115 【 両国の会談 】
碧色の祝福に守られし栄光暦218年4月35日。
双方の死体が山のように積まれる戦場上空を、青い飛甲騎兵が飛行していた。
(順調に殺し合っているようだね……)
戦場のあちこちに、破壊された人馬騎兵も見える。数は十数体ほどか。
あれだけ壊せるのは大したものだと思うが、同時にジェルケンブールの運用にも問題を感じる。
(僕なら多少の犠牲は払っても、ここに100騎は集合させたろうな……)
勿論、言うほど簡単な話ではない。
此処にいない人馬騎兵の力があったからこそ、これまで版図を広げることが出来たのだ。
その辺りは上策下策というよりは、戦略的な方向性の相違であっただろう。
リッツェルネールは逆転の隙を与えない戦略を重視し、ジェルケンブール王国は逆に、多少の危険性に目を瞑りつつ拡張を優先させた結果に過ぎない。
(だが、このままではティランド連合王国が勝つな)
戦況に圧倒的な差は無い。軍事大国相手に、よく頑張っているものだと思う。
だがそれも、人馬騎兵と言う強大な戦力あっての事だ。数が減るごとに、戦況は加速度的に不利になってくる。だが――
(さて、貴方の選択をお聞きしましょう。カルター陛下)
リッツェルネールの乗る飛行騎兵は、戦場のど真ん中に設営されたカルターのテントへと降りて行った。
◇ ◇ ◇
その様子は、ジェルケンブールの軍からも見えた。
「陛下、商国の飛行騎兵がティランドの陣へと降下していきました。あの国の事です、もしや我等を売るつもりではないでしょうか?」
配下の心配も尤もだ。何と言っても商人の国である。絶対の信用など置けるわけがない。
たとえ違約金を払うように契約してあっても……いや逆に、それ以上の利益があると感じたら、迷わず契約を破棄するのが商人というものだからだ。
だが、クライカ王には問題無いという確信があった。
様々な社会情勢と、彼が無能ではない事を十分に理解していたからだ。
◇ ◇ ◇
指定ポイントに降下したリッツェルネールを待っていたのは、予想通り憎悪の瞳だ。
テント周辺にいる兵士たち全てが、等しく睨みつけてくる。
(これはまた、随分と嫌われたものだ……)
だが、十分に理解しているからこその余裕で降り立つと、目の前にいる女性に対して用件を告げる。
「リッツェルネール・アルドライトだ。カルター陛下へお取り次ぎを願おう」
いつもの商人としてではない。胸を張り、国家の代表とした堂々たる態度。
それが逆に周囲の憎悪を焚きつけるが、応対した女性は静かな姿勢を崩さない。
「すでに陛下のご準備は出来ております。ご案内いたしますのでこちらへ」
そう宣言すると、くるりと振り返り先導する。
鮮やかな緑の髪は昔のままだ。だが、リッツェルネールは一瞬誰だか分らなかった。
動くたびにたゆんと揺れていた豊満な脂肪は、これまでの心労と忙しさですっかり減少。相和義輝が評したビア樽からは程遠い、少しふっくらとした位にまで痩せていたからだ。
カルター付き魔術師、エンバリ―・ キャスタスマイゼン。
いや、最近ではすっかり魔力量も減り、その地位は伝令程度にまで落ちている。
残念ながら、彼女はサイアナの様な特異体質ではなかったのだ。
ここは実力主義の人類社会でも、特にそれが厳しい国だ。長くカルターに仕えていたからと言って、実力の伴わない職席にはいられない。
とぼとぼと肩を落としながら歩く彼女の真意はリッツェルネールには分からないが、その様子からは、カルターに問題が起きたのだと思わせるのに十分だった。
(まあ、たとえ傷病の床にあっても王は王だ。僕の行動に変わりはない)
そう考えながら、テントへと入って行った。
「久しいな。元気そうじゃないか」
――だが、入って早々に声をかけてきたのはカルタ―だった。
ジェルケンブール王国からの戦利品だろうか、足元には豪華な絨毯が敷かれ、その上にテーブルと2脚のパイプ椅子が設けられている。
その一脚には堂々とした姿のカルターが座り、もう片方は無人だ。当然、そこに誰が座るのかは決まっている。
一応、形だけでも謁見っぽくしたというところだろうか。
実に粗野な国らしいが、リッツェルネールは嫌いではない。どちらかといえば、質実剛健なこの国の方針は、事務的な彼の生き方に近いと言えるだろう。
「此度は謁見の儀が叶い、誠に恐悦にございます」
リッツェルネールは、入室――いや、入テントし、深々と一礼する。
一応は国家元首としての謁見だが、実際にはまだコンセシール商国の党首の座には就いていない。そして相手は四大国の一つ、ティランド連合王国の盟主だ。どちらかといえば、拝謁といった立場である。それは当然の礼儀であった。
「無用だ。とっとと席に着け」
だがカルタ―は、様式などには拘らない。そんなものに拘泥する時間があるのなら、さっさと要件を済ませたい性格であった。
「相変わらずだね。それで国王としての責務を果たせているのかい?」
そう言いながら、少し笑みを湛え、目の前のパイプ椅子に座る。
「全く問題はねぇ。それで、用件は?」
「コンセシール商国の独立を宣言しに来たよ。用件はそれだけさ」
「なるほどな……」
顎に手を当て考えるそぶりをするが、実際はそんな事はとうに分かっている。
それ以外の所を聞きたかったが、やはり交渉という席では相手が悪い。
カルターとしては、『独立の交渉に来た』と言って欲しかったのだ。
そしてそれは、リッツェルネールも分かっている。だから、あえてそう言わなかった。
仕方なしに、カルターは状況を冷静に考える事にした。
即決即断の彼としては珍しい熟考だ。
実際の所、今ここでリッツェルネールを始末しても誰にも咎められる事は無い。
むしろここで彼を始末すれば、間違いなくカルターの求心力は高まり、兵達の士気も上がる。
それほどまでに、今商国の人間は嫌われているのだ。
だがリッツェルネールは、それを理解した上でここに来ている。
たとえ死んだとしても、当然引き継ぎの準備は全て整えてきているだろう。
いや、場合によっては死ぬ事すら作戦に含まれている可能性が高い。
ここに来て、即時にリッツェルネールは独立宣言をした。
その時点で、宣戦布告が成立するとすると同時に属国からも外れる事になる。もう既に国家間の戦争であり、他国の介入が可能な状態なのだ。
その事は他国はまだ知らない……などと考えるほど、カルターは政治音痴ではない。
間違いなく、この会見の時間に合わせて、世界中に独立宣言がなされている。
知らないのは戦場にいる我等だけ。そして、戦場にいたから知りませんでしたなどという言い訳は、ただの恥の上塗りでしかない。
国際社会において、知らぬはすなわち罪なのだ。
対外的に考えれば、『連合王国が用意した交渉の場で独立国の国家元首を殺す』――それがどれほど今後の外交活動に支障を与えるか……到底、たった一人の命と釣り合うものではない。
(オスピアが何を考えているか……)
次に考えねばならないのは、北の帝国の動きだ。
リッツェルネールとハルタール帝国は明確に繋がっている。そんな事は、もはや子供でも知る事実だ。
だが、互いの間にどのような盟約が交わされているかは分からない。
こいつの命が、なんらかのキーになっている可能性……最悪は、ハルタール帝国による北部侵攻である。
魔族領侵攻を控えている今、その公算は低い。だが控えているからこそ、最初に奇襲を受けたら巻き返す時間は無い。
とは言え、オスピア帝はそういった類の暴挙は行わないと考えていいだろう。それは、これまでのハルタール帝国の歴史が証明している。
だが、口実さえあればやる。やるべき時にやらねば、逆に国家の不安定化を招くからだ。
目の前の男を殺した場合、ティランド連合王国側に非がある可能性……。
一番考えられるのは、次の魔族領侵攻戦に於いて、重要な地位が与えられている可能性だ。
だが中央のシャハゼン大臣からは何の連絡も来ていない。しかし、それは何の保証にもなりはしない。今こちらは戦争中の身で、情報の入りが遅くなるのは仕方がない。
勿論、魔族領侵攻戦の人事関係には連合王国も絡む。
だがこれだけの戦争の後だ。出せる戦力には限りがあり、比例して大した発言権は得られないだろう。それを見越して内定している可能性がある。
「分かった。コンセシール商国は独立した。もはや、お前らの政治に口は出さねぇ」
今は国家元首同士の会談中、他の誰も口を出せる立場にはない。
だが、誰一人言葉を発せずとも空気は変わる。重苦しい、もういつ誰かが暴発し、リッツェルネールに斬りかかってもおかしくない雰囲気だ。
「だが戦争したいってわけじゃねぇだろ。何か出せ。気に入ったら攻めないでいてやる」
その物言いは、まるで野盗のそれである。
だがリッツェルネールからすれば、これ以上ない程に分かりやすい言葉だった。
「コンセシール商国の、この戦いへの不干渉。十分な価値があると思いますよ。いかがですか?」
単純明快。だがその意味は大きい。
現在ハルタール領にいるコンセシールの主力部隊。それがジェルケンブール軍に加勢しないという確約だ。
同時に、ハルタール帝国の脅威も消える。
オスピアは聡明であり、何より人類社会の秩序を旨とする。そして、国内では内乱が起きたばかりであり、また東方戦力はジェルケンブール王国に睨みを利かしたまま動いてはいない。
もし今を機として連合王国に攻め入るのであれば、先鋒を担うのはコンセシール商国の飛甲騎兵隊しかない。他の部隊であれば、現在の守備隊だけで対応できる可能性があるからだ。
魔族領侵攻を控える今、条約を破った挙句、何の戦果もありませんでした……そんな事を、あの女帝が行うわけがない。
これで、北方の脅威は完全に消える事になる。
今までは対抗する戦力を割かなければならなかったが、これである程度は動かせる事になるだろう。
その代償が小さな商国一つを失う程度であるのなら、確かに安いものだ。
だが、これまで問題の全てを差し引いてでも、ここで殺しておくべきだろうか?
カルタ―は、頭に過るその考えを、なかなか消せずにいた。
危険人物であることは間違いない。祖国独立の為にここまでも事をやらかした男だ。ここで放置すれば、どんな禍根を残すか分からない。
自分の為ではない。連合王国の為でもない。人類の為に、ここで始末をつけた方が良いのではないだろうか?
それに、この男は敵にはならないかもしれないが、間違いなく真の意味で味方にはなり得ない。常に損得を天秤にかけ、こちらを損と見れば即切るだろう。
カルタ―の熟考の意味を、リッツェルネールは正しく判断していた。
(ここで僕を始末した時の問題を考えているね……)
オスピアから浮遊城の使用許可を得た事、そして主席幕僚に内定した事。それを話せば話は簡単だ。
だがそれは出来ない。第九次魔族領侵攻戦までには、まだまだ時間があるからだ。
カルタ―の反対いかんでは、この話もひっくり返る可能性がある。
もう今更変更は出来ない――となる時期まで、この話は秘匿する必要があった。
その結果殺されるなら、仕方ないだろう。
もしそうなった場合、コンセシール商国飛甲騎兵隊はジェルケンブール軍の北方軍を支援して行動を起こす手はずとなっている。間違いなく、ティランド連合王国北方の国々は蹂躙されるだろう。
また、ハルタール帝国の国民にも十分に恩を売った。連合王国の反撃によって祖国が灰燼に帰しても、軍部は帝国内に臨時政府を立てて残るだろう。
今後は、自分がいなくても祖国独立までは行ける。例え無理でも、ティランド連合王国の弱体化は避けられない。チャンスは幾らでもあるさ……。
そう、ある種の刹那的な考えも浮かびはするが――
「ここに不戦条約を締結するための書類も用意してきました。中央に提出し、受理されるまでおよそ12時間もあれば完了しましょう。またこれまでと、これからの国家間の友好を考え、ささやかながら援助物資を用意してあります。さて、どうします?」
――リッツェルネールは自己犠牲や自己陶酔には縁が無い。
より実務的な現物を出して、カルタ―の背を押した。
◇ ◇ ◇
翌日、ティランド連合王国の陣から青い飛甲騎兵が飛び立った。
その様子を、クライカ王は納得した様子で見送った。
「あちらの話は纏まった様だな。おそらく、互いに不戦条約を結んだといったところだろう」
「それだけでしょうか? もし商国軍が北方から攻めて来たら、今の戦力では対処しきれますまい」
「国内には商国人技術者が大勢います。しかしそれが人質にはならない事は、ゼビア王国の一件からも明らかです」
重臣達の心配も、もっともである。これは政治の話だ。どんな些細な点も見逃すことは出来ない。
だがクライカは、今回の彼の行動にいささかの心配もなかった。
リッツェルネール自身は感情が希薄な男だが、その作戦行動にはしっかりと人の感情を盛り込んでいる。それこそ兵達の食事内容から野営地のベッドの堅さまでをも考えて作戦を立てる男だ。
故に、今現在のティランド連合王国との共闘は有り得ない。両者の関係は、何らかの条約を結んだから即解決とはいかない程に拗れているのだ。
無論、彼自身が商国軍の実務指揮を取れば話は別だ。天才軍略家の名は伊達ではない。
だが、そのような余裕はあるまい。彼にとって今最も大切な事は、商国を掌握することにあるのだから。
「商国はもう放置してよい。それよりも、今はこの戦線が問題だ。動員可能な限りの民兵を集めよ。数の圧力で奴らの動きを止める。犠牲を厭うな」
「畏まりました、我らが王よ」
周囲にいた将軍たちは、それぞれの持ち場へと向かっていった。
今日も、連合王国が攻めて来る。その圧倒的な戦闘力は、さすがは軍事大国だと認めるしかない。だが、ここを抜かせるわけにもいかなかったのだ。






