192 【 世界の終わり 】
重飛甲母艦拠点、要塞工業都市ナテンテ。人間世界と魔族領を隔てる壁から、南方に600キロメートル。
高さ60メートルの壁に囲まれた、直系8キロメートルの円形都市。
元々は要地に建造された要塞都市であったが、長く争いから遠ざかっていたこの国では無用の長物と化していた。
しかしバイアマハンが魔神に襲撃されるという事態に至り、現在ではここが重飛甲母艦、そして揺り籠の生産拠点となっていた。
壁の内側には多数の工場が作られてはいるが、多くは普通の工業品を作るためのものだ。
随時揺り籠の部品へと生産シフトは行われているが、そう簡単に出来るものではない。
完全に切り替わるまで、あと半年は必要だろう。
そしてヘッケリオの新たな研究所もまた、そんな中に作られていた。
真っ白い2階建て。さほど大きくはなく、外から見ればごく普通の建物だ。ただ人間の世界の建築物は地下の方が発達しており、ここのその例に漏れない造りだった。
時間はそろそろ夜明けであろうか……碧色の祝福に守られし栄光暦219年2月30日。この街は……いや、この世界は未曽有の大混乱の中にあった。それは夜明けとともに、世界中に広がるだろう。
そんな中、ヘッケリオは送られてくる資料に目を通していた。
研究施設は全て地下にあるが、ここは1階の居間だ。引っ越し以来一度も使ってこなかったが、今日は仕方がない。いつ誰が来るかもしれないのだ。
「それで、状況はどうなっているのです?」
毒物の様な苦さのある真っ黒い茶を飲みながら、横にいる男に尋ねる。
ただ目で確認する以外に、耳でも新たな情報を得たかったのだが……。
「分かりません……ああああ、もうどうなっているのか!」
助手のオーベントはまるで落ち着きがない。使い物にならないと言って良いだろう。
220センチの巨体を揺らしながら、まるで子供の様に騒いでいる。
バイアマハンの街から生還した時は少々認めたものの、やはり緊急時にはこんなものだろう。
兵役上がりとはいえ、まだ50数年しか生きていないのだ。
「少しは落ち着きなさいよ。うるさくて堪らない」
そう言いながら、オーベントのカップに茶を入れて渡す。
『浮遊城エスチネル轟沈。ザビエブ皇帝陛下は行方不明!』
この知らせを聞いた時は、叫びたいほどの喜びが巻き起こった。だがその感情を表現するよりも早く、現実が頭を支配した。死ねとは思っていたが、それには適切なタイミングがある。少なくとも、今ではなかったはずだ。
浮遊城エスチネルが墜とされたニュースが流れた時、国中が驚愕し言葉を失った。
だがヘッケリオからすれば、永劫無敗など有り得ない。予想よりずっと早かったが、墜とされたというのであれば、確かにそうなのだろう。
そして城が墜ちたとあれば、皇帝は死んだのだろう。それもまた疑いようの無い事だ。
まあ、死ぬところを見られなかったのは残念であるし、実は生きていたと言われても驚きはしない。そんな事はどうでも良かったのだから。
それより知りたいのは、浮遊城がどうやって墜とされたかだ。通信内容から戦闘状況はある程度は推察できるが、手元にあるのは、近くをたまたま飛んでいた飛甲騎兵に残された交信データくらいだ。
分かったのは、城に魔族が侵入した事と、いくつか現れる魔王という単語。これでは何も分からない。
にも拘らず、この街――それどころか近隣に配置された基地からも、次々と重飛甲母艦が飛び立った。当然、揺り籠を満載してだ。
(無能共が……)
外を見れば、あちこちから投光器の光が天を指し揺らめいている。
ご苦労な事だと思う。まだまだここは内地だ。敵など来るはずもあるまいにと。
ムーオス自由帝国は、この世界にあっては平和な国だ。
逆三角形の国土の上部は壁であり、左右の辺は海に面している。北部の大陸と繋がるのは、コンセシール商国と隣接する小国家群だけだ。他の大国のように、直接他の大国と隣接するところはない。。
国内は早々に統一され、領域の解除もスムーズだった。それにより誕生した、隔離された巨大国家。この国を脅かす存在など何処にも無く、長い平和が続いていた。
その平和は自由帝国という制度を生み、広い国土の自由往来・自由交易は重工業を発達させた。同時にそこから生み出された豊かな生活は、逆に貧富の差を拡大していった。
その結果、資産家は長い時を生き続け、逆に貧しい者は早くに死なねばならない。そういった社会が形成された。
豊かな、そして戦いを知らない巨大な社会。北方三大国が互いに殺し合いながらそれぞれの形に形成される間も、この国は平穏に発展を続けた。重工業が特に発達したのはそのためでもあり、また隣接する商国も多大な影響を受けた。
相和義輝が戦った兵士達は、今まで戦いを経験したことが無い者が殆どだった。それどころか、この国の兵役年齢である50歳から60歳にすら達していない、ただ死ぬために送られた20代の兵士までいた。
本当に、ド素人の部隊だったのである。
そして国家は今、皇帝を失った。
直ちに帝位を継承する他の国とは違う。この国のトップは試験と協議によって選別されるのだ。
代表は既にこれまでの成績から決まっているが、ここからが本番ともいえる。
集まった各員は、それぞれの財力、権力、交友関係、家の格式、そして外交までを駆使して、ムーオス自由帝国の皇帝が選出されるのだ。
「もう無理ですよ! おしまいです! あああああー! “閃光の魔槍士”バルノシスも、“銅を生む者”ラチルトも連絡が取れないという話です。選別は!? 選別はどうなってしまうのです? ああああ、全員が揃わないと新たな皇帝を選びようがない! この国の未来はどうなってしまうのだ?」
「うるさい。黙らないなら追い出しますよ」
手元にあるのは、夜の内に撮影された航空写真。
黒い海と、キラキラと輝く魔導の明かりがハッキリとした境界線を作っている――それが、本来あるべき姿だ。
なのに、今手元にある写真は少し違う。
黒い闇と光の粒。その間にあるのは赤い光……そして黒い煙。
(ふんっ、情けない話だ。ざまあみろと言ってやりたい気もしますがね)
赤い炎は、ゆっくりじっくりと内陸へと広がっている。
それは街であったり、村であったり、人の住まう場所だった。
浮遊城が墜落した――その報告が国を巡るよりも早く、それは海岸戦から現れた。
ある町から見えたのは、全長1キロを超す芋虫であったという。
また別の地域からは、上半身が魚、下半身が人――魚人の群れが多数の海洋生物を引き連れて上陸。虐殺を開始した。
そんな報告が、数万、数十万と寄せられる。海を失うとかの話ではない。海から魔族が攻めて来たのだ。何億、いや何十億。もしかしたら、百億を超えるかもしれない生物たち。
多くは海岸線までだが、上陸できる魔族は更にそこから進撃中。今現在各地域の部隊が対応に当たっているが、実戦経験があるものなど、この国にはそうはいない。
過去の魔族領遠征に参加したのは、皆貧しい者達だ。彼らは戻るなり、多くの者が希望塚へと消えた。傷病者は勿論の事、健常者もだ。彼らは元々生きて帰ってくる予定はなかった者。生還した所で、働く口も無い余剰の人間。それが、この国の在り方だったのだから。
「ドクターはなぜそんなに落ち着いていられるんでしょうか? ああ、ザビエヴ陛下が生きておいでなら、こんな事には……」
「死んだものは仕方が無いでしょう。騒いだら指示が来るのですか? 馬鹿々々しい」
そしてトップがいない。これがまた大きな混乱を生んでいる。
未曽有の危機だ。例え何処かの地域は見捨ててでも、確実な勝利を重ねて少しずつ安全な人知を確保する。それが戦略というものだ。
しかし、それを決断する人間がいない。だから各個に戦うしかない。そして、たとえ局地で勝利しても、そこが飛び地であれば何の意味も無い。周囲から削られ、やがて消えるのみだ。
「とにかく、出払った重飛甲母艦どもが戻ってこなければ、この街は何もできませんよ。出来れば揺り籠は墜とさず帰ってきて欲しい所ですがね」
• ◇ ◇
白い苔の領域。その地表を、80メートルの怪物が走る。
セミの幼虫の体にトンボのような背中、そこから延びる長い灰色のムカデの節と足。
魔王相和義輝は、その背中に乗っていた。実際のトンボとは違い、翅を収納する穴と、カバーのような部位が付いている。そこは今ふわふわのクッションのようになっており、しかもカバーが風防のようになっている。おかげで、快適度が今までとは段違いだ。
傍らにはエヴィアとテラーネ。服は勿論テルティルト。顔は兜の状態で、苔の毒対策も完璧である。かつての様に、コロコロと気を失う事は無い。
ユニカは毒対策が出来ないので、脇を飛んでいるファランティアの中。ウラーザムザザも飛んで付いて来ている。
「予定通り、海の方は始まったか?」
「当然、完璧ですわ! ちゃーんと指示のあった魔人様への伝令は、漏らさずしっかりと伝えてあります」
ふわりと現れると、背を反り右手を胸に当ててドヤ顔ポーズ。いや、そんな生易しいものではないな。ドヤドヤドヤ顔位だろうか。実際かなりの箇所を回ってもらった。南方の大陸の海岸線は、一体どのくらいの長さがあるのやら。
確か、ここ魔族領を覆っている壁は12000キロメートルだったと思う。長さは余裕でそれを超える。
全部一人で回ったわけでは無いだろうが、代表者としてこれくらいのキメ顔は許されても良いだろう。
「なら今頃は大騒ぎだろうな……」
間違いなく、大量殺戮が行われている。人も魔族も大勢死ぬ。もしかしたら、魔人にも犠牲者が出るかもしれない。
海にいる魔人達。そして陸に上がれる生き物たち。それらを総動員して、南方の大国、ムーオス自由帝国を滅ぼす。これはもう、年が明ける前に決めていたことだった。
揺り籠。人間を兵器として消費する爆弾。これだけは、もう使わせるわけにはいかない。そして、拡散させることもダメだ。
だが話して止めるだろうか? もう使っちゃだめだよ、そう言って聞くだろうか?
当然、無理だろう。それで止まるなら最初から戦い自体が起きてはいない。
俺にもっと知恵があったら、あの爆弾の情報だけを処理できる手段があったのかもしれない。
だけど、そんなものはない。そして迂闊に1つだけに標的を絞れば、逆に彼らはそれを知る。当然、技術を守るために……あるいは巻き込むために、世界中に拡散させるだろう。
だから消すしかない。国ごと、人ごと、何もかもを巻き込んで全てを。
「俺は……悪人だろうか?」
「エヴィアの考える悪人とは、だいぶ違うかな」
「そうか……」
エヴィアの小さな頭を撫でながら、俺はこれからの事を考えていた。






