147 【 前哨戦 】
坑道のあちこちに、真紅の兵装を纏った兵士達が倒れている。南東から侵入したマリセルヌス王国軍だ。
白目を剥き口から血を流す姿は、まるで死んでいるかのよう。
だが時折ピクピクと痙攣する。まだ生きているのだ。
そう――死んではいない。しかし、意識は苦痛の中でもがいていた。
不意に、人工の白い明かりで照らされた世界に黒い影が現れる。
それは、2頭身にまで縮まったゲルニッヒの姿だった。
「今回はナカナカに良い出来デス。スグには死なず、カトイエ、動く事も出来ないデショウ。ヤハリ、狭い場所は計算がシヤスイ」
そう言いながら、苦しむ兵らの傍らを取り過ぎる。
「出来る事は思考ダケ。ソウ、考える事だけデス。サア、教えてクダサイ。思考してクダサイ。コレから死ぬと言う事が、ドウイウものなのカヲ」
動けない兵士達の耳に、その言葉は届いてはいない。
だが彼らの心の叫びは、ゲルニッヒに新たな知識を溢れんばかりに注ぎ続けていた。
「アア……素晴らしいデスヨ。皆違う……実に興味深い。貴方ガタは人類の使命でここにいるのデスヨネ。デスガ、ナゼこうも最後に考える事が違うのデショウ。一つの目的に進みながらも、その実違う」
苦しみもがく兵士の瞳に、大豆頭の魔族が覗き込む姿が映る。
「ハイハイ、良いデスヨ。ソノママ、ひたすらに考えてクダサイ」
◇ ◇ ◇
「ぜー、はー、ぜー、はー……」
坑道の出口……とはいえ、領域の境界ではない。正しくは爆撃で空いた途中の穴だ。
アスターゼンがいくら足に自信があろうとも、一日も経たぬうちに、この山は抜けられない。
だがここならば外気がある。
現在、このように爆撃で空いた穴には、通信用の中継基地が構築されていた。
今は剥き出しの大穴だが、将来は水晶窓の付いた天井が建築される。
繋がる坑道には多数の明かりが取り付けられ、少し広まった場所には机や椅子も用意されていた。
その机の上には、幾つもの通信貝や通信機、そして書類の山。
開戦からここまで、こうした中継地点は休む暇もなく大忙しだ。
「これが生きていたら、解毒剤を投与しな。この際、効きそうなら何でも構わん」
そう言いながら、担いでいたポレムを机の上にどさりと投げる。
その体は軽いといっても、着用している鎖帷子はかなりの重量だ。
魔力を注げば軽いといっても、それは本人だけの話。武器もそうだが、当人以外は重量の影響を受けるのだ。
本当に、何で持ってきたのか……傷病兵は捨てていくのが戦場の習わしだ。
健常な人間がこんな荷物――しかも生きているのか死んでいるのかも分からないものを運ぶこと自体がおかしい。
だがまあ、持ってきたものは仕方がない。それよりもだ――
「通信兵! 通信兵はいるか!?」
「は、はい」
ここは中継基地。奥から大きな貝を担いだ3人の兵士がすぐにやってくる。
貝には長いアンテナが取り付けられており、長距離通信用の新型であることが一目でわかった。
坑道の奥からも、生き残った兵士達が続々と集結中である。だがやはり人数は相当に足りない。
どの兵士も、対毒兵装を用意できていた者だけだ。全体では5パーセントにも満たない。
実際に対処できた人間となれば、更に減るだろう。
それにそもそも、ここに百人単位の兵士が集まることは不可能だ。
いちいち通信貝など使えないし、十数メートルしか声が届かない世界では、指示を出しても伝言ゲームにしかならない。
だが外に出ることは不可能と言うしかない。
この上は炎の竜巻が荒れ狂う立体迷路。それも、爆撃の穴で出来たショートカット地点だ。
出た所で、その溝が出口に繋がっているという保証もない。
「将軍、遠距離通信貝の準備が整いました」
「よし。浮遊城に地図と座標を送れ。想定通りの異常事態が発生したとな」
「ち、地図なら……ここに最新の物があります……」
ポレムはふらつきながらも何とか立ち上がり、自身の通信貝と片眼鏡を通信兵に渡す。
渡し終えた彼女は再び気を失ってしまったが、アスターゼンはほっと一息ついた。
(苦労して持ってきたのが、死体でなくて良かったぜ……)
そして空を見上げると、そこには流れゆく油絵の具の空。
だがその色合いはすっかり暗くなり始め、夜が近いことを示していた。
「生き残った全部隊に伝達。大至急ここから離れろ。全軍撤退だ!」
そう言いながら再びポレムを担ぐと、再び坑道へ入る。
少しでも、遠くへと逃げるために。
◇ ◇ ◇
アスターゼンからの連絡は素早く浮遊城へ送られ、そのまま上空で待機する第3重飛甲母艦隊に送られた。
前哨戦の試験爆撃を行った部隊とは違う。計500機を超す大規模編隊だ。
「こちら第3部隊、要請を受理」
通信士の返信と同時に、下部格納庫が開く。
上空から見た領域は、もうだいぶ暗くなっている。
だが問題は無い。それ程の精密性は求められていないのだ。
「諸君らの魂に安らぎを! 汝らが血族に栄光を! 魔族には死を!」
「「「我等祖国の為に! 我等同胞の為に! 魔族には死を!」」」
500機の重飛甲母艦から、一斉に揺り籠が投下された。
目的地はつい先ほどまでマリセルヌス王国軍が展開中の地点。
そう、ゲルニッヒが居るであろう地点への集中爆撃であった。
◇ ◇ ◇
魔王魔力拡散機に魔力を送りながら、領域の様子を確かめる。
東から侵入した部隊は、ほとんど進まないまま既に半数以上が消えていた。
南東から侵入した部隊も、多くが撤収中だ。こちらはゲルニッヒが対処してくれたのだろう。
「まおー、そろそろ休むのであるぞー」
倉庫の扉から、スースィリアが心配そうに覗き込んでいる。
確かにここに来てからもう4日。ほぼ休むことなく、ずっと立ちっぱなしで魔力を送り続けている。
僅かの睡眠もとったが、本当に少しだけだ。
緊張と状況が気になって、とてもゆっくりと眠れたものではない。
(だけどこのままじゃだめだな。こんな様子だと、戦う前に疲労で死ぬ。そろそろユニカが作ってくれた弁当でも食べて休憩するか……)
そう考えた矢先、柱から激しい波紋のような振動が伝わって来た。
急ぎ確認し、ぎょっとする。ゲルニッヒの向かった南西周辺の地表が、ごっそりと吹き飛ばされている。
しかも、まだリアルタイムで変化中だ。
音や振動、光といったものは分からない。だが丸く、丸く、丸く……地形が抉り取られてゆく。
一体、何発撃ち込んでいるんだ。そして、何人殺しているんだ。
ゲルニッヒは!?
だが、魔王魔力拡散機からゲルニッヒの感じは伝わってこない。
それどころか、他の魔人達もだ。今更ではあるが、どうやらこいつは魔人を感知できないらしい。
まあ出来るのなら、最初にホテルでやった時に気づいている訳で……。
「ヨーヌ、そっちは分かるか?」
領域外の浮遊城の位置まで正確に探知しているヨーヌの事だ、もしかしたらと思ったのだが――
「新鮮な驚きを楽しむため、魔人の位置は分からないのデシ」
魔人の妙な拘りがマイナス方向に発露してしまったか……。
だがまあ、ゲルニッヒも魔人だ。そう簡単に倒されていない事を祈るしかないだろう。
◇ ◇ ◇
「城主様、ムーオス自由帝国第3重飛甲母艦隊による揺り籠投下が始まりました」
通信士の一人からそう報告が入るが、浮遊城からは確認できない。
しかし、リッツェルネールはそれを残念とは思わない。
元より現場指揮官ではない彼からすれば、盤面だけで事が進むのには慣れっこなのだから。
現在、ラッフルシルド王国軍は崩壊しつつある。
だがこれは予定通りだ。あの部隊が壊滅したら、次はスパイセン王国軍を投入すればよい。
南西のマリセルヌス王国軍の内、坑道の部隊は全滅だろう。まあ、だからこそ投下要請が入ったのだ。
詳細はまだ不明だが、全体としてはここまでで20万人ほどが死んだと思われる。
だが全体からすれば、1割にも満たない数に過ぎない。
主力であるハルタール帝国軍やティランド連合王国軍もまだ温存してある。
戦力に不安はない。ここからじっくりと、ゆっくり確実に攻めて行けばいいのだ。
そう考え、ふと思う――。
千年以上かけて壁を作り、60数年かけて魔族領を切り取った。
時間は幾らでもある。落ち着いて対処すればいいのだ……本来ならば。
だが、去年に魔王の所在が判明してからというもの、あまりにも激しく、そして短時間で物事が動いた。まるで、時計の針が急激に加速したように。
勿論、人間世界の動きは全て自分のせいだ。だがそれは、本当に全て自分の考えによるものか?
(いや、違うな。僕は状況を利用しただけだ。そして状況を作ったのは……)
そして今、ゆっくり着実にと考えつつも、実際には食料という明確な期限が存在する。
時間内に魔王を倒し、同時に十分な数の人間にも死んでもらわねばならない。
焦りは禁物だが、余裕がないのもまた事実だ。
(魔王の――彼の力によるものだろうか)
坑道で、白き苔の領域で、そして白磁の間で会った男。
何の変哲もない普通の人間だった。見た目だけならば。
だがこの時の加速は、魔王の力による影響なのだろうか?
確かにそれは間違いない。全ては彼の勝利と、彼が海を奪ったことに起因している。
可能性を考え、少し寒気がする。ここまでの事が全て、魔王アイワヨシキの計略ではないのだろうかと……。
まあ、そうならそれでいい。大切なのはこれからだ。
相手のペースに乗せられるのではなく、きちんと自分達のペースでじっくりと――
「城主様、緊急電文です。ラッフルシルド王国軍が魔王と遭遇、交戦に入ったそうです!」
通信士が読み上げた電文を聞き、リッツェルネールは心の中で頭を抱えた。
どうやら、ゆっくりとはさせてくれないらしい。
こうも早く動いたと言う事は、魔王は思っていたより好戦的なのか?
それともラッフルシルド王国軍が少ないため、今倒しておこうと考えたのか?
当然、偶発的事故、報告ミス、そして罠の可能性もある。
だがどちらにせよ、ここで様子見とはいかない。
リッツェルネールとしては、事実が確定するまではスルーしたい案件だ。
だが、ここにはそもそも魔王を倒しに来ているのである。
今この場で戦力を投入しなければ、全体の不信感を招くことになるだろう。
たとえ全権の指揮を握っていても、結局は現場各員の意向は反映されなければならない。
司令官とて、絶対的な独裁者ではないと言う事だ。
「正確な位置は?」
「かなり深い場所です。地下推定1700から1800メートル。地上部分は1600メートル級の高山地域です。
(かなり深いな……重要施設が地下にあるのは理解するが、僕が見たあの施設はかなり上の方だった)
以前見た人工的な部分。そこは既に揺り籠により消えている。
だが魔王は死んでいない。空にはまだ、油絵の具の雲が覆い被さっているのだから。
揺り籠が無限にあれば、地下深くまで掘り進めることは決して不可能ではないだろう。だが現実には限りがある。
マリセルヌス王国軍の報告に即対応したのは、元々毒ガスへの対応を計算していたからだ。
ムーオス自由帝国は秘匿しているが、バイアマハンの街での一件はすでに伝わっていたのだった。
だが今回は、消費量に対して曖昧さが大きすぎる。揺り籠は使えない。
「スパイセン国軍、ティランド連合王国軍に伝達。直ちに進軍し、東方より侵入したラッフルシルド王国軍を援護せよと。それとマリセルヌス王国軍にも再侵攻を開始するように伝達。魔王が軍略を考えるのなら、少しは牽制になるだろう」
「あれ? ハルタール帝国軍は動かさないんですか?」
傍らに控えていたミックマインセが進言する。
帝国軍は現在、南西にある魔障の領域近辺に布陣している。
少し北に動けばマリセルヌス王国軍と合流できる場所であり、当然後詰と思われていたのだ。だが――
「いや、まだ戦況がどう動くのかは分からない。温存して問題はないよ」
まあ城主がそう言うのなら、それで良いのだろう。
ミックマインセは頭に沸いた疑問を打ち消し、本来の業務へと思考を変えた。






