136 【 無限図書館 後編 】
段々と下に降りるたびにその全容は見えていたが、実際に底に着くと驚く事ばかりだ。
上からだと、下は黒い床に見えた。
だが実際にはっきり見えるところまで行くと、それが間違いだと判る。
床は黒ではなく透明だ。そしてその中には、無数の本が氷に閉じ込められるかのように沈んでいる。
実際にその床に降り立つと、カツンと響くのは金属的な音。
だがそれと同時に波紋の様な模様が浮かび、照らされたライトにより幾重にも重なった白い輪を描く。
流体金属――そう言えばいいのだろうか。初めて感じる感触は心地いいが、不気味さも感じる。
(どこか踏み抜いちゃいけない場所とか、あったりしないだろうな……)
中の本が反射して見える部分までは透明と分かるが、底の方は真っ暗な闇だ。
いきなりあそこまでドボンは御免だぞ。
場所を考えればそういった事は無いだろうが、逆にこういった場所を考えると罠の一つでもありそうとも感じてしまう。
ここはおそらく、歴代魔王達にとって最高機密の一つなのだろうから。
螺旋階段の終点からは放射状にぐるりと机が並ぶ。
ほぼ真上から見た時は本棚かと思ったが、下まで降りればハッキリと違いが分かる。
そこでは丸い流体金属たちが、並んで本を読んでいるところだ。数はかなり多い。
ただ、読むというには少し違うか。
下から本を持って浮かんで来ては、ペラペラとページを最後までめくる。それが終わると、また本を持って沈んで行く。一定のサイクルの様だ。
「たまに動かさないと、本が固まってダメになっちゃうかな」
「へえ、ちゃんと意味があるんだな」
種類としては、溶岩の精霊や蠢く死体に近いだろう。
数が多く、何かしらの依り代を必要とする点も同じだ。
この場合は流体金属に憑りついているのだろうが……直感してわかる。彼らの戦闘力は0だ。
精霊だから簡単には死なないが、あれらに人間を倒すだけの力はない。ただ本の管理をするのが限界だろう。
しかし、何で本の管理を精霊がしているんだ?
「好きだからかな。あの性質があったから、ここの図書館を建てたよ」
すたすたと歩きながらエヴィアが説明してくれる。
なるほど、逆か。図書館に合わせて精霊を何とかしたのではなく、そういった精霊が出来たから利用したと。
するとこの図書館は、ホテルと違って領域の一部ではない。
壊れたら……。
〈 自動では治らないわねー。作るのは結構大変よ 〉
「だろうな。とてもじゃないが、俺には作れそうにないよ」
そう言いながら、エヴィアの案内で奥へと進む。
螺旋階段は、この広い円形のホールの中心にあった。そこからどちらに進んだら良いのか見当もつかないが、こうしてエヴィアが先導してくれるのはありがたい。
下をこうして歩くと分かるが、放射状に並ぶ机は、途中から本棚に変わる。
高さは6メートルくらいだろうか。なかなか壮観だが、十分な広さを取っているので威圧感は無い。
棚にもびっしりと液体金属の精霊が張り付いているところを見ると、本当に好きなのだろう。
あの沢山あったライトは何のためかと思ったが、こうして棚と棚の間を歩くと分かる
細かく区切られた通路を、それぞれ微妙に角度を変えながら照らしているのだ。
おかげで影は殆ど無く。あまり地下という感じがしない。
どの方位なのかは分からなかったが、300メートル程進むと壁に付く。
上から見た時の構造とぴったり一致するな。
目の前には金属製の両開き扉が付いており、『ゲスト』と記されたプレートが付いている。
「ここで休憩や生活が出来るかな、多分。魔王魔力拡散機もあるから、魔王はお仕事だね」
「まあ、まだ全然溜まってないんだけどな……」
だがまあ、ここで滞在するうちにそこそこは貯まるだろう。
1日や2日で何とか成る程、甘くは無いだろうから。
◇ ◇ ◇
魔王が無限図書館入りを果たした頃、四大国もまた、それぞれ慌ただしく活動していた。
遠く人間領――ティランド連合王国国王カルターの執務室には、変更された補給申請書類の束が山のように積まれている。
それこそ机だけには収まらず、床まで占領するほどだ。
本国軍他、連合各国は順次魔族領入りを果たしつつあった。
だが、新たな領域の誕生により予定は大幅に変わる。
その点に関して、最も鋭く反応したのがティランド連合王国だっただろう。
すぐさま全軍に帰還命令を出し、現在は門や壁周辺の中立小国で待機させている。
その為に補給計画は大幅に狂い、今こうして変更を余儀なくされているのだ。
「新たな領域か……お前達はどう思うんだ?」
申請書類にサインをしながら、カルターは部屋にいる4人の人間に話しかけた。
一人はいかにも文官といった空気を漂わせる黒スーツの男。いつの間にか、デフォルメされた蝙蝠ビキニの美少女にハートのマーク――サキュバスワッペンが3枚になっている。
左右でカールさせたオレンジの髪と僅かな髭が特徴のハーバレス・ラインツ・イーヴェル・ティランド宰相だ。
「あったと報告が来ている以上、事実なのでしょう。我々としては、それを念頭に置いて最悪を考えねばならぬと言う事です」
「お前の考える最悪とはなんだ?」
ハーバレスは腕を組みながら視線を少しだけ上に上げる。
考えるそぶりではあるが、その実とっくに答えは出ている。だが、言うには少し躊躇われる言葉であったというだけだ。
「人類の絶滅です、陛下」
その言葉に対し、隣に立っていた軍服姿の男が異を唱える。
「それは少し、大げさに過ぎるのではないのか? ましてや、我等の抵抗がすっぽりと抜けているではないか」
ハーバレスの結論に口を出したのは、リンバート・ハイン・ノヴェルド・ティランド将軍だ。
筋肉質な褐色の体に、黒い長髪に黒い瞳。覇気のある精悍な顔立ちだが、その瞳には強い知性も滲ませる。
服は、黒に金刺繍が施された正規の軍服だ。ぴっちりとした誂え品であり、盛り上がった筋肉が服の上からも見て取れる。
今回の魔族領侵攻戦では連合王国軍総大将の立場であり、王位継承権は現在6位にまで繰り上がっていた。
血統的にはカルターの8番目の娘が産んだ3人目の子であり、孫という事になる。
「大げさ? 抵抗? もうそんな次元の話ではありますまい。我等が海を失う事、言えぬまでも、予見していた人間はおりますかな? 抵抗できた者は? 同じことです」
「あたしらは明日を迎える事も無く、寝ている間におっちんでいるかもしれないってわけか」
ハーバレス宰相とリンバート将軍。その二人に挟まれていた、逞しい女性が口を挟む。
”四本腕”の異名を持つアルダシル・ハイン・ノヴェルド・ティランド。
性は同じだが、カルターと直系の血縁者という訳ではない。ティランドの血族は、大国にふさわしく大人数だからだ。
身長は185センチ。悠々とした分厚い筋肉に、手入れのされていない焦げ茶色の長髪《ロングヘア―》。紺の瞳は眼光こそ鋭いが、どこか若さを感じさせる。
武骨な野人を思わせる外見だが、今は淡い緑色の、ふわりとした優雅なドレスに身を包んでいる。
そして、現在の王位継承権は4位。全軍の指揮権は継承権6位のリンバートが持つのだが、これは別におかしい事では無い。
軍事の才能と、政治まで含めた総合とではまた変わって来るからだ。
「その通りでございます。ある日突然大地が裂け、海は割れ、この地上から全ての生き物がいなくなるかもしれない。天地の創造とは、すなわちそういう事なのです」
最悪を考えれば、カルターもその可能性に辿り着いてはいた――が、
「ならなぜ、今までやらなかった。これは魔族領侵攻計画だけの話じゃねぇ。神話の時代から今の今まで、奴らは一度として新たな領域を作らなかった。違うか?」
「陛下のおっしゃる通りです。記録によれば……の範疇ではございますが」
「やっぱ魔王とやらが関係してるってのかい? だが、だとしても同じ事じゃない。どうして今までやらなかった? 出来るならさ。おかしいじゃないのさ」
「我々には、魔王の実態は分かりません。今も巷では、様々な憶測が飛び交っています」
「曰く、真の魔王は創世の頃より休眠状態にあったが、迂闊にも人類が起こしてしまった。曰く、魔王とは長い年月の間に間違って伝わった概念である。その真実とは、この世の創造主に他ならない。人類は見捨てられたのだ。曰く、今この時、世界が新たに作られようとしているのだ。曰く、――」
「リンバート……あんた、それ何処まで真面目に言っているんだい?」
「俺は一つとして信じてはいないさ。そもそも、領域と魔王の関係性は? 自然のサイクルの中で、たまたま一つの領域が生まれただけかもしれない。何でも魔王と関連付けて恐れていては、それこそ何も出来ないではないか」
確かにその通りだ――そうカルタ―は考えていた。
相手を恐れないのは、戦術家としては愚か者だ。
だが必要以上に怯えることもまた、同様に愚かな行為と言える。
しかし、自分達が真実を見極める目を持っていない事もまた事実である。
結局こうして顔を突き合わせていても、実りある議論には成り得ないのである
「お前はどう思うんだ、エンバリー?」
「え!? わたくしで御座いますか?」
思案したカルタ―は、部屋の隅でひっそりと待機していた一人の女性に声を掛けた
少し童顔といえるだろうか、低くて丸い鼻に、僅かにかつてに面影が見える。
狸顔……いや、愛嬌のある可愛らしい顔だといってもいい。
背は170センチに届こうかという位で、決して低くはない。だが全身から溢れる自身の無さと心労からくる衰弱により、実際より一回りくらい小さく見えてしまう。
鮮やかだった緑の髪も薄茶に染め……いや正しくは、鮮やかな緑髪自体が染めたものだ。
魔術師、それも風に属する高位の者としての風習で染めていたが、今ではあまりにも分不相応な色だ。その為、元に戻しただけの事であった。
エンバリーは心労による激痩せが加速し、今ではもう魔法は使えない程に魔力が低下してしまっている。真実の髑髏を起動させる魔力も無くなってしまった。
全身鏡にその身を映した時、あばら骨が浮いた姿を見て10日間泣き明かしたとも伝えられている。
ただ幸い病という訳ではなく、日常生活には問題は無い。
その為現在では、カルタ―のお茶酌み係としてこの場に待機していたのだった。
本来なら実家に帰るという彼女を引き留めたのは、他ならぬカルタ―だ。
それは彼女を愛していた……訳ではなく、カルタ―付き魔術師として働いていたため、機密を知りすぎているからだ。
出来れば立ち直って貰いたいところだが、今の自己嫌悪からくる悪循環では難しいだろう。
他の面々の視線も、エンバリーに集中する。
堕ちたりとはいえ、彼女は高位の魔術師だ。その知識自体の価値は健在である……が、それで分かれば苦労はしない。魔術師はあくまで魔術を生業とするものであり、魔族そのものではないのだから。
「すみません、分かりません……お茶、淹れて来ます」
そう言って、エンバリーは死んだ目をしながらトボトボと部屋の外へと出て行った。
ティランドの血族で無いというだけで、本来の彼女の地位と実力はここに集まった面々に劣るものではない。
何とか立ち直って貰いたいものだ……カルタ―だけではなく、他の者も皆同じ考えだった。
お茶を淹れながら、エンバリーはそれなりに考えを巡らせえていた。
出来た場所、地形……間違いなく、あれは魔族が作ったものだ。
だが魔王か? といえば、違う気もする。おそらく地形を操る魔族――それも多分だが、そういった魔法を生業とする魔神級の存在がいるのではないだろうか。
今まで新たな領域が誕生しなかったのは?
推測ではあるが、今までは条件が揃わなかっただけだと考えられる。そして今は揃った。
あの領域は、実際に可能かを最初に実験した跡ではないだろうか。
だがそこから先は作られていない。領域を作るという事、それは彼らにとっても大きな代償を必要とするに違いない……。
だが明確な根拠があるわけでは無い。これは単なる思い付きだ。
その考えを確かめるためには、やはり魔王を捕まえて聞くしかないだろう……そんな事を、ぼんやりと考えていたのだった。






