158 【 魔障の領域を進み 】
マリクカンドルフ率いるハルタール軍は、死地である魔障の領域を突き進む。
だが既に多くの兵士が脱落している。それは、この領域に広がる白い霧の為だ。
それは毒性と酸性を多量に含んだ死の大気。人類が初めてこの領域に突入した時、呼吸した兵士の肺は溶け、全身の穴から血を流して死んだという。
そんな場所を突っ切るのだから、全員が水晶を嵌め込んだゴーグルに防毒マスク。それに数種の対毒薬を常備してはいる。
しかし、それでも肌はヒリヒリと痛み、呼吸のたびに肺が焼かれていく。
(そろそろ商国の飛甲騎兵隊から連絡が来るはずだが)
まだ全行程の2割も進んでいないが、その辺りは速度が違うのだから仕方が無い。
というよりも、定期連絡が途絶えたのなら即Uターンだ。
それでも1割以上、10数万人は死ぬ計算になる。しかも完全な無駄死にだ。
「マリクカンドルフ様、商国飛甲騎兵から電文です。危険極めて大。繰り返します――危険極めて大。最終判断は一任するとの事です」
ここは本隊のほぼ中央。指揮用の装甲騎兵の中。
兵団は剥き出しの飛甲板に兵士を乗せているが、さすがに指揮官クラスともなれば完全防備の装甲騎兵を使う。
だがそれでも、全員ゴーグルに対毒マスクは装着済みだ。たとえ金属の壁で囲んでも、その大気が毒であることには変わりはない。
マリクカンドルフの装備は全身鎧であるが、兜の下にはやはり同じような兵装を装着している。
難点は、音がくぐもる事だろう。大きな声で話さないと会話が成立しない。
だがそれとは別に、マリクカンドルフは即答できなかった。
もし問題が無ければこのまま進軍。もし通信が来なければ直ちに撤収。また侵入不可と目されるほどの危険――例えばドラゴンや魔神などが居た場合も、同様に撤収の予定だった。
しかし、それ程ではないが危険は大きい。それも実際どれほどのものか分からぬまま、百万の将兵の命運を決断せねばならないのだ。
かなりの無茶振りである。
「他に連絡は無いのかね?」
「既に商国飛甲騎兵隊は交戦に入ったとあります。ですが、敵の姿は分からずの様です」
曖昧過ぎる――だが、解りませんなどと思考停止する事も出来ない。
「浮遊城に伝達。第1ポイントに早速やってもらうとしよう」
この作戦を受けるにあたって、また実行するために、マリクカンドルフとリッツェルネールは詳細を詰めた。
その一つが――
「こちらムーオス自由帝国0337航空隊。支援要請を受託した。これより投下する」
上空を飛来する重飛甲母艦から、右手側に広がる炎と石獣の領域目がけて揺り籠が投下された。
音は聞こえない。だが先行隊は、霧を透かした彼方の先に、淡い光が幾つも生まれるのを見た。
「ムーオスの支援は予定通りとの事です」
「ならば問題は無かろう。炎と石獣の領域内に陣地を構築。急がせよ。それが完了次第、負傷兵はそちらへ移動させよ」
「今ちょっと王様っぽかったですよ」
「……やかましい」
マリクカンドルフの指示により、先行隊の内3万人が進路を変える。
目的地は炎と石獣の領域。新たな攻撃により穴の開いた地域だ。
一直線に進むのではなく、所々に中継陣地を作る。それが、リッツェルネールと詰めた作戦の一つである。
石獣の攻撃は当然考えねばならないが、あくまで目的は仮の陣地を構築するだけだ。奥へと侵攻するわけではない。
この猛毒の霧の中をただ進むだけよりかは幾分ましだろう。
そう考えたマリクカンドルフの上空を、コンセシール商国の飛甲騎兵隊、第二陣500騎が通過する。
(危険極めて大……か)
早くも投入された第二陣。それはすなわち、リッツェルネールが本気でこの作戦を軸として考えていると言う事だ。
かつては共に戦った仲だ。もう少しは付き合おうではないか……。
◇ ◇ ◇
針葉樹の森に入ったコンセシール商国の飛甲騎兵隊は、見えない何かからの攻撃を受けながら木々の間を飛行していた。
現在、その数は200騎近くまで減らされている。
眼前に広がる巨大な幹の群れ。上や下には一面の緑が広がり、嗅いだことのないほどに強烈な草の香気が本能を刺激する。
もし任務でなければ、そして危険が無いのなら、あの緑の原を思いっ切り駆けてみたい。そんな気すら起こさせる。
だが、今は本当にそれどころではない。
飛甲騎兵隊は、未だに攻撃者を発見できないでいた。
各部隊は地面すれすれから木の頂点付近まで、それこそくまなく探しまくっている。
そして発見した大型甲虫やバッタなどを攻撃するも、未だに攻撃が止む気配はない。
幸い、今の所の攻撃は単調だ。
いきなり騎体内が水で包まれる――それだけだ。
不意打ちでは実に恐ろしいが、来る事さえ判っていれば冷静に対処できる。
だが――
「ブローフェン隊長戦死! イベニアが指揮を引き継ぎます!」
「コンフェス隊、残存5。遥か遠方からの攻撃の可能性あり。散開を具申する」
「レイモーズ賛成。敵は近辺にいない可能性ありだ」
それでも多くの飛甲騎兵が今も撃墜されている。もう打つ手なしだ。
確かに、この近辺に固執する事自体に意味はない。
相手は地平線の先に居るかもしれないのだし、そもそもが地面の中にいられたらどうしようもない。
一度散開し、比較的安全な場所を探すのも手ではないだろうか?
そう考えたラウの視界がぐにゃりと歪む。同時に発熱、嘔吐、痺れがその身を襲う。
(抵抗したか……だけど、だんだん正確になってきてるって事かい)
射出型の魔法にしろ、空間指定の魔法にしろ、いずこかへと発生させるところから始まる。
その発生場所に何かがあった時、魔法は発生できるかが試されることになる。
大気のようにスカスカな場所なら簡単だが、スポンジの中、水中や生命体、そして土中、金属と、密度が高くなるほど発生は困難だ。
逆に簡単であれば、極端な話、マッチ一本に火をつける程度の魔法でも簡単に人を殺せるだろう。
だが実際に発生できるかは魔力の大きさと、発生源の抵抗力だ。
この世界の人間は魔力が高い。故に簡単に体内で魔法が発生する事は無い。だが抵抗の際に受ける衝撃はかなりのものだ。
そして抵抗に失敗したものは、体内から発生した大量の水により溺死――いや、破裂する。
「ラウ隊長!」
「大丈夫だよ、分かっているさ」
計器は全て死んでいるので、今の時間は分からない。
だが体感的に言えば、そろそろ第二陣が魔障の領域を越えてくる頃だろう。
しかし今の状態で、それは援軍足り得るか? いや、単純に的が増えるだけといえる。
では分散するか? だが相手の数が予想を超える数だった場合、単に的を絞りやすくするだけだ。
一瞬にして各個撃破されるだけだろう。
ならば打つ手は限られる……。
「浮遊城に連絡。この範囲一帯に揺り籠投下要請。少なくとも、範囲20キロメートル四方は焼き払って貰うよ。それまでは各騎このまま。耐えつつ敵を探せ!」
最終的に分散するなら、そのリスクは最小にする。
この地域を焼き払い、同時に分散だ。それで敵の数や力が、少しは測れるだろう。
◇ ◇ ◇
「城主殿、ラウ・ハルミールから要請です。当該地域に揺り籠の大規模投下をして欲しいそうです」
浮遊城戦力を取り纏める ミックマインセが通信文を持ってやっている。
それと、当該地域の航空写真もだ。
重飛甲母艦の観測では、さしたる驚異の無い森林地帯だと想定されていた。
だが現実はどうか。世界有数の飛甲騎兵隊隊が翻弄され、もう300騎もの数を失っている。
並の国家であれば、全戦力と言って良い数だ。
「やはりどんなに平穏に見えたとしても、魔族領は魔族の地と言う事か……」
人間には計り知れない。いや、人間を拒否する世界。
互いに相容れる事は無い。だが東のジェルケンブール王国は、それでも折り合いをつけながらやって来れたではないか。
魔王さえ倒せば、もしかしたら……。
「要請を受諾だ。どちらにせよ、ハルタール帝国軍の橋頭保は必要だからね」
「今度大規模投下をしたら、もう残りは小規模を数回が関の山ですよ。良いのですか?」
「ああ、構わないよ。やってくれ」
確定で必要なのは、炎と石獣の領域と魔障の領域の間に幾つか穴を開ける程度だ。
それともう一つ……まあこちらはスピード勝負。数はあまり問題にはならない。
となれば、おそらくもう炎と石獣の領域への大規模投下は必要あるまい。
再び毒が発生しても、もう既に領域は穴だらけだ。遅延にしかならない。
仮に継戦不可能な不測の事態が発生したとしたら? それはもう人知を越えた現象と言える。
そうなったら、人間を減らすだけ減らして一度帰還すればいい。誰の目にも明らかであればこそ、誰の責任にもならないのだから。
問題は、魔王がどのくらい戦略に明るいかだ。
現状、既に戦いの趨勢は決まっている。領域を修復できなくなった時点で、もう人類軍の侵攻を完全に止める手段は無いのだから。
いや、世界がここだけと固執し、この地での勝利だけを目指すならば、まだやり様は幾らでもあるだろう。
(さて、魔王アイワヨシキ。君は戦略家かい? それとも戦術家なのかな?)
どちらの可能性であっても、リッツェルネールには何の問題も無かった。






