉の綾だよ。そこに転がっている三人のようなならず者や、そのキョンシーや妖魔を使って事件を起こしている悪党達……そういった連中を排斥し、私達のような強大な力を持つ者で世を管理するべきだと思っているんだ。その手始めに、是非とも君にも私の同胞になってもらいたい」
「おい、いい加減にしとけ」
そこで、烏風の背後に立った爆雷が言う。
「とりあえず、内侍府長がああ言った以上、お前は俺達と一緒に行動することになった。だが、信用に値する人間かどうかの評価は俺と小恋に任せられたってことだ。宮廷専属の《退魔士》になるっつぅなら、ここで起きる妖魔騒ぎを解決することだけ考えろ。余計な事言って、小恋を惑わすな」
どうやら、爆雷には小恋が烏風からの申し出に心が揺らいでいるように見えたらしい。
(……いや、普通にどう反応していいのかわからないだけだけど)
「《退魔士》としての実力は認めてやるよ。だが、わけわかんねぇ事ばっか言ってるようなら、内侍府長に報告してすぐにここから叩き出すからな。宮廷内で起きる妖魔絡みの事件は、これからも俺とそいつで解決していく」
「ふむ……」
そこで、烏風が何か考えるように爆雷を見据える。
「君は、彼女とは付き合いが長いのかい?」
「ああ? 少し前に知り合ったばっかの仕事仲間だ。だが、ここで起きる怪しげな騒ぎは俺とこいつで担当する決まりになってる」
「……もしや」
烏風が、小恋を振り返る。
「君の心を引き留めているのは、彼かな」
「は?」
瞬間、烏風が小恋の顔に手を伸ばし――唇に指を添えた。
「ならば、どうだろう? 自分で言うのもなんだが、私は器量もそこそこ悪くないと思っている」
「………」
「希望とあらば、君の伴侶として添い遂げることも――」
その時。
「――っ」
烏風は、小恋の唇に触れていた指先に、鋭い痛みを感じた。
噛み付かれたのだ。
小恋が、烏風の指に歯を立てていた。
思わず、烏風は手を引っ込める。
「世界を征服するだのなんだの、子供みたいなこと言ってないで真面目に生きたらどうです?」
「………」
「行こう、爆雷。その人達、一応今夜はこの宮で面倒を見るから、運ぶの手伝って。あと、キョンシーにされてた死体も」
小恋は烏風に背を向けると、庭先に転がっている《退魔士》達の方に向かう。
内侍府長からは見逃してもらったが、宮廷内でこれだけの横暴をしてくれたのだ――このままでは、《退魔士》という言葉自体が悪印象になりかねない。
そうなったら、烏風は勿論、妖魔に携わる小恋や爆雷にまで何かの拍子にとばっちりが来る可能性もある。
一晩ここで安静な状態にして、明日の日が昇る前、誰かの目に触れない内に外に放り出そう。
そう考えた小恋は、テキパキと行動を開始する。
「………」
一方――噛まれた指先を押さえつつ、烏風は黙って小恋の姿を見詰めていた。
「おい、わかったろ」
その彼に、爆雷が言う。
「あいつは、ああいう女だ。お前にどうこうできるようなタマじゃ――」
「素晴らしい」
烏風が呟いた。
その眼の光は衰えることなく、未だ真っ直ぐ小恋に向けられていた。
「実に、素晴らしい。気が強く確固たる我があり、小手先の誘惑では動じない。私は、ああいった女性が最も好物だ」
「………」
「おっと、爆雷。彼女も君のことを認めているようだし、今のところは私も君を仲間と思っておこう。彼女ほどではないにしろ、素質もあるようだしね。だが、私に見損なわれるような行動を起こしたら躊躇なく見捨てる。そのつもりでいたまえよ」
「あっはい」
無駄だと思ったのか、爆雷はもう何も言わないことにした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「………」
どことも知れない部屋の中。
一人の人物が、黙って床の上に座している。
彼の目前――床の上には、八枚の札が置かれていた。
呪術文字が書かれた札……しかし今、その八枚の札はすべて燃え尽き、床に黒い炭の後を残すだけとなっていた。
「全て倒された、か……」
男は呟く。
そして、隠された口元を歪め、静かに笑う。
「……面白い」
誰あろう、先日、陸兎宮を訪れた珊瑚妃の後ろに控えていた、黒い布で口元を隠した宦官――その者だった。




