103 【 謁見 リッツェルネール 前編 】
碧色の祝福に守られし栄光暦218年4月16日。
リッツェルネールは、真っ白い廊下を歩いていた。
廊下といってもアーチ状のトンネルで、高さは3メートル、幅も同じくらいだろう。
長さは百メートルほどで、その先にはオスピア帝の待つ離宮がある。
名称は白磁の間。その名の通り壁や床、そして天井にも強化白磁のタイルが張られ、白く淡く反射する光はどこか幻想的だ。
歩くたびにカチン、カチンと固い音が廊下全体に反響する。まるで、来訪者をその奥に控える者に告げるように。
入り口までは黒燕尾服の執事に案内されたが、この廊下を歩くのは一人。帯剣など、一斉の武器の持ち込みも禁止されている。
奥の扉を開けたら完全武装の兵団が……などということは有り得ないが、謀略と裏切りの世界で生きてきたリッツェルネールとしては、それなりに緊張してしまう。
(オスピア帝か……)
当然、事前に相手の情報は収集した。だが、実に謎の多い人物だ。産まれた年も不明、いつから帝位にあるのかも不明。付いた異名は”女帝”。過去の歴史を見れば、他の帝国に女帝が就いた事は珍しくはない。だが、実際に女帝という言葉が示すのは、いつの時代もオスピア帝ただ一人だ。
本当は名を継いでいるだけで、時代毎に別人だという憶測もあった。だがそれは真実では無いだろう。
女帝の戦闘記録は、様々な形で世に伝わっている。あんな特徴的な見た目で、同じ力を持つ怪物がそう何人もいてはたまらない。
廊下の突き当りにあるのは粗末な木製の扉。そこには何の飾りも無ければ表札も無い。
重要な謁見の場にはふさわしくない、まるで古民家の入り口のようだ。
入る前に、リッツェルネールはこれまでの経緯を考えていた。
今から28年前、第6次魔族領侵攻戦から、彼は魔族領での戦いに参加していた。
その16年後、第7次魔族領侵攻戦の最中、コンセシール商国である一つの兵器が開発された。
人馬騎兵である。
キスカ・キスカによって開発されたこの大型兵器は、魔族領に多く見られた大型魔族に対する対抗兵器となるはずだった。
だが商国内部の軍事勢力は、これを独立戦争に使おうと考えた。
人馬騎兵と飛行騎兵、これにムーオス自由帝国が保有する特殊兵器を購入する事で、ティランド連合王国と戦えると踏んだのだ。
当然、軍部の重鎮である彼の元にも話は来た。いや、より正確に言うのであれば、彼を主導者として担ごうとしたのだ。
表に出る事を極力嫌う人間であったが、ナンバー1のアルドライト血族、そして”軍略の天才”の異名。神輿として担ぐに、十分な資格を有していると言えるだろう。
提案したのはコンセシール商国ナンバー5、商家統括のアーウィン商家。ナンバー6、実働軍統括のマインハーゼン商家。ナンバー7、兵器開発部のキスカ商家。それにナンバー8、海運統括のペルカイナ商家だ。
それぞれ国家に対する忠義などではない、明確な利害関係による結びつき。だがそれ故に、リッツェルネールはこの提案に乗り気であった。
大義など、より強い力で叩けば簡単に砕けるガラスの様なものだ。曖昧で柔軟、だが欲で繋がった関係こそが、商人である彼にとっては信頼に足りた。
それに商家同士は同じ国の同志ではあるが、同時に競合相手でもある。横の繋がりは希薄であり、その微妙な関係も、彼にとって都合の良いものだった。
当時の情勢から、成功する可能性は五分五分と言った所だっただろう、
その当時、魔族領侵攻戦の主力はティランド連合王国であった為だ。
まさか属国の反乱程度で、人類の命題である魔王討伐軍を引き揚げたりはすまい。
そして本国にいるのは、僅かな守備隊と民兵程度。しかもコンセール商国はその属国であり、この内乱に他国の介入はない。
確率は決して高くは無いが、これだけのチャンスもまた滅多にない事は事実だ。
それにメリオもまた、この計画に乗り気であった。
だが一つだけ、この作戦には重要な問題があった。それは計画をギリギリまで秘匿するため、リッツェルネールが魔族領にいると思いこませる必要があったと言う事だ。
その為には、情報士官であり副官であるメリオを魔族領に残し、活動を続けてもらう必要があった。
誰もが大した問題ではないと思う中、彼は熟考の末に、この計画を凍結した。
結局のところ、彼にとっての祖国独立とは、その程度の価値でしかなかったのだ。
本来であれば、そのまま自分は魔族領で死ぬはずであった。そして独立への志は、次の誰かへと引き継がれるのだろう。そんな風に考えていた。
だが……こうして生き残ってしまった。
リッツェルネールはしばし考えた後ノックをし――
「コンセシール商国、国防軍最高意思決定評議委員副委員長、リッツェルネール・アルドライトです」
そう宣言して扉を開けた。
中もまた、質素な造りであった。
それなりの広さのある部屋で、奥には柔らかな日差しが差し込む3つの窓。そして飾りのない白いカーテンが窓の左右に畳まれている。左手にも窓があり、右手には赤々と炎を揺らす暖炉が一つと、その奥には入り口と同じような粗末な木の扉がある。
中央には奥へと長いテーブルが置かれ、その上には白いカバーと陶器のポット、ティーカップ、そして、切った蒸し芋に砂糖をまぶした、この地域の菓子が置かれている。
その奥に……オスピア帝が静かに座っていた。
131センチの小さな体を白と金のドレスに包み、頭の上には美しいティアラを乗せている。
威圧するような様子は無い。表情無く、ただ静かに座る少女。だがリッツェルネールは、そこから一歩を踏み出すのを躊躇った。
嫌な汗が首筋を伝う。百何十年ぶりだろうか……恐怖を感じるのは。
「どうした、座るがよい」
「それでは、失礼いたします」
目の前に置かれた粗末な椅子に腰を下ろす。
座る事で、少しだけ緊張が解される。だが、この威圧感は何なのだろうか。
目の前にいるのは、ほんの幼い子供に見える。だがそれは見た目だけだ。感じる空気、魔力、視線、それが先ほどから、うるさいくらいに警告を鳴らす――目の前にいる者が怪物であると。
もし気の弱い者であれば、正気を保つことすら難しそうだ。
おそらく虚勢であろうが、カルターはこれとやりあったという。ならば、彼の評価を大幅に上げねばならない、そう感じていた。
「何度か連絡はやり取りしたが、こうして会うのは初めてだの。だが、今更名乗る必要もあるまい」
「私も、こうして謁見が叶うとは思っておりませんでした」
第8次魔族領遠征。これにより、世界は大きく様変わりした。
数百万人の犠牲の上に、遂に魔王を発見し、討伐した。地上は初めて見る太陽の光に包まれ、世界は歓喜に包まれた。
だがそれも、僅か2日間の夢と消えた。新たな魔王の誕生である……。
「しかし、お主からこの話を受けた時、少々正気を疑ったの」
「それは……お恥ずかしい。ですが、必ずお受けいただけると確信しておりました」
魔王復活……これにより、世界は絶望に包まれた。
第1次から第8次まで、その戦死者は1億に届かんとする数だ。それだけの犠牲を強いて得たものは、たった2日間の太陽だけ。だが、その2日が大きかった。
魔族領への遠征の負担も限界に達し、四大国全てが暫しの休戦を考えていた時、麻薬の様に投与された人類の希望……誰もが憧れ、夢見た光と熱。
これで終わりと考えていた中央と、陽の光を求める民衆との間に出来た亀裂は、目に見える形――中央への糾弾となって現れた。
そんな中、リッツェルネールは思案を巡らせた。独立戦争のために溜め込んでいた、人馬騎兵320騎の使い道をである。
様々な未来の可能性を考え、彼はそれをゼビア王国に売却する事を考えた。
勿論、目的を考えれば無償で供与しても良かったくらいだ。だが商人としてはそうもいかない。特にキスカ商家は納得しないだろう。
しかし幸いにも、中央はゼビア王国に対して多額の援助金を支払った。これがそのまま兵器へと化けたのだ。
「いつからゼビア王国に目をつけていたのかの?」
「クランピット大臣の自滅特攻……あの時点で、おおよその見当は付けていました。そしてククルスト王が魔族領侵攻に反対している事も周知の事実。後は力を与えれば、自ら動き出すでしょうと」
そう言いながら、セルフサービスの茶を淹れる。
元々は、四大国で最も弱かったハルタール帝国を混乱に陥れることが目的だった。
名ばかりの大国と言われても、その権勢は絶大である。
一方で、国民の生活は辛く貧しい。その要因は今更考えるまでもない。中央の命令による、豊かな領域の解除だ。
統治自体は上手くいっていても、中央への不満は止まらない。きっかけさえあれば、容易に暴発する事は誰の目にも明らかだった。
だが、どのみち帝国は反乱軍には負けはしない。
ハルタール帝国は浮遊城を保有している。人馬騎兵だけでは、たとえどれほど集めても相手にならないからだ。だが一つだけの強大な力で、燃え上がった炎の全てを鎮火することは出来ない。
五十年……百年……混乱は長ければ長いほど良い。こうして魔族領侵攻が頓挫し打つ手の無いまま時間を置けば、中央の権威などやがて形骸無実と化す。いずれは他の大国にも動乱は伝播し、遂に世界は再び人類同士の争いへと突入するだろう。
世界の混乱、中央の権威の失墜。この二つが、この時点でのリッツェルネールの目的であった。
「正直に言えば、魔王が余計な事をしなければ、この謁見は無かったでしょう」
「本当に正直に言うの。だが、実際にはそうはならなかった。まさか魔王があれほどの事をするとはの――意外であったものよ」
これまで感情の無かったオスピアが、初めて少し楽しそうな仕草をする。
その姿は少し大人びた少女のようだが、リッツェルネールの目には悪魔の微笑みにも映る。
リアンヌの丘の戦いで、人間は再び魔族に敗れた。しかもそれだけではない、海を――人類の生命線を失ったのだ。
太陽に憑りつかれたかの様な民衆の空気が、この事件で一変した。
今までは、勝つか現状維持かのどちらかであった。壁の内側は人間の世界であり、魔族が手を出せない安全地帯であったのだから。だから民衆は、単純に勝つ事だけを求めた。
しかし海を失うという現実を前にして、人々から勝利への熱狂が消える。
今までは、多大な犠牲を払いながらも危険な害獣を駆除する――そんな認識だった。
だがこの手痛い反撃は、魔族からの宣戦布告に他ならない。
ここに来てようやく、人類は自分達の行いの意味を知ったのだ。
この時点で、当初の目的――世界を乱す、それに固執しても良かった。
平和が長ければ長いほどに秩序は固まり、その社会は当たり前になって行く。
商国が独立するためには、世界は混沌に包まれていなければならない。
あくまでもそれが目的であり、実際の機会はその中で探っていく予定だった。
しかし、彼の手は、彼の予想以上に伸びてしまった。到底届かないはずの所に届いてしまったのだ。
世界を支える屋台骨にまで……。
人類が海を失うと同時に、リッツェルネールはゼビア王国を始めとした、反乱国家の全ての情報をハルタール帝国に売った。
同時に、オスピアに一つの要請を願い出た。
「まさか商国の重鎮から、自らの輸出規制を要請するように頼まれるとは思わなかったの」
「ゼビア王国へ送る予定の人馬騎兵、あれをジェルケンブール王国に売る必要がありましたからね。予想通り、カルタ―王はこちらの思う通りに動いてくれましたよ」
海に変調の兆しが見えた217年10月18日から、検閲が始まる218年1月17日の間に、230騎の人馬騎兵が部品のまま秘かに運ばれた。
単純にジェルケンブール王国に売っただけでは、当然ゼビア王国との契約は破棄となってしまう。だがこの貿易封鎖によって、この横流しは発覚しなかった。
しかもゼビア王国は敗れるが、契約は生きたままだ。今後、ゼビア王国はコンセシール商国に対して、契約不履行の違約金を払わねばならない。これだけでも、金銭的な利益は計り知れない額となるだろう。
「全ては計画通りに進みました」
「確かに、見事であったの」
つまり、ゼビア王国が反旗を翻した217年10月31日。これより以前から、オスピアは内乱が起こる事、そしてその内容まで全てを把握していた。そしてその対処法までも。
裏で糸を引いていたのはリッツェルネール。助言という形で反乱軍を誘導し、同時にオスピアを介して防衛隊の指示も行う。この内乱は、完全に彼の掌の上で踊らされていた形であったのだった。






