104 【 謁見 リッツェルネール 後編 】
「こちらも、随分と人口を削減できた。これで当分は国内も安定するであろう。最も、ティランドとジェルケンブールには迷惑だったがの」
オスピアがこの提案を受けたのはそれが理由だった。
海の利用は他の国に対して少ないが、それでも海と無関係ではいられない。
およそ4割の食料は、東の大国であるジェルケンブール王国からの輸入に頼っていたのだ。
それが停止したことは、国家の死活問題である。
国民全員で備蓄を消費すれば、そう遠からず帝国は破綻する。
食料が乏しくなったところから反乱の火の手が上がり、やがてその炎は全土を覆いつくすだろう。ならばいっその事、ここで大幅に人口を削減する事にしたのだ。
全容を知れば、為政者としての冷酷な判断を非難する者も出るかもしれない。
だがこの決定が、最も死者の数を減らし、なおかつ生存者の生活も圧迫しない方法だ。人道主義を捨て去れば、確かに最善手であることもまた、疑いようが無かった。
一方で、ジェルケンブール王国もまた、全ての国がそうであるように追い詰められていた。
海という巨大な食糧生産地を失い、隣に控えるのは軍事大国のティランド連合王国だ。
もし魔族領遠征が成功してしまったら、その連合王国を相手に戦争しなければならない。いや、更にムーオス自由帝国とハルタール帝国までもが加わるのだ。
だが、国土は連合王国の半分程度しかない。このまま弱体化すれば、最後には宗教を捨て領域をすべて解除するか、それとも勝ち目のない戦争に突入するか……どちらかを選ばねばならない。
そこにもたらされた、人馬騎兵という強大な兵器。
実用化されたばかりの新鋭機であり連合王国は保有していない。それどころか、まだ対策すら取られていない。
だがこのまま第九次魔族領遠征が行われれば、間違いなく人馬騎兵も投入される。
当然実戦の形で様々なデータが収拾され、対策法も色々と確立されてしまうだろう。
東の大国ジェルケンブール王国としては、もうここで戦う以外に生きる道は残されていなかったのである。
こうして東と中央、二つの大国は、リッツェルネールの思惑通り泥沼の戦争へと突入した。
そして今も戦いは続いており、この瞬間にも兵士達は戦い、民間人の虐殺は続いている。
これまでに億を超える人命が失われたが、ここまでに彼は一つも条約を犯さず、また契約不履行も行っていない。
不義と言われるのはゼビア王国の情報をハルタール帝国に流した事くらいだが、それすらも、別に軍事顧問として雇われていたわけではない。商人が武器を売り、また情報を売った、ただそれだけに過ぎない。
こうして自らは何一つ泥をかぶることなく、世界を業火に包み込んだ。
自らに与えられた権限を最大限利用し、また時世を完全に読み切った結果だ。
だが、もちろん一人だけの力ではない。
この動きには、コンセシール商国の商家がいくつも関わっていた。
その理由は、国家体制に対する不満である。
当主であるビルバックは、連合王国に言われるがままに資金を提供し、物資を提供し、連合王国内の商社に出資した。
それは、従属国としてはやむを得ないものであっただろう。
だがその資金は、商人達が汗水流し働いて得た金だ。提供した物資は、昼夜問わず働いて作った物だ。そして他国に作った工場製品は、すぐに自分達の商売敵となる。
各商家の忍耐にも限度があり、また生きる事にさほど価値を見出していない社会だ。こんな事ならいっそ、戦って散った方が良いと考えるのは自然な流れだった。
当初の独立戦争を目論んでいたアーウィン商家、マインハーゼン商家、キスカ商家、ペルカイナ商家に加え、この頃にはナンバー9、外商総括ズーニック商家。ナンバー10、商工会元締めコルホナイツ商家も加わった。
こうして、商国10家中6家がリッツェルネールに協力したのだった。
だが一方で、情報漏洩を抑えるために、商家同士は計画の全容は知らされていない。
誰が味方で誰が敵か、各商家が互いに牽制している内に、コンセシール商国は既にリッツェルネールの掌中に収まっていた。
「お主がコンセシールの独立を目指していたのは知っておった。だが少し妙ではある。お主は、その様な事に拘泥する男には見えなんでな。それが利益に絡むとも思えぬ。博打に手を出す性格でもあるまい。ならばなぜかの? 他の商家の者に絆されたか? まさかのう」
「私自身としては、確かにさほど興味はありません。一応は商人ですので、どのような立場であろうとも構わないと思っています。ですが、共に戦った戦友たちの願いでもありますので」
「ほぉ? それこそ意外だの。お主に、そんな人間らしい心があるとは思わなんだ」
人間らしい――そう言われても、自分では分からない。そんなものが、僕に残っているのだろうか……。
「いえ……死人には、違約金を支払って契約を反故にすることが出来ませんので。ただそれだけですよ」
「そうか。やはり、面白い男よ。それで、あの両国の争いは何処まで燃やし続ける気かの? ティランド連合王国が滅びるまでか?」
「放置しても良いのですが……必要なら動きましょう。勿論、独立後の事ですが。とはいえ、特に口を出す必要もないかと存じます。なにせ、魔族領侵攻戦の期日は迫っていますからね。その辺りは、女帝陛下の方がお判りでしょう」
「魔族領侵攻戦か……それを分かった上で始めたのであろう? お主の真意は何処にある? 独立だけの為とは、到底思えぬの」
「そうですね――」
お茶を一口含み、少しの間を置く。
「当然、魔族領侵攻戦の成功も目的に入っていますよ。その上で、両国の戦いが必要だったのです。より正確に言うのであれば、魔王を討伐した、その後の世界の為とも言えますね」
「……申してみよ」
「ハルタール帝国がそうであるように、どの国も今の人口を支えられるだけの食料はありません。こんな状況で魔族領へ兵を送った所で、満足に戦える状況にはなりません」
オスピアは、会見からここまで微動だにしない。まるで人形が置いてあるかのようだ。
だが、それが実体を持つ人間であることは、感じる力が示している。
優雅に構えているリッツェルネールだが、やはり嫌な汗が流れる。少しでも弱みを見せれば、それこそ魂まで飲み込まれそうな空気だ。
それでも、彼の言葉に淀みは無い。ある意味、ここが彼にとっての正念場だったのだから。
「余分な人間が多すぎるのですよ。彼らが消費する食料を考えれば、兵士達の補給を減らさざるを得ない。しかし、そんな兵達を率いて魔族と戦うのは、さすがに無理というもの。双方の国を合わせて、最低でも5憶人は削減する必要がありました」
人間同士の戦いと違い、魔族領では徒歩の民兵を動員する事は出来ない。
人間は歩けても、彼らが必要とする水や食料、必要物資は歩いてはくれないからだ。これらの必要物資は、何らかの手段で運ばなければいけない。
人間世界では、馬や台車など、様々な輸送手段を活用できる。川や湖を進軍経路にすることで、最大の水問題を解決できる点も大きい。
だが危険な魔族が徘徊し、砂漠や湿地の様な不毛地帯が広がる魔族領での活動には、どうしても飛甲板の様な高速浮遊の輸送手段が必要となる。
だがその飛甲板には限りがあり、当然運べる量にも限界がある。
補給の事を考えれば、魔族領に入るのは精鋭部隊となるしかない。人間領に残るその他大勢の民衆は、ハッキリ言ってしまえば邪魔なのだ。
「それに魔王を倒しても、再び太陽が戻る確証はありません。魔族領を取り終わっても、海が戻る保証もやはり無い。いや、太陽が現れ、海が戻っても、結局いずれ世界には限界が来ます。今の様に全ての人間が等しく貧しい社会では、その先の未来は作れないでしょう」
「ではどうするかの?」
「魔王討伐の失敗、ハルタール帝国の内乱、四大国同士の戦争。既に中央の権威は失われています。私はこの戦いの後、魔王、そして魔族討伐の功と、これまでの財をもって、この世界に新たな秩序を作ります。人口を大幅に抑制し、誰もが貧しい社会から誰もが僅かに裕福な社会に変えるのです」
社会を変える……そのような夢想、オスピアは飽きるほどに聞いて来た。そして、その延長線上に今の世の中がある。
だが、今それを語る人間は今までとは違う。一個人の才覚のみで、世界を戦乱へと導いた男……。
「社会システムそのものを変えると言うか……それで何が変わるのものかの?」
「何も変わらないかもしれません。ですが、もう魔王を倒せば全ての問題が解決するなどという夢からは覚めるべきでしょう。現実を見つめ、遥か先の未来を考えねばなりません」
「それをお主がやるか? 言うは易いが、茨の道ぞ。人間を減らす事、それはどの為政者も模索してきた。その結果が今の数である。減らすことに耐えられる数には、限界があるのだ。もしそれを越えるのであれば、直ちに反乱という形で返ってこよう」
「当然、想定済みです。どちらにせよ、先ずどこかで一度、大幅な人口削減が必要になるのですから。大切なのは、その先をいかにするかです。これまでは、増え、飢え、戦う、その繰り返しでした。ですが、戦争という破壊と殺戮だけを続ける強者の世界では、社会全体の発展は望めません。私が目指すのは、人口を抑制し、万人が安定して暮らせる社会です」
「ふむ……その増加を抑える術が無いから、いつの世も苦労してきたのだ。お主は、どのようにして抑えようというのかの」
「人口は常に管理し、それを超えたら新たに産まれた者を処分します。子孫を生かす為に誰かを殺し、殺されるのではなく、生き抜いてきた人間を優先するのです」
「ほお、つまり両親から赤子を取り上げ殺す社会にするか。確かに定数は守られ、社会に余裕は生まれよう。今までの様な強者だけでない、知識に長けた者も長く生きる。社会も今まで以上に発展しよう。だがしかし、そのような所業を繰り返せば、人々はお主の事を新たな魔王と呼ぶであろうの」
「それが必要な事であるのなら、私は――新たな魔王となりましょう」
その瞳に、言葉に、一切の迷いはない。この男は、本心からそう考えている。
新たな社会システムが安定するまでに、いったいどれ程の血が流されるのか。
そしてそれを成す本人は、人類全てに恨まれ、常に命を狙われる事となろう。だがそれを分かった上で答えている。
「一つ聞こう。なぜそこまでする? 新たな魔王となって人を支配する、そんなものがお主の欲であるか?」
「私が欲するものなど何もありません。何かを支配するつもりもありません。ただ、他にやれる者がいないからやるだけの事」
一呼吸を置き、まっすぐにオスピアを見つめる。
そこにはもう、恐怖の色は無い。
「私は人類の可能性を信じています。あの日見た月や星、人はいつか、あの場所にさえいけるかもしれません。ですが全員が貧しく、人類同士で殺しあい、生きる為だけに必死な今では不可能です。しかし、誰もが余裕を持ち、未来を考えられる社会であるならば、いつしかそれも可能になると考えます」
「その為なら魔王になる事も厭わぬか。なぜそう考える?」
「さほどの事はありません。ただ約束したんです、行ける限り先へ、手の届く場所までこの手を伸ばそうと。それが人類の未来を考え、そして実行できる所まで届いてしまった……ただそれだけです」
オスピアは少し視線を落とし、目を閉じる。
それはほんの一瞬。だが、それで結論は出た。
「次の魔族領遠征の主軸は、ムーオス自由帝国が務める。他の国は補佐をすることになるが、ティランド連合王国、ジェルケンブール王国共に、現状は手が回らぬ状態だ。故に、我等ハルタール帝国が主要な補佐国家となる」
これからの内容を察したリッツェルネールは、スッと立ち上がり直立不動の体制を取る。
「申請が出たのは去年の6月15日であったか。長く時間はかかったが、この要請をハルタール帝国、オスピア・アイラ・バドキネフ・ハルタールの名において承認する。コンセシール商国”当主”、リッツェルネール・アルドライト」
「ハッ!」
「浮遊城ジャルプ・ケラッツァの全権限を汝に移譲する。同時に、第九次魔族領遠征軍、中央主席幕僚の任を命ずる。見事、魔王を討ち果たして見せよ」
「ご命令、謹んで拝命いたします!」
誰もが惚れ惚れするような、完璧で美しい敬礼を取り、彼はこの命を受諾した。
「今後、お主はもはや影の世界に戻ることは出来ぬ。世界の耳目が、お主の一挙手一投足に注視するであろう。わらわもまた、今後のお主の行動を静観させてもらう」
その言葉の裏に、事あれば動く――それがどちらの立場に付く事であっても。
暗にそう言ったオスピアの言葉に深々と一礼し、リッツェルネールは離宮を後にした。






