246 【 交渉 】
碧色の祝福に守られし栄光暦219年6月14日。
浮遊城ジャルプ・ケラッツァの動力は失われ、もはや墜落を待つだけとなっていた。
だがそんな中、魔王とリッツェルネールが悠然と対峙する。
互に敵同士にも関わらず、双方とも殺意はない。まるで喫茶店で待ち合わせでもしていたような、そんな静かな空気が流れていた。
「もう少しもつはずだったのだけど、ケインブラとミックマインセが何かしたらしい。時間も無い様だし、要件は素早く頼むよ」
「そうだな。なら単刀直入に言おう。実は少し力を借りたい」
「魔王ともあろう者が人間に頼みごとかい? しかも落ち行く城の城主にとは面白いね」
言葉通り、本当に楽しそうに話す。
リッツェルネールにとって、この提案は予想外であった。世の中とは、まだまだ……それこそ最後まで何が起こるか分からない。
「まあそう言うなよ。大事な要件なんだ。俺にはもう時間が無くてね」
「おそらくだが、時間の無さはこちらの方が上だろう。この城と命運を共にしたくないのなら、もう帰るべきではないかな?」
城の揺れは次第に大きくなり、全体の回転を感じられる。このままゆっくりと止まりかけのコマのように動き、横倒しになって落ちるのだろう。
それにしても――
「魔王の心配をするとは意外だったな。しがみ付いてでも俺を巻き込むんじゃないのか? それが人類の使命とやらだろう?」
「心配はしていないし、人類の使命とやらにも興味はないよ。一応、準備していた罠は全部試したからね。さすがは魔族だ、感心するよ。まあこちらがやるべきことはもう終わりという事さ」
――この野郎。
油断大敵とはこの事だ。エヴィアやテルティルトがいなかったら、こうして話すのもままならなかったという事か。
「そちらが手詰まりなら話が早い。リッツェルネール、俺と共に世界を平和にするか、それともここで死ぬかを選んでもらおう」
「また随分とストレートに来たね。だけど、それは僕の案を呑むという事じゃないんだろう? いったい何をさせたいのかな」
そう言いながらも、ベルトを外し椅子から立ち上がる。拒否はしないという事か。
「話が早くて助かるよ」
「ここで聞くだけの時間が無いというだけさ。じっくり聞かせてもらうよ。その上で、どうするかは決めさせてもらおう」
◇ ◇ ◇
後はトントン拍子だった。
大急ぎでエンブスに乗り込んでさっさと離脱。ここまで来て他を見捨てるのも寝覚めが悪いので、ノセリオさんや丸々とした女性兵士達も全員連れていった。
帰還後は、無限図書館の記録を基に作る領域を決定。それに合わせて、召喚する生き物も決める。
順番も大切だ。領域の製作は大規模な地殻変動をもたらす。何も考えずに始めてしまえば、それこそ人類を滅亡寸前まで追い込んでしまうだろう。
人間社会への影響も計り知れない。何せ世界が変わるのだから。パニックに陥る人間達を落ち着かせるには相当な指導力と資金力が必要だ。
以前は何もかもが足りなかった。
だけど今は、全部揃っている。必要なのはただ一つ、俺の覚悟だけだ。
「始めて良いのかな?」
「ああ、やっちゃってくれ」
◇ ◇ ◇
碧色の祝福に守られし栄光暦220年10月9日。
コンセシール商国の半分は、新たな領域へと変貌していた。
ここから西に誕生した領域は、毒だの酸だのろくでもない世界が広がっている。しかし商国の半分を飲み込んだ領域は、水は清く緑豊か。鉱物資源にも恵まれ、まさに楽園といって良い環境となっている。
一方で、残りの半分は今まで通りの荒れ地が広がっている。
だがそれも、時間の問題だ。
「ここが新しい領域に飲み込まれるのは半年後でしたか」
「そうなっておるな。まあ、それまでにあちらへの引っ越しをせねばなるまい。国家丸ごとの移動だともなれば、相当に忙しくはなるが……」
ここはアンドルスフ商家の拠点。そして同時にイェアの私室だ。
美しい天井画に、煌びやかではないが高価な家具。全てを運べるわけではないが、もうある程度の荷造りは完了している。
ここには今、3人の人物がいた。
一人はマリッカ・アンドルスフ。そしてもう一人は商国ナンバー2、イェア・アンドルスフ。最後の一人は商国ナンバー3にして軍事統括。そして“姿を変えるもの”のジャッセム・ファートウォレルである。
「……ぬしはもう行くのか?」
イェアは膨大な量の書類束に目を通しながら、ちらりとジャッセムの方を見る。
そのジャッセムはいつもの白装束に加え、白の小さなスーツケースを持っていた。まるでちょっとした旅に出るかのような、そんな雰囲気を纏っている。
「いや、今となってはこの国にそれなりに愛着もありましたけどね……いやまあ、ですがねぇ」
「お主らの領域か……」
「ええ、そうです。いやなんとも、もうとうに諦めていたのですがね。姿を変えるものは、私の知る限りもう10人程。このまま生き続ける事に、正直意味は感じていなかったのですが」
「――だが、それも変わった」
声と共に、壁から染み出すように現れた金属的な光沢を放つローブを纏うモノ。
それは商国ナンバー9、外交担当のラハ・ズーニックの姿であった。
「我等は新たな世界を得た。そして仲間も召喚される。決して有り得ぬと思っていた夢が現実となるのだ」
「いやー、ですがね、彼らに事情を説明しないといけないのですよ。ほら、この世界で生まれた我々とは違いますからね。かなりの混乱があるでしょう」
「商国の行く末も気になるが、今はこちらの方が何より大切だ」
「分かっておる。止めはせぬし責めもせぬよ。しかし少し寂しくはなるのう」
「いやまあ、時間は無限にありますしね」
「いつになるかは分からぬが、落ち着いたら様子を見に来ると約束しよう。それとマリッカよ、貴殿には世話になった。出来る人間だとは思っていたが、大したものである。我等魂収集屋の新天地の名は“偉大なるマリッカ”と決めようと思う」
「絶対にお断りします」
戦後すぐに、マリッカは十家会議に召集された。
名目上は新当主を決めるための会議であるが、実際は事の顛末を確認するためである。
そこで彼女は、魔王による計画の全貌を話した。
この星全てを新たな領域で覆う事。その領域には、人間世界に取り残された魔族の地もある事。そしてその地に、新たな同胞を召喚する事も。
所在なく、もはや滅びを待つだけだった彼らにとって、それはまさに望外。有り得ない夢物語であった。
魔王を殺して世界を滅ぼす計画を立てていた魔族達も、これには矛を収めるしかない。
反魔王の急先鋒だったウルベスタやジャナハムは、詫びを入れる為に魔族領へと旅立った。
しかし会う事は無いだろう。魔王はもう、遥か彼方へと旅立った。もう戻る事は無いのだ。
「さて、奴らは奴らでやる事も多かろう。それで、お主はどうするのだ?」
二人の魔族を見送った後、イェアはマリッカに尋ねてみた。
実際の所、彼女はこれ以上ないほど完璧に使命をこなしたと言える。
先ず魔王を殺させないミッションは完遂だ。
もしここを失敗していたら、今頃商国の魔族達は歪んだ恨みの中で死んでいっただろう。
今の現実を知れば、それは最低の結末だったと断言できる。
マリッカが具体的に何かをしたわけではないが、それは関係ない。結果こそが事実なのだから。
商国の名に傷がつかないようにリッツェルネールを暗殺する。正確には商国に害なく戦いを終わらせると言うべきか。彼の生死自体に大きな意味があるわけではない。
こちらもマリッカが主体的に行動したわけではないか、結果としては完璧だった。
今や、リッツェルネールは伝説の英雄になる事が確定といえる。
人類の悲願である魔王討伐に成功し、尚且つ本人も死んだ。多大な名声は何一つ傷つく事は無く、むしろこれから膨らむ一方だ。
その名は後世まで語り継がれるだろうし、その母国であるコンセシール商国の名もまた、伝説に刻まれる。
商業国家としては、何一つ問題の無い完璧な結末であろう。
「お主を血族として独立させ、11家とする案も出ておる。それだけの功が認められたという事であるぞ」
まあ、口には出しながらも結果は聞くまでも無く分かってはいる。
「マリッカ・マリッカになるのですか? 嫌です。もう一人くらいを永遠に養う位の稼ぎは約束されているでしょう? 私はこれから1000年の怠惰に入ります。貴方のように丸々と太って見せますから、見ていなさい」
「お主が美を気にするとはねぇ……男でも出来たか?」
「見つけるために、もうちょっと綺麗になりたいのですよ。もう鍛える必要もないですからね」
「確かに、そうだねぇ」
山のように積まれた資料を見ながら、イェアはもう戦いの時代は終わったのだと確信していた。
もう人が争う理由は無い。もちろん個人の犯罪は無くならないし、完全な平等社会ではない。どこかで小さな争いも起きるだろう。人の欲に限界などないのだから。
それでも、もう世界を巻き込むような大戦争など起きはしない。
誰もが豊かになり、余裕をもって未来を見つめる世界が来る。科学も文学も道徳も今より遥かに進歩するだろう。
欲に限りが無いように、英知もまた無限なのだから。
この話を含め、残り3話となります。
よろしければ、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
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