195 【 苦悩 】
「いた、いたたたたたたたた……」
明らかな筋肉痛。しかも激痛だ。きつい、きつすぎる!
ここはホテル幸せの白い庭、俺の個室だ。この世界に来てから、すっと世話になってきた場所。生きてこうして戻って来られた事が心底嬉しい。
だがそれとこれとは完全に別だ。あの戦いの後から今日まで、ずっと激しい筋肉痛と戦っていた。
針葉樹の森での戦いも激戦だったが、あの時は一度死んでいる。そして修復後は間もなく気を失い、起きた時には全身鈍器で叩かれたような鈍い痛みと痺れに見舞われた。
激痛というより、なんだか現実離れしたような……遠い所が傷んでいるような感じだった。
しかし、今度の痛みは生を実感できる痛みだ。それだけにきつい。
「いてえー、トイレに行くのもいてえー!」
何とかふらふらと戻ってきて、エヴィアがゴロゴロしているベッドに倒れ込む。
自然な動きで素早く回避するのはさすがだが、優しく受け止めてくれても良かったんだぞ。
「その位の事で死にはしないかな。大丈夫だよ」
「そりゃ筋肉痛で死んだ人はいないだろうさ。だけど分かるだろ、この痛み」
魔人の痛みと人間の痛みには違いはあるだろうが、俺が本気で痛がっているのは理解しているはずだ。
「排泄のたびにいたいのは大変ですねー。私に出していただければ捨てて来ますよー」
そういって目を閉じ、口を開けるテラーネ。いや、そっちの趣味はねぇ!
「それよりもだ――レトゥーナ、オゼット。人間の様子はどうなっている?」
奥の方でルリアがぶーたれているが、これに関しては適材適所だから仕方が無い。
目の前にいるのは2人サキュバス。おなじみの蝙蝠柄のチューブトップブラにギリギリサイズの黒ビキニ。
レトゥーナは艶やかな黒髪に淡い褐色の肌。少しスレンダーで清楚な感じだ。
オゼットは少し童顔で背が低い。だが持ってる双丘はなかなかにたゆんたゆんである。
そういえば、レトゥーナの黒髪や清楚感、オゼットの何処かふてぶてしい表情は、どことなくテラーネにに似ている。
俺好みのパーツを集めて姿を作ったといっていたし、どこか参考にしたのだろう。
「酷いものですよー。世界の終わりという感じですわね」
「特に、ムーオス自由帝国からは大勢逃げ出しているよ」
「そりゃそうしたんだから、そうなって貰わないと困るさ。それでその逃げた連中はどうなっている?」
「全部国境の魔人様たちが処分していますわ」
「海に逃げ出す人間もいるけど、まあ無理ね」
そりゃそうだろう。海は元々魔族の地。そして彼らの多くが人間を敵だと知っている。素直に通す事は無いだろう。
「そういや、ヨーツケールMk-II8号改は国境の方に行ったんだよな。大きくなるために移動するって言ってたけど、そんな所まで大移動したとはね」
「ヨーツケールMk-II8号改にはヨーツケールMk-II8号改の生き方があるかな。でも安心していいよ。今は魔王の為を第一に考えているよ」
「ああ、その辺は心配していないし、ずっと感謝している。ちょっと心配になっただけだよ。それで、今はどんな感じなんだ?」
「すっごく楽しそうにしていますわ」
「毎日魔族を率いて戦っているよー」
そうか、楽しんでいるならそれが一番だ。
仲間が楽しんで人間を殺すことに、多少心が痛まない事は無い。しかし、悲壮感溢れて殺しあうよりはずっとましだ。
あの大国の人口は、確か10億を越えている。俺の知る限り、それほどの大量殺戮なんて聞いた事がない。
まさに魔王と呼ぶにふさわしい所業なんだろうな……。
◇ ◇ ◇
燃え尽き煙を上げる都市の残骸を、鋼の巨大戦艦が突き抜ける。
外装はべこべこに凹み、あちこちに裂け目が見える。それでも動くのは、たとえ無駄兵器だのトンデモ兵器だの言われても、そこに技術者の技術と魂が込められているからだろうか。
「左舷投射槍、何門残っている!? いや、いい。動かせるもの全て斉射!」
左に弧を描くように移動すると、その先にいる対象に一斉に投射槍が放たれる。
その様子は、遠くから見ればまるで銀色に光るシャワーだ。
飛甲騎兵に搭載されているものよりも大型で、長さは4メートルから12メートルまで。艦艇の横に空いた穴から射出される。投射槍といても、もちろん人力の投擲ではない。磁力を使ったレールガン。そういった方が正しいだろう。飛甲騎兵や装甲騎兵なら楽々と貫通する代物である。
その槍の雨を浴びながら、ヨーツケールMk-II8号改はうっとりとした気分を満喫していた。
体にカンカン当たる金属の響きが心地いい。
それに――
「艦長、蟹が!」
「うるせえ、わかってんだよ。ハンマー、生きてっか?」
一瞬で跳躍したヨーツケールMk-II8号改の2本のマレットが、巨大戦艦を叩く。
轟音が響き渡り、叩かれた装甲が丸く凹む。その勢いで浮遊している巨体が地面を擦るが、この程度ではまだまだ沈みはしない。
背中から延びる二本のマレットの構造は、基本的に生物の腕と変わらない。生えているのは背中からだが、上腕は普通の蟹の腕であり、そこから細く長い前腕が伸びている。その先端に丸い金属が付いているわけだ。
ヨーツケールMk-II8号改がこの姿を選んだ時、多少の不安はあった。金属を叩くのも叩かれるのも好きだ。あの体全体に響く心地が忘れられない。
しかし魔王の為に、そしてより強くなるために大きくなってしまうと、もう体の芯に響くような衝撃を受けることは出来なくなってしまうのではないだろうか?
そう考えている時に、かつて衝撃を受けたヨーツケールの記憶が蘇る。
それはユニカと共に、幸せの白い庭にいた時の記憶。
木琴の調べを聞きながら、ヨーツケールはマレットの動きをじっと観察していた。
叩いた時、マレットに残る振動の余韻。これを体の構造に取り込むことで、更なるステップに到達できるのではないだろうか?
――ガアアーーン!
再び、マレットが戦艦を叩く。その振動は細い腕部に余韻として残り、その響きはヨーツケールMk-II8号改の快楽中枢を刺激する。
――コノカラダハ、サイコウダ
そんな幸せ絶頂のヨーツケールMk-II8号改の側頭部を、10メートルを超える巨大鉄球が襲う。
戦艦後部に設置されたクレーンに取り付けられた城壁破砕用の鉄球だ。こんなものが付いているからダメ兵器の烙印を押されるのだが、今は貴重な戦力だ。
側頭部に衝撃を受けた巨大が宙に浮く。
――キモチイイ
「ふらついています! 効いてますよ、艦長!」
「分かっている。先ずは距離を取れ。後部投射槍斉射!」
背面から一斉に銀のシャワーが降り注ぐ。
(効いてねえな……)
その様子を見ながら、オンドはまるで歯が立っていない事を悟っていた。
全く――何でこんな理不尽な目に合わなきゃいけないのか。
「艦長、緊急連絡です!」
「今以上に緊急な事なんぞあるか! 船体右舷に転舵。今度は右の投射槍を使う。左も再装填急げ!」
「いや、それより緊急です! ハイウェン国防将軍より連絡です。直ちに魔族領に入り、残存戦力を回収するようにだそうです!」
「はあ? 生きてたってのか? 魔族領に友軍が?」
心の中で舌打ちする。
確かにあの蟹には勝てないだろう。だがこうしている間は、ここで足止めが出来ている。
では自分達が動いたら? そもそも、見かけよりもはるかに速いあの蟹が、こちらが逃げるのを見逃すのか?
「煙幕を焚け! 転進しつつ離脱! 急げ!」
しかし命令は絶対だ。それに何より、今の情勢を打破するには、確かな支柱が必要である。
そして皇帝も宰相もいない今、それが出来るのは確かにあの男だけだ。
もうもうと煙を挙げながら去って行く巨大な船を、ヨーツケールMk-II8号改は素直に見送った。
また出会う時を楽しみにして……。
そして進軍する。多数の魔族を率い、ムーオス自由帝国領内へと。
こうして地響きを上げて進む巨体の足元に、いつの間にか前後両方にブーメラン型の頭部を持つ、奇妙な両生類――魔人アンドルスフが張り付いていた。
◇ ◇ ◇
坑道の中。ここは炎と石獣の領域内部。
碧色の祝福に守られし栄光暦219年3月3日。
眩しいほどの明かりに照らされたそこにはふかふかの絨毯が敷かれ、その上には天幕付きの豪華なベッド。そして本棚に多数の本が置かれている。
明かりも家具も、全て魔人ラジエヴが作ったものだ。正しくは作らされてというべきか。
「ねえタコ、わたくしは、年明けには解放してくれと言いましたよね?」
【人間の暦などに興味はない】
とは言いつつもラジエヴとしては居心地が悪い。
ラジエヴ――八角柱の石の被り物に、緑がかった灰褐色の蛸の足を持つ魔人。
その前にいるのは、淡い長い金髪に鮮やかな青い瞳。少し掘りの深い美人顔で、体は細いが筋肉質の、いかにも武人といった女性。スパイセン王国国王、クラキア・ゲルトカイムだ。
身に着けるのは上下の白い下着のみ。一応服と鎧、それにレオタードもあるにはあるが、今は着用する意味を見出せないでいた。
「貴方の興味はもうどうでも良いですよ」
そう言って、ベッドにゴロンと大の字になる。
いったい、いつまでここにこうしていれば良いのだろうか?
相変わらず食べ物は持ってくるし、要求すれば家具も作ってくれた。それに最近では本も何冊か持ってくるようになった。
アルダシルの仇。だが、自分を殺すような様子は見せない。
まあ、元々あまり仇という概念はない。彼女は勇敢に戦って散ったのだ。その相手を自分が倒してやるなどというのは、あまりにもおこがましい。まるで自分がアルダシルより上だといっているようなものだ。
「ふう……」
ここに来て、もう何百回目か分からない溜息をつく。国の皆は無事だろうか? まだ戦いは、続いているのだろうか……?
そんな彼女の脇を、黒い影が通り過ぎる。
その事に、クラキアは気が付きはしなかった。
◇ ◇ ◇
炎と石獣の領域地下湖。その中を、魔人ラジエヴが漂っていた。
先ほど魔人ヨーヌがやってきたが、記憶だけ渡すとさっさと帰ってしまった。
その内容に困り果て、ずっとこうして考えていたのだ。
「ああそうだ。ヨーヌ、ラジエヴに伝えてもらえるか?」
「なんデシ?」
目の前にいるのは確かに魔王。そんな彼がヨーヌに話しかけ、ヨーヌが答える。
それを自身の体験として感じるのは人からすれば奇妙だが、記憶を共有する魔人にとっては何の違和感も無い。
「確か人間を保護していると思ったけど、手頃なタイミングを見て人間の世界に帰してもらえるかな?」
「一応、伝えておくデシ」
もしラジエヴが人間であったのなら、深い溜息を吐いていたであろう。
――ドウヤッテ、ニンゲンノセカイニ、カエセバイイノカ
いや考えたって分からない。ラジエヴの行動圏内は海の一部と炎と石獣の領域までの道、それのこの坑道内だ。
しかも長期間ここで引きこもっていたのだから、いまさら世界の様子など判らない。
そもそもこの領域は溶岩により完全に封鎖されている。たとえ魔人といえども、溶岩に対応した体でなければ抜けられない。ましたや人間を連れて出るなど不可能である。
それに、魔人は生き方を変えた時、完全に別の個人になる。前世を引き継いで新たな人生とはならない。
これからの生き方に不必要な記憶は奥底にしまわれ、必要な分は思い出そうとすれば思い出せる程度だ。
そんな訳で、彼女を託したスースィリアはもういない。テラーネもプログワードも別人であり、既に『誰それ?』状態だ。
改めて、人であれば溜息をついただろう。
とりあえず、今度誰かが来たら協力を仰ごう。そう考えながら、湖底へと沈んでいった。






