211 【 3つの浮遊城 】
魔障の沼と白き苔の領域、そして解除された魔族領に接する地点。
かつてはスパイセン王国が駐屯していたセプレニツィー平原に、魔王達一行はキャンプを張っていた。
上空からだと、赤紫の翼膜のような素材の丸いテントが見えるだろう。
直系は5メートルほど。テントとはいえ、かなり広い。
「助かるよ、ボンボイル」
そう言って上を見ると、天井には蝙蝠のような頭が張り付いている。
「いやいや、気にする事は無いさ。我等は魔王の願いを聞くためにここに来ているのだからね」
その見た目からはあまり想像できない紳士的な声がテントに響く。
いや、正しく言うのであればここはテントではない。魔人ボンボイルに包まれた空間だ。
外は円形に広げた羽。足元には毛皮が敷かれているが、これは尻尾である。
「それで、ムーオスはどんな感じなんだ?」
「各地で抵抗を続けているデシ。ただ一部で大きな動きがあるデシね」
「浮遊城と飛行兵器がある場所かな。魔王の予想通りだったね」
「まあね……」
というより、他にないのだ。報告によると、地上の機動戦力はヨーツケールMk-II8号改が殲滅したらしい。
まだまだ全体としては相当数が残っているが、それは地図で見れば浮島の様だ。それも、周りからじわじわと侵食され、滅びを待つだけの状態となっている。
となれば、残るは飛行戦力と3つの浮遊城だけとなる。一番の問題は、その使い方だ。
「それで、どう動いたんだ?」
俺の質問に対し、テラーネがひょいひょいと地図に丸い木の板を置いて行く。
「先ずは一番人間世界に近い位置ネ。十日ほど前から、浮遊城イウヌ・ドスが生存者の収容を始めたネ。そして数日前に、ゆっくりと動き出したねー。今の所、東への国境線を目指しテールね」
「まあ妥当だな。他もそんな感じか?」
「浮遊城ボルトニーカも同様に東へと移動を始めたのデースが―
「こちらは途中の破壊した壁から針路を北に変えて、魔族領に入ったデシ」
テラーネの足元でブクブクと泡立つ影。魔人ヨーヌだ。
「ありゃ……下手に壊さない方がよかったのかね」
実は魔族領内に、それほど多くの魔族はいない。
壁の北側と白き苔の間は完全に領域解除された荒れ地が広がっており、展開できたのは軍隊蟻くらいしかいない。
他は魔人くらいだが、殆どは壁の向こう、人間世界に入っている。
「少ない事は事前に知られていたと思うデシが、影響があったかは不明デシ」
「まあ何らかの影響はあったろうさ……それで、この城はどう動くと思う?」
「それを考えるのは魔王の仕事かな。頭は考えるためにあるって誰かが言っていたよ」
「ハイハイ……」
そのまま先行する浮遊城イウヌ・ドスを追って東に……しかしそのパターンは薄いだろう。壁を越えた意味がない。
それに合流するのなら、浮遊城ボルトニーカは先に動くべきだ。だが同時に動いた……。
「合流の可能性は薄いというか……無いな」
しかし、このまま北上して白き苔の領域を突破する事も考えられない。既にあそこで3つも城が堕ちているのだ。4つ目を差し出したりはすまい。
となれば、魔族領から壁を破壊して人間世界に逃げるルート。もう壁で魔族は防げないと考えるのなら――いや、そもそも壁の一部なんかよりも浮遊城の方が価値は上だろう。十分にあり得る事だ。
「3つ目……浮遊城ペシューマウンはどう動いた?」
「南東に動き出したかな」
「その先は?」
「いくつか人間の都市がありマースね。魔王は、それらと合流すると思いますかー?」
「そりゃするだろうな」
浮遊城ペシューマウンが守護していたミスツークの門は、大陸の西、海に近い所にある。当然ながら、早々に襲撃を受けた場所だ。
しかし今日まで抵抗を続けている。火の海となった街は全て燃え尽き、今は何もない廃墟になっているという。
だが浮遊城は健在。なかなか大変な相手だ。とはいえ……。
「西、北、南と、綺麗に三方向に別れたな」
「この他に飛甲母艦があるデシね。魔王はどれが本命と思うデシ?」
「そうだな……」
どれが本命かといわれれば、全てが本命だ。
おそらくすべての浮遊城に揺り籠が積まれている。使う為じゃない、伝えるためにだ。
当然ながら、浮遊城は全て陥落させるのが望ましいだろう。
「かつて魔人ギュータムは一体で2つの城を墜としたんだ。動いた以上、それはチャンスともいえるかもしれない。とりあえずは自信がある魔人に浮遊城の攻略を任せる。但し、本当に自信がある魔人だけだ。無為に死ぬ事は許さないぞ」
「誰も自信がなかったらどうするのかな?」
「その時は放置だ。素直に合流させてやれ」
今回の戦いは、こちらの侵攻が圧倒的に早かった。
さほど対処の時間は与えていない。そしてこの世界には俺の世界にあったコンピューターのようなものが無い。全てマンパワーだ。見本程度から実物を作るには相当に時間が掛かるだろう。
「人間社会に流れた分は、オスピアやアンドルスフに対処してもらおう」
そして単純戦力として考えるなら、浮遊城はさほど怖くはない。
どれ程強力であったも、地図全体から見ればただの点だ。世界全体に影響を与えるほどではないし、動けば隙だらけ。
まあ、魔族領にいるリッツェルネールの城のようにふらふら動かれるとどうしようもないが、明確な目的地に向けて進む限りはさほど脅威ではない。あれはあくまで防衛兵器なのだ。
「問題は人間と工場設備か。それを運ぶのは間違いなく重飛甲母艦だろうな。たしか揺り籠を作っているのは……」
「要塞工業都市ナテンテかな。もう攻撃は始めているけど、かなり粘っているよ。揺り籠も使われているね」
「そこが本命だ。浮遊城はこちらの耳目を引き付けるための囮だろう。その都市の監視を厳重にしてくれ。必ず早期に動くはずだ。俺も南下する」
その言葉に対し、エヴィア、テラーネ、ヨーヌ、そして入り口から顔柄を突っ込んでこちらを見ていたプログワードや天井のボンボイル。魔人全員が沈黙で答える。
だが、皆が言いたい事は十分に変わる。
「大丈夫だ。俺はもう、前みたいに個人で戦ったりはしないよ。安全第一でいく。今回も、緊急時にすぐに指示を出すためだ。安心してくれ」
「戦いは全て我らにお任せくだサーイね」
「魔王は待っていていいのだよー」
「ああ、そのつもりだ。期待しているよ」
そう、俺はもうこの手で戦う事は無いだろう。
必要な要素は全て揃ったのだ。後はただ、それを実行するだけ。これ以上無理をしても、仕方がないさ……。
◇ ◇ ◇
ムーオス自由帝国、要塞工業都市ナテンテ。
時は碧色の祝福に守られし栄光暦219年4月12日。
都市の各所で火の手が上がり、炎に照らされた空には翼竜のようなシルエットが飛び回る。
普段は海上を飛行して暮らす海翼竜の群れだ。
工業都市ではあるが、殆どの工場は稼働を止めている。だがそれは、決して魔族の攻撃によるものだけではない。
揺り籠の部品を作るための金型や機械などが取り外されて結果、稼働したくても動かせないのである。
ヘッケリオの研究所もまた、今は殺風景なものだ。
いま机に積まれている紙の束は、ここ数日分程度。これまでの研究成果は全て、重飛甲母艦に搭載されている。
「将軍閣下、ドクター。各地の浮遊城が動き出したと連絡がありました。3つ全て順調です」
「そうか……きちんと伝わっていた事、実に嬉しく思う」
慌てて飛び込んできたオーベントに対し、国防将軍のハイウェンは静かに答えた。
その様子を見て、ヘッケリオは随分と雰囲気が変わったものだと思っていた。
国防将軍としての地位にあった頃……いや、今でも正しくはそうなのだが、あの頃は剥き出しの大剣といった風であった。
しかし現在のハイウェンは、どっしりとして落ち着いた空気を醸し出している。
(まあ、本来はこちらが地なのでしょうがね……)
戦地に於いて、ピリピリとした空気を醸し出す上官などマイナス要因でしかない。
実戦経験が少ないムーオスにあって、数少ない現場を知る男だ。だからこその戦果であり、そうだからこそ生き抜いて来たといえよう。
因みに、普段ヘッケリオの前でハイウェンがピリピリしていたのは彼の皇帝陛下に対する無礼によるものだ。だがその辺りの事を、本人は気づいていない。
「通信網は既に分断されていたでしょう。よくもまあ、伝わったものですね」
いつも通り毒のように苦い茶を飲みながら話すヘッケリオに対し、
「多くのものを犠牲にしてしまったがな……。だが仕方あるまい」
ハイウェンは静かに答える。その目には優しさすら浮かんでおり、かつての蛇蝎を見る目とは明らかに違っていた。
「それより、今回の要は君だ。ムーオス自由帝国の未来――いや、もうそんなものは無いか。だが、ムーオス人の未来は君に掛かっている。よろしく頼む」
そう言って頭を下げるハイウェンを見ながら、ヘッケリオは何も答えなかった。
生まれてからずっとまともな人付き合いをして来なかった彼にとって、自分の為に死ぬ者に掛ける言葉など、学んでこなかったのだから。






