186 【 エスチネルの戦い(2) 】
浮遊城エスチネル襲撃前――
「そろそろ真上を通過するのか?」
死霊に照らされた暗い穴の中で、魔王は静かに時を待っていた。
横には巨大なトンボの背のような部位があり、そこから後ろはムカデのような体が闇の中へと続く。ファランティアやユニカ、ウラーザムザザはその向こうだ。
浮遊城は案外遅いのでじれったいが、それはそれで、タイミングを外せば先に進んでしまう。たとえ遅くても、やはり動いている的は大変だ。
「もうちょっとですわねー」
天井から逆さまになって死霊のルリアがやってくる。
スカートをちゃんと手で押さえているところが珍しくもまた怪しい。とはいえ、今は悪さをしないだろう。
今この状況で何かやらかしたら、魔人達からフルボッコ確定だ。こいつはそこまで馬鹿ではない。
「そうだ、ハッチみたいのは見つかったか?」
「勿論、見つけましたわ。あれだけの人間の視線がある中でも、わたくし達に掛かればちょちょいのちょいですの」
くるりと上下元に戻ってドヤ顔ポーズ。久しぶりだなー。
しかしまあ、これで支度は整ったわけだ。
始めて人間の軍隊と戦った時を思い出す。規模は違うが、今回も奇襲だ。
だけどあの時とはずいぶんと感覚が違う。心に余裕がある。落ち着いている。
人を殺す事も慣れたとは言わないが、それなりに抵抗が減っているのも事実だ。
肝が据わった……そう捉えるべきだろうか。
「一応確認するけど、海の方は大丈夫なんだよな?」
「死霊語が判る魔人達が待機しているかな。していなかったらアレだね。その時は、ちゃんとお仕置きしておくよ」
「いや、事後に何かしてもらってもどうにもならん。とりあえず、信じておくぞ」
「まおおー、きたよー。上にいるよー」
魔人プログワードの声が響く。
「了解だ。じゃあ各自、予定通りにな」
そう言って、プログワードの背中にもそもそと張り付く。
同時にテルティルトの体が伸び、頭に昆虫のような兜を形成する。完全な戦闘形態だ。
「さて、作戦開始と行こう!」
◇ ◇ ◇
それは突然、コンクリートを突き破って現れた。
体の前部はセミの幼虫の様だ。ずんぐりとした茶色い体に、土を掘るための大きな鎌の様な前足を持つ。
その体の後ろにはトンボの背のようなパーツが付き、更にその後ろは灰色の、ムカデのような節の体と多数の足が付いている。
そして地上に出ると同時に、背中から左右三枚ずつ透明な翅が広がった。
それはさながら羽化のようであったが、しわくちゃだったのは一瞬だけ。すぐにピシッとした形になると、トンボのような羽音を立てて飛翔する。
複数の生物を組み合わせた巨大な姿。それがこの、魔人プログワードが選んだ形であった。
飛び出した後の行動は素早かった。
すぐさま舞い上がると、浮遊城エスチネル下部にある一角にしがみつく。
「ここでーす」
その先にいるのは、手を振る死霊。その頭上に鋭い前足を突き刺した。
そこは物資搬入用のハッチ。これだけの大型城だけあって、搬入口もまた大きい。高さは6メートル程、幅は20メートルを超す。
浮遊城はどれも、下部の装甲は固い。自重に耐えるためだ。例え魔人であっても、そこを斬り裂いて進むのは至難の業である。
だが、一部だけ例外が存在する。それがここだった。
この世界に火薬は無い。それ故に爆発物に対する設計も必要無い。開閉するための利便性から、このハッチはぺらっぺら。ブログワードであれば、難なく貫通できる程度の厚さしかないのだ。
空けた穴から、魔人が浮遊城に潜り込む。
浮遊城の高度は15メートル程。入った時点では、プログワードの体はまだまだ一部しか地上に出ていなかった。
だが今ズルズルと、その巨体が飲み込まれていく。その全長は80メートル。スースィリアの時と、変わらぬ長さを有していたのだった。
浮遊城内部、物資搬入口にいた兵士達は大混乱に陥った。
たった今まで国歌や軍歌を聞き、歌いながらそれぞれの作業を行っていた。
ここはある意味、魔族領で最も安全な場所。まだまだ本格的な戦闘に突入するまでは間があるし、始まっても自分たちの出番はまだまだ先。場合によっては戦いに参加する事も無いだろう――そう思っていたのだ。
「よし、成功だな。行くぞ!」
プログワードから飛び降りると、エヴィアとテラーネを伴って奥にある扉へと走る。
今回の戦力は少数だ。俺の周りには四体の魔人がいるだけ。一応死霊を始めとした肉体を失った不死者や流体金属の精霊もいるが、こちらの戦闘力にはあまり期待はしていない。
今までの戦いは常に多数の味方がいたが、今回はこれで良いんだ。
「プログワード、ここで出来る限り暴れまわってくれ」
「わかったよー。まっかせてー」
ほぼ180度、くるりと振り向く形で手を振ってくる。以前のムカデの姿よりも、可動域は広いようだ。
それに一瞬だけ飛翔するために広げた翅も、今は再び背中に収納されている。
今までの様に大型で、尚且つ器用で空も飛べる。
スースィリアが、俺の為に選んでくれた生き方の形だ。絶対に無駄にはしたくないな。
「魔王よ、今から戻っても良いのデースよー。この城は、私達で墜としておくのデース」
ふと、横からテラーネがそんな事を言ってきた。
魔人スースィリアと魔人ゲルニッヒが一つの魔人となり、その後にプログワードとテラーネに分裂した。改めてこうしてみると、感慨深い。
背はマリッカと同じくらい。大体160センチそこそこだろう。
肩甲骨辺りまで伸ばした黒い艶やかな髪は、今はポニーテイルにしている。少し童顔だが和風美人少女という感じで、弓とかが似合いそうな感じだ。
服装がビキニに軍用ベルトというマニアックな衣装じゃなければだが。
いや、奇妙なイントネーションの言葉遣いや、良く言えば自信に満ちた、悪く言えば凶悪な笑顔もちょっと引っかかる。
俺の異性に対する好みを集めた形らしいが……絶対何処かで勘違いしたな。
まあそれはともかく……。
「いや、テラーネとエヴィアだけじゃ無理だな」
テラーネは浮遊城に関して知識は無いようだ。ちらりとエヴィアの方を見ると、こちらは分かっていると言いそうな目を向けてくる。
まあ、これは実際にやってみた方が早いだろう。
奥まで行くと、そこには大きな金属製のドア。ドアというより、隔壁と行った方が良いだろう。開閉するための大きな丸いハンドルが付いている。
当然ながら、それはロックされていてピクリとも動かない。
「さてと……」
テルティルトは、既にチェーンソーの形になっていた。刀ではなく、本当にそのままの形である。話が早い。
それを扉のロック部分に当てると、そのまま火花を散らしながら鍵を切断する。
「なるほどデスネー。そういう事ですかー」
「そういう事。こういった部分が沢山あるからな。俺が行かないとダメなんだよ」
浮遊城は、さすがは人類の技術の結晶と言って良いだろう。
その一つが、この気密性だ。エヴィアの目に見えない程に細い触手も、テラーネの毒も隔壁ごとに分断され届かない。
当然、進むには何らかの対策が必要になるわけだ。
ロックを切り離して扉を開けると、同時に数本の矢が飛んでくる。まあ、当然だろう。
更に後ろからは巨大な斧を持って兵士が迫り来る。
しかし、俺が武器を構えるまでもない。矢は軽々と切断され木の葉のように落ち、兵士はテラーネに右腕を握り潰されると同時に、耳をつんざくような悲鳴と共に絶命した。
転がった兵士の口からは赤黒い霧が漏れ、更に後ろにいた兵士もバタバタと倒れていく。
一瞬で撒き散らされた、テラーネの毒の効果だ。
「なあ、これって俺は大丈夫なのか?」
「テルティルトが止めていーますネー。ダイジョーブですよー」
「なら問題は無いか。それじゃ、俺達は目的地に急ごう」
◇ ◇ ◇
物資搬入口では、プログワードが存分に暴れまわっていた。
というより、ここから先へなかなか進めなかったからだというべきか。
開閉口はぺらぺらだったが、中はこの巨大な城を支える基幹部分だ。壁は厚く、またその分通路は狭い。
にっちもさっちもいかないため、手当たり次第に壁を裂き、扉を破壊し、どこかに進める道はないかと思案していた。
そんなプログワードの頭上、天井部分が開く。
「突入!」
「行け、行け、行け! 確実に仕留めよ!」
そこから次々と現れたのは、ムーオス自由帝国の重甲鎧。
城の警護を担当する精鋭部隊だ。それが降って来たのだった。
グレーを基調に円を書く様な白いライン。
北方では高級品だが、5メートルを超す半浮遊型の大型だ。
手足は根元が太く先端に行くほど細くなる特殊な形状をしている。これは、殆どが2メートルを超すムーオス人の為に開発された専用機ならではの形状だった。
降下したのは全部で30人。形状は全て同じで、武器も全員同じハンドアックスを両手に装備。
規格統一がなされているのも、重工業が発展したこの国ならではだろう。
それが一斉に、目の前の巨大魔族に襲い掛かった――が、
鎌の様な腕が振り下ろされると、運悪く目の前に降り立った一体が真っ二つにされる。
まるで泥人形を切り裂いたかのように、一切の抵抗すらできなかった。
そして周囲に降りた兵士もまた、ブログワードの長大な体に巻きつかれ、押しつぶされ、床は一瞬で真っ赤な血の色に染まる。
時間としては、10秒程度だっただろうか。天井で更なる降下に備えていた兵士達から急速に血の気が引く。
「こ、こちらメインハッチ。大型魔族の戦力は、こちらの想定を大きく超えている。先行隊は壊滅だ――そう、一瞬でだ。もうやられちまったんだよ! 新たな指示を――」
「おい! 避けろ!」
通信をしていた兵士の横に、いつの間にかセミの様なブログワードの体が並んでいた。
一つ下の床からここまで、高さは20メートルを超える。だがこの程度の高さ、プログワードの巨体からすれば無いにも等しいのだ。
真っ赤に染まった体。表情を感じさせない大きな複眼。ずんぐりむっくりした体は、小さければもっと愛嬌を感じたかもしれない。
しかし今目の前にあるものは、殺戮を撒き散らす恐怖の対象でしかない。
上の階で準備をしていた重甲鎧を纏った兵士は55人。それが一斉に、悲鳴のような叫び声をあげて突撃していった。
◇ ◇ ◇
魔王達が浮遊城に乗り込んだ後、外の部隊はパニックに陥っていた。
余りの事に、最初は誰も動くことが出来なかった。脳が理解を拒否したのだ。
しかししっぽの先が浮遊城に完全に入ると共に、各自が状況を理解した。
現在は階段付きの飛甲板が、外部のハッチへと続く外付け階段に接続中だ。
元々、浮遊城は一度起動したら二度と降りる事は無い。質量が大きすぎるため、ほんのわずかな起伏でもフレームが歪み自己崩壊を起こすからだ。
だから浮遊城への乗り込みは、こうした専用飛甲板が必要になる。
今その階段には、重武装の兵士達が列を成して昇っていた。
一方、魔王達が出てきた穴も兵士達の警戒対象だ。
当然だろう、他にも何が出てくるか想像もつかない。
浮遊城は速度を変えることなく進行しており、現在ぽつんと残されてその穴の周囲には、これまた重装備の兵士達が囲んでいる状態であった。
「状況は?」
「すでに調査隊が中に入りましたが、連絡は一切ありません。ただ戦闘の形跡もなく」
「毒か……」
そういって穴を覗き込む。
明かりで照らされた穴は垂直で、下にずっと続いているように見える。
厚さ10数メートルに渡るコンクリート層の下には、白いニンニク内部に掘ったかのような白い穴が続く。立ち込めるような臭いは無いが、この地に繁殖する白い苔が毒を撒き散らすのは周知の事実だ。
「急ぎ工兵隊に連絡。穴は至急塞げ! これ以上、あんなもんが出て来たらかなわん」
「かしこまりました!」
敬礼をしてさて行く兵士を一瞥した後、指揮官は――いや、その場で手空きの兵は皆、悠然と進む浮遊城の姿を見ていた。
人類最強の決戦兵器にして、南方国家最後の希望。あれが落ちる事になどなれば……そんな事は無いと思いつつも、ただただ兵士達は不安であった。
◇ ◇ ◇
「やはり降りては来なかったずみ」
地下茎の中では、ウラーザムザザが待ち構えていた。とは言っても、降りてこない確証もあった。
何かが潜んでいるとしても、出てくるまで待てばいいだけだ。わざわざ危険を冒して、魔族が飛び出してきた穴に入る必要は無い。
まあよほど暇ならやるだろうが、今はそれどころではないだろう。
「来ても対処は出来ましたが、平穏無事が何よりです。それではユニカ様、お願いします」
「ええ、分かっているわ。任せて!」
ユニカは地下茎内、ファランティアの中。
鎧は付けず、服装は綿の粗末なシャツの上から、自分で編んだ厚手のセーターを着ている。
下はシャツと同じく綿の膝丈下のスカートに、白のソックス。更に足元には、木製の靴を履いている。
そこまではいつもの魔族領でのスタイルだが、今日はそれだけではない。
左目には方眼鏡、右手には通信貝を装備。そして内側が赤く、外側が黒いレザーのロングジャケットを羽織っている。これは今日の為に、ウラーザムザザやテルティルトが用意したものだった。
(いつでも準備は出来ているから……頑張って、魔王)






