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212   【 始動 】

 碧色の祝福に守られし栄光暦219年4月13日。

 マースノーの草原に布陣していた浮遊城ジャルプ・ケラッツァの内部では、慌ただしく職員が走り回っていた。


「幾らなんでも急すぎますね。浮遊城が見た目よりもずっとデリケートな事は、城主殿にはお分かりの事かと思いますが」


 ミックマインセが珍しく嫌味を込めた物言いをしてくるが、リッツェルネールは涼しい顔だ。


「急だからこそ意味がある。全機関最大主力。限界を見せてやれ」


 浮遊城ジャルプ・ケラッツァが急速に動き始める。

 普段の巡航速度は時速20キロ程度。戦闘状態で40キロ程だ。しかし現在、浮遊城の速度は60キロメートルを越える。

 ここまでの速度になると、風の抵抗も馬鹿には出来ない。急激な圧力を受け、城全体が揺れ軋む。

 キィキィと響く金属音は、まるで抗議の悲鳴の様だ。


「数ヶ所で配線や隔壁に損傷が見られる。少し抑えるべきだ」


 城内の報告を受けケインブラが報告を入れる。どちらかといえば、忠告に近い。

 このままでは戦闘どころではない。自壊の危険すらある。

 しかし――


「それでは意味がないよ。ムーオスに耳目が集まる今だからこそ、仕掛ける最大の好機だ。我等はこれより、新領域を迂回して迷宮の森と亜人の領域を攻略する。ハルタール帝国、ティランド連合王国にも伝達せよ」


「ティランドはともかく、ハルタール軍は追いつけまい。今すぐ動いたとしても、到着は――」


「いや、動き始めてくれれば良い。どうせ一朝一夕に攻略できる領域ではないからね。それにこれは、南方への支援の一環でもある。ああ、それと――」


「まだ何かあるのか?」


「例の重飛甲母艦をナルナウフの司祭殿に寄付しておいてくれ」


「いやいや、待ってください」


 少し面白そうな、それでいていぶかしげにミックマインセが口を挟む。


「なんだい、ミックマインセ」


「今動かせるのは一機しかありませんよ。それも故障機体をこちらで修理と整備したわけでしょう? それなりに費用が掛かっているわけですし、所属だってまだ……」


「ムーオスとの譲渡契約は進んでいただろう?」


「だがそれは停止していたはずだ」


 今度はケインブラも戻って来る。興味があったのだろう。

 確かに、第二次炎と石獣の領域後に始まった譲渡交渉も、ムーオス自由帝国へ魔族が進行したことによって中断している。


「乗員はただの一般兵だ。上の問題など、もはや関係ないでしょう。彼らは今後生きていけるか――興味はそれだけでしょう」


「確かにそうですが、アレは緊急時の脱出用として購入予定だったわけですが」


「そんなものが必要なのかい?」


 まあ確かに、浮遊城を失って生きて帰るなどありえない。

 指揮官から一般兵士に至るまで、この城を失ったら行く場所などないのだから。





 ◇     ◇     ◇





 迷宮の森と亜人の領域近郊には、ティランド連合王国が布陣していた。

 元々ここが持ち場であり、急な作戦で布陣したわけではない。


「ほう、リッツェルネールが動いたか……なるほど、ムーオスに呼応して北の攻略か。どう思う、グレスノーム」


「そうですね……」


 リンバートに問われたグレスノームの黒い瞳が、深い思慮の色を湛える。


「元々、ムーオス自由帝国との共闘は不可能です。壁を越えて人間領を南下するか、白き苔の領域を突破するか……まあどちらも、そもそもが現実的ではありません。動くなら、確かにこちら側となるでしょう」


「そりゃそうだな。それに、どちらにしろ時間が足りん。やるなら最低限一ヵ月は欲しい」


 それなりに時間もあったため、士官用の部屋は四角い土作りだ。壁は漆喰で固められ、床は土の上に絨毯が敷かれている。

 外には同様の建物の他に、無数のテントが立ち並ぶ。既にいつでも開戦可能――というより、ティランド連合王国はとっくに独自路線で始めている。

 数は160万人をキープしているが、これは損害が無いわけではない。


 もうすでに、北のハルタール帝国では餓死者が出始めている。

 ゼビア王国の反乱により多くの人民を削減した帝国であったが、それでも当然貧富の差は残る。

 金持ちは10年後も生きているだろうが、貧しければ明日は無い。

 そしてそれは、ティランド連合王国とて無縁ではない。


 随時補充し、随時魔族の領域へと送り込む。

 死ぬためにここまで旅をし、決意を胸に森へと消えていく。

 本国では果敢に戦う勇者たちとして報道されているが、それは現実とは大きく違うのだ。


「だがそれも、ようやく一区切りだ。そうだろう、グレスノーム」


「ええ。ですが申し訳ありませんが、リンバート殿にはまだやるべきことがあるでしょう。ここは私が行きます」


 二人とも、もういい加減飽き飽きしていたのだ。

 ただ何の戦果も挙げることなく味方を死地に追いやるだけの任務。その膨大な損失を考えれば、必ずや戦後は無能の烙印を押されるであろう。

 そうなる前に二人とも意義ある戦いで散りたかったのだ。出来ればもっと早くに。


「これ以上、俺を無能にするのか?」


「なんだかんだで、経験豊富な将兵も少なくなりました。長く続いた魔族領遠征で武官は減り、先だっての大戦で内務の人間も大幅に減っています。数は幾らでも増えますが、質を増やすことは困難でしょう」


「ならばお前が残ればいい。古来より、長く生きた総指揮官は死してその位を譲るものだ」


「私はもう十分です。ここまで永らえただけでも望外なのに、こうして地位まで得ました。しかし、限界もまた見えました……」


 170センチ後半と、小柄なリンバートよりも背は高い。しかし、その見た目から受ける力強さは逆だ。何といっても厚みが違う。

 盛り上がった隆々たる筋肉のリンバートと違い、グレスノームは線が細い。病弱であった彼は、本質的に“肉”がつかなかった。

 それはこの世界においては、大きなコンプレックスでもあったのだ。


 それが解っているため、リンバートは何も言えなかった。

 結局のところ、人材不足は深刻だ。

 もちろん、一人や二人の才覚が世界に与える影響などたかが知れている。二人死んだところで、その地位は新たな二人が埋めるだけだ。

 だがあまりにも短期で入れ替えが続くと、質の低下は深刻なものになる。そして今、それは深刻な様相を見せ始めていた。

 社会事情を考えれば、どちらかは生き残るべきだというのは両者ともに共通した認識であった。





  •     ◇     ◇





 碧色の祝福に守られし栄光暦219年4月15日。

 空が明るくなると同時に、ムーオス自由帝国軍が各地で一斉に動きだした。

 その報告を魔人ボンボイルのテントの中で聞いた魔王相和義輝(あいわよしき)は、認識の甘さを思い知った。

 ここは白き苔の領域から南。もう肉眼でも、人間と魔族領の境の壁が見える。

 ムーオス自由帝国が活発に動き始めたと知らせがあった時点で、もう十分な準備はしていた……つもりではあったのだが。


「それで、どんな感じなんだ?」


「包囲され抵抗していた拠点から、一斉に東を目指して突撃していマースね。軍隊を先頭にして、全ての民間人も追随していまーす。まあ、動けない者は置いて行ったか、希望塚で焼いたようですねー」


「馬鹿な事を……」


 いや、それは予定外の事をした件に関してそう思っただけだ。

 包囲したまま座して死ぬだけ……それは彼等も知っていた。当然だ。

 だけど、自暴自棄になって突撃したところで何も変わらない。死ぬ時期が早まるだけだ。自殺といって良い。だから彼らは動けない。

 だからこそ、打開する時を待っていたのだ。当たり前だ。


「地上部隊までが動くとはね……考えが及ばなかった俺が愚かだったな」


 だが彼らの目論見は成功しない。多くの人間が屍を晒し、魔族の餌となるだろう。

 しかし魔族の数も無限ではない。統率もいい加減だ。人間の死骸を食べている内に、逃げおおせる者も出るだろう。

 その中に揺り籠の技術者が混じっていたら最悪だ。


「地図を出してくれ」


 床一面に真っ黒いヨーヌの体が広がり地図を作ると、その上にテラーネが幾つもの小石を置いて行く。

 長い逆三角形の上に置かれる小石群。結構な数だ。だが――、


「改めて見る限り、内陸の方は緊急の案件ってほどでもないな。それより国境付近だ。ヨーツケールMK-II8号改もいるんだよな?」


「ヨーツケールMK-II8号改は浮遊城イウヌ・ドスに向かうと報告があったよ」


「ここですねー」


 テラーネが国境付近に置かれた大きな石を指し、その横に蟹型に削った石を置く。器用だな。


「大抵のものは作れまーすよ。もっと時間があれば―、沢山作れますねー」


「いや、その辺りは拘らなくていい」


 しかし浮遊城に向かったという事は、(かなめ)が一つ無くなったという事だ。他にも魔人がいるとはいえ、手薄になるのは否めない。

 生存者の一斉突撃を、果たしてどこまで防げるか……。


「ん?」


 珍しく、エヴィアが天井を見上げる。そこにあるのはボンボイルの顔ではあるが……。

 なんだろうか? 嫌な予感しかしねぇ……と思っていると、真顔でエヴィアがこちらを向き――


「魔王に残念なお知らせかな。国境のコンセシール商国にいた人間の軍勢が動き出したよ。ティランド連合王国だったかな? 少なくとも5千万以上と報告が来たね」


 右(てのひら)で顔を抑え、天を仰ぐ。


「冗談だといってほしいよ……」


 今更ながら、それだけの人間が動くと言う事自体を想像できない。

 小国の人口に匹敵する数だ。それが一斉に、戦うために動く。

 地球では到底考えられないが、ここは違うのだ。目の前でやられている以上、受け入れて対応するしかない。

 そもそも――


「億単位で人を殺している俺が言う事ではないな……。南下する。必要に応じて俺も戦う事になるな」


「魔人がさせないかな。大丈夫、信じてくれていいよ」


 真摯なエヴィアの瞳。だが何だろう……嫌なフラグが立った気がした。

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