112 【 反抗準備 】
魔王、相和義輝が悶々と海中を移動している頃、四大国同士の戦争は、もはや収拾がつかない程にまで拡大していた。
もし今の勢力図をそれぞれの国のカラーに色分けすれば、赤紫と黒のモザイク模様に見えただろう。
互いに地形を無視した高速移動手段を持ち、この世界の技術は防御よりも攻撃に特化している。
当たれば血液を沸騰させ即死させる矢、金属を切り裂くほど鋭く、また軽々と扱える巨大な武器。そして人馬騎兵や飛甲騎兵をはじめとした機甲部隊。
更に通信技術も発展しており、火薬が無い以外は近代戦とほとんど変わらない。
いや、ある意味弾薬という枷の無い分、近代戦よりも壮絶だ。
だがそれでも、要害と言えるような拠点を落とすことは難しい。
その為、双方共に要地を避け、小さな村や町から襲撃していった。
しかも物資は無人となった占領地からの現地補給。補給線など無視しての殺し合い、奪い合い。地図など何の役にも立たないほどのペースで勢力図を塗り替える。
こうして双方共に数を減らし合っていたが、全体を見れば、やはりジェルケンブール王国が圧倒していた。
人馬騎兵の破壊力と機動力、そして何より、その大きさが脅威となって守備兵を襲う。
防塁も堀もバリケードも、殆どが人間を相手に構築されたものだ。要害でもない限り、人馬騎兵が来た時点で覚悟するしかない。
パーシェ要塞群に入ったカルターは、そんな全体地図を眺めていた。
黒い軍服に毛皮の付いた赤い革のコートといった出で立ちで、鎧は付けていない。
ここは要塞陣地の中枢にある会議室であり、直近の戦闘は無いからだ。
会議室は地下ではあるが、魔道の灯りにより昼のように明るい。
部屋はビルの一階分はありそうなほどに広く、そこには将軍、参謀、事務員や伝令など数十名が集合していた。
ティランド連合王国軍は、現在作戦会議の真っ最中だったのである。
「伸びきったな。ここらが限界ラインか」
「そうですね。横槍の危険がある以上、人馬騎兵はこれ以上先へは行けないでしょう。あれさえ無ければ、我等に負けはありません」
ミューゼ参謀長が地図を指し示しながら状況を確認する。
開戦当初、国境が隣接していた国家群は人馬騎兵によって散々に蹂躙された。だが戦線が複雑化するに従って、人馬騎兵の動きは鈍くなる。
何と言っても虎の子だ。帰路を塞がれ包囲されるような戦線には投入できない。
一方で大型飛甲板による高速部隊は、手近な街や村を襲い奥へ奥へと進んでいく。
結果として、ジェルケンブール軍は連合王国領土を大きく切り取った半面、その戦線は限界点まで広がっていたのだ。
だが時間を置けば、飛び石となっている領土も人馬騎兵により陥落するだろう。
しかし今より早ければ、敵の数を前に不利な戦いを強いられた事も間違いない。
タイミングとしては今しかない。いや、この時を待っていたのだ。
「主力部隊で奴らの首都を落とす。そろそろ決め手が必要だからな」
カルターはカレンダーを確認する。
今は、碧色の祝福に守られし栄光暦218年4月27日だ。
8月には魔族領侵攻戦が控えている。それを考えれば、6月には互いに停戦する事になるだろう。
たとえ大戦中であろうとも、人類全体の利益の為には従う。これは条約を無視して攻め込んだジェルケンブール王国も同じだ。
この線を越えてしまうと、もう人類全体から総スカンを食ってしまう。たとえこの戦争で勝ったとしても、次の外交戦は不戦敗だ。それだけは、避けなければならない。
だが今の状態で停戦すれば、ティランド連合王国は領土の多くを失う事になる。
何としてでも、巻き返す戦果が必要だったのだ。
そんな内情だったが、言うほど容易くはない。
ジェルケンブール王国も、その程度の事は重々承知しているからだ。
首都までの間に布陣するのは、人馬騎兵を擁する大軍勢。そして、それを指揮するのはクライカ王本人だろう。
完全実力主義の人間社会。そして四大国の一角の国王。決して無能なはずがない。
だがこれは相手にとっても最終ラインだ。それを抜けてしまえば、相手の首都までの道のりを遮る程の戦力は残されてはいない
そうなるまで戦線が伸びきるまで待ったのだから、むしろそうなって貰わねば困る。
そして北方に目を向ければ、こちらにはディノソラス王国領がある。
いや、もはや元と呼ぶべきか。
ここは既に国家としては機能していない。王家は滅亡し、秩序は失われた。
現在では、互いに牽制しながら戦力を削りあうだけの不毛の地へと変わっている。
ティランド連合王国としてはここを抜かせるわけにはいかず、ジェルケンブールはここを利用して消耗戦をしようという訳だ。
南方のケールオイオン王国の方は、奇跡的ともいえる勝利以来、膠着状況が続いている。
これは、マリセルヌス王国軍の奮闘の賜物だ。
こちらは北方と違い主力が健在なため、ジェルケンブール軍は迂闊に軍を動かせない。
もし下手に動かせば、それこそパーシェ要塞群のカルター軍に挟撃されるのだから。
一応は何度か牽制の動きを見せているが、本格的な侵攻は行われてはいない。
(北は多少不本意だが、南は予定より順調だな……ロイの奴も、思ったよりもやる。この様子じゃ、当分代理王から降りることは出来そうにねぇだろうな)
有利不利の差はあるが、どちらも戦線は膠着中だ。
直近に大きな動きはないだろう。
「現在動かせる戦力はこの様になっております」
ミューゼ参謀長の手渡した資料を確認する。
要塞軍の守備兵力を除くと、正規兵72万人に民兵220万人。
数だけならそれなりだが、飛甲板は2万枚程だ。機動戦力として数えられるのは、合わせて120万人といった所だろう。
正規兵の内22万人は騎馬ではあるが、人馬騎兵が走るだけで使い物にならなくなる可能性が高い。今回は、馬は要塞に置いて行くことになる。
そして機甲部隊として用意できたのは、装甲騎兵2千騎、飛甲機兵300騎となる。
(やはり足りねぇな……)
対するジェルケンブール軍は、正規兵100万人に民兵680万人。
大型飛甲板による機動戦に対応できる兵員は推定で100万人。要は、正規兵は全て高速浮遊部隊となる計算だ。
それに装甲騎兵が数百騎。近隣に展開中の飛甲騎兵は、推定で約200騎。
そして最大の難問である人馬騎兵。その数は40騎と推測されている。
人馬騎兵と歩兵との彼我戦力は測りようがない。一般兵士など、何万人集めても勝負にならないからだ。
だがこれまでの戦闘結果を基にすれば、正規兵がおおよそ20万人殺される間に1騎破壊できる計算となる。40騎が相手となれば用意すべき戦力は800万人となるが……。
「数が足りないのは仕方ねぇ。だが、これ以上は奴らを野放しには出来ん。連合王国の力を見せよ」
叫ぶでも怒鳴るでもない、カルターの静かな言。
それに合わせ、会議室にいた全員が一斉に立ち上がり敬礼する。
同時に響いたザッという軍靴の響きが反響する中、カルターは部隊編成を発表した。
出撃可能な72万人、それが全員投入される。更に装甲騎兵と飛甲機兵も全てだ。ここで余力を残す意味はない。
中央主戦力にカルター王率いる32万人。中央予備部隊8万人。
右翼主力部隊15万人。右翼予備部隊4万人。
左翼主力部隊8万人。左翼予備部隊3万人。
西側から東へと攻める為、左翼が北方、右翼が南方を進む事になる。
右翼軍が多いのは、健在するマリセルヌス王国軍と歩調を合わせる事で、第二の主力部隊として機能させるためだ。
左翼軍は、北方のディノソラス王国領から来る敵兵に対するものだが、もし来なければ遊撃部隊として機能する。
当然ながらどちらの軍も、役割としては中央軍に劣るものではない。
だが最も重要なのは、全軍を束ねる総司令部直属隊2万人。
数としては少ないが、もとより最前線で戦う部隊ではない。全軍の頭脳である。
本来であれば、それはカルター自身が行うのが通例であるが――
「俺は前線に出る。総司令はグレスノーム、お前がやれ」
カルターが将軍達の中から一人を指名すると、会議室にいた幕僚達からざわめきが起きる。
だが、一番狼狽したのはグレスノーム本人だろう。黒い瞳には、明らかな焦りの色が濃く映る。
「お、お待ちください。私ではなく、もっと別の方でよろしいでしょう。ここはティランド血族の者が率いるべきです!」
グレスノーム・サウルス将軍は、元々はティランド血族の出身だ。
だが病弱だったため、サウルス血族に養子に出された男。要は役立たずとして捨てられたのだ。
そしてここには、ティランド血族の将軍が多数控えている。
しかもただの将軍ではない。幾多のティランド血族の中でも、特に軍事的な才覚を示してきた王位継承権保持者たちだ。
彼等を差し置いて、自分が連合王国軍の指揮を執るなど、あってはならぬ事だった。
「お前が一番上手くやると思ったから任せた。他に異論が無ければ詳細配備を通達する。先ずはヘリアナ将軍……」
カルターが部隊編成表を読み上げている中、グレスノームの心を様々な思いが巡っていた。捨てられたことを嘆き、恨んだこともあった。そして、自分自身の弱さを呪った。
努力を重ねたが、今でも正直言えば弱い。だが、用兵術を学び、幾多の戦乱を経て将軍職にまで上り詰め、魔族領では共に戦い、生き延び、今こうして大役を任された。
彼の心にあるものは――自負。努力を認められたことを、何よりも嬉しく感じていた。
そんな感動に打ち震える弟を見ながら、兄であるリンバート将軍は、ふと部隊編成に疑問点を感じていた。
「陛下、民兵隊はいかがいたしますか?」
「補給、整備、設営に必要な分だけ連れて行く。他は要塞に待機だ」
カルターのその言葉は、先程よりも幕僚達を驚かせた。
民兵隊は、確かに一般市民だ。鎧はせいぜい革程度で武器も粗末な物が多い。
だがそれでも、魔道言葉を使える分、魔王である相和義輝が率いる蠢く死体よりも強いのだ。
それに戦いは数がものを言う。
どれ程優れた兵装があっても、使うのは生身の人間だ。戦い続ければ、疲労には勝てない。
たとえ捨て駒ではあっても、使い方次第では王すら倒す可能性だってある。
だが今回は、編成には組み込まれなかった。
その理由を、カルター自身も言葉にすることは難しい。
ただ、無駄に殺したくはない……そんな、曖昧な理由だったからだ。
こうして全軍の出撃計画が決まり、各員が支度に向かおうとした時だった。
「陛下、緊急電文が入っています。北部国境の街ラーンからです。最重要の案件だと……」
北部国境の街……ハルタール帝国への玄関口。そこから入る電文となれば、何処絡みかなどは今更聞く必要もない。
だがその内容は、誰一人として予想しないものであった。
「コンセシール商国”当主”、リッツェルネール・アルドライトが陛下に会見を申し込んできました」
会議室の将兵達が、拳を握りしめ歯をギリリと鳴らす。
彼らがこの世で最も殺したい人間……それは今戦争中のジェルケンブール王国人でも、それを統率するクライカ王でもない。
人馬騎兵を供与し、人類社会に放火し、ゼビア王国の内乱以来、裏で殺戮の糸を引いていたこの男なのだ。
そしてそれは、属国の一軍人と侮り、彼を放置していた自分達への怒りでもあった。
だがカルターはさほど興味がなさそうに――
「今は忙しい。時間が出来たら会ってやると伝えろ」
――とだけ伝え、会議室を出て行った。
「か、畏まりました……」
その静かな態度の内に、渦巻くように滾る地獄の業火を感じながら、伝令は震えながら敬礼を返した。






