204 【 再会 前編 】
朝靄の中には、数人の人間が行き来している。
ここは世界政治の中心である中央都市。明るくなるにつれ人通りは激しくなるが、今はまばらだ。
その中を、一人の男が近づいてくる。
真っ黒いロングコートに真っ黒いズボン。内に見えるシャツも黒い。帽子は被っていないが、襟元には黒い薄布の襟巻をつけていた。
靴はこれまた黒革製。石畳を歩く音にわずかに金属音が混ざる。下にはスパイクか何かが付いているのだろう。
黒は比較的ポピュラーな色だが、ここまで黒いと逆に怪しい。何かの業者であろうかとも思わせる。
しかし、そんな事は驚くには値しない。エンバリーはその男に見覚えがあったのだ。いや、忘れたくても忘れられないというべきか。
悔しかったのだ。あの時、堂々と目の前に存在することを許してしまったことが。普通の人間の様に接してしまったことが。
もし時間を戻せるのなら、あの時の自分にこう告げてやりたい。
“そいつは魔王よ! 今すぐに倒しなさい!”……と。
(ありゃ……あの様子だと正体に気づいたらしい。しかし……誰だ?)
こちらを凄い形相で見つめる女性。少し愛嬌のある狸顔。しかし、今は威嚇している様な感じだ。尻尾があったら立っていそうな感じもする。あくまでイメージだが。
この日、魔王相和義輝は中央へ来ていた。
◇ ◇ ◇
少し時間は遡り、碧色の祝福に守られし栄光暦219年3月27日。
今より3日前、マリッカと別れた後の事だ。
「あれは……アン・ラ・サムか。新年以来だな」
遠くから飛んで来る赤、青、緑の三色ボール。互いが互いの周囲をくるくると回る複雑な機動を描きながらも、真っ直ぐこちらに飛んできた。目的は俺で間違いないだろう。
「「「お久しぶりです、魔王」」」
男女と子供、3つの声が合わさった声が響く。
「ああ、久しぶり。新年以来だな。要件はオスピア関連か?」
「「「その通りです、魔王。アンドルスフ経由で連絡がありました。可能な限り早く、話を伺いたいと」
魔人アン・ラ・サムには、オスピアと連絡が取れた時に即知らせてくれと伝えてあった。
だから来た時にすぐに分かったのだ。
昔と違い、今は各地に魔人が控えている。それに人間世界には結構な魔人が潜んでいたらしい。そんな彼等とも、年始以降に連絡が取れている。
まあ考えてみれば当然か。この世界でもっとも繁栄している生き物を、彼らが観察せぬはずはないのだから。
そんな訳で、後はタイミングの話だったわけだ。
「それじゃ急いで行こう。とはいってもマリッカと同じルートはヤバいな」
「「「進入路自体が別の場所です。北へ少し迂回すると良いでしょう」」」
「場所は確認したよー。いつでもいけるよー」
目的の場所に関する情報は、早速プログワードが受け取った様だ。それじゃサクッと出発しよう。
◇ ◇ ◇
そして碧色の祝福に守られし栄光暦219年3月29日。
道中の安全は全て確認済みだ。軽く空に意識を向ければ、近くにいる人間の数や移動方向、速度が判る。それを素早く察知し、プログワードが進路を変える。実に安全な旅だ。
侵入口は壁。かつて通った門ではない、壁に空いた穴だ。
高さは2メートルほど。幅は1メートルと少しだろうか。中に入ると、そこは廊下のようになっている。
浮遊城と違い、石をコンクリートで固めたような構造だ。
「中はこんな状態になっているのか」
「ここは迷路かな。こっちだよ」
基本構造は無限図書館で見たが、実は壁の内部は複雑な迷路だ。あちこちに探知機が設置され、浄化の光まで配備されている。
通常時は人間の兵士が防衛の任に当たっているが、彼等も自分が担当する部署以外の構造は知らない。人類と魔族の最前線。徹底された軍事機密。それが壁だ。
「そして反対側はこんな感じか」
拍子抜けするくらいあっさりと壁を越える。
どんなに優れた探知機も、場所さえ知っていれば無いも同じだ。
そして反対側には幾つものテントと大量の資材、それに大量の人。テントに付いたマークは三つの白い星に、同じく白い七本の流星だ。
今まで何度か見たことがある。というより今更か。コンセシール商国の紋章だ。
「ようこそ。いや、お久しぶりですな。ええと、ヘルマン・ルンドホーム殿でよろしいですね? しかしまた、黒いですな—」
そういう男は、逆にかなり白い。
円形のフェルトハットにジャケット、ベスト、シャツのスリーピース。スラックスの下は靴下に革靴と、いかにもビジネスマンといった服装をしている。シャツだけは鮮やかな青だが、他は靴まで含めて真っ白だ。
こんな服を着ていたら、とてもじゃないが食事なんて出来ないな……と思ったが、考えてみれば普通にしていたな。そうそう、食事の時はカエルのような顔になるやつだった。
しかし今は、普通の顔だ。
肌は淡い褐色で、白に近いグレーの髪はしっかりと清潔に刈り揃えている。瞳の色は緋色で、肌と合わせて商国では普通らしい。しかし顔自体はと言えば、実に特徴のないモブ顔だ。
目を逸らしたら一瞬で忘れてしまうような、そんな感じすらある。
コンセシール商国の重鎮、ジャッセム・ファートウォレルだったな……。
「ああ、それでいい。まあ服に関しては協議の結果だよ」
そう、ここに来る際にこいつとは様々な協議を行った。主に服の趣味に関してだ。いや、全部その事だ。
◇ ◇ ◇
壁から侵入する前に、服装に関しては協議を行った。
いつもの魔王服は勿論、外骨格の鎧形態も当然ながらダメだ。ここから先は、絶対に目立ってはいけない。
〈 魔王の服は、すなわちあたしの色でもあるのよ。少しの配慮は必要だと思うわ 〉
「その点に関しては重々承知しているよ。とは言ってもなぁ……」
プログワードの一部が丸い鏡に変化する。鏡といってもプログワードの大きさだ。全身しっかりと映る。
その前で様々な姿を試したが、どれもセンスは絶望的といって良い。
どんな勧善懲悪ものの悪役でも、こんなひどい格好はしないだろう。もしその服装で何処か大事な場所に出かけろと言われたら、それこそ自害すら考えてしまう。
「大体、何だこのボロボロのヒラヒラマントは。しかも少し宙に浮いているじゃないか。つーか、この明滅は何だ。この格好で人間世界に行ったりしたら、絶対に衛兵が飛んで来るぞ」
明滅する濃いグレーのボロ布マント。裾がふわりと宙に浮いている上に――
「あ、こいつまた内側に魔王の文字を入れてやがる。目立っちゃだめだって言ってるだろ」
〈 捲られなければ見えないわよー。見えない所のオシャレは大切よ。人間世界に行くんだから、ちゃんと勝負服じゃないと 〉
「こんな怪しい格好していたら絶対に捲られるわ。それに勝負ってなんだ。絶対に生死を掛けた勝負になるわ!」
魔王の命の大切さは十分に理解していると言っていた。コイツではない、エヴィアやテラーネがだ。
だからまあ正しいのだろうが、それはそれでこいつには並々ならぬこだわりがあるらしい。
◇ ◇ ◇
結局、その協議の結果今に至る。
上から下まで黒ずくめ。帽子まで黒くすると色々な意味でダメなので帽子はなし。まあ、俺は黒髪だがね……。
そして顔は少し隠しておきたかったので透けるような薄布のマフラー。まあ兵児帯みたいなものだ。
今は地球の季節で言えば春ではあるが、この世界の解除された土地はそれよりずっと寒い。空にある俺が太陽を遮っているからだ。だからまあ、これは悪くないだろう。
そして残りは全部テルティルトの趣味。だがシャツをどうしても赤くすると言って聞かなかったので、コートの裏地を自由にする条件で黒に妥協。結局黒づくめになってしまったわけだよ。
「いやまあね、服装に関してはそれでも大丈夫でしょう。それでそちらは?」
「一人は会っているだろ。エヴィアだよ」
エヴィアはいつもの服装の上から、淡い緑色をしたウールのワンピース。左右の腰には大きなポケットが付いており、そこには青い花が刺繍してある。
その下はいつものちょっとエッチな服装だが、まあ脱がなければバレないだろう。つか下着みたいなものだ。
ちなみにこの服は、いつか人間世界に行くことを考えてユニカが持たせたものである。
どこで手に入れたかは分からないが、彼女は彼女で何体か懇意にしている魔人がいるようだ。俺がいない間も退屈しないだろうし、良い事だと思う。
「いやまあね、そちらの方ですよ」
ああうん、分かる。
テラーネは人間に詳しく、良識もある。かつてゲルニッヒだった頃の意識というか、考え方を受け継いでいるのだろう。
ただちょっとずれている。なぜだろう? それも生き方といえばそうだ。
そんな訳で、彼女の格好はいつもの黒ビキニ。うん、勘弁してほしい。このメンバーでまともな市民を演じられるのはエヴィアだけでは? 俺も自分に自信が持てなくなってきたよ。
「いいえー、私はダイジョーブね」
「何が大丈夫なんだよ?」
「私は少し離れた所から護衛するね。普段は姿を隠しているよー」
あ……なるほど。確かに引っ付いているだけが護衛じゃない。エヴィアとテルティルトが付いている以上、役割分担を考えそうなったのか。
「なら大丈夫だな。そっちの方は任せるよ」
まあ見張りに関しては、今回に限り一切問題を感じていない。だが実際に問題が起きた時に対処できるのは魔人だ。頼りにするとしよう。






