061 【 攫われた奴隷 】
――なんでこうなったの!?
ユニカ・リーゼルコニムは混乱していた。
出身はパトル商国という、ハルタール帝国に属する人口100人程度の小さな国。
それは国家というより一つの商会であり、主に兵役奴隷の斡旋や管理を生業として細々と生きていた。
だがその奴隷の一人が、よりによって魔王が壁を越える手助けをしてしまう。その為に国家は中央の命令により解体。同じ帝国に所属していたラッフルシルド王国の侵攻により、町は一瞬で炎に沈み、彼女は奴隷となった。
希望塚での名誉の殉職を選ばなかったのは、信仰と魔族への憎しみのためだ。
魔族の一匹も殺さずに死ぬのは、プライドが許さなかった。
だがあばらが浮き出るほど痩せた――この世界では犬も食わないと言われるほど貧相な体では普通の奴隷は出来ない。
女として引き取る者も無く、兵役奴隷に放り込まれ回収屋に配属された。それでも、本来ならばその時点で処分されるのが通例だ。生き残ったのは彼女の国が商国であり、それなりにツテがあったからだ。
元々人付き合いは得意ではない。本の虫――と言っても物語や詩ではない、もっと学術的な図鑑などばかり読んでいた。だからいざ回収屋になっても、周りからは孤立し浮いている存在だった。
だが先日――
「敵襲! 敵がっ!」
誰かが叫んでいる? ……最初はそんな非現実的な感じだった。
だが周囲から上がる悲鳴。そして、最初に叫んだ男の首と腕の無い胴体が、勢いよく血を噴き出しながら、ゆっくりと倒れ込む。
それは人形の様で、最初は何も理解出来なかった。だが同じ回収屋の仲間の悲鳴が、それを現実だと認識させた。
――敵襲!? 本当に魔族が来たんだ!
辺りはパニックとなり、同じ回収屋の皆は我先にと飛甲板に乗り込んで行く。
だが、自分の体は動かなかった。憎き魔族、それを倒す機会を得たというのに、腰が抜け、手は震え、悲鳴の一つも上げることが出来ない。
「早く動かせ!」
「待って! 置いていかないで!」
「どけ! どいてよ!」
周りを蹴落とし、引き剥がし、急いで乗り込もうとする者達。その醜い姿を嫌悪すると同時に、見捨てないでと心の中で縋った。
だが、乗り込んだ仲間は全員、目の前でバラバラの肉片になった。その様子はまるで、飛甲板自体が生き物であったかのよう。血の塊がはじけ、金属の残骸は人の肉や内臓と共に地面にばらまかれた。
悲鳴を上げる事すらできない――
近くにあった、回収した誰かの手斧を掴む。しかし、手が震えてしっかりと持てない。
ゆっくりと人型魔族が近づきながら、同じように恐怖で動けない人間を、大きな赤紫色の瞳で覗き込む。
背は低い。見た目は人間の少女の様。肌は白く、剥き出しの手足は細く中性的な印象だ。髪は薄紫のショートカットで、体に3本の黒い布帯を巻いただけのほぼ全裸。靴も履いていない。
「これはだめかな」
言うなり、見られていた仲間の体が切り裂かれる。破裂したように血が爆ぜ、他の仲間と同じように細切れになった肉片が無造作にボトボト落ちていく。
「あ、あ、あ……」
何一つできないまま、一矢も報いることが出来ないまま殺される――そんな恐怖と絶望感。だが、それをあざ笑うかのように、また一人の仲間が殺される。
空いている手で、首に下げた聖印を掴む。
――神様!
だが救いの手は差し伸べられない。
遂に自分の番となり、その魔族の影がゆっくりと体を覆う。
「これが良いかな。魔王は結構マニアックだったよね」
言うなり持っていた手斧を蹴り飛ばすと、猿轡をして手を後ろ手に縛る。
何も抵抗できなかった。動く事も出来なかった。
飛甲板の上で、いつも仲間が話していた。魔族に会ったらどうする? と。ほとんどの皆が、絶対に殺してやると豪語していた。自分もそのつもりだった。だが現実はどうだ。絶対的な死の恐怖を前に、誰も何も出来やしなかったではないか。
「他はいらないかな」
魔族は辺りを見渡しながらそう言うと、残っていた仲間は皆、同じように肉片と化して死んだ。
もう生きている人間は誰もいない。大地は真っ赤な血で染まり……絶叫し、失禁し、気を失った。
その後は何度か気が付いたが、甘いものを口に流し込まれ再び意識を失う。それを何回か繰り返して、今この見た事も無い場所にいる。
そこは暗く、そして巨大なホール。
頭の上には死霊達が悲鳴を上げながら漂い、周囲には見たことも無い異形の生き物が立っている。
その中心に、黄金の玉座に座っている男がいる。
――まさかこれが魔族の親玉……魔王!?
「どうしてこんなの持ってきたんだよー、エヴィア―」
「魔力を使わずに欲求を発散させるには、人間相手が良いかな。それに魔王はいつもそういった事を考えていたよ」
「吾もそう思うのであるー。それに魔王の子供は大抵、普通の人間より遥かに強いのであるぞ」
エヴィアだけでなくスースィリアも賛同する。
酷い! 俺をそんな目で見ていたのか!?
それに強さとか……どうしても、ケーバッハの狂気の瞳を思い出してしまう。
――な、何を言っているの!?
欲求? 処理? 子供? まさか、まさか、まさか!?
有り得ない! 絶対に嫌! このまま魔族の慰み者になるくらいなら……せめて魔王を殺してあたしも死ぬ!
でもまずは逃げないと! このまま腕を縛られたままでは、抵抗も何も出来ない。
すぐに振り向き逃げようとするが、そこには逆三角錐に大豆のような頭部。そんな奇怪な魔族の姿が瞳に映る。
「フム、意外と活きが良いデスナ。不要でアレバ、少し実験に使いたいのデスガ」
その腕に、がしりと首を掴まれる。
殺されるんだ! こんなところで魔族のおもちゃになって。
悔しさで涙が溢れて止まらない。自分の人生は何だったのだろうか!? 何も残せず、何も出来ず、全てを失って奴隷となってもまだ足りなかったの?
「いらないならエヴィアが食べておくかな。食べ物を粗末にしてはいけないって、誰かが言ってたよ」
「殺すならゆっくりと殺してくださいね。滲み出す生気は結構美味しいのですわ」
死霊のルリアまで混ざって、どんどん収拾がつかなくなってくる。
要らないから捨ててきなさいと言うつもりだったが、エヴィアが食べると言い始めたからそうもいかない。
今更人間一人の生死に心を動かしても仕方が無いが、可愛い女の子を手に掛けるのはさすがに忍びない。
仕方がない、元いた場所に戻させるか……そう考えてハッとなる。
いや、返しちゃダメだろ。正確な位置は解らないだろうが、こんな如何にも拠点ですよなんて場所を知られてはいけない。それこそ、人類側に攻撃の口実を与えるだけになってしまう。
それを見越して袋に入れたんだろうが、結局問題なのは有無であって正確な場所の話ではない。存在自体を知られてはいけないのだ。
仕方ない、処分か……あーあ、勿体なかったな。
「処分と決まりマシタ」
首を掴んでいる魔族が死刑宣告を告げる。
この真っ暗で、死霊達の明かりで照らされた魔族の巣。ここがあたしの死に場所。人生の終点。
「うっ、ううっ、うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
溜まらず泣き出すしかなかった。泣いた処で助かりはしない。だが非力な自分の力では、もうどうしようもないのだ。
いや、たった一つある。残された手段。
プライドが邪魔をする。だが、今は生き延びたい。どんな事をしてもここで終わりたくない。
「お、お願いします……どうか……殺さないでください……。何でも……何でも致します。この貧相な体ですが……どうぞご自由に使い……下さい……ませ」
それは奴隷となった時に教わった言葉。母も、姉も、妹も、血族の器量良しは皆そう言って貰われていった。
まさか自分が口にする日が来るとは思わなかった。だけど今は……仕方がないんだ。
――溜息が出る。割りと本気で。
平和を愛する正義の魔王になるんじゃなかったのか……俺。
女の子に何て事を言わせているんだ……これじゃ本当に悪の魔王様だわ。
「とりあえず、倉庫に放り込んでおいてくれ……」
◇ ◇ ◇
南方、カレオン王国。ムーオス自由帝国に所属する国であり、約500キロメートルの長い海岸線を有する人口4000万人の海洋国家。
漁業も盛んに行われているが、現在では海水で生育する麦、通称”海麦”の栽培が産業の中心だった。
内陸に向けて10キロ以上に渡った海水田。柔らかな砂地の上に10センチほどの深さの海水が静かに波打ち、収穫の季節には、水田の様に一面が小麦色に輝く美しい景色を見る事が出来る。
この海は領域だ。だが人類は海の領域を解除する事が出来ない。その為、分かっていながらも、その豊かな恩恵にあずかっていた。
いや、この国だけでは無い。安全な海岸にはどこも海麦畑があり、その食糧輸出は人類の台所を支える巨大産業だった。
「これはだめだ……」
「こちらもだ……全滅だ……」
一人の農民が、力なく海麦畑に跪く。
本来であれば、そろそろ海の上にまで生育する頃。来年はどれくらいの量が採れるかを見るためにも大切な時期だ。だが今や、全ての麦が紫色に変色し海の中で揺れている。
海の領域が不確かになったため、今まで入って来なかった微生物による病気が蔓延したためだった。
「この国……いや、世界はもう終わりだ……」
地平線の彼方には、かつて見た事も無い巨大な海竜が力強く跳ねている。
海路は消え、漁にも出られず、海の畑は全滅した。誰の目にも、この世の終わりが映っていた。
◇ ◇ ◇
「ホントに何で拾ってきたの?」
拉致してきた女の子を倉庫に放り込んだ後、改めてエヴィアに聞いてみる。
俺の為であることは間違いないが、この考えは絶対に間違いだ。
「言った通りかな? 魔王は無駄な魔力は使えないけど、そういった事はしたいでしょ?」
しょ? と言われるとハイと答えるしかない。
実際そうなのだ。それに関しては間違いない。
「だけど拉致はダメだぞ、拉致は」
「イエ、別に前例が無い訳ではありマセン。先々代魔王の時は日常茶飯事デシタ」
「それをした先々代の方がおかしいんだよ!」
だがそう言いながらも、案外間違ってはいないんだろうなとは思う。これはどちらかと言えば性格的な物だろう。手にした力をどうするかは、結局は当人次第だ。
それに、人類の情報を得るために手頃な人間を拉致って来る……それは、実際に俺の頭の中にあったことだ。
「じゃあやっぱり処分するー? まおーが嫌なら、吾がやっておくのであるぞー」
スースィリアが提案して来るが、それだと話が一周してしまう。これでは堂々巡りだな。
と言うか……。
「エヴィア、本当に俺の為だけか?」
「なんの事かな?」
誤魔化そうとしているようだが、目が泳いでいる。魔人は……少なくともエヴィアは嘘をつけない。
これでも、それなりに濃い付き合いはしてきたつもりだ。こんな時には絶対に何かある。
「誤魔化してもダメだぞ、ちゃんと目を見て話しなさい」
「人間の交尾に、ちょっと興味があったかな」
まっすぐに俺の目を見つめて言う。うん、ちゃんと目を見て話せとは言ったが、ここまで正直でキラキラした瞳を向けながら言われるとちょっと困る。
しかし魔人の興味か。確かに散々そんな気配を見せながらも、俺はエヴィアにそっちの話はしてこなかった。いったい実際にはどんな事をしたいのか、気になってはいたのだろう。
確かに最近……あの戦いがあってから魔王の子供に関して色々考えていた。
魔人とは会話が無くても大体の意思疎通は成立する。まるでこちらの思考を読んでいるようにだ。だが百パーセントではない。余計な事を考えていると、曲解することは今までもあった。
「俺の為であることは間違いないんだよなー……」
頭を掻く。考える。だが結論は出ない。
「本人にその気があるのでしたら良いのデハ?」
「ゲルニッヒ……お前はアレを本人の意志だと思ったのか?」
「ハイ、間違いアリマセン。確実に自分の脳で思考してイマシタ」
――そこに至る前提条件が抜けているのか。人類と友好関係を構築する前に、こちらも少し情操教育が必要かもしれない。
「分かった。しばし保留だ。本人の意思が無い限り、俺はそういう事はしない。それに彼女も処分はしない。最終的には何処かへ放すとしても、当面は面倒見よう」
一応は捕虜として扱う。これで話はまとまった……はずであった。
この作品をお読みいただきありがとうございます。
もし続きが気になっていただけましたら、ブクマしてじっくり読んで頂けると幸いです。
この物語がいいかなと思っていただけましたら、この段階での評価も入れて頂けると嬉しいです。。






