◇◆九話 皇帝◆◇
「このパンダちゃんが、皇帝陛下のペット?」
『ぱんだー! ぱんだー!』
「ああ、行方不明になっていたと陛下のお付きの者達が大慌てだったが……まさか、こんなところにいたとはな」
小恋の腕の中で、ぴこぴこ四本脚を振っている子パンダ。
それを見ながら、水内侍府長は溜息を吐く。
「……いや、その話は一旦措いておこう。小恋、その子が逃げないように抱きかかえておいてくれ」
「はい」
ということで、パンダをむぎゅっと抱っこする小恋。
『ぱんだ~♪』
当のパンダは楽しそうである。
「今日お前達に伝えに来たのは、先日捕縛した、炎牛宮の副宮女長に関する話だ」
周囲に人影がいないことを確認し、水は小恋と爆雷に報告を始める。
「尋問の結果、幾つかの事実が判明した。炎牛宮の副宮女長と、その仲間の宦官。今回の事件の主犯であるこの者達の裏には、やはり黒幕がいるようだ」
「あの妖魔達、やっぱり誰かの手先だったってことか」
爆雷が呟く。
彼女と、その仲間の宦官は二人とも飛頭蛮という妖魔だったが、後宮に潜んでいたのは誰かの命令だったという事だ。
「その黒幕は一体……」
「……確定とは言えないが、可能性が高いのは、おそらく十二の州の長の誰かだろう」
「州公、ですか?」
あの夜に、爆雷と小恋の話していた予想の一つが、当たったという事か。
いや、水の発言も、あくまでも予想の内の一つと言う感じだが。
「自分の州を代表する妃に、皇帝の子を産ませるため、他の州の妃達を陥れようとする……そういった陰謀は、昔からある。後宮は、女の戦場だからな」
水は語る。
自分の州の代表となる妃が皇帝の本妻……つまり、次期皇帝の母親……皇后となれば、必然的にその州も強い力を持つ。
どこの州も、皇帝を射止めるために必死だ。
「でも、そのためにまさか、妖魔を使って……」
「以前の月光妃の件もある。これから、後宮内の抗争に妖魔が深く関わってくる可能性も高い」
水は、自身の口元に手を当て思案する。
「……妖魔と言う存在が、今まで大きく取り上げられることは無かった。それはひとえに、この国が妖魔と言う存在を熟知せず、また《退魔士》を邪道の者のように見てきたからだろう。考えを改めねばならぬ点が、今回数多く発見された」
「それで、副宮女長は黒幕の正体をまだ喋ってないんですか?」
小恋が問うと、水はこくりと頷く。
「だったら、一刻も早く尋問を進めてかねーとってことだな。内侍府長、何だったら俺も手を貸しますよ」
「いや、爆雷に尋問なんて繊細な仕事ができるわけないでしょ」
「………」
そこで、水は口を閉ざし、眉間に皺を寄せる。
「内侍府長?」
「……その件に関し、問題が起こった」
水の発言に、爆雷は疑問符を浮かべる。
一方、小恋は何かを察し、怪訝な顔になった。
「まさか……」
「今朝、副宮女長は牢の中で死んでいた」
水の発言は、想定していた通りの内容だった。
「死んだ!? 自害したのか!」
爆雷が叫ぶ。
「いや、原因はわからない。自害用の毒等が無いか、事前に検査してあった。拘束をして見張りもつけていた……おそらく、〝消された〟のだろう」
「……どういう方法を使われたのかわからないとなれば、また妖魔の仕業とも考えられますね」
「その通りだ」
ともかく――と、水は繋げ。
「これから、事件の数も増える可能性が高い。もしくは現在進行形で、後宮内で起こっているいくつかの問題には、その組織や妖魔が絡んでいる事も考えられる。お前達の力を借りることも、増えるだろう」
水は、まず爆雷を見る。
「爆雷。お前は、引き続き後宮の警邏に従事してもらいたい。お前の判断で怪しいと思った事があったなら、遠慮せず進言してくれ。拳には許可を取ってある。少なくとも現状、小恋以外で妖魔に関する事件を解決した者の一人だ。最適任はお前しかいない」
「はっ!」
水は続いて、小恋を見る。
「小恋。お前も下女としての仕事を行いつつ、時には力を貸して欲しい」
「はい!」
「……さて」
以上で、報告は完了したようだ。
水はそこで、小恋に抱き着いている子パンダを見る。
「この子は、私が皇帝の元に帰そう……」
言って、水が腕を伸ばし、子パンダの体を掴む。
しかし――。
『ぱんだ~!』
子パンダは、小恋に引っ付いて離れない。
「え? ちょっとちょっと、皇帝陛下のところに帰れるんだよ? ごはんとか寝床とか、もっと良いものがもらえて……」
『ぱんだ!』
瞬間、げしっと、子パンダは水の顔に後ろ足で蹴りを食らわした。
小恋と爆雷が、背筋を凍らせる。
「おまっ! なんつーことを!」
「申し訳ありません、内侍府長!」
慌てる爆雷と小恋。
しかし、対して水は。
「……なるほど」
と、何かに納得したように、小恋に引っ付いている子パンダを見る。
「どうやら、お前に懐いてしまったようだ。しばらくは、お前が世話をさせてもらうといい」
「へ?」
一転して、水は引き下がった。
「あまり、表沙汰にはしないようにせよ。いいな?」
「あ、はい」
そして、水は去っていく。
その背中に、二人は礼をする。
「……内侍府長、お前にはやけに優しい気がするんだがな」
「そうなのかな?」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――深夜。
「楓花妃の最近のご様子は、どうですか?」
場所は、炎牛宮。
草木も寝静まり、静寂と、瞬きほどの光が空を覆う、そんな夜。
仄かな燭台の灯が照らす――ここは、寝室。
金華妃の寝室である。
「……楓花妃とは、しばらく会っていない」
寝台の上。
煽情的な姿で、寝具の上に寝そべる金華妃が、隣で上半身を起こしている男性へと、そう語る。
「そうですか……彼女の陸兎宮は、今大変な状況ですものね。皇帝陛下を迎え入れられる状態じゃないのでしょう……」
「………」
「前に一度、楓花妃を見た時、大層やつれていらっしゃったので……信じたくはありませんが、宮女や宦官達の言う〝呪い〟のせいなのでしょうか?」
悩まし気に語る金華妃。
この後宮において、他の妃を心配する発言は、甘さとも捉えられるかもしれない。
しかし、金華妃は心の底から心配している。
「彼女の宮も、手入れがされずボロボロのようで……」
「しかし、宮女や宦官達は気味悪がって陸兎宮へ近付こうとしない。どう手立てを立てるか」
「……あ、そうだわ! 小恋なら!」
そこで、金華妃の漏らした名前に、傍らの男性が反応する。
「……小恋?」
「はい。小恋と言う、最近宮廷に入ったばかりの下女が、この炎牛宮の様々な場所を綺麗にしてくれたり、最近起こっていた怪死事件を解決してくれたりしたのです。こうして、皇帝陛下が、我が宮へと再びいらしてくれるようになれたのも、その者のおかげ」
「……解決した? 下女がか?」
「ええ、もともと山育ちで、かなり強いという噂もあって――」
とても頼もしそうに語る金華妃の言葉を、彼――。
夏国、現皇帝は、興味深く聞き入っていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ふっふふ~ん」
ある日の事。
本日、お休みをもらっていた小恋は、下女の宿舎近くの庭で、焚火をしていた。
と言っても、ただ何の目的も無く火を熾しているのではない。
ちゃんとした理由があるのだが――。
『ぱんだー!』
そこで、聞き覚えのある鳴き声が聞こえて、小恋は顔を上げる。
「あ、パンちゃん」
先日から、小恋が預かっている子パンダ(命名:パンちゃん)が、こっちにとてとてと走ってくる。
自分の部屋で寝ていたはずなのに……どうやって出て来たんだろう?
「本当にあの子、神出鬼没だな。下女の寮からもちょくちょく消えるし」
嘆息を漏らしながら、そう呟いた小恋。
と、そこで。
「……ん?」
パンちゃんの後ろに続くように、誰かがこちらに近付いてくる。
誰だろうか?
男性だ。
白銀の色の髪に、同じ色の瞳を持つ、不思議な雰囲気を持つ――美しい男性。
身に纏っている衣服や装飾品、それらすべてから気品と高級感が伺える。
この王城にやって来て、宦官や衛兵……一応、多くの男性は見て来たが、それらの者達とは明らかに一線を画している。
見ただけで、わかる。
『ぱんだ~! ぱんだ~!』
子パンダも、彼を警戒していない。
むしろ、男性が手を下げて頭を撫でている様子から、非常に懐いているように見える。
不思議な雰囲気の人物だ。
「えーっと、あの……」
気付くと、その男性は小恋のすぐ真横に来ていた。
動揺する小恋。
一方、男性は小恋の前の焚火に視線を向ける。
「これは、何を燃やしているんだい?」
荒々しくもなく、静やかでもない。
自然で、頭の中にすっと入ってくる声だった。
「え? ああ、植物の根を燃やしてるんです。灰を取り出すために」
「灰?」
「はい」
……シャレみたいになってしまった。
男性の方も、それに気づいたのか、「ふっ」と少しだけ噴き出していた。
……なんだろう。
見た目は別次元の存在みたいな印象を受けるのに、その所作や表情は、どこか子供のように親近感を覚える。
「灰を取り出して、何に使うんだい?」
「洗剤を作るんです」
「洗剤?」
「植物の根を燃やして灰を取り出し、その灰から灰汁を出して、そこに色々な脂を加えて手作りの洗剤を作るんです。この洗剤、汚れがよく落ちるので。まぁ、私の故郷の山の中で見付け出した植物や、色々調合した脂を使えば、もっと良いのが作れるんですけれど」
小恋の話を、男性は興味深げに聞いている。
「で、えーと、すいません」
なんだか自然に会話してしまったけど、彼は一体何者なのか。
小恋が尋ねようとした――その時だった。
「こっちの方から、煙が上がっていると聞いたが……」
そこに、数名の宦官がやって来た。
そして、焚火をしている小恋を発見すると。
「おい、下女! お前、何をしている!」
目を吊り上げて近付いてくる。
「あちゃー、もしかして、叱られちゃう感じかな?」
そう、小恋が呟いた――そこで。
「……ん?」
宦官達は、動きを止めた。
彼等は、小恋の隣の人物を見て、完全に停止する。
そして、次の瞬間。
「こ、ここここここここ、皇帝陛下!?」
叫び、みんな、大慌てでその場に平伏した。
「な、なななな、何故このような場所に!」
「き、貴様! 下女! 何をしている! 頭が高いぞ!」
「………」
小恋は、視線を隣に向ける。
先程まで小恋の話を楽しそうに聞いていた顔ではない。
男性は、無表情で真意の見えない表情を浮かべていた。
……この人が。
「皇帝、陛下?」
「そうか、お前が小恋だったか」
皇帝は、小恋を見下ろし、言う。
「お前に一つ、下したい命がある」




