◇◆十五話 僵尸(キョンシー)◆◇
「へぇ、知っているのかい?」
「……少しは」
声が重なった直後、烏風が小恋を振り返る。
小恋は警戒しながら答えた。
僵尸。
僵屍……きょうし、とも言う。
動く死体の妖魔。
偶発的、自然発生的に生まれることもあれば、死体を特殊な力で操ってキョンシーにするという邪法も存在する。
基本的には、その特殊な力を使うことができる人物が主となり、制御、統率、命令を下すことが可能。
「倒すには、頭部や重要部位の破壊を行い、人体的に行動不能に陥らせるのが効率的……」
小恋は、父親から教わった知識を喋る。
「そこまで知っているなら、話が早い」
烏風は、自身が放った魑魅魍魎達に纏わり付かれ、身動きを封じられているキョンシー達の人数を数える。
全部で、八体。
「魑魅魍魎の拘束も長時間は保たない、とっとと始末しようか」
「はい」
キョンシーの中には、体にくっ付いた魑魅魍魎を払い除け、活動を再開し始める者も出始めた。
烏風と小恋は、迅速に行動を開始する。
「爆雷!」
「ああ!?」
烏風が、爆雷の体に付着していた魑魅魍魎を解除する。
自由になった爆雷の腰から、小恋は素早く剣を抜き取り構えた。
「こいつらは、キョンシー。歩く死体。倒すには――」
瞬時、すぐ目の前にいたキョンシーの首に、刃を振るう。
体から離れた頭が床に転がり、体がその場に倒れ伏す。
「首を切り落とすか、へし折るのが一番手っ取り早いよ」
「そうか。なら、そこまで大変じゃねぇ――なッ!」
振り向きざま、襲い掛かって来たキョンシーの顔面を、全力で殴る爆雷。
更に、たたらを踏んだそのキョンシーの首に、思い切り蹴りを放つ。
鈍い音を立て、首が真後ろに回った。
そのキョンシーも活動を停止する。
一方――。
『うさ~』
「雪……」
もこもこの兎――雪を抱きしめながら、楓花妃は目を瞑って身を屈めている。
その周囲を守るように、宮女達も同様に身を寄せ合い。
そして彼女達の前に、烏風が立っていた。
「……なんなんだ、彼女は」
烏風は、自身の使役する魑魅魍魎達(『きゅー』『きゅー』となく、あんころ餅のような小さな妖魔達)を使い、キョンシーの動きを惑わせるように攪乱している。
そうしながら、その眼は、小恋を見ていた。
軽快な動き、身のこなし、躊躇なく敵の首を撥ねる判断力と胆力。
(……そして、この妃や宮女達に被害の矛先が行かないように、配慮しながら戦ってもいる)
加えて――先刻発揮した、『妖魔の気配を探知』するという能力。
「………」
――やがて、その場にいた八体のキョンシー達は、小恋と爆雷によってすべて行動不能にされていた。
「これで、全部か……」
「うん」
小恋は、念のためもう一度、妖魔の気配を探る。
宮内全域を隈なく感知するように、全力で神経と脳を集中させる。
(……うー)
正直、頭が痛い。
妖魔の探知を、連続で、広範囲かつ長時間集中で使っているのだ。
頭への負荷も強いのだろう。
(……とりあえず、周辺に怪しい気配は感じられない……か)
小恋は探知を解き、「ふぅ」と嘆息しながら汗を拭う。
「ひとまず、もう大丈夫です」
振り返り、烏風や楓花妃達に言う。
一方、爆雷は倒れたキョンシー達……死体を探っていた。
「……鉄は元々、暴力自慢のチンピラとして悪名が知れ渡ってた……しかし、どいつもこいつも、鉄に負けず劣らず体格に恵まれてるな」
体格が良い……強そうな死体を選別して使っているように思える。
と、爆雷は言いたいのだろう
「……! こいつは!」
そこで、爆雷が死体の一人を見て目を見開く。
「どうしたの?」
「……知ってる武官だ。前に、野盗とやりあって殉職したと聞いてた」
ギッ――と、爆雷が拳を握る。
「……こいつらをキョンシーに変えた奴がいるんだよな?」
「おそらくね。これだけ体格に恵まれた死体が選別されて、しかもこの宮を襲うっていう目的で動かされてるように思えるから、その可能性が高いかな」
「……死体を弄びやがって、ゆるせねぇ」
小恋は考える。
敵の目的は、以前までと同様、この陸兎宮を失墜させる事。
楓花妃や宮女を、直接手に掛けないまでも、〝呪われた宮〟としての印象を強め――皇帝陛下を遠ざけさせ、妃争いから離脱させる事。
しかし、鉄のような処刑された罪人の死体を使っていたとなれば……。
(……敵はやっぱり、この宮廷内に潜んでいる者……)
「おい、何があった!」
そこに、今更のようにやって来たのは、明後日の方に駆けていった《退魔士》達だった。
「遅ぇよ、もう終わった後だ」
「終わった? 何を言う! 妖魔はまだここに……」
先頭の、坊主頭の男が言った瞬間――。
『ぱんだ!』
一匹の子パンダが、その坊主頭に飛び蹴りを食らわせた。
雨雨だ。
「いだだっ! こいつ、なんなんだ、さっきから!」
「くそっ! 素早くて捕まえられん!」
「ここまで何とか逃げてきたが……おい、こいつを狩る手助けをしろ!」
(……やっぱり、雨雨だったんだ)
小恋は心の中で納得する。
そう――先刻、宮内の気配を探知した際、小恋は雨雨の気配も探知していたのだ。
以前、雨雨と一緒にいた雪が喋れるようになった時、念のため、雨雨から再び妖魔の気配を感じ取れるか調べた事があった。
結果、雨雨から確かに妖魔と同様の気配……あの、飛頭蛮の夜の時と同じような気配を探知できた。
では、雨雨は妖魔なのか? どんな力を持っているのか?
その点に関しては聞いてもわからないし、皇帝のペットという事でおそらく特別なのだろうとも考えられるし、今は一旦措いておくことにして。
ともかく、あの時、小恋が感じ取った悲鳴側の気配は雨雨のものだった。
いつも勝手に消えて遊び回り、気付いたら帰ってきているという事の多かった雨雨。
今回もいつものように、いきなり藪から飛び出して、宮女を驚かせてしまったのだろう――と、思ったのだ。
だから、心配要らないと判断したのだった。
「ああ! 楓花妃様、こちらにいらっしゃったのですね!」
副宮女長の紫音が、雨雨に苦戦している《退魔士》達の後ろから現れる。
「先程の悲鳴は、紫音さんのものだったんですね」
「ええ……恥ずかしながら、雨雨ちゃんがいきなり飛び出してきて驚いちゃって」
照れながら紫音は言う。
つまり、実害無しだったということ。
《退魔士》達の行動は、無駄働きだったようだ。
(……いや、楓花妃様や宮女達を騙して宮内に放った時点で、許せる限界を越えてるけどね)
『ぱんだー!』
そうこうしている内に、雨雨は坊主頭の男に蹴りを放ち、数珠の男に飛び付いてパンチし、その勢いで髭面の男にも跳び蹴りを食らわせた。
三人とも倒れる。
雨雨の圧勝である。
「へえ、今時のパンダは『ぱんだー』と鳴くのか、初めて知ったよ」
仲間達がボコスカにやられている光景にも一ミリも何も感じていないのか、烏風はそんな呑気なコメントをしている。
「んなわけねぇだろ、こいつはちょっと特別だ」
烏風の発言に、爆雷はそう言い返しながら――腰を落とした三人組の前まで歩み出て行くと。
「この!」
坊主頭に拳骨。
「バカ!」
数珠の男に拳骨。
「野郎!」
髭面に拳骨。
「どもがっ!」
そして、三人とも纏めて放り投げた。
……えっ、放り投げた!?
大の男を三人纏めて、庭先まで投げ捨てたのである。
(……爆雷、怒ると怪力っぷりに更に拍車がかかるなぁ)
まぁ、でも、彼の怒りはもっともだ。
存分にやっちゃって、と、小恋は思う。
「な、何をする、貴様!」
「こっちの台詞だ! テメェらがやった事はそのまま内侍府長に報告するからな! 二度と宮廷の敷居跨ぐな、ボケ!」
《退魔士》達の横暴にブチ切れている爆雷。
一方――。
「小恋」
気付くと、烏風が小恋の前に立っていた。
「小恋で良かったね? 君の名は」
「あ、はい。何か――」
瞬間、烏風が小恋の手を取っていた。
「素晴らしい……」
「はい?」
「端的に言おう。私は君に惚れた」
「はいっ?」
何を言っているのかわからず、小恋は聞き返す。
しかし、烏風の目は本気だ。
「君は天才だ。知識、戦闘技術……どこで学んだのかは知らないが、キョンシーを単独で撃破できる存在など、そうそういない。いや、その点も今はおいておこう」
どこか興奮し、紅潮した顔で語る烏風。
小恋は、そんな烏風から少し顔を離すように意識する。
「何より興味を惹かれたのは、君の『妖魔の気配を探知できる』という能力だ。そんな力など、私はおろか、私の知る限りのこの国の《退魔士》達の中にも持つ者の居ない、特別な力だ」
え? そうなの?
小恋は小首を傾げる。
山の中で暮らし、獣や妖魔との戦いが日常だった日々を送っていたので、その中で発達した危機感知能力の類だと思っていたけど……。
「通常、妖魔の気配を探知するなんて、できるはずがないのさ」
「なんだ、そんなこともできないのか、お前等」
そこで、爆雷が烏風と小恋の会話に割り込んできた。
「普通、なんか、『妖魔は妖気みたいなものを発散しててそれを感じ取る』とか、そういう技術みたいなのありそうじゃねぇか」
「はぁ……」
爆雷の発言に、烏風は嘆息を漏らす。
「なら君は、遠く離れた場所にいる人間の気配をその場から動かず、もしくは森の中に隠れている人間の気配を森に入らず探知することができるのか? 同じ人間だから当然できるのだろう?」
「………」
そう言われてしまえば、爆雷も何も言い返せない。
「つまり、彼女の持つ力はそれだけ規格外という事だ。無論、修行や鍛錬でそういった境地に達することのできる可能性もあるかもしれない。しかし、少なくとも私は、〝本当に〟そんなマネのできる存在になど出会ったことが無い」
烏風は、小恋を見据える。
「君はその境地に達した存在なのか……もしくは、いや、こちらの方が可能性としては高い……おそらく君は、無意識の内に《退魔術》を使っているのかもしれない」
《退魔術》……。
先程、烏風が魑魅魍魎を操っていた時に言っていた言葉だ。
「小恋、私のものにならないかい?」
そんな小恋の思考を遮るように、烏風は恥ずかしげもなく言った。
「はっきり言って、今の《退魔士》の組織はどこもクズの集まりだ。《退魔士》としての才能も技術も無い、だからと言って研鑽も努力もしない、ただ金儲けの事だけを考える嘘吐きと紛い物で溢れている。小恋、私と一緒に、本当に優秀な真の《退魔士》のみで構成された組織を作ろう」
「貴様……もう辛抱ならん!」
そこで、爆雷と雨雨にノされていた三人組が、ふらふらと立ち上がった。
髭面の男が吠える。
「以前からの、我々に対するその見下したような発言の数々! 少し名の知れている程度の《退魔士》の血族の、たかが側妻の子の分際でいい気になるな! 痛い目を見せてやる!」
「おい、仲間割れなら他所でやれ!」
爆雷が間に入るが、三人組も完全にやる気だ、頭に血が上っている。
そこで、烏風が溜息を吐く。
「うるさいな、黙っていてくれるか。それを言うなら、私も同じ気持ちだよ」
烏風の足元に、黒い沼が広がった。
「痛い目を見てもらおうか」




