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先生、恋人になりませんか?!  作者: 雨宮雨霧


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先生、恋人になりませんか?!

ついに来ました4月1日。つまり、恋人になれるということです。ここで振られたらどうしよう、生きていけなくなる。当たって砕けろ、振られてもしがみついておけ。午前0時を指す時計と覚悟を決めた私と。

「先生、恋人になりませんか?!」

「久しぶりに聞いたな、それ。」

そして沈黙が流れる。時計の針の音だけが耳に残された。当たって砕けて消えてしまいたい。どのような結果になってもいい、先生への愛は永久不滅。沈黙を破ったのは先生だった。いつもの、いや。少し違う眼差しを私に向けて。

「いいよ、恋人。いいや、結婚は無理だとしても形くらいなら許されるよね。」

差し出された指輪と溢れる涙。どちらに転がってもどうせ泣くのが私だ。あぁ、生きていてよかった。先生に出会えてよかった。思わず飛びついて、抱きしめて。抱き返してくれる先生の温かさを感じながら涙を堪える。泣き顔はあまり見せたくない。

「これからもよろしく、叶。」

「よろしくお願いします、綾音様。」

互いの指にはめた指輪。恋人を越えて結婚しました?!言葉にできない感情が溢れ出してくる。もう会えないと思っていたら会えて、恋人になれて。世界で一番幸せな自信しかない。先生を好きになった当初は大好きな先生を、大好きで居られるこの時間が大切だと。辛くない、むしろ幸せだと思っていた。いや、思い込んでいたのかもしれない。辛いことも多かったけど幸せだった。卒業して、もう会えないんだと思っていた矢先に再会を果たして。報われない恋だったなー、とぼやいていたのにもかかわらず。報われ過ぎでは。

「目、瞑って。」

初めてのキスはやわらかくて、とろけてしまいそうで。ただただ快楽に溺れてしまいそうな、しあわせに溺れて沈んでしまいそうな。驚きと嬉しさと色々な感情が入り混じる。言葉にできない言葉が溢れ出る。幸せとはこのこと。幸せすぎないかな、大丈夫かな。明日死んだりしないよね。不死身になれた気がするから死なないか。時が止まってくれたらいいのに、と思った。これが夢でも幸せすぎてやばいとしか言いようがない。てかこれファーストキスじゃん、やばい。この世界に生まれてよかった。語彙力は無事に消滅。

唇をそっと離した。恥ずかしさの残る私にほほえむ彼女。背中がゾクッと震える。もう教師と生徒の関係ではない。一線を越えて、通り過ぎた。たとえこれが許されないものだったとしても、この幸せは何物にも変えられない。

「結構我慢してたんだよ、未成年に手出すわけにはいかないからね。」

「そうだったんですか。してくれてもよかったのに。」

何事もなかったように布団に入って電気を消した。先生がこんなに近くで寝ている。変に意識すると寝られなくなった。これが当たり前になっていたけど、ちょっと近すぎないか。あまりに至近距離すぎてなぜか緊張してきた。先生と初めて寝た夜を思い出す。あのときは一睡もできなかったな。

好きな人が隣で寝てるって普通にやばいよな。寝られないどうしよう、目がギンギンだ。羊が一匹羊が二匹…数えるのはだるい。先生が一人、先生が二人…寝られるわけがない。先生の寝顔を見ていたらいつの間にか寝ていた。今ではもう懐かしい、あの日の夢を見ながら。

「おはようございます。」

「おはよう。いつもより早いね。」

いつもより寝られなかっただけ。起こされなくても起きられるようになったわけではない。これからも先生に起こされたいです。夜中のことを思い出すだけで幸せになれる。恋人というのが正解なのか?と考えながら朝ご飯を用意する。妻だとは言えない、言っていいのかも分からない。彼女と言えばいいのか。回らない頭でなにを考えても無駄だ。こうやってまた包丁を落とすんだよ、自分は。

「朝に包丁使わないほうがいいんじゃない?」

「やっぱりそう思いますか。」

包丁使うのやめます。野菜くらいちぎれば解決する。怪我をしないように安全第一でないと。今日も1日ご安全に。

「ところで手紙。」

「あ、はい。渡します。」

すっかり忘れていた手紙。温められすぎて忘れ去られて可哀想。恋人になってくれたら渡す、と1ヶ月前に言っていた気がするな。放置されたファイルの中から発掘されました。先生に渡した手紙が開かれる。目の前で読まれるのはなんだかドキドキするな、恥ずかしい。え?ファーストキスとどっちのほうが恥ずかしいかって?それとこれとは別。

「綾音様へ

まず最初に、中学から高校を卒業するまで支えてくれてありがとうございました。

綾音様とあの夜偶然会えて、本当によかったです。会えていなかったらどうなっていたことか。一緒に暮らす、なんて想像もしていなかったことが現実になって。連絡先を交換できただけでも奇跡だったのに。毎日とても幸せです、ありがとう。

前も書いた気がしますが、先生はいつしか私の生きていく理由、生きている理由になりました。自分はきっとこの先も一人で生きて、一人で死ぬんだろうな。と漠然と思っていたのでこの環境で過ごせて、笑い合えてとてもうれしいです。ひとりじゃないって教えてくれてありがとうございます。

こんなに楽しくて、幸せでいいのかな。一緒に居て楽しいのかな、幸せなのかな。嫌じゃないかな、と色々考えたりもしました。でも、そんな不安は要らなかったみたいです。好きでもない人と一緒に暮らすわけがないよな、と書いていて思いました。たくさん迷惑をかけて、心配させてしまった3年間だったと思います。それでも見つけ出してくれてありがとう。いつも真っ直ぐ私を見てくれて、そばに居てくれてありがとう。何年もこうして生かしてくれて、好きで居させてくれてありがとう。ありがとうでは足りないくらいありがとう。もうこれ以上の迷惑をかけることがないように努力します。愛されてくれてありがとう。

どの思い出も大切な宝物です。これからもたくさんの思い出を作れるように頑張って生きるのでよろしくお願いします。」

「誰が声に出して読めと言いました?」

「いいじゃん、ダメとは言われてない。」

声を大にして読まれるのは心臓がもたない。こんなの恥さらしだ。手紙を書くことにも慣れていないしなにを書けばいいのかも分からないし思い浮かんだものを書き殴ったけど、果たしてこれで良かったのだろうか。結局書き直していないから自分でもなにを書いたのかはあまり覚えておらず。思い出したくもなかった。

「ありがと、書いてくれて。」

そう言ってファイルに入れられる手紙。それも持ち運ぶんですか?黒歴史を持ち歩くのやめてもらってもいいですか。でも先生のファイルの中に入れられる、なんかいいかも。来世は先生の私物になりたい。今世で頑張れば私物に転生できるかな。

前に手紙を書いたときも、今渡した手紙を書いたときにも考えていたことは先生がただ笑って、幸せな時間を過ごしてくれていたらいい。そこに私が居なくても、居られなくても。居られないとしたら寂しいけど、それでいいんだ。先生の幸せを願うのが使命だから。どこまで生きれるかわからないし、自分も考えたくないけど先生もいつ命が燃え尽きるかなんてわからない。自分で捨てるか寿命が来るかもわからない。

ただひとつ、心から言えることは。どの世界で生きていても先生が好きだということ。先生が好き、これは一生変わらない。好きになった事実は変わらない。後悔なんてしない、こんなに大切にできる人が居て、生かしてくれる人に出会えたんだもん。とか色々考えるけど言葉にして書くのはなかなか難しい。また書く機会があったら1ヶ月くらい考えて書いてみるか。

今日から年度初め、ということで先生は学校に行きました。私は本日初めての給料日。自分で働いたお金は先生に貢ぐしかないですよね。なにをあげようか。お菓子とかいつもは高いから買わない果物とか。お花とか。

本当は高校からバイトできたらよかったのだけど、するつもりだったけど。先生になぜかひたすらダメだと言われ続けていたので。今もまだ許しを得られていないけど普通にバイトしてる。そして毎回やめないのかと聞かれる。なんでなんだろうな。いつかは働かないといけないのに。私も先生を養いたい。先生ばかりに負担をかけるわけにはいかない。水商売もしようかと思ったが先生にバレたらそれこそバイト禁止になってしまいそうなのでやめた。危険は事前に察知しておかないと。

「綾音様、これあげます。」

「急にどうした。」

最終的に選ばれたのは11本の薔薇とちょっといいお菓子。流石に108本は値段的に無理があった。まず持って帰ることもできないよな。結局これくらいがいいんだよ、多分。お花屋さんがくれたメッセージカードにずっと好きなの!って書きました。あとあげられるのは大量の愛でしょうか。愛しています、愛し続けます。

「花瓶どこにあったかな。」

「とりあえずお鍋に入れておきますか。」

花瓶が見つかるまでの間、薔薇にはお鍋に入ってもらう。間違えて茹でそうだな。火にかけはしないけど台所に置いておくのは万が一を考えてやめておく。

「あった。」

茹でられずに済んだ薔薇はきっと胸を撫で下ろしている。たまにはお花を飾るのもいいな、雰囲気が華やかになった。私の重い想いが詰まっているから当然だが。お前の想いは華やかどころかドロドロで赤黒いとか言わないでね、雰囲気は大切にしないと。

「一緒にお風呂入りましょう。」

「え、なんで。」

なんでって恋人だからですよ。それ以外に理由なんてございません。嫌がる先生を連れてお風呂にレッツゴー!

なんだか急に冷静な自分が現れた。先生の肌綺麗だなー、とか変態の目してないよね大丈夫だよね。自分から誘っておいてなんだけど緊張というか羞恥心といいますか。背中の筋があまりに美。あぁまた変態みたいな目線を。やばい、宇宙の果てまで飛んでいけそうなくらいに茹だってきた。まだお湯に浸かってもいないのに。

「相変わらずだな。」

「悪かったですね。」

どうせまな板だ。悪かったな。かけ湯をする先生が輝いて見える。湯気の立つ先生、髪が濡れる先生。なにこれ生きててよかったとしか言いようがない。眼福。至福。流石。鏡に映る肌を凝視しながら湯船にどぼんと入る。一緒に入るにはちと狭いが気にしない。事故を装って湯でも飲むか。しないけど。先生の肌すべすべだなー、比べて私はズタボロ。人に見せるにはあまりよろしくない身体。先生は多分見慣れている、ペットカメラがあるから。それはそれでどうかとも思うが。

「お菓子とか花とかありがと。」

「綾音様のためなら馬車馬のように働きます。」

「働かなくていいよ。」

そうやってすぐに甘やかそうとしてくる先生。そこがいいんだ、そこもいいんだ。先生のためなら地下労働だってやってやります。何だってやれます。

湯船に顔を沈めてしまいたいところだが狭くてできない。飲めない。いや飲まない。肌が当たるたびにドキがムネムネして茹でダコになりそう。

「背中流します。」

「どうも。」

合法的に触れられる、幸。自分からやると言っておいてなんだけど緊張しますね。先生に直接触れるとかいう不貞行為をどうか許してください。泡を立てて優しく洗う。やばいどうしよう意識すると倒れそう。英文を頭の中で唱えて気をそらしながらシャワーで流した。気がおかしくなるくらいに緊張した。死ぬかと思った。

「お返しにやるよ。」

先生の手が!肌に触れて!もうこのまま倒れそう。もうこのまま死ねるよまじで。正気を保つのに精一杯。

「大分健康的になってきたね。」

「そうですか、ならよかったです。」

健康とは疎遠の日々を送っていたので健康になれたのならよかった。答えるのにも精一杯な自分、どうかしてる。幸せだけど時間止まってほしいけど早くお風呂から上がりたい。このままでは死ぬ。色々やばい。そう思っているとクラっときた。

「大丈夫?のぼせてるみたいだから水でも飲んで。」

倒れかけた私を素早く抱きかかえてくれて脱衣所に連れ出してくれた。本当にごめん、ありがとう。冷たい水道水を受け取って少しずつ飲み込む。喉を伝って身体の奥に染み渡っていくのが分かる。書いた手紙の内容を1日も守れなかった、反省。呼吸を落ち着かせながら髪を乾かす。先生の肌綺麗だったな。思い出すと脈が早くなってダメだ。

「迷惑かけてすみません。」

「言い出しっぺが倒れたら意味ないよ。」

…なんで私は布団に押し倒されているんだ。考える暇もなくのぼせていたことも忘れてしまうくらいに距離が近い。目を逸らしても押さえられた手首を動かすこともできない。

「綾音様、」

「恋人だからいいよね。」

そうして夜明けを迎えた。幸せが過ぎてどうにかなってしまいそうだった。眠い目をこすりながら洗濯を回す。思い出すと心臓が止まりそうになって洗濯機に頭を打ち付けて。痛みで目が覚めた。

「なにしてるの。」

「眠気覚ましに。」

奇行を見られてしまった、最悪の朝。自分から打ったのに頭を撫でてくれる先生が神に見えた。ついに目もおかしくなったらしい。先生は神に近い存在だ、自己解決。

「眠気覚ましならこれで。」

先生の顔が近付いてきて唇が触れて?!眠気覚ましどころか気を失いかけた。恋人って思っていたより心臓がもたないものらしい。鼓動がやけに早くなっているのが分かる。悪戯をした子どものような表情を魅せる先生にハートをロックオンされて。下僕でも奴隷でも何にでもなります。


今年もお花見に行こうと思います。乗り気ではない先生を連れて桜の舞い散る穏やかな道を歩いていく。ぽかぽか陽気の日差しが眠気を誘う。歩きながらでも寝られそうだ。

「花より綾音様なので写真撮りますね。」

「桜のほうが目の保養になる。」

スマホを奪い取られそうになりながらひたすら連写。先生の写真はいくらあっても困りませんから。花より飯と酒な先生が今日も愛しい。先生で埋まっていくフォルダが私の生きる糧。不満そうな顔も、桜を見上げる姿も全部収めておきたい。先生のグッズでも作ろうかな。バレたら全部捨てられそう、今はやめておくか。先生の祭壇とか作りたい。全部捨てられたら流石にへこむのでやらないが。

急に雨が降ってきた。天気予報に雨マークなんてついていなかったのに。折り畳み傘を差してお花見続行。そこまでして見たいか?と言われそう。見たいというより動きたくない。ただそれだけ。あとは相合い傘をしたいっていうちょっとした出来心。雨は案外すぐに止んでくれた。ただの通り雨だったらしい。もう少しだけ至近距離に居たかったな。傘を閉じると雨上がりの空があまりにも綺麗に見えて思わず釘付けになる。

「綺麗ですね、とても。」

「そうだね。雨上がりってこんなに綺麗なのか。」

虹のかかる淡い青空を目に焼き付ける。ずっと覚えておきたい、この景色を。そう思えるくらいには綺麗だった。多分家に帰ったら忘れる。薄情者だなとか言われそう。そういう人なんです、ごめんなさいね。先生の写真は撮るのに空は撮らないんだ、と思ったそこの君。私の人生は先生だけでいいんだよ。

「洗濯物…」

「洗い直さなくてもいいんじゃない。」

帰り道にふと思い出した洗濯物の存在。雨に打たれていなかったらいいが。洗い直さなくてもいいかどうかは状態によるけど先生の優しさは雨も止ませるくらいの力があるよな。少なくとも私の人生の雨を止ませてくれたのは先生だ。傘に入れてくれたのも。もし来世があるのなら、来世にも先生の隣に私の居場所があったらいいな。一つの傷もつけない、そんな人になるから。でも今度は、私の居ない道があってもいいのかもしれない。出会ってくれてありがとう。本当に感謝。


やることを全部済ませてゆっくりする時間が好き。やるべきことをやるのは億劫だけど、終わらせたあとの達成感と先生を見つめて回復する時間は至福そのもの。窓を開けて涼しい空気が出入りする静かな部屋。ずっと聞きたかったことを聞いてみる。

「綾音様は私でよかったんですか、私以上にもっといい人が居ると思います。」

「なに言ってるの、叶だからいいんだよ。だから恋人になったんでしょ。」

先生の優しさに一生浸って溺れていたい。「疲れてるから家に連れて行って」から始まり。旅行かな?ってくらいの荷物を持ってやってきたと思えば一緒に住むことになって今に至るわけだが。一緒に暮らしてもう4年目になるのか。私が居るからいい人が居ても諦めてるとかないよね。私を理由にしたらダメだよ、先生の人生は先生のものだからね。邪魔はしたくない、できる限り。

「今まで人を好きになるってイマイチ分からなくて。でも一緒に居て分かった、これが好きなんだなって。」

そう笑ってみせる先生。でもその奥には笑顔なんてない、真っ暗な闇のように見えた。なにがあったかなんて私に聞けるわけがないし聞いてもどうしようもできない。先生が私に深く聞いてくることがなかったように、私も深く聞くべきではない。私の言葉で先生の傷が癒せるとは到底思えなかった。見えているところだけが全てではない。奥深くに刻まれた傷は見えるどころか癒やすことも、寄り添うこともできない。無力な私をどうか赦してください。

「世界が終わっても愛すので。化石になっても愛しますから。」

「なにそれ。叶らしいな。」

ねぇ、先生。わがままだけどさ、どうか覚えていてほしい。もし別れが来たとしても、少しだけでも。ずっと生きていてほしい。私が死ぬまではどうか幸せで居てほしい。無理をしないでほしい。先生の代わりは居ないんだよ。風にゆれるカーテンがレールを歩く音ばかりが耳に残った夜。


気付けば初夏の香りを運ぶ風が部屋を満たすようになった。心を癒やすようでどこか寂しくさせる。台所に響く包丁が下りる音。すっかり日も長くなった。先生の帰りを待ちながら作る、この時間は自分にとって大切だったりする。なんか愛溢れてね?とか思えるから。自画自賛はほどほどにして大学のレポートも進めなければ。先生みたいな先生になりたい。その一心で頑張っている。90分の講義は長いし聞きたくなくなってくるけど1回の授業料を考えると頑張らねば、と思える。お金を無駄にしてはいけない。1円に泣かされるのはごめんだ。

「大人ってなんですか。」

「それはまた急に難しいこと聞くね。」

なんで私はこんなことを聞いているのか。前も同じことを聞いたような気がするな。枠組みとしては私も大人の分類になる。でもどこが大人なんだ、どこも大人らしくないし責任感もない。余裕もなければいつも焦ってギリギリで生きる生活。大人になれず子どものままでも居られず。私は一体何者なのか。先生のほうが何億倍も頑張っているのに情けない。ただ比べているわけではない。頑張りを比べるのもあまりよろしくないけど先生が原動力だから。それが支えになっているから。比べたほうがやる気が出る。

「無理に大人になろうとしなくてもいいのかもよ。」

その一言が心にドスッと重くのしかかる。どこか腑に落ちて、考えさせられるような。真っ直ぐな視線に心臓を打ち抜かれながら言葉を噛みしめた。完璧な人なんて居ない、先生はよく云う。片付けも料理もできないけど生きていけている。何でもかんでもできるわけでないけどそれでも支え合って生きることができればいい、と。かっこいい大人に見えてかわいい子どもにも見える先生が言うならきっとそうなのだろう。片付けとか料理はできたほうがいいけどね、私がやるので大丈夫。支え合えるように頑張る。でもお願いだ、いい加減下着を床に放置するのはやめてくれ。目のやり場に困る。そう言っておきながらガン見しているのは言うまでもない。とてもごめん。

「暗いニュースばっかり見てないで楽しいことでもしよう。」

「綾音様ばっかり見たらいいんですね。」

なんでそうなるんだと嫌そうにする先生を狭い部屋で追いかけ回す。大人も案外子ども。というか子どもであれる時間が短すぎる。人生100年時代とか言うのに18年くらいしか子どもで居られないとかある?もっと長くてもいいだろ。なんて思っても仕方がない。先生みたいな大人になれるように、自分らしく居られるように。明日も生きてみる。


大学生活にも慣れてきた梅雨の頃。恒例行事なんですか?と思うくらいにまた飛び出してきました。雨っていいな、全部流してくれそうで。雨の冷たさとこの湿気すら身体を包むようにして離れない。降る前の匂いも降っているときの匂いも好き。なんだか安心できる気がして。先生はまだ帰ってきていない、飛び出す前はまだ居なかった。ひたすらさまよい続ける。次はないぞ、と言われていた気もするがもう手遅れ。先生のことだからまた位置情報を辿ってくるんでしょ、分かっているからさまよえている。また外出禁止とかなるのかな、なんて呑気に歩いていた。

「叶。」

先生のご登場です、拍手。振り向くのが怖いくらい声のトーンが低い。怒ってる、絶対怒ってる。怒られたい。いや違う、謝罪。なんと今回は傘に入れてもらえるというシチュエーション。歓喜。これ相合い傘だよ、飛び出してよかった。何気に傘を差しているのは初めてな気がする。逆になんで今まで傘を差していなかったんだろう。慌てると綺麗に抜け落ちていくのかな。それどころではなくなるもんね。先生は帰路の途中だったから傘を持っていた、納得。持っているだけのこともたまにあるけど。

「また勝手に飛び出してどういうつもり?」

答える言葉が見つからない。どう答えるのが正解?飛び出さなければこんな状況にならなかったのに。なんでこうも過ちばかり繰り返すのか。過ちを繰り返すのが人間だ、とどこかで読んだことはあるが口に出してはいけない。言葉を探している時間がとても長く感じて余計に焦らせる。手紙の内容を守る気がないわけではないのに頭から抜け落ちている。反省。

「お前だけの命じゃない。」

右手を掴まれて引き寄せられる。濡れた服がじわじわと体温を奪っていくのを感じながらただ立っていることしかできなかった。ごめんなさい、そう言うのが精一杯だった。私だけの命じゃない、先生だけの命じゃない。どれだけ苦しめているのか。私はもっと早くに、もっと深く感じ取るべきだった。先生が居るから大丈夫、先生が人生だから、先生が生きてくれないと生きている意味がない。思っているのは先生も同じだったことを。死にたい。でも死んだら悲しんでくれるんでしょう、先生。心に重くのしかかる孤独。死んでもいいけど裏切ることになりそうだから。

「ごめんなさい。」

「もういいよ、帰ろ。」

もういいわけもなく、許されるわけもなく。「次こんな真似をしたらバイトやめてもらう」とのお達しがあった。案外軽いように思ったが結構重い。やめさせられないように気を引き締めて生きる。もとを言えば私が悪いのだけど。反抗しようものなら即罰せられてしまう。先生に迷惑をかけた分なにを返そう。

「何のために言葉があるのか、考えな。飛び出すくらいのなにかが心にあるならそれを言葉にする練習をしたらいい。」

言葉。昔から感情を言葉にするのは苦手だ。好きとか愛してるとか結婚しようとかなら出てくるのだけど。自分と向き合うのは好きでない。かといってこれ以上先生を苦しめるのはもっと嫌だ。そこに答えがなくても向き合う覚悟が一番の答えなのかもしれない。苦しみを言葉に変えることはできない。したくない。ただ先生の眼差しを受けながら流れる静かな空気はピリピリと張り詰めていく。

「雨が止んでも一緒に居てください。」

「当たり前でしょ、ずっと一緒に居るよ。だから勝手に行かないで。」

一緒に居てほしいと願っているくせに勝手に飛び出す問題児。抱きしめられながら、頭を撫でられながら。先生の香りを胸いっぱいに吸い込んで、涙を吸って。抱き返してなでなでして。まるで毛布のようなぬくもり。もうすぐ蝉も鳴き出す頃だ。止まない雨はないというけれど果たしてそうなのか。心は今日も雨模様。晴れるまでいっしょにいてね。


夏真っ盛り。窓を開ければ熱風が吹き込んでくる。暑さにやられながらギリギリで生きながらえる。青空に昇る入道雲に手を伸ばしてみても届かない。あぁ、夏だ。教師を目指す上で感じたこと。先生ってやっぱりすごい。肯定も否定もしない。突き放したりしない。静かにそこにいてくれて、ちゃんと見守ってくれていて。その優しさに救われた、好きになった。本当にすごいなと感じる今日この頃。そう簡単にできることではないから余計に。憧れでもあり目標でもある人が恋人になってくれて。私はとても恵まれているらしい。

「なに書いてるの?」

「レシピです。」

この前よく見ていたレシピのサイトが404 not foundって吐き捨てるものだから発狂するかと思った。しなかったけど。それを教訓にノートに材料やら工程やら書いている。レシピ本を買ってもいいけどネットで見るのが手っ取り早いと思っていたらこれ。結局アナログのほうが使い勝手がいいのかもしれない。先生好みの味付けも書いて覚えられるし。

「綾音様も作れるようにまとめておきますね。」

「作れない。」

先生はやればできる子だから絶対にできるよ。作れない、じゃなくて作らないの間違い…でもないな。別にやってもやらなくてもいいけどお酒の空き缶くらいは捨ててくれ。床に転がしておくと私が転ぶんですよ。先生が家だけでも無理せずに過ごせるように頑張るから、どうかそれだけは。

「サイドポニーしてよ。」

それまたなんで急に?私は従うしかできない、先生の言うことにはしばらく逆らわない。水色のリボンがついたヘアゴムをつけて結ぶ。このヘアゴムも先生がくれたんだよ、大切な思い出。ポニーテールはできるけど横で結ぶってなんか難しくないか。苦戦しているとなんと先生が結んでくれた。もう一生ほどかない。これで一生暮らす。横に重力がかかると首が持っていかれそうになる。これはもしかして愛の重さ?違ってもほどきたくない。

「いいね、似合う。」

先生が結んでくれたんだからそりゃ似合いますよ、えっへん。写真を撮られるのは好きではないけど先生に撮られるのは好きだからなんでもいい。おれの彼女かわいい。こんなに頑張り屋さんで努力家で、優しくて。ただの優しさじゃなくて、ただ軽い言葉をかけるわけじゃなくて。立場をしっかりわきまえて人と接することができる。こんなにすごい人他に居ない。居るわけがない。

「綾音様ってすごいですよね。」

「すごくない。」

そう言いつつ嬉しそうにしている、尊死。なんであなたはそんなにかわいいんですか。心臓が何個あっても足らないくらい打ち抜かれてしまう。かわいい先生を私も画角に収めておく。家宝は先生。国宝も先生。癒やし。先生が居ない人生なんてそれは人生ではない。生きていけない。先生が一番だよ。


「デートっぽいデートでも、どう?」

「喜んで行きます。」

暑さの続くとある日。なにか言いたそうにしているなと観察していたら超かわいい提案をしてくれたので即了承。考える時間なんて要らない。食い気味に返答をしたせいか笑われた。先生が笑っているのが一番いいよ、一番かわいい。さすが私のお姫様。どこでも行きます、世界の果てでも銀河の果てでもどこへでも。デートっぽいデートってなんだ。みなさま恋人とどこに行っていらっしゃる?天性のぼっちな私にはなにも情報がありません。デート、と言われると身が引き締まる思い。気合いでも入れよう。

「どこ行きますか。」

「どこ行けばいいの?」

誘ったはいいがなにも思いつかない先生と先生と居られたらなんでもいい私と。しばらく見つめ合って考え込んで。最終的に辿り着いた先は映画館。初めて来た、辺りをきょろきょろ見渡しながら先生についていく。飲み物とポップコーンを手に持って席に座る。でかいスクリーン…こんな感じなんだな、と妙に関心する。

「落ち着きがないね。」

「すみません。」

別にいいよと笑ってくれる先生が一番でかい心を持っていらっしゃる。映画より今までに撮った写真とか

先生をスクリーンに映し出してほしいな。叶わない願いは冷たいジュースで流して消し去った。初めての映画は当たり前だけどテレビとは迫力が全く違って感動。あと涼しくて最高。先生の横顔が綺麗すぎて横転。映画の内容は覚えているけど先生の横顔のほうが鮮明に思い出せる。脳内で行われる先生上映会。観客は私だけで十分。

「楽しかったです。」

「それはよかった。」

上映中ずっと手を繋いでいた。すでに恋しているけど恋が倍増した、好き。ここって泣くところなんですか?と目を見合わせたり。ここって笑うところなんですか?と頭にはてなを飛ばしたり。感覚がズレているのか共感能力が終わっているのかはたまた理解能力がないのか。楽しかったからいいや。先生とのデートは初めてではないけどらしいことはしばらくしていなかった気がする。定番のものとかも少しずつ一緒に行けたらいいな。水族園もまた行きたいなー。ね、先生。


バイト先に先生が現れた。いらっしゃいませ、の声が思わず途切れた。平然と現れるのやめてくれ、心臓に悪い。喫茶店でのバイトは何気に続いている。わざわざ接客するようなところ選ばなくても、と云う先生を制して続行中。接客苦手だから落ち着いていそうなところを選んだんだけどな。THE飲食店!で働くのは私も気が引けるが。

「綾音様、スマホを構えるのはやめてください。私が怒られます。」

「これは失礼。じゃあアイスコーヒーで。」

かしこまりました、の声も途切れる。なんで急に来たんだろうか。ウィンドチャイムの音が耳に入って振り返ればそこに居るんだよ、いくら彼女でも心臓に悪い。彼女だからこそ余計に心臓がヒュッとなる。先生の元まで運ぶ手すら震えて仕方がない。仕事の邪魔になるとまでは言えないが、なにかやらかしてしまいそうで怖い。注文をマスターに告げるといつもと様子が違うねと言われてしまった。バレてるー。今日は暑いからアイス出してあげて、とのこと。優しすぎる。

「お待たせしました、ご注文のアイスコーヒーとサービスのバニラアイスです。ごゆっくりどうぞ。」

「制服姿いいね、新鮮。」

思わず顔が引きつる。先生が来たから頑張ろうとはどうもならなくて早く帰ってくれとしか思えない。裏に隠れたいところだがホールは私だけ。こぢんまりとした店なだけあってお客様も少ないしバイトも少ない。逃げようがないのだ。先生と私だけのこの空間が少し気まずい。暇してるだけでバイト代がもらえるからありがたいのだけど今日は帰りたい。なんて考えているとシャッター音が聞こえた。撮りやがったな、先生。

「ごちそうさまでした。早く帰ってくるんだよ。」

「またお越しください。」

もう来なくていいよと内心思いつつ去っていく先生の背中を見送るのは寂しい。私はたかがバイトなので先生を養うまでにはまだ遠く。いつまでも養われるわけにはいかない。テーブルを拭いているとマスターが出てきた。「大切にしてあげなよ」と捨て台詞のように吐くと何事もなかったように奥に引っ込んでいった。どこかにペットカメラとかあったらどうしようと身を震わせる。流石にないか。先生が来てくれたのも心配してのことだろうから、帰ったら感謝しておこう。

「なんで来てくれたんですか?」

「部活終わって位置情報見たらあの喫茶店だったから。」

感謝するべきなのか分からなくなってくる。とりあえずありがとう。それにしても先生はどこにGPSを仕込んでいるのか。知りたくもないが考えてしまう。今日はスマホからだろうが電源を切って家に置いて行っても見つかるんだよな。先生の七不思議。


少しずつ涼しい風が吹くようになってきた。窓を開けて過ごせる季節が好き。暑くも寒くもなく。この気候が長く続けばいいのにそれほど自然は優しくない。パソコンとにらめっこしながらレポート作成中。何千文字も書けるわけがない、と思いながら借りてきた本をペラペラめくる。自己管理は案外難しくて大変で。やる気を出すのは難しいのに失せるのは簡単。2日間先生は留守なのです、寂しい現実。なので授業とバイトを詰め込んで寂しさを軽減させよう作戦決行中。全然寂しくて無理。

「電気くらい点けなよ。お化けみたい。」

「今夜は化けて出ますね。」

「やめろ。」

スマホを床に置くとペットカメラの視線を感じた。背筋が寒い。暗闇でパソコンとにらめっこしていたせいか目がおかしくなっている。電気を点けたら先生居ないってなるじゃん、余計に寂しくなるじゃん。だから嫌なんだよ。現実から目を背けるタイプ、早瀬くん。どこかの主人公のような心の強さは持っておりません。一人だとなにもできない。家事も先生のためだと思えばやれるけど一人となるとやる気ゼロ。無理。生かしてもらっているのは結局私だ。二人でやっと一人前、そう先生は云っていた。いいこと云うような、ほんとに。

先生早く帰ってこい、と思いながらカメラロールを見返す。かわいい天才ブレててもかわいいって何事。髪しか映ってないとか服しか映ってないとかザラにあるけどそれすら尊い。よし、先生居ないし夜のお散歩でもするか。お前見られてるの忘れてない?って思うでしょ。たまにはあの屋上にでも行ってみようかと思って。最近というか今年まだ行けてないのです。バタバタしすぎて記憶になかったもので。

「なんでこんな夜に外行くの?」

通知が鳴ったと思えば秒でバレてて死ぬ。先生忙しいんだから監視しなくていいよ、というかもう大学生だよ。小さな子どもではない、だから心配するな。電源を切って既読無視。酷すぎる恋人ですみません。先生の手にも負えないくらい自由というか無責任というか、そんな人間。

昔によく聞いていた歌を口ずさみながら夜風に当たる。屋上だと空が近い。今先生の隣に居るのは誰だろう。なんで私じゃないんだろう。自分が勝手に抜け出したからか。この屋上から帰ったとき、先生が実家の前に居たんだっけ。それで連絡先交換したんだよなー、懐かしい。思い出にふけって深夜に帰宅。もちろん帰ってきた先生にこってり絞られた。

「あれだけ勝手に抜け出すなって言ったよね。次はないって何回も言ったよね。記憶力終わってんの?」

「とてもごめんなさい。」

怒られるのは好きじゃない。いくら先生だからってご褒美だとは…少し思う。もっとディスってもらいたい。土下座してなんとか許してもらった。でも次はない、を何回言ったか分からないということで許されなかった。ネットもリアルも半年ROMってろとのことです。つまり引きこもってもいいということか。先生、ずっと一緒に居よう。エナジードリンクでも飲みながら引きこもりライフしよう。反省ゼロの私を誰か懲らしめてやってください。

「手紙大声で読み返すよ。」

「やめてくださいこの通り。」

これで懲りたか、と確認するように手紙をちらつかせる先生と反省する振りをする私との謎の争いが始まりました。楽しいです多分私は懲りませんごめんなさい。楽しくなっちゃってテンション上がって息切れ。運動不足がたたった。なにをしていたのか忘れるくらいに暴れたからかこの日はよく眠れた。先生が居る安心もあるのかもしれない。しんどいときとか、死にたくてたまらないときとか。綾音様、とひたすら心のなかで呟いている。隣にいなくても、近くにいなくても。先生ならたすけてくれそうだから。やっぱりずっとそばにいてよ、先生。


先生とお料理しようの会を開く。できないと言い張って早何年経った?ということで少しでもできるようになろうの会。最低限できれば生きていけるはずだ。私もそこまで料理ができるわけではないが先生の危なっかしい行動を見ているとなんかできる気がしてきた。最低だと言われそうだから先生よりも下手なんで教えてもらっていますの体で行く。

「包丁の持ち方怖いです。サスペンスドラマみたいな持ち方をしないでください。」

殺されるか自害するかの二択のような持ち方をする先生から後ずさり。本能的に身体が逃げる。持ち方の練習から始めて、野菜を切る練習に移る。私は猫の手が苦手すぎてできないため教えません。野菜と一緒に手も切りそうじゃない?怖くて無理なんだが。

「上手です、やればできるじゃないですか。」

「えっへん。」

威張ってるのかわいいんだけどまってキュン死してしまう。本日の献立はカレーです。何年経っても登場率が低いメニュー。簡単そうに見えて工程が面倒くさいし煮詰めるのにも時間がかかるし。野菜を切る練習がてら丁度いいかと思って選ばれた。煮詰めている間は先生とたわむれる。わちゃわちゃしてらぶらぶして。頭も煮詰まるくらいに先生を過剰摂取。少なくとも今隣に居るのは私だし先生が愛してくれているのは私だし第三者が入ってくる隙間などない。

「これからも一緒にやりましょう。」

「叶が居てくれてやってくれたらいいじゃん。」

それはそうだが私だって家を空けるときが出てくるかもしれないし。少しでもできるようになるために練習を始めたんだから続けないと意味ないよ。継続は力なり、らしいし。お米をといでもらって炊飯器にぶち込んでいただきまして。米流れる!と騒いでいた先生がとてもばぶだった。かわいい。

「できた?」

「できました。」

台所に立つことに飽きた先生は座り込んで足に抱きついて離れてくれず。身動きの取れない状態が続いて身体が終わりを迎えるかと思った。極力動きたくないけど行動を制限されるとしんどい。そのしんどさも先生の愛だと思えば幸せになれる。辛さを好きに変換できるのなら最強ではないか。カレーをよそっていただきます。

「綾音様のおかげで美味しいです。」

「えっへん。」

やっぱり威張るうちの食いしん坊様。何回でも威張ってください写真に収めたいので。先生の愛がたっぷり込められているからか汗が止まらなくなってくる。冬なのにうちわを持って参戦する私を笑う彼女。そんなに辛くないのに、と云うが辛いとかいうレベルではない。愛を過剰摂取しすぎてクラクラしてきた。そこへ過剰供給と言わんばかりに萌え萌えキュンする先生に完敗。恥ずかしいとうちわで顔を隠す姿に一発で仕留められた。

「好きです。」

「同じく。」

床を転げ回って好きだと言い合う端から見たらヤバい人たち。冷めたカレーを温めながら熱くなった身体をぱたぱたと扇ぐ。先生とのお料理教室はこれにて閉幕。次は何を一緒に作ろうか。考えていると背後から脅かしてくるお子様に心臓を止められた。止まったのは電子レンジだが。幸せな日々が一生続きますように。


「綾音様、お誕生日おめでとうございます。」

「もう祝わなくてもいい。」

歳を取るのが嫌なのは分かるけど祝わせろ。彼女の誕生日だよ?祝うしか選択肢はないだろう。4回目となるとなにをあげればいいのか分からなくなってネタ切れに困ったお正月。バイト代を貯めてなんかいい感じのお財布をあげることにした。先生に貢ぐために働きます。

「実用的。ありがとう。」

先生は長財布派なので店員さんと話をしながら決めた。カードとかたくさん入れられる方がいいですよ!と言われて選んだ代物。これで先生とずっと居られる(?)化粧品とかもいいかなーと思ったけど先生は多分使わないのでやめた。素でこの破壊力だもん、化粧なんて要らないよな。ほんとにかわいいでできているうちの天使は私のです。誰も寄るでないぞ。

「今年はロールケーキです。」

「毎年レベル上がっていくのすごい。」

成長してるねー、と頭をナデナデしてもらっちゃってもう私が一番幸せになってどうするんだよって感じだ。お菓子は稀に作るようになった。先生への贖罪で。ロールケーキはとりあえず巻くのが難しいが過ぎて諦めかけた。ちゃんと作れたのえらい?いちごを大量に載せました。労働最高。お金があれば豪華にできる。もちろんお金には変えられない愛情100%詰まっております。

「かわいい。」

「そんなこと言ってもあげない。」

クリームついてるよ、言わないでおくけど。ひたすら写真を撮るのはお決まりのパターン。無心で食べている先生が愛しい。かわいいね。フィルターかかりすぎだろと前に天使様に言われたが濃ければ濃いほどいいと思っている。薄くする必要性がどこにもない。もっと濃くしてもいいくらいだ。今が晴天だとしたら土砂降りの暴風が吹き荒れるくらいにしてもいいと思っている。色々と度が行き過ぎ。

「漬け丼また作ってね。」

「綾音様のためなら。」

先生が気に入った料理は出現率が少しだけ上がる。気に入らない料理はもちろん出現しない、と言いたいところだが大体美味しいと言ってくれる神のような先生のおかげで出現しないものはない。美味しくなかったら言ってくれ、頼む。

「大好きです。」

「はいはい。」

あしらわれてもいい。大好きだからなんでもいい。今年も祝えてよかったな。先生の隣に居られるのは当たり前なわけがない。分かっているようで分かりたくない。どっちかというと居なくなりそうなのは自分のほうだ。絶対に心配も迷惑ももうかけない。何回思って言って破ったことか。何回正座をして怒られて土下座をすれば気が済むのだろう。ごめんね先生、こんな人間かも怪しい生物と一緒に居てくれてありがとう。これからも一緒にたくさんの思い出作ろうね、大好きだよ。


「おかえりなさいませ、綾音様。」

「まって、かわいいね?」

今年のバレンタインは先生のご要望で清楚系なメイドになりました。やっと上達したと言える三つ編みと多分要らないけど成り行きで着けたカチューシャ。喫茶店の制服とは打って変わっていかにも可愛らしいメイド服。なんで先生のほうが恥ずかしそうにしているんだ、恥ずかしいのは私だ。

「それよりかわいいですね?心臓持たないです。」

スーツを着てもらってしまった、出張でもないのに着たくないと言っておられたがこれはもう本当に、あの。心臓が胸から飛び出るくらいにはかっこいいのにかわいいという先生ならではのスタイルで。床にしゃがみ込む変な人たち。顔を見合わせて思わず笑った。馬鹿みたいなことをしているときが一番楽しい。息を整えて、先生を見てのたうち回る。だめだ、お給仕どころではない。

「で、なにしてくれるの?」

なに、なにと言われましても困ります綾音様。え、命捧げていいですか。人生捧げていいですか。多分違いますよねすみません。

「愛を伝えます。」

そっと頬にキスをした。王子様的な感じを意識したものの後々から込み上げてくる恥ずかしさは異常。机に突っ伏してしまったご主人様。刺激が強すぎたのでしょうか、そんな姿を視界に入れてしまったら頭が爆発してしまいそうです。チョコより甘かった、致死量を摂取した気がする。この人たちは何回のたうち回れば気が済むのだろう。

「ローズヒップティーとチョコレートトリュフです。」

「なんかすごいものが出てきた。」

鼓動の高鳴りを抑えつけながら淹れた紅茶と事前に作っておいたチョコをお出しした。いつもは出てこないようななんかおしゃれに見える代物。口に放り込む姿が映えている。その姿をひたすら撮り続けるヤバいメイドは私。どこかで見かけたらどうぞよろしくお願いします。

「おいしい、流石私のメイド。」

頭をよしよししていただきましたこれは有料制ですか?何万円でしょうか、払える範囲なら…なんてこれではメイドというよりただの変なヤバイ奴ではないか。自覚はしている、私は変だと。胸を張って言える。褒められて上機嫌になりすぎた変なメイドはパンケーキを10枚焼いてしまいました。4枚食べていただきまして残りは冷凍庫に閉じ込められる運命となった。作り過ぎもよくない。

「写真撮影大会を始めます!」

「なに勝手に始めてるの。」

一秒たりとも先生から目を離したくない。一秒たりとも連写する指を離したくない。私の人生は先生でできていると言っても過言ではないのだ。千円を差し出してツーショットを撮ってもらった。一瞬で待ち受けにした、家宝にいたします。清楚系なメイドだったはずなのに愛の重いドロドロ系のメイドになってしまったがご愛嬌ということで。


流れる季節をぼーっと見ながら菜の花畑に埋もれる。くしゃみ連発しすぎてやばい。とても花粉を感じる。ビタミンカラーはいいな、元気が出る。先生に似合う色だ、かわいい。スマホに映るのは菜の花ではなくやはりうちの天使様。ジャージ姿もかわいいねありがとう全部私のためだね。

「綺麗に咲いてますね。」

「久しぶりに見た。」

お花見はするのに他のお花は全くと言っていいほど見てこなかった。梅も見ようと思っていたのに見ずに散ってしまってしょんぼり。行動するならお早めに。行動さえできたらその億劫な感情さえ吹っ飛ぶことになる。私みたいに後悔するな。後悔でできた人生を送ることになるぞ。

「さっきから大丈夫?死にかけてるじゃん。」

「大丈夫じゃないです。」

天使様にティッシュを頂きました使わずに家宝にいたします。すぐに限界が来てしまったので使いました。正しい用途で使用しましょう。ティッシュを吸い込んでも何の意味もないです。吸うなら先生と同じ空間に漂う空気にすべし。よくよく考えれば先生と同じ空間に居られて同じ次元に生存していて同じ世界で生きているんだよな。なにそれすごい運命。神様ありがとう。

「神に感謝。」

「なに急に。頭壊れた?」

先生、どうか私を打ちのめしてください。もっと頭を壊してください。変な思考回路と虚無な思考回路が合わさってメンタル乱高下。上昇気流に乗ったと思えば真っ逆さま。無心で先生を見つめながら歩いていると不意に振り返って笑ってる大好きな彼女に胸をバッキュンと撃ち抜かれ。一生着いていくと誓った。


雷が落ちる夏の夜。先生早く帰ってきてくれと天に願いながら布団に包まる。相変わらず雷が苦手だ。先生が居たらまだそれほど怯えることもないのだが。あの音も白い光も嫌い。なんでこうも不安を煽ってくるのか。吹き荒れる風の音も心を乱していく。 あぁでも雷止んでから帰ってきてくれたほうがいいな。土砂降りの中びしょびしょになられたら困るしなにかあったら嫌だし。実際バイト帰りに降られてしまったものだから靴も服もびしょ濡れだ。

「ただいま、すごい雨だった…って大丈夫か。」

「おかえりなさい、よくご無事で。」

玄関に飛び出して行った私は見事に顔からズッテーンと床にダイブ。乾いた音が響いて先生は後ずさり。痛いと何故か笑ってしまう自分が少し醜くて顔を隠す。お前が無事じゃないとツッコミを入れられてふわふわな気持ち。それにしても寒い。雨に濡れたせいか一瞬で風邪を引いたらしい。折りたたみ傘差したのにな。体調管理には気を付けていたのにな。夏なのに毛布に包まって凍え死にそう。

「体調崩すの久しぶりじゃない?はい、薬。」

「飲みません。」

薬を差し出す先生に飲んだらぎゅーってしてくれますか?と聞いたら渋々ながら頷いてくれた。病人の特権、うるうるした目で上目遣い。大抵のお願いは聞き入れてもらえる。飲みたくない薬を気合いで飲み込んでご褒美に抱っこしてもらえた。もう一生風邪を引いていたい。あんなに薬隠し持ってたのになんで嫌がってんだよって思うよね。人は変わるんですね。

頭がぐるぐるして全身熱くてどうにかなりそうなのに脳内は先生でいっぱいになる。苦しみも愛に変えられるなら最強。先生は今だと言わんばかりに検索履歴を見ている。やめろと言う気にもなれない。目を開けても瞑ってもしんどさは消えない。眠りに落ちるまでそばに居てくれた先生のおかげで朝には復活できた。

「随分うなされてたよ。」

「頭の中は綾音様でいっぱいだったんですけどね。」

うなされても夢の中でも先生のことを考えてしまうのは愛以外になにがあるのか。頭を撫でてくれたのも手を握ってくれていたのも知ってるよ。検索履歴を遡らなければ100%褒めちぎるところなんだけど。でも本当にありがとう。先生がしんどいときは全力で看病するからね。


パソコンを開いて何億年振りかにメモ帳を開いた。よくメモにつらつらとお気持ちを表明していた過去。そのせいで開く気にもなれなかった。過去の自分がなにを思っていたのかはもう忘れてしまったがそれを思い出してしまうと恥ずかしさでいっぱいになる。一回深呼吸をして、もう一度画面と向き合う。見たくないなら見ずに消してしまえばいいものの、今見ておかないと一生見ることがない気がして。

「好きなんだもん、大好きなんだよ。叶わないのは分かってる、最初から分かってる。分かってるよ。」

思わず笑ってしまうくらいに好きなことが伝わる文面。あぁ、そうだね。好きなんだよね。叶わないって、分かっていたんだ。好き、という感情を知った私がぶち当たった壁はあまりにも高すぎた。最初から分かっていたはずなのに。結ばれるわけがないことを。

「叶わない恋。辛い。ずっと一緒にいたい。ずっと隣にいてよ。好きだよ、なんて言えないよ。言えない、言えない。」

いやもう面白い。当時の自分は本気でこれを書いていたわけだ。ピュアというか世間知らずというか。かわいいとさえ感じてしまう。今も叶っていない状況であれば、同じことを書くと思う。今こうして先生と過ごせているのが不思議だ。この恋の始まりの苦しみさえ忘れてしまうくらい、幸せで居られている。もちろんあの頃は恋どころではなかったが。先生が心の支えであり居場所だったんだね。あぁなんだ、頑張って生きていたんじゃん。

そっと電源を落として、見なかったことにした。先生はこの文面を見たのだろうか。検索履歴を遡るついでに、とかやってそうでなんか不安。あんなに好きだとか書いてあるのを見られていたら…恥さらしにも程がある。

「切り刻む修行かなんか?」

「そんな感じです。」

思い出すとなんだか恥ずかしくて先生に見られていたかもしれないと思うとなにかをしていなければ落ち着かない人になった。冷凍しようと思いながら放置していたネギを切り刻んで、今切っておかなくてもいい野菜まで切り刻んで。見られたからといってなにがどうというわけでもない。むしろ、あの頃からの気持ちが伝わるのならいいとも感じる。一人だった私が、一人じゃなくなるまでの。

「早瀬は何者にでもなれるよ。私にはきみが必要だから。」

最後の最後に書かれていたメモは綾音様に、今瀬先生に言われた言葉だった。どん底で生きていた私に差したひとつの光。たくさんの言葉をもらってきたが、この言葉は当時の私にも今の私にも深く刺さるものになっている。先生は私を救ってくれた。ヒーロー、という言葉で片付けるのはもったいない。命の恩人になってくれてありがとう。


稀に見る疲れたを通り越してどこか諦めたような表情をする彼女。ここは私の出番だ。

「綾音様、手持ち花火やりますよ。」

「決定してるんだ。」

笑っているようで笑えていませんよ先生。久しぶりだな、の声が心を抉るように感じる。なにがあったのかなんて聞けるわけがない。ただ寄り添うのみ、先生がしてくれたように。手持ち花火と水の入ったバケツを手にして玄関を飛び出す。そんなに走ったら危ないと聞こえた瞬間つまずいた。

「ほら言わんこっちゃない。」

手を差し出してくれる先生に心がときめく。うちの彼女が最強で最高なんですけどどうしたらいいですか。擦りむいた足はバケツの水で洗っておく。こんな用途で使うはずではなかったのだが。痛みはときめきとともに消え去った。思い出すだけでにやにやできる最高。転んでよかった。

目に映るのは燃える花火をじっくりと見る天使。どうしようもないくらい儚くて今にも消えてしまいそうで思わず背中から抱きしめる。すぐそばに居るはずなのになんで遠く感じるんだ。目の前に、抱きしめたその先に確かに居るのに。遠い、どこか。近くない。

「甘えたさんもやりな。」

先生に渡してもらった一本の噴き出し花火。眩しいくらいに明るく燃えていく。火に照らされる姿も儚いな。花火より先生を見ている時間のほうが長い気もするがそれでいい。表情を伺いたいわけじゃない。ただどこか遠く感じるのが嫌なだけだ。近くに居ても交われない心。エスパーになれたら読み解けるのにな、なんて。私にできるのはここに居ること、それだけ。燃えろ、想い。そして届け。

「好きですか?」

「好きだよ。」

きっと先生は勘付いている。私が先生を無理矢理誘った理由も、離れようとしない理由も。自分の気持ちには疎いくせに、私のことはいち早く気付いてくれるんだから。もう、本当に。ひとりでいかないでよね、先生。燃えたあとはゴミになる。それが運命。この恋が燃え尽きたあとはどうなるんだろう。少なくともゴミにはならないでほしい。捨てられるのは嫌だ。

「叶はしっかり見てくれてるね。思っていた以上に。」

「好きな人のことを見なくてどうしろと。」

帰った後に貼ってもらった絆創膏をどう保存しようかと考え中。それこそゴミだろとツッコむどこかの誰か。擦りむいた足を保存すればいいのか。怖いな度が行き過ぎている。別に先生を元気にしたいとか気持ちを楽にしたいとか思っていたわけではない。これも自分のためだった。自分がしんどそうな顔をしている彼女を見たくなかっただけ。自己中だな我ながら。夢にも遊びに行ってしまうね、先生。もっと一緒に居ようよ。


デートっぽいデートをしたい第2弾。カラオケでも行ってみようとなりました。歌うのはそこまで好きではないが先生の歌を聞けるならありよりのあり。流行りの曲も昔の曲もなにも知らないけど私に歌えるものはありますか?国歌とか童謡とかしか無理な気が。

「カラオケ行ったことないです。」

「友…あぁそうか。」

友達と行かないの?と言いかけたな。あぁそうかって言わないでくれ。途中まで言ったなら最後まで言ってくれ。なんかすごく悲しい人みたいだ。初めては先生とがいい、それだけ。別に友達居ないからとかじゃないし。一人で行っても普通なご時世だからどうでもいい。なんで必死に弁明しようとしているんだろう。これでは余計に悲しい人だ。仲よさげなあの邪魔者は誰なんだと問い詰められるくらいなら居ないほうがマシ。先生なら絶対に特定してくる。

「選曲おかしい。」

「童謡しかない。」

幼児さんですか私たち。童謡を全力で歌う大人。端から見たら恐怖でしかないこの空間。これでも教師と学生なんですよ。適当に選ばれた曲を歌ったりなぜか勉強会が始まったり。人生相談室が開かれたりもして。聞いたことはあるけど歌えない曲が多すぎた。デートっぽいデートはどうも向いていないらしい。家でゴロゴロするのが結局一番なのかもしれない。デートをこなす世のカップルはすごい。

「これはこれで。」

「綾音様とならなんでも楽しいです。」

延長などせずに素早く退散。帰りにお米を買って帰るような人間にデートを求めてはいけなかった。先生と一緒に持ったお米は多分世界で一番美味しいと思う。だって先生だから。それにしてもカラオケであんなことをするとはな、思い出すだけで参る。


講義が終わると十五夜の月がこちらを覗いていた。目がしみるくらいに眩しく光っている。先生と1回見たっけ、学校で見たんだっけ。久しぶりに月見団子でも買って帰るか。先生のことを考えながらスーパーに出向く。ひとりがこわいのはずっと変わっていない。静かな夜の道から打って変わって賑やかなBGMが流れる店内。その明るさに引き込まれるように入店。まるで虫。買い物カゴを手に取って食材探しの旅。半額になった肉をゲット。下処理をして冷凍庫行きにしよう。秋らしく芋のお菓子が並べられていた。ついついカゴにポイ。だって先生喜ぶから…ね?最近のお会計あるある、思っていたより支払う金額高い。胸を思いっきりぶん殴られたような気分。

「月は見えなくても団子は食えます。」

「月見団子じゃなくてただの団子だな。」

ベランダからは月が見えなくてしょんぼり。外なら見えるけどもう外には出たくない。怠慢。団子を貪りながら先生を見る。もぐもぐしてる先生かわいい。まるで小動物。なんでこんなにかわいいんだ。前世でどんな徳を積めばそうなれるんだ。積み重ねっていた団子はいつしか忽然と消え去った。

「うさぎの労働時間と給料が気になりますね。」

「そんなこと考えたことなかった。変なこと考えるね。」

どうでもいいことばかり思いつく私の頭は一体どうなっているのやら。他にもたくさん考えるべきことは山程あるはずなのに。大学のレポートとかテストとか色々あるのにそれらに目を背けて意味の分からない妄想にふける人間。宇宙服無しで宇宙に飛ばされてしまえ。痛い目に遭ってからでは遅いんだぞ。

「遊ぼ。」

なんかどこかで見たことある景色再び。押し倒されるっていいですよね~、先生にならずっと押し倒されていたい。月から太陽にバトンタッチするくらいの頃まで遊んでいた。またしても寝不足、なにも学ばない人たち。眠い目をこすりながら包丁を落とすまでがオチだ。冷凍し忘れていた肉に謝りながらノールックで冷凍庫に放り込んだバタバタな朝。そんな日常がずっと続きますように。あと百回くらい先生と十五夜を過ごせますように。


やるべきことをやらずに見るネットの世界は光と暗の差が激しい。たまに読んでいたアカウントが消えていることに気が付いた。検索エンジンからページに飛べばエラーコード。これだからネットは苦手だ。知らない間に跡形もなく消えることができるのだ。所詮ネットの世界、画面の向こう側の人の生態なんて分かるわけがない。どこかで生きているのならそれでいい、そう思わないとやってられない。知らなかった言葉、考え方。綴られた文をもう見られないのか。無力。

「ずっと一緒に居てください。」

「居るから。勝手に飛び出すのはどこの誰だ?」

どこの誰でしょうか、存じ上げないです。先生がそんな簡単に居なくなるような人ではないことくらい知っている。自分のほうが明らかに飛び出している、反省。以後気を付けてみます。

形にならない奇跡を掬い上げることもできないなんて、人間は案外強がっているだけで脆くて弱いのかもしれない。触れるだけでこわれてしまうガラスのように。祈りも願いも届かない。先生まで居なくなったら生きていけないや。ずっと、居てね。私の生きていく理由は先生なんだよ。先生だけでいいんだ。十分なんだ、ほんとに。これが依存だとしても先生がそれでいいならいいじゃん。生きてるもん、それでいいじゃん。ただ先生の幸せを願うだけ、それが生きる理由。

「大丈夫、居るから。」

「分かってます。」

持ち帰った仕事を進める先生の足元で机の裏側を見上げる。ずっと先生と居られたらいいのに。秋の風もどこか寂しい。夏の生暖かいような風も寂しかったのに、不思議だ。年がら年中寂しがり屋な自分はどう足掻いても強くなれない。そう思いながら目を閉じる。

カタカタとキーボードを叩く音。ゆれるカーテンの音。秋だというのにふと聞こえた蝉の音。今年ももうすぐ終わってしまうのか。1年が過ぎていくのは早い。体感では19歳で人生の半分が終わる、と聞いた。100歳まで生きるの地獄だな、と思ってしまうが先生にはずっと生きていてほしい。自分は嫌なくせにね。あぁ、風が強い。


先生はサンタさんだと思うんです。毎日幸せというプレゼントをくれるんですよ?サンタさんというか神様というか女神様だと思うんです。異論はほんの少しなら認めてあげましょう。クリスマスマーケットだとかケーキのご予約だとかに群がるカップルは視界にも入らず直帰した。うちには彼女がおりますの!特別な人が居ると思うと足取りが軽い。

「サンタの帽子買ってきました。」

「絶対要らない。」

と言いつつも嫌がりはしない先生。似合うを越えてかわいい。天才。こんなにかわいい彼女が居る私って幸せ者すぎて。またカメラロールに写真が山のように積もっていく。小さい頃のクリスマスはなにをしていたっけな、きらきらとした世界で食べるもの探していたかな。大丈夫、いつか幸せになるよ。辛い記憶を消し去るようにね。夢を忘れた子どもは夢を見る大人になった。普通は逆である。

「大人にもサンタクロースが来たらいいのになって思います。」

「現実を知ったらもう戻れないんだよ。」

現実から目を背けてローストレッグを切っては口にする人間。命に感謝。クリスマスくらい現実なんて忘れてしまいたいものだな。一度過去を思い出すとしばらくの間思い出してしまうというループに陥ってしまった。きっと過去の自分が羨ましがる。愛をもらって、帰るべき家があって。水道ガス電気が通っている。最後だけやけに現実。今が幸せならそれでいいではないか。過去があるから今がある。それでいい。

用意したプレゼントは先生と選んでお揃いで買ったもの。中身は互いに知っているが渡し合う、というのが楽しくてうれしいのです。

「綾音様の概念が増えた。」

「うれしそうでなにより。」

お揃いのパスケースをカバンにつければ綾音様の完成(?)どこでも先生を感じることができる、最高。四六時中思い出しているんだけどね、講義を受けていようがバイト中だろうが思い出しているんだけど。真面目にやってますよちゃんと、頑張るために思い出にふけっているんだ。聖なる夜は先生と引っ付いて過ごした。大好きだよ、ずっと。いい夢みてね。


早瀬くん、なんと成人式にやってきた。まだはたちではございませんが。なぜか先生のほうが張り切っておられる。行く気なんて全くなかったんだけどな。先生も行くなら仕方ないから行ってやるといった感じで。流石に付き合ってるとかバレたらやばい、ということで私が先に家を出ましてレッツゴー。私に友達なんぞ居ないので空気として過ごします。

「似合ってる。」

「綾音様の振り袖着られて幸せです。」

わがままを言って先生の振り袖を着せてもらった。新しいの買うよ?と言われたけどどうしても先生のがよくて。実家にあるから、とも言われたけど無理を言って取ってきてもらった。ごめんね、ありがとう。私も一緒に先生の実家に凸ってしまった。付き合ってます!と堂々と宣言した私に向けられた眼差しはそれはもう冷や汗が沸騰するくらいのものだったけど。先生も驚いた表情を見せてくれて。これはこれで、壁の高さを感じた瞬間だった。

「女同士なんて一時の気の迷いじゃないの?」だとか。こんなに一緒に居て気の迷いな訳がなく。「不釣り合いだ」とか。不釣り合いなのは認めるけども。まぁ、先生は愛されているんだろうな。全く会えていなかった自分の子が急に同性の恋人連れてきたらそりゃそんな反応にもなるか。理解追いつかないもんね。

と今なら思えるがそのときの先生は大変お怒りで。結婚指輪つけてるの見えないのか、と。何なら婚約指輪もつけてるんだけど、と。やっぱりあれ婚約指輪だったんだー、合っていたんだ。思い込みじゃなかったんだ。先生のがいいとか言わなきゃよかったかなー、と少し思った。原因が全て私にあることは分かっている。ごめんなさい。でも言い返してくれてうれしかった。先生が私のことを考えてくれている、それが何よりの喜び。

「早瀬、こっそり帰ろうとするな。」

「空気だったのは先生も知っているでしょう。」

久しぶりの早瀬呼びに懐かしさを感じながらどうにか早いこと帰ろうと模索する私。先生は人気あるんだからさ、空気と話していても意味ないから。と足早に逃走。振り袖って着るのも大変だし動きづらいしいいことないな。早く帰ろっと。

「風のように帰るんだから。」

「行く気なかったし。」

部屋着でゴロゴロしているのが一番いい、元担任に誰でしたっけと問うよりいい。空気に話しかけるのが悪いんだ、私は悪くない。空気に挨拶まわりなんてするな。お前の空間だけ酸素抜き取るぞ。なんて思うくらいなら先生といちゃこらするほうがいいに決まっている。

「写真印刷してきたよ。」

「綾音様かわいい〜」

先生と撮ったツーショット。3000円くらい払ったほうがいいですか。サインください。コメントもできればください。先生がアイドルじゃなくてよかった。危うく破産するところだった。自分のことだから貢ぎたいからって臓器まで売りそう。恋人になれてよかったな、ほんとに。大人になりたくなかったしなる予定でもなかったけどこうして生きられているのは幸せなことだとしみじみ思う。

それにしても先生のご実家は立派であった。佇まいからして私の知っている世界とは全くの別物。なのに私は要らぬことを言ってしまって…攻撃し合っては埒が明かない、とあの日は振り袖を持ち帰って終わった。社会は変わっているようで変わっていなかったりする。仕方のないことだと割り切ってしまえれば楽になるのかな。自分がもっと早くに生まれていたら、男であったなら。なんて。

先生が思い悩んでいなければいいが。きっと私なんかよりもいい人はゴロゴロと居るだろうに。ごめんねとありがとうを同列に置くのはよくないけど。ごめんなさい、そしてありがとう。


お酒を飲みます早瀬くん。はたちになったとか自分でも信じられなくて怖い。最初は少しだけだ、と先生に監視されながらお酒初挑戦。

「おいしいかもよく分かりません。」

「一気に飲まれるよりマシ。そんなもんだ。」

現実なんてそんなものか。大人の階段をまたひとつ勝手に登らされてしまったけどこの1年も頑張りましょうそうしましょう。先生と幸せになる。恋人になったらなんか違った、とかネットで見かけた。そういう人も居るよな。とは思ったが私の場合はどうだろう。長い期間を恋人未満として過ごしてやっと恋人になれて一緒にお酒を飲んでいるわけだが。違うもなにもこの人生が正解すぎてどうしようといった感じだ。もちろんずっと上手くいっているわけではないし、喧嘩もするし。

何回同じことを繰り返しても何回も叱ってくれる人、それが綾音様。怒ってくれる人が居ることは幸せなことだよ、とバイト先のマスターが云っていた。確かにそうだ。実の親のような頭ごなしに怒ったり暴力を振るうのはよくないが。その人の為を想って、道を踏み間違えないようにしっかり見てくれているということは愛されているという証。多分この人生をパズルに例えたら大部分が先生のピースで埋まっている。幸。

「それにしてももう20とか早いね。そりゃ歳を取るわけだ。」

「綾音様は赤ちゃんに等しいです。」

人間が大嫌いな中学生だった私が先生が大好きな大学生になるなんて誰が想像できただろうか。先生を好きになって7年くらい。早いな。自分でもびっくりだ。あの頃の私が今の私を見たらどう思うのだろう。

一人で、誰にも頼れなかった幼い私へ。今の私はどう見えていますか?君が居たから今の私が居るんだよ。一人でもがき苦しんで戦っていた君に呆れられないように。なんだ、結局この程度じゃないかと思われないように。君の苦しみを無駄にはしないよ、必ず。

生きていてよかったと思えるのは先生のおかげだ。先生を幸せにするまで死ねない。少ししかまだ飲んでいないのに酔ってきた。よく大人になれたな、大人でもないけど。酔ったな、これ。

「もうここまで。」

「まだいけます。」

ダメに決まっているらしく取り上げられた。今度はアル中にならないように気を付けないと。アルコールは摂取したけど煙草を摂取するつもりはない。煙たいのは嫌いだしトラウマが蘇ってくるし。お酒もほどほどにしないとだな、負の連鎖は自分で断ち切るべき。過ちを繰り返すのはもうやめだ。多分そのうち先生の前でしかお酒を飲めないようになる。やらかす自信がある。

もう大人だから、強くなるから。いつまでも弱いままでは居られない。大丈夫。人への甘え方も少しずつ分かってきた。先生が居たらなんとでもなる。先生任せでごめんだけど。

「あんなに小さかったのにな。」

定規よりも小さかったかな、私。それほどサイズ感は変わっていないけど大きくなれたでしょうか。愛は大きくなりましたよ。これからもっと大きくなる予定。身長はもう伸びないけどまだ伸びしろはあるはずだし先生を守れるくらいにビッグになるんだ、目標。

「見なよ、これ。」

「またそんな写真を…」

これまた酷い顔をした私が映っている。猫背だな、顔死んでるし。いつのものだろう、中学生のときのもので間違いはなさそうだが。なんでたまに出てくるのかな、出してくるのかな。わざわざ見せなくてもいいのに。先生に黒歴史を持たれているのは嫌だけど嫌ではない。でもなんで先生がこんな写真を…?考えたらダメな気がすることは考えない、これ大事。見なかったことにしておく。私も先生の学生時代の写真が見たい。先生の写真発掘隊発足。すぐに解散させられそうだな。


新しい命がまた芽吹いていく季節に響いていく踏切の音。開いたと同時に歩き出す人。私は立ち止まったまま踏切のそばに生えた雑草を横目で見る。死にたいときに心に響く言葉ってなんだろう。綺麗事ではない言葉なんてあるのだろうか。死にたがっていた私にも分からない。答えなどどこにもない。

「ね、あの屋上連れて行ってよ。」

「急にどうしたんですか。」

行ったら怒られる場所にまたなんでわざわざ。死んだらwin winだとか言ったら本気で怒られたんだっけな。懐かしい。それだけ向き合ってくれていたということ、先生はすごいなと思う。ただの一生徒なのに。遺された人の苦しみを考えられるほど私は大人でなかった。そんな余裕も、考える暇もなかった。どこでなにを間違えたのか。なにがいけなかったのか。そう問い続ける人生を送ってもらっては困る。それが苦しいことくらい、私にだって分かる。「生きててよかった」思わず声を漏らした。

先生を連れて登った屋上は星空が広がっていた。もちろん多くは見えない。他の明かりが邪魔してしまう。

「高くない?」

「私の足が竦むくらいですからね。」

フェンスがあるから選んだまでもあるこの場所。なかったらあまりにも危険すぎる。誰でも出入りできてしまうような場所だから余計に。

「綾音様は本当にすごいなって思うんです。独りじゃないって、そう簡単に言えることでもないですし。生きようと思えたのも、今生きているのも全部。綾音様のおかげなんですよ。」

「叶がそう思ってくれてよかった。心に届いて、本当によかった。」

近いようで遠い場所にある心。安心したように聞こえる声は風に乗って去っていく。先生でなければきっと心に響くことなどなかった。好きだから、大切な人だからこそ。私が死んだら悲しいと言ってくれた先生の言葉は決して軽いものでなかったことを、胸の奥で感じたのだ。嘘でも綺麗事でもない。芯があって、思いやりがあって。好きになったのは偶然なんかではなくて必然だった。

「今でも夢みたいです。」

「夢でも幻でもない。ここに居る、ずっと居るから。」

ぬくもりが伝っていくのは痛みと苦しみが合わさった胸の奥。絡まった糸がほどけていくような感覚。ずっとあなたの味方で居たい。居るよ、ずっとそばに。もらったものを少しでも返せるように。それ以上を返せられるように。抱きしめ合った星空の下、ビルの屋上。またここに来たら思い出すのだろう。今この瞬間に感じた幸せを。


ベランダで夜風に当たりながら酒を飲むという先生にバレたら終わる行為をしている。お酒を飲むのは先生の前だけという約束を平気で破っているのは私ですがなにか問題でも。バイト代で買ったし別にいいでしょ。度数高めの焼酎をストレートで頂いております。…クラクラするのはきっと気の所為。先生が飲み会に連行されたとのことなのでじゃあ私も、と。街灯にたかる虫を見ながらふと下を覗くと先生が帰ってきているのが見えた。あ、詰んだなこれ。

「早めに帰ったらこれか。なに割らずに飲んでるの?美味しくないとか言っておきながら結構いってるし。」

「すみませんでした。」

玄関が開いた音がすればいつも犬のようにお迎えするくせに間に合わなかった。その結果がこれだ。美味しさというより酔いたかっただけなんですごめんなさい。このままだと絶対駄目な大人になる、そういう遺伝子なのかもしれない。正座をしてお叱りを受けていると酔いが覚めるどころか回ってきた。怒られている自覚なし。天使に叱られる運命もよき。

「ほんとにさ、一気にこれだけ飲むとか駄目だから。マジで死ぬから。」

「もうやりません。」

ペットカメラも見ているのにな、なにやってんだ私。ベランダならいいかと思ったのが間違いだった。バレにくいかなとか。全ての行動が間違えていると言われたらそれで終い。次は没収された酒を探し当てるゲームでもするか、駄目だよな。そうだよな。先生だって帰ってきて早々怒りたいわけがないのに。頭によぎった死にたいという言葉。死んだら余計に苦しめることくらい、酔っていても分かる。どれだけ苦しめて迷惑をかければ気が済むのか。自分が自分で馬鹿らしく感じる。

「とりあえず水飲んで。しばらくお酒は禁止、約束破ったあんたが悪い。」

水、美味しい。生き返る。先生がコップに注いでくれたからだろうか。しばらくは反省してちゃんと真っ当に生きていく。忘れた頃にまたやらかす予感がするがこれも気の所為ということで。

大切に想ってもらえているんだな、早く帰ってよかったと胸を撫で下ろす先生を見ながら思う。愛された時間はそんな簡単に消えたりしないから。少しでも長く笑って過ごせるようにしないと。先生の心も守るのが私の使命だ。


紫陽花を見に行きたいと駄々をこねる私を連れ出してくれた神のような綾音様。植物園にやってきた。自然豊かで気持ちいい。どうしても雨の日に行きたくて、足元悪いのに転けるんじゃないのか大丈夫なのかと耳にタコができるくらい聞かれた。うちの心配性な彼女はかわいいです。雨イコール紫陽花みたいな勝手な概念が私の中にあるので。何気に一番好きな花かもしれない。青もピンクも白もどれも美しい。

「綾音様が一番美しいです。」

「またそんな馬鹿みたいなこと言って。」

雨だからか然程人は多くない。先生とゆっくり堪能しようそうしよう。無理矢理着てもらった紺色ののワンピースが視界に揺れる。息を吸って思いっきり叫びたい。かわいいがすぎる。花より彼女。傘を片手にスマホを持ってひたすら連写。森の妖精現る。先生からマイナスイオンが出ているのではないかと思うくらいに美しい。すっかり夏の空気になって。生暖かい風が吹いては湿気が肌にまとわりつく。むわっと香る夏の匂いがなんだか落ち着くようで寂しささえある。もうすぐ夏至。つまりこれから冬だ。これから夏だけど、地獄のような夏だけど。分かっているよ。ゆっくりと季節は変わっていくのだ。

「紫陽花の和菓子だって。」

「買いますか。」

雨の中テントを張って売られている和菓子。紫陽花の形をして色をして、透き通っているように見える。気が付けばお買い上げ。家に帰ってからのおたのしみができた。今食べたいと言わんばかりに見つめてくる先生に完敗。両手に傘を持って先生が濡れないようにカバーする。傘の下に立っていると雨音がよく響く。広い世界に咲く2つの傘。なんかいい。こういうときに限らず私は語彙力がない。

「美味しいけど飲み物が欲しい。」

「和菓子ですもんね。」

丁度近くに立っていた自販機でお茶を購入。濡れた自販機と静かな空間にペットボトルがガコンと落ちる音、それだけの一瞬の時間の中に綺麗な世界線が広がっていく。キャップを開けてゴクゴク飲んでいく彼女が愛おしい。きらりと光る指輪が目に入る。…え、幸せ。恋人を越えて結婚したようなものですからね。すきです、と思わず呟いて彼女に笑われて。耳元で「好きだよ」と囁かれてしまって傘を落としてしまった。火照る顔を冷やさんばかりの雨を浴びながら放心状態に陥る。

「大好きです。」

「自分の傘くらい拾いな。」

先生の傘はちゃんと手に持っているくせして自分の傘は落としてひっくり返したまま雨が溜まっていっている。拾い上げて雨粒を降らせて。持ち直した傘と手と手。紫陽花の中を抜けていく。雨になりたいとふと思ったが私は傘になりたい。先生を守れるように、救えるように。濡れないように、風邪を引いてしまわないように。晴れても一緒に居ようね。


夏といったら夏祭り。今年も先生を連れ出してきた。小さめのリボンの髪飾りを着けてもらいました最高にかわいい。ゴミ箱に捨てられかけたけど多分それは気のせいだ。そうだよね先生。ずっと同じ浴衣を着ているがお互い買い替える気にもならなくて。先生がくれたものだし。もったいないし。大切すぎて付加価値がすごいし。ボロボロになったとしても着る自信しかない。

「綾音様は最強ですね。」

「これさ、叶が着けてるならいいけど私はなんかあれじゃない?」

なにを言っているんだこの方は。かわいいからいいんだよ誰が何と言おうと世界で一番Cuteだ。それに存在感があるようなものではないし。さり気なさがこれまたよくて。うちの彼女なんでも似合うんですよ、惚気です。惚気てないとやってられない。生きていけない。縦に3つ並んだリボンを着けた横髪が風に揺れるたびに視界が幸せに満ちていく。実は私が作ったものだということを知らないあなたを想う。

誰も興味ないだろうけど私の髪型はくらげです。ネットで見て夜な夜な練習してやっとの思いでできた。かわいい子がするからかわいいんだけどね。先生の隣に居る私もかわいいから。

熱々のたこ焼きを頬張りながら雑踏の中に紛れ込む。片手にたこ焼き、片手に片手。食べさせてもらえるとかいうシチュエーションに歓喜。時が止まってくれたらいいのに。この幸せのまま一生居られたらいいのに。天の川にそんな願いを流しても叶いやしない。叶なのに。叶わないこともあるんですよ、でも恋人になるということが叶ったので十分幸せ者ですね。毎日好きが倍増していっている。そのうち世界を飲み尽くす。

「迷子なるなよ。」

「なったらごめんなさい。」

先に謝っておけばそう遠くない未来で迷子になっても怒られないはず。怒る先生もかわいいんだけどね。私は反省というものを学んだほうがいいかもしれない。まぁ、スマホという文明の利器があればなんとかなるさ。充電があったらの話だけど。簡単にはほどけないであろう恋人繋ぎ。手汗大丈夫かなとか心配していても先生は何ら気にしていない様子。似ているようで似ていない2人。

「河童になったら泳げるようになりますかね。」

「溺れる河童になるんじゃない。」

きゅうりの塩漬けをもぐもぐしながら変な話をしている。泳げない河童って居るのかな。河童って居るのかな。分からないけど泳げないことに変わりはない。短冊に願ってもこればかりは叶うことはなかった。生粋の運動音痴だということを自覚するべきだ。

「かわいい。」

「ない。」

先生が視界に入るたびにかわいいを連呼してしまう。あまりにもかわいいので、つい。わたあめ持ってる先生かわいいんだけどやっぱり天使だよあなたは。スマホを構えるとわたあめで顔を隠す先生が圧倒的なかわいさを放っている。即待ち受けにした。どんな仕草も行動も愛してる。

「綾音様、一緒にスーパーボールでも掬いましょう。」

「2人して下手な未来が見えるのにわざわざ。」

私もそんな未来が見えていた。そんな未来が今になる。隣でどんどん掬っていく小学生くらいの女の子が居た。すげー、と思いながら掬おうとしたら見事にポイが破れてまたその隣に居たうちの彼女も撃沈。向いていないことだってあるさ。

「ヨーヨー釣りでもするか。」

それでも懲りずにチャレンジする精神も大事。またしても2人して釣れなかった。屋台の人におまけとして1個いただきました。とてもありがとう。もらった水風船をぼよんぼよんしながら先生の匂いを嗅ぐ。いい匂いだなー、最高。変態ではない、絶対とは言い切れない。愛す人の匂いを嗅ぐくらい普通でしょ、知らないけど。

「夏好きです。」

「冬よりも?」

「綾音様の居る夏が好きです。」

そう言うと手首を掴まれて雑踏の中をかき分けるように抜け出した。ふたりで食べていた林檎飴の甘さを喉にまとわりつかせながら。息を切らしたまま口づけを交わしたのもまたいい思い出。この世界に1ミリ足りとも傷を残せぬ私に残った飴の甘さと心地よい甘さと唇の感触。駅のホームのベンチから見える星空は砂浜のように輝いて見えた。虫の音もじわっと蒸し暑い空気も、この空間を作り上げていく。好きだよ、先生。大好きだよ、綾音様。好きな人が目の前に居るって本当にすごいことで。そう思うと同時に幸せの中に寂しさが生まれた。不意打ちで微笑む姿がかわいいよほんとに。ずっと一緒に居てね。


空から降ってきた紅葉にビビり散らかして後ずさり。地面に落ちた赤色の葉を拾ってくるくると回してみる。秋の装い、どこか寂しく。年がら年中ふと寂しいと思っているような気がする。孤独な人生が抜けきれていないのか、ただの変な感性なのか。落ちてきた葉っぱの写真を先生に送って金稼ぎへ出向いた。先生は今日も遅くなるだろうし、喫茶店でのんびり過ごすのもありか。

「なんかお客さんじゃない視線を感じるんです。」

「それはきっと大切にするべき人が見ているんだよ。」

マスター、なに言ってるの?先生は仕事人間…。まさかペットカメラ置かれてる?そうだよ先生は至るところに仕掛けるのが得意だから。マスターの許可さえ取ってしまえば置けるんだ。このお方のことだから防犯にもなるしいいよとか言いそう。閉店後の片付けの最中に感じる視線はやっぱり。

「綾音様、一応聞いておきますけど喫茶店になにか置き忘れたりしてませんよね。」

「忘れ物?あのエプロン着てくれるなら言ってあげてもいいよ。」

大分前に着せられたあの1枚のエプロンを着ろというのか?というか絶対仕掛けてるでしょ。なに勝手に交換条件出してるのさ。別にいいけどね、どっちも。見るならずっとちゃんと見ていてね。着せられた1枚のエプロンと持たされた女児心をくすぐる魔法のステッキ。いやまってなんか先生得してないか。なんだよこの格好。毎日お疲れだし別にいいんだけど、たまには。

「店主さんに叶がどうしても心配でー、って言ったらいけた。でも1個だけだしさ、ていうか気付くの遅いよ。」

「そんなに私のことが心配ならどこにも行かないでください。」

先生の目をじっと見つめる。綾音様が私から目を離さずに一生愛してくれますように。魔法をかけなくても先生は私と一緒に居てくれるもんね。歪んでるとかおかしいとか、どうでもいいから。私が知っているのは先生がくれる愛だけ。親代わりはもう終わった。赤い糸が繋いだ小指と小指。恋人になれても私は信用されることのない問題児。

「一番お金かけてるのカメラだな。」

「おかしいです。異常です。」

魔法が解けても、この恋は最期まで燃やし続ける。脆い赤い糸よりロープがいいな。小指に巻くにはちと太すぎるか。地獄のような世界だったとしても、先生となら生きていけるよ。異常なのはきっと私のほうだ。だから先生を命をかけて守るんだ。おこがましいけど、ずっと味方で居るよ。


世界が終わってもあなたを愛すと誓った夜中。窓は冷たく指先すら凍らしてしまいそう。触れた窓がひしひしと割れていくような感覚に陥りながらその場に座り込んだ。眠れない夜もある。先生の寝息を録音しながら窓から覗く月を見上げた。どれだけ手を伸ばそうと届かない。見えている景色はほんの一部分に過ぎず知らない景色しかないということ。変に考えると余計に眠気が遠ざかる。やわらかい髪を撫でながらなんとも言えない感情に溺れて。

「かなえ、」

布団から抜け出したからか先生が起きてしまった。眠そうな声で名前を呼ぶのはあまりに反則すぎる。かわいい。愛しい。お姫様みたい。先生は私が守る。

「冷えてるよ。」

起き上がった先生の温かい手が腕に触れた。反則どころかもうやばい言語不自由になる。布団から出るとすぐに冷え切ってしまうくらいに冷たい部屋。それが冬の醍醐味でもある。抱き寄せられて抱きしめられてるんですけどー、やばい。やっと寝られそうだ。ざわめく心がすっと静まり返っていく。安心とぬくもりと優しさと。幸せとはこのこと。

「ゆっくり休んでくださいね。」

起こしてしまったと思えばもう眠りに落ちた先生をなでなでする。疲れてるのにいつも気にかけてくれてありがとう。先生のためにできることはなんでもするから。背負った重さを下ろしてゆっくりおやすみ。先生のことだからたくさん無理をしているんでしょ。無理しないのも難しいことも知ってる。どうかいい夢みてね。

カーテンを開ける音が耳に入る。差し込む朝日が眩しくて思わず目を覆った。なんていうのはまだなくて。まだ冬だ。5時台に朝日なんて昇りやしない。起きたくない、眠い。自業自得だ。眠いはずなのにどこかすっきりとした頭に襲いかかる声。起きろと揺さぶられて幸せを感じる。

「おはようございます、愛しき綾音様。」

「朝からなに言ってんの。」

もっと呆れてください。その表情好きですもっと見せてください。朝からテンションがおかしい人間らしき生物。先生を巻き込むのはよろしくないぞ。ツリーを光らせて眺める天使がここに居る。とてもツリーを担いで帰ってきた人とは思えない。かわいいんだよなこの人。たまに変な行動するのがまたいい。私も大分変だから人のことはあまり言えないが。夜中に結露した窓に書いた「だいすき」という文字はまた結露となって消え去っていた。消えても何度でも書く、それが早瀬叶。

「寒い。」

「一緒に冬眠しましょう。」

人間も冬眠できるようにならないかな。こんな寒い中仕事とか行きたくないじゃん。毛布に包まって寝たいよね?先生とならずっと冬眠するんだけどな。布団っていいよな、ずっと寝られて。寝られなかったからか考えることが色々おかしくなってきた。今日はなにかやらかす予感。なにもなければいいけど。なんて思いながら毛布で一緒にぬくもっていたら家を出る時間ギリギリになるし私も私でドタバタで。寒いのがいけないんだ、きっとそうだ。私たちはなにも悪くない。寒いから体の動きが鈍くなるだけで。言い訳だけはできます。

「マフラー編んだのでよければどうぞ。」

「すご。今日から持っていくよ。」

渡そうと思っていながら渡すことすら忘れてしまう毎日にうんざりしていた私。やっと渡せたのでなにもやらかさない予感。気を緩めたらなにか大失敗するんだよね。知ってる。先生を見送るついでに朝のお散歩。たまにはこういうのもいい、先生と朝歩けるとかこの上なき幸せ。首元に巻かれたマフラーが羨ましくなってきた。先生にそんな至近距離というか密着できて羨ましい。私も…いや、もし叶ってしまったら心臓が持たない。

「無理はせず頑張ってください。」

「はいはい、ありがたく受け取っておきます。」

先生の姿が見えなくなるまで手を振り続けるのが鉄則。マフラーで顔を覆いながら振り返って手を振り返してくれる先生、あまりに尊い。このままついて行ってしまいたいところだが私もやるべきことがある。我慢。朝の冷え込みは辛いが先生が笑っていれば心は温かい。今日も頑張ろう。


1泊2日の旅に出た。2人でまだ旅行に行ったことがなかったから楽しみ半分、不安半分といった感じで電車を乗り継ぎながら知らぬ土地へと降り立った。変わりゆく景色を眺めたり見つめながら過ごしたからか案外すぐに着いた気がする。しんしんと降っていく雪と見慣れない温泉街を彷徨って先生にぴったりと引っ付いて歩いて。黒色のコートが白くなっていくのを見ながら。宿に到着しても先生から離れない自分。特に理由があるわけではないがなんか離れたくない。

「いつまでくっついてるの、部屋くらい大丈夫でしょ。」

「離れません。」

荷物を置こうが畳の上に座ろうが離れようとしない迷惑な人間。家じゃない場所に2人、なんだか変な感じ。見上げた天井もいつもと違う。旅にでも行こうと提案してくれたのは先生だ。たまにはゆっくり、何も考えずに過ごすのもありだということで。何気に私は初めての旅だったりする。寝過ごしたり適当に行き過ぎて知らない駅に辿り着いたことはあるけど。そう考えると私は引きこもりらしい。

「温泉行く?」

「行きます。」

べったり先生に引っ付いてまた温泉街へ繰り出した。静かでゆっくりとした空間に想いを焦がす。初めて入った温泉は当たり前だけど広くて温かくて。のぼせても出たくないくらいだった。こんなすごいものが世界にはあるのか、それも目の前に。しあわせだ。

「顔赤いよ、上がったほうが。」

「出たくないです。」

温泉で身体も温まったところで観光に行く。ぽかぽかだったな、また夜も行きたい。ノスタルジーを感じると言えば大げさかもしれないが、昔ながらの町並みに目を奪われ続ける。もちろん先生から目を離すようなことはしない。一生見つめております。お土産屋さんにふらっと入って絶対要らないであろう刀を手に取る。買って後悔しても捨てられないのがお土産というもので。刀を手に入れることは叶わなかったがおそろいのキーホルダーをお迎えできた。これでいつでも先生と居られる。感じられる。

「綾音様の概念だ。」

「じゃあ叶の概念ってことか。」

意味の分からないことばかり言っているカップルはこの人たちです。綾音様の概念をカバンに着けてごきげんになる私。先生の概念っていっぱいあるんですよ、指輪もネックレスもリボンも全部先生に見えてくる。これは多分重症。幸せだったらなんでもいい。

「おいしい…」

自分が思っているより世界はずっと広いということを知った。料理をしなくても食べるものが出てくる、すごい。お金を払っているのだからそりゃそうなんだけども。今まで見ていた世界はなんだったのかと思うほどに刺激ばかりの今日。目を奪われすぎてあと百個くらい目玉がほしくなってきた。

「いつも全部任せっきりだもんね。」

「やりたくてやっているだけです。」

先生みたいな先生になりたい。その一心で大学生をやらせてもらっている。そのための修行、でもないが家事は私が頑張ることにしている。本当はただ褒められたいだけ、がんばったねって言ってもらいたいだけだ。だからしんどいとか思わないし何なら先生にご奉仕できてうれしいのです。御恩と奉公みたいな。なので先生は気にする必要なんてない。先生のほうがお疲れなのだから。

美味しいものをひたすら頬張ったあと、また温泉に浸かりに行く。私がこんな贅沢をしていいのだろうか。降り積もった雪が街灯に照らされている様子を見ながら歩みを進める。先生に引っ付けるときに引っ付いておかないと。寒いから、なんて少しずるい言い訳をしながら彼女の体温を感じる。雪の止んだ空には星々が絨毯のように広がっていた。眩しく、どこか寂しく。冷たい空気がツンと肌に刺さるのを感じながら茹でダコに変化した。

「なんでそんなに美しいんですか。」

浴衣姿の先生が美しいので画角に収め続ける私を撮り続ける先生。どこに居てもすることは一緒らしい。まだ20時台、なにをしようか。こうしてゆっくりできる時間は大切だな。ネットからも極力離れられるし世の中を取り巻く混沌を見なくて済む。ずっと先生とのんびりしていたい。帰りたくない。

「仕事ないっていいね、楽。」

一緒にお酒を飲みながら窓の外を見る先生はどこか儚くて思わずしがみつきたくなる。本能に従うタイプ、何かと理由をつけて接触したい。お酒の味はまだよく分からないが最初飲んだときよりは美味しく感じる。先生と、非日常の空間で飲んでいるから尚更。宿泊行事とプライベートの旅行では肩の荷の重さが全く違う。先生が少しでもリラックスできているのならいいな。私も久しぶりにペットカメラのない空間に居られる。もういい加減要らないと思うのだが…。現実に引き戻されたくないと思いながら旅は終わりを迎えた。帰りの電車はいつも通りに寝過ごしてしまった。楽しかったね、ありがとう。


大人になりたくなかった。すぐ近くに居た大人がいい人でなかったから。だからといって大人にならなくていい、なんてことはない。傷を持った人は同じような傷を持った人に寄り添える、と。果たしてそうなのか。ただの傷の舐め合いだと言われてしまえばそれで終わり。花も踏めない人でありたかった。言葉にしなくてもそこにある優しさ。私は彼女のことをなにも知らないままで居る。

「叶、ここでなにしてるの?」

夜の公園の芝生。春の雨が上がってから時間は経ったもののまだ湿るように濡れている。涙の代わりにずっと雨が降ればいいのに。閉じ込めた想いを雨としてばら撒けたらいいのに。無数に散らばる星が眩しく見えた。ぼーっと見つめていた街灯の前に現れたのは仕事帰りの先生。片手に持っていた本をぎゅっと握りしめて顔を上げた。家の近くとはいえ、わざわざ足を運んでもらってしまった自分に腹さえ立つ。優しい人が傷付く世界。電源を切ろうが部屋に置いてこようが先生にはすべて筒抜けのようだ。完敗。

「おかえりなさい、帰りましょうか。」

鍵を開けて暗い部屋に入った。電気のスイッチを手探りで探し当てればパッと明かりが灯る。この瞬間がなぜか心をほっとさせる。まるでひとりじゃないとでも云うように。冷蔵庫を開けて夕方に作っておいたおかずを取り出し電子レンジにぶち込む。机に置いたままのスマホを先生に取られるのを見ても何の感情も湧いてこない。多分疲れているらしい。疲れるようなことはなにもしていないくせに。

「不在着信15件溜まってるけど気にしないでね。」

「気にします。」

置いていった間に積もりに積もった不在着信。見てみると全部先生からだった。あぁ、だから迎えに来てくれたのか。心配性の域を越えていることは最初から分かっているがまた最近暴走しているような。己の行動を改めるべき?それはそれで難しい話。

「元気ないね。」

「元気1000倍ですよ。」

見え透いた嘘をついても何の意味もない。先生のほうが何倍も疲れて帰ってきているのに、私のせいで余計に疲れさせてはならない。隠してもお見通しであることは分かっている。先生になにを隠そうとすべて暴かれるのだから。隠していなかったことまで暴かれることもある。そんな日常がずっと続けばいい。叶えろ、自分。叶えるんだ。叶とかいう名前のくせになにも叶えられないとかあるか。弱虫けむし。

「なにがあったか知らないけどさ。美味しいよこれ。」

「そうですか、よかったです。」

時計の針が進む音。いつもは気にならないのに気になってしまう。先生の隣に居ていいものか、なんて今更すぎるな。指先に光る指輪が目に入らぬのか、といった感じ。あぁ、幸せじゃん。幸せで居られているではないか。なにを悩もうと、漠然とした不安に襲われようとなにも意味がない。自分を強くしてくれたとしても、先生を守れるほどにはどうもなれない。

「こんなに長い時間一緒にいるのに知らないことばかりです。」

「知ってると思うよ。考えすぎもよくない。」

優しくて、繊細で。傷付いても不器用ながらに取り繕って。些細なことで壊れてしまう人。人と向き合う力を持っている、すごいお方。一瞬辛そうな顔を見せるのは助けてほしいから。それでも笑って誤魔化すのは心配をかけたくないから。守ることより傷付けるほうが遥かに簡単だというこの世界が醜くてたまらない。せめて痛み止めになりたい。見えない傷を癒せないのなら、少しだけでも。


ただ街を散策するだけのデート。ふらふらと歩いて巡り会えたものがあればいいねの気持ち。恋人繋ぎをしているだけで幸せすぎて空の果てまで飛べそう。先生の体温を感じては心の中でぐへぐへ言っている。怖い。かっこいいのにかわいいから困るんだよな、不意に魅せる表情なんてもう心臓に矢が刺さった感覚になるもの。

「髪飾り、チャームにしてよかったです。」

「可愛すぎないか心配なんだけど。」

困っている表情もいいよな。困り眉っていうの?破壊力がえげつない。夏祭り用に作った小さめのリボンの髪飾りをベッドの下で見つけてチャームに変身させた。私天才かもしれない(違う)そんなことより先生に似合いそうな帽子発見。察しのいい先生の歩くスピードが上がる。

「これのほうがいい。」

「え、好きです綾音様のことが。」

商品棚にはペアのマグカップ。ねぇかわいいね?そういうところが大好きだ。食器類でお揃いとかペアのものはまだ持っていない。先生の概念が増える喜びと照れ隠しをする彼女の姿に頭が茹だりそう。来世は茹でダコになるかもしれない。お店に入ってものの数分で巡り会ったマグカップを片手にまたうろちょろと徘徊する。紙袋を持っているとイケてる人みたいになれる気がするが気の所為すぎて。どこからどう見ても完璧な彼女の隣を歩く不完全な人間。

「これから夏なのにマグカップ使うかな。」

「冷たい飲み物でもいいじゃないですか。」

のんびり歩きながら話をするのも楽しくていいな。先生も休みの日が少ないし自分はいつもなにかに追われているし。これからもっと2人の時間が減るのかー、と思うと寂しくて仕方ない。今を楽しめ、楽しんでおけ。それより握りしめられすぎて手が痛い。恋人繋ぎってこんな握りしめられるものなのか。握力計じゃないからね、先生。握力の数値とか出ないよ。

「着せ替え人形になる人は居るかな。」

「綾音様もなってくれるなら。」

色々と見ては吟味する。ビビっときたものを先生に押し付けたはずなのに一緒に試着室に入っているこの状況はなんだ。天国か、そうか。こんな至近距離で居られるわけがなく逃げ出した。本当に、本当に。なんで壁ドンされてんだよ自分。舞い上がっている場合じゃないし。行き当たりばったりのデートは波乱万丈。興奮状態から抜け出せないのは先生のせいだ。

「誰のせいだって?」

心の声が漏れていたのかと焦ったがまぐれだったらしい。びっくりしたなもう。…かっこいい人が目の前に居るのですが。心拍上昇中な早瀬くん、貯めたバイト代は先生に使うことに決定しました。かっこいいしかわいいし先生はなんでも似合う、最強。冬になったらまたニットワンピース着てもらおうっと。夏場はかっこいいシャツで。気付けば紙袋が増えていって幸せな重みがずっしりと。たまにはいいよね、こういう日も大事だ。


朝起きて先生を見て幸せで。今日も頑張る、気合いを入れて起床。何年も先生と一緒に寝ている、とても幸せなこと。二度寝をしたいところだがもう一度寝たらもう起きられない自信がある。開口一番すきですと言い放つ寝ぼけた私を誰か止めて。朝から元気だねー、と笑われた。あまりに幸せな朝すぎる。

今日から教育実習。ド緊張で汗と震えが止まらない。3週間という期間は長いようで短い。でも長い。絶対長い。生きて帰れるだろうか。

「叶ならやれるよ。大丈夫だから。」

背中を叩いてもらって気合いを入れてもらう。思っていたより力が強くて全身に電気が走るような感覚がした。ヒリヒリ痛むのもこれまた愛。先生をしばらく感じられる。気合い十分、不安十分。先生みたいな先生になれるように頑張る期間。

「早瀬先生、ファイト。」

「今瀬先生を目指して頑張ります。」

先生と言うのは簡単だが言われるのはまだ気が引ける。ひよっこやれます。やらせてください。と思ったはいいものの最初からそう上手くいくわけもなく。学生気分ではなく大人として、教師のたまごとして。やれることはそれ以上やろうの気持ちで。それでもやっぱり緊張も不安も解けないまま生徒の前に立つというのはなにかの公開処刑かなと思った。ただ授業をするだけではつまらないし話が脱線しないようにするのもまた難しい。初日からやること多すぎててんてこ舞い。生徒の名前を覚えるのも一苦労。先生方の記憶力は一体どうなっているんだ。帰宅と同時にバタンキュー。3週間長すぎますやれません。

「ほんとに先生方すごすぎます。」

「最初から上手くできないのは当たり前。3週間後なんてもうめっちゃ成長してるかもよ。」

先生が居なかったらもう逃げ出すところだった。朝早くから夜遅くまで働いている先生方がすごすぎて私はちっぽけどころか存在すらしていないような気がしたり。

何年も先生を近くで見てきているとはいえ、大変さを全部分かっているわけではない。コンビニ弁当ばかりになるのも部屋がゴチャゴチャになるのもぺちゃんこになったコンビニのおにぎりを見て痛感した。大変すぎる。身体は追いつかないし時間もない。いつまでも甘ったれてたらダメだな、そう思った1日。簡単に諦めることはしない、なんのために教育学部に入ったんだという話になる。先生のほうが頑張っているんだ。このくらいでヒーヒー言ってはダメだ。先生は自分より何百倍も何億倍も頑張っている、見習わないと。


「やっと終わった…」

「お疲れ様、よく頑張った。」

忙しない3週間、無事に終了。無事でもないが。体がオワコンを迎えてしまっている。家事をする暇が全く無くて先生の手を大分借りた。ありがとう、先生も忙しいのに。教師になれたとして、どうやって生活と仕事を保っていくかが課題だなと感じた。ワークライフバランスなんて存在していないに等しいもんな。いくら働き方改革だと言っても根本的な原因が変わらない限り無理だ。お掃除ロボットが欲しい。家事全部やってくれるロボットが欲しい。そんな甘い世界ではない。痛感。土日に作り置きを用意しておこうと思っても身体が言うことを聞かず。想像していたより楽しかったけど大変だった。

「でも最初よりいい顔してる。」

「死んだ魚の顔をしていないならよかったです。」

毎日顔が死んでるとか言われていたからな。いい顔がどういうものかは分からないが自分の中で成長できたんじゃないかなとは少し感じる。研究授業もレポートも大変だったけど先生を思い出せば頑張る気になれて。支えてくれる人が居るって幸せなことだ。先生が居なかったらこの期間を耐えるどころか教師を目指していなかった。感謝してもしきれない。

「綾音様はなんで教師になったんですか?」

「叶に会うためとか。」

先生がそんなことを言うようになるなんて。私が変なことを言い過ぎたせいで先生にうつってしまったらしい。一緒に居ると似るんですね。いいのか悪いのか。

「ずっとスポーツしてたらなんかこうなってた。」

そういえばそうだったな、先生は保体担当だった。なんかこうなってたって大部分を略してしまっているけどまぁいいか。私に会うためだもんね、そうなんだもんね。深く聞くのは嫌がられるし自分から言ってくれるのを待つのみ。

なんで先生を目指しているのか、と私も生徒に問われたけど上手く答えられなかった。辛かったとき、学校の先生に救われたことがある。その先生みたいな人になりたい、なんてよくある感じの話で。教えるだけじゃない、一人ひとりに寄り添えるような先生になりたい。しばらく考えてもこれにしかたどり着けない。もうこれが私にとっての正解なのだろう。先生は先生、自分は自分。分かっている。もちろん自分らしく、それでもどこか先生味を感じられるような人になりたい。

「やめたくなったときもあるよ、もちろん。叶のおかげで続けてるけど。」

初夏の風が窓の隙間を通り抜けていく。爽やかで、どこか寂しくて。こんな話をするにはいい日。重くて、その重さは人生で。言葉にしがたいのもそれまた人生。私のおかげで続いているっていうのは流石に言い過ぎだけど少しでも先生の役に立てているのならよかった。家に居るときくらい先生やめさせろと言いながらもこれでもかというくらい相談してくる私に向き合ってくれてありがとう。毎日疲れているのにごめんね。

「お菓子あげます。」

「これまたいっぱいだ。」

お礼にちょっとお高めのチョコといつも通りの菓子類を献上。また落ち着いたらなにか作ろうかなと思いつつ。先生がもぐもぐする姿を目を見開いて瞬きもせずにただ見つめる怖い人。これは瞬き厳禁ですよ、罰金どころか求刑されるレベル。大丈夫、私が愛しているのは綾音様だけ。他の人間なんて消えてくれたっていいとさえ思っているからね。過剰だと自分でも思うが本心だし。仕方ない。

「叶が私みたいな先生になるって言い出したときはびっくりしたけど嬉しかったな。私も生徒になにか与えられたんだって。」

「綾音様、いや今瀬先生は私にたくさんのものをくれましたよ。生きるか死ぬかみたいな私をここまで生かしてくれているんですから。」

そういえばたまに今先!と略して呼んで怒られていたような。私も早先、と略して呼ばれてどこか懐かしくなってしまった。まだまだ道のりは険しいが、そこに道があるのならなにがあっても突き進んでいくべきだ。道がなくてもつくればいい。先生みたいな先生になれるように。


社会は今日も今日とて混沌に飲み込まれている。孤独死がー、とかテレビがなにかを話しているのを聞きながら水道水を飲み込む。生と死は紙一重だし人間いつかは必ず死ぬ。先生には不死身であってほしいものだ。私の命あげるから生きていてくれないかな。いつ死んでも、いつ終わったとしても幸せだったって思えたら素敵だなとか。辛かった、で終わりたくない。幸せだった、で終わるほうが何億倍もいいだろう。

「不死身になってください。」

「急になに。無理だし。」

じゃあ私より先に死なないでください、なんて言おうものなら拳が降ってきそうなのでやめておく。当たり前なんてなくて、平凡な日常が送れているということはとても恵まれていることで。大切な人が居なくなったら、その人を想いながら幸せを模索する人生が始まるのだろうか。無力で無知な自分を責め続けるのだとしたらそこに幸せはあるのだろうか。1秒先すら見えないこの人生がどんな形で終りを迎えるのかは分かりたくもない。何百回も自分の死を願ってきた人が言うことでもないけど幸せで笑って幕を閉じたい、なんて。

「風呂入るぞ。」

先生から誘ってくれるなんてうれしい限り。何回一緒に入っても心臓バクバクだし本気で天に召されてしまいそう。湯船のお湯飲んでいいかなー、とか未だに思ってしまう自分はやはり変態なのだろうか。まだ飲んだことはない。そこの線引きはしてある。いつか越えたら土下座する。

「傷、痛い?」

「痛くはないです。多分。」

身体中に残ったままの傷やら根性焼きの痕やら。あまり聞いてこない先生が聞いてくるとは珍しいこと。撫でるように触ってくるのもまた珍しく。変なこと言ったせいで心配されてる?もう自分で自分を傷付けるようなことはしていないから大丈夫だよ。心配御無用。先生を守るためにも死にはしない。どちらかというと先生のほうが心配なんだけどな。溜め込むタイプのお方だし無理をしていても取り繕うから表に出してくれない。深い部分に触れることは今の私にはできない。ただそばに居るだけ。辛いときは一瞬でいい、忘れていいから。くだらない話でも思い出して笑ってよ。

「日に焼けましたね。」

「仕方ない。」

日に焼けた肌すら美しい、眼福。肌と肌が触れる度にのぼせそうになる。肌をなでなでしてみる。こっちが死にそう。先生の頑張りを近くで見ているようで知らなくて。家に帰れば私が居るってどういう感覚なんだろう。分からない。私は玄関が開く音がすればなにをしていようがすっ飛んでいくので。迷惑がられていなければいいが…今更か。

「先に死んだら殺す。」

「物騒すぎません?」

なにか考えている様子だった先生から出た言葉はまぁ物騒。でも同じことを思ってしまった。物騒な2人は変なところだけ似た者同士。ある意味仲が良い。つまり相思相愛。毎分毎秒途切れずに先生のことが大好きな私に敵う人間など居ない。邪魔者は消え失せろ。不死身になる薬がないのなら自分で研究して作ってしまえばいいじゃん。無理だけど。これでも教員志望です。資格ないだろと言われそう。え、だよね?としか言えない。大好きな人にずっと生きていてもらいたいのは普通の感情だ、大丈夫…だよね?

「どこから水鉄砲が。」

「打つよ。」

物陰から現れた水鉄砲は先生の手に握りしめられている。死ななくても打たれる運命、なにそれめっちゃいい。是非とも打ち抜いてください。狭いお風呂の中で暴れる大人。こんな人間になるのも楽しいぞ、と子どもに教えてはいけない。あまりに悪影響。打たれるがままでびしょ濡れになりながらはしゃいでいたら夜遅くになってしまった。先生の笑顔を守るためなら身を挺す覚悟だってある。今は頼りないかもしれないけど守らせてください。なにがあっても。先生に打たれまくっている人がなにを言っているのか。自分でも疑問に思う。かわいい先生の虜です。


玄関のドアが開いたと同時に聞こえてきた涼し気な音色。扇風機の前から離れるだけで汗が吹き出すような暑さが和らいでいくよう。

「風鈴買っちゃった。」

「夏だ。」

買っちゃったらしいです、かわいい。片手に風鈴を抱えて帰ってくるのは先生くらいだろう。知らないけど。玄関の前で準備している可能性もなくはない。もしそうならかわいいが過ぎて何でもかんでもあげたくなる。日を追うごとに日焼けしていく姿も夏らしく感じる。運動音痴な私は先生のことは好きだけど体育は嫌いとかいうわがままな小娘。思い出は過去の出来事であるもののホタルのようにそっと心を照らしては消える。夏は儚い。

「綺麗な音だ。」

「ほんとに綺麗です、綾音様が。」

え?とでも言うように振り返る先生が愛おしくてたまらない。窓辺に吊るされた風鈴は風が通るたび歌を唄うようにして部屋中に響いていく。我が家にも夏が来た、と思うと顔がほころぶ。大切な日々は、この日常はどの瞬間を切り取っても幸せで溢れているから。お陰で何冊ものアルバムがパンパンに膨れ上がっている。幸せな重み、潰されてもいい。

「前から思ってたけどすごい数。」

「懐かしいものたくさんありますよ。」

最初、アルバムに収め始めた頃は教科書に紛らして隠していた。でも増えていくうちに隠す気もなくなって、いつでも見られるように大公開しておけばいいや!と思い。ブレていようが酷い顔をしていようがお構いなし。風鈴の音も相まってノスタルジーに浸る。こんなことやったな、あんなこともやったな。どれも楽しそうだ。元々は先生が映っている写真だけを印刷していたが気付けば先生が私の映っている写真を印刷するようになってこの有り様。膨大な量。

「どれも幸せだけど今が一番幸せです。」

「それが一番。これからも幸せだよ、きっと。」

夜空を流れる星々に願いを託す。「これからもずっと綾音様が幸せで居られますように」

その願いを叶えるのはきっと私自身。どんな嵐が吹き付けてきても、花が散るようにガラスが砕け散っても。先生を守り続ける。ずっと一緒、隣に居るから。首を振る扇風機に髪をなびかせながら浸る七夕の日。七夕ゼリーという名の手抜きでも美味しいゼリーを肩を並べて食べる。悔しさや悲しみを忘れたわけじゃない。いつまでも笑い合っていたいんだ。私が守るよ、綾音様のこと。静かに揺れる笹の葉にそっと願いを授け。私の願いが綾音様の願いが夢に変わりますように。


中学生のとき、私には好きな人ができた。好きになった人は先生。先生だよ?流石にダメだって分かっていた。何度も諦めようとした。でも無理だった。卒業式の日、先生に一通の手紙を渡した。内容は本当に黒歴史。見せられないよ!閲覧禁止!って書いておかないといけないくらいに。そんな私と先生の物語。

「先生、恋人になりませんか?!」

なんでまたこんなことを言っているのかというと何故か当時を再現しようということになりまして。場所まで再現しようとか、謎のガチ勢。ただもう私の実家はないので先生の家に転がり込むバージョン。「先生、恋人になりませんか?!」と何度も言っているが平気で口にしているわけではない。毎回心臓バクバクだ。それなのに笑いを堪えきれていない人が目の前に居ます。笑うなってあれほど言ったのに。

「年の差とかもうどうでもいいや、結婚できないとかもう気にしない。フォトウェディングでもやるか。」

「え?」

一言一句を再現するのは頭真っ白というか脳死状態で口を滑らしたから覚えていないしできるわけないと思っていた。どこまで再現するのかなとふわふわ考えていたのに。大分違うシチュエーションに困惑。フォトウェディングだってさ、先生かわいいよ絶対。妄想だけでもにやにやが止まらなくなるのに現実になってみろ、飛ぶぞ。

「結婚できなくても家族、でしょ。」

「…はい。」

あの日より頭が真っ白になっているがこれは現実か?夢であってもあまりに夢すぎるというかなんというか。不意打ちで口づけを交わしてしまっているしもうどうすれば。なにこの状況おかしすぎだろ。どうなってんの世界線。やばいって無理だって心臓死ぬって。泣く暇もなく綾音様を過剰摂取しすぎて息が止まりそう。幸せすぎないか。好きになったのは紛れもなく先生だし大好きなのは先生だし愛しているのは先生だし一番に幸せを願っているのは先生だし。家族だって、あまりに愛だ!存在してくれて誠にありがとうございます。必ずや幸せにいたします。

「とりあえず帰ろうか、冷えるね。」

「上着いりますか?冷やしたらだめですよ。」

羽織っていた上着を先生に渡す。心臓バクバク、止まってしまいそうならくらいに飛び跳ねているせいで身体が熱い。あまりの嬉しさに、喜びに満ちては隣を歩く彼女の横顔を見ては。

結婚できなくてもすでに何年も指輪をつけているし毎日がどんな宝石よりも輝いて見える。それでも壁を越えることは難しい。先生は先生なりに、先生らしくたくさん考えてくれていたのだろう。私はまだまだ未熟な学生の身。当たり前だが先生は責任を背負った大人。抱えている重さが全く違う。自由なようで不自由で、理不尽な世界に先生は生きているのだ。背負った重さも抱えたものもをはんぶんこできたらいいのに。

家族だと云ってくれたのも、先生が居なかったら私は天涯孤独だからなのかもしれない。優しいな、先生は。考えれば考えるほど涙が溢れ出てくる。

「なんで泣くの。」

「家族って云ってくれたから。」

駅までの静かな夜道、泣いている私の手に先生の手が重なり合った。言葉は要らない、ただそこに居てくれるだけでいい。体温が合わさっていくのを感じながら唇を噛む。家族かー、そうか。家族なんだ。今までの苦しみも痛みも、全部無駄ではなかったんだ。地獄のような日々が幸せな日々に変わった。もうそれだけで私は救われたのに。

思い返すと卒業式で渡したあの手紙はすべてを失う覚悟で、もう一生会わないと思って書いたものだった。思い出を振り返りながら裏紙に書きたいことを絞り出すように綴って。あぁもうこれで終わるんだと、おしまいなんだなと思っていたのに。先生が笑って過ごしているのならそれでいいと、無理矢理完結させようとして。

心を開けたのは先生だけで、信用できたのも信頼できたのも先生だけだった。先生に会いたいがために学校に行って、どれだけしんどくてもひと目だけでも先生の姿を見られるなら行く価値があるとか。なにをしに学校に行っていたんだっていう感じだが。先生に会いに行っていたんだ。どこにも居場所のなかった私の唯一の場所だった。

これ以上なにかを失う怖さに途方もない人生。何度も死んでしまおう、自分は必要ないんだから。そう何度も悩んで苦しんで。裏紙に増えていく感情と言葉はうまく文章にならなくて、それでも時間をかけて黒歴史へと進化した。幼い自分の拙い言葉ではあったものの、ひとつひとつの言葉は自分にとって結晶のようなもの。嘘のない、真っ直ぐで素直すぎるくらいの言葉を並べては心がぐちゃぐちゃになったりしたけどあれは生きた証でもあった。

あの日、いつもしないくせに散歩に行った。先生に会えたらいいのに、なんて淡い期待を抱きながら。合わせる顔もないしあんな酷い手紙を書いた手前もう会わないのが最善策だと思っていたがそれでも会いたい気持ちは変わらないし大好きなことにも変わりがなく。そんな矢先の出来事が人生を180度変えた。地獄のような世界が天国に変わったのだ。天国は確かにここにあった、天国は心にあるのだと知った。これは夢かと何度も疑っては夢でもうれしいと思った。卒業してからの1ヶ月は地獄のように長かったから。

闇の中に見える駅が眩しく見える。どこか寂しく、誰かを照らして。改札を抜けて肌寒いホームに立った。何年か前、未遂で終わってよかったものの線路に吸い込まれたことがあった。助けてくれた人は元気だろうか。名前も顔も知らない、見ず知らずの私を助けてくれた人。今幸せで居られているのは貴方が助けてくれたおかげだ。本当にありがとうございます。

「恋人にはなれないって、冗談交じりで言っていたのは何だったんですか。」

「普通に考えて無理だって、叶も分かっていたでしょ。自分でもなに言ってるか分からないっていう表情するんだもん。かわいかったなー」

考える間もなく口から出ていた言葉。自分も先生もびっくり仰天。手紙には大好きです、と書いたけど先生の目にどう映ったのかは分からなかったから。冗談を交ぜて話してくれる先生を見ながらどこか冷静な自分が現れて終わったなこれ、と。あの長いようで短い時間の中ぐるぐると考え続けて。家に来てくれたのも、一緒に住んで名前で呼び合うようになったのも、誕生日に指輪をもらったことも。驚きが大半を占める中、今まで知らなかった幸せが滝のように心を浄化していった。

人の少ない電車にゆられながら思い出話に花を咲かせる。黒歴史と化した中学時代から、今までのこと。思い出として残っているのは先生ばかりだが、たくさんの方の支えがあってこその人生。それを忘れてはいけない。人は一人では生きていけないこと、戦ってはいけないこと。背負い続けてはならないことを。私も誰かを救えるような人になれるだろうか。先生のような人になれたらいいな。

「米、味噌汁、魚、卵焼き。」

「そこまで再現しなくても。というかよく覚えてますね。」

6年も前になるようなことを今も覚えている先生がすごい。当時は料理ができないわけではなかったがしなかったからあの日作ったご飯はかなり苦労した。先生に食べてもらうとか何事?私が作っていいのか?失敗したらどうしようとか色々考えたっけ。今も美味しそうに食べてくれる先生は神だ。感謝。あるのが当たり前、にならないところがすごいしそこが好きでもある。

先生の家は落ち着くな、一番安心できる。ペットカメラは今も労働しておられるが。こんなに多くなくても、と今も思うが慣れてしまった。慣れって怖い。今なら先生がカメラを置いた理由も分かる気がする。見えていないところで飛び出すかもしれないし乱用して死ぬかもしれない。そんな問題児を野放しにできるわけがない。先生の気苦労は計り知れない。申し訳ない。

「叶の借りていい?」

「からかわないでください。」

先生の家なんだから着替えなんていっぱいあるでしょうが。あの日の自分があまりに幼すぎて思い出すだけで恥だ。黒歴史製造機め。世界を知らない、自分のことも分からなかったような私は今もあまり変わらず居る。とっくの昔に死んでいるはずだったのに。人生なにがあるか分からない。好きになるはずじゃなかったし、好きも愛も知らない私が人を好きになれるわけがなかった。でも違った。心を拾ってくれた先生の包み込むような優しさに惹かれてしまったんだ。

「いただきます。」

先生のためならなんだってできる。料理も家事も特段得意なわけではないし苦手なことばかりだけど頑張る理由がそこにあるなら、なんでもやれる。だって家族だもん。時折笑みを魅せてくれる先生に心臓を打ち抜かれながら味噌汁を飲み込んだ。

一緒に居られる時間もそう長いわけではない。残業から帰ってきて、ご飯を食べてお風呂に入って。自分の時間もろくにないのに少しでも長くそばに居てくれる先生は神様のようだ。自分も教員になれたら今より一緒に居られる時間もガクッと減るのだろう。今というこの瞬間を大切にしないといつか後悔することになる。後悔してからでは遅い。一年後も十年後も、一分一秒先のこともなにも分からない。不透明な未来に不安を覚えながらも、突き進んでいくしか道はない。なにがあろうとそれが運命なのなら、どれだけ苦くても飲み込むしかできないのだ。

「ココアでもくれ。」

「確かに淹れましたね。」

じゃあ私は先生が入った後のお風呂のお湯でも飲みましょうかね!飲まないけどさ、流石に。まだ飲んだことないからね?すごい変態みたいだけどまだ実行に移してないから。言い訳を考えている時点でかなりのヤバいヤツ。そう思うともう飲んだほうがいいのかと変な気を起こしそうになるが飲まないです。明日地球が滅亡するとかだったら飲みます。

「叶のがいい。」

「だからって何でもかんでも…」

気付けば消えているボールペン。見つけたと思えば先生に取られていることが多い。別にいいよ、わざわざ私が使っていたベッドを先生の家に置いてしまうくらいの人だっていうことはよく分かっている。でも月に10本はやめてくれないか。困る。返してもらったはずなのに消えてるなんてことがザラにありすぎてもう愛しい。かわいいね。ツンデレなにゃんこみたいだ。

「おやすみ。」

「おやすみなさい、いい夢をみてください。」

眠りに落ちた先生をなでながらどこか寂しい感情に浸る。好きな人が隣で寝ている幸せを感じながら、虫の音に耳を澄ませて。恋人になる、という選択も先生は考えに考え抜いてのことだったはずだ。高校を卒業するまでの3年間、恋人になってくれと言う私をなだめながらこの選択をしていいものかと一人で悩んでくれていたんでしょう、先生。

家族だと云ってくれたのも悩んだ末のものだったのかもしれない。ずっと一人だった私に、一人になった私にこんな言葉をかけていいものか、と。家族という当たり前のものをこれまで知らなかった。知ることができたのは紛れもなく先生のおかげだ。不器用ながらに伝えてくれる愛を、私はちゃんと心に受け取っている。同じ空間で同じ時間を過ごせていることが何よりの奇跡だと思う。これからもたくさん想うし伝えるね。ありがとう、先生。大好きだよ。いい夢みてね。


「えー、やばいです。」

思わず顔を背けて流れる涙を隠す。なにこれ現実?ついに妄想が現実のように見えてしまっている?大丈夫?涙が止まらなくなるくらい綺麗な彼女が居るのですが。なんで泣くんだと笑う先生の声に触れると余計に涙が込み上げてくる。どこのどんな主人公よりも幸せだと、幸せにすると思えた。

「せっかくかわいいんだから、泣くなって。」

「反則級にかわいい綾音様が悪いんです。」

ドレスを着るとか嫌がるものだと思っていたが下見をしたときから子どものようにはしゃいでいて。こんな顔するんだー、と感心しながら色々見て回った。その結果がこれだ、女神が降臨したぞ。フリルたっぷりのふわふわのチュールを纏ったエンジェル。目の前に居る人、なんか照れてるくせにかわいいのですが。

私の写真なんぞ要らないのでうちの女神を撮りまくっていただきたい。透き通るような青と純白の天使。まるで白馬に乗ったお姫様のようだ。こんな私が隣に立っていいものなのか自問自答を繰り返す。早くこっちに来いと手を引っ張ってくる先生に抱きついてシャッターが切られた。

この広い世界で出会えた奇跡。巡り会えた軌跡。好きになったキセキ。首元で光る想い、指先に宿る想い。これからもずっと一緒に居ようね、世界が終わってもあなたを愛します。手と手が離れてしまったとしても必ず見つけ出すから。必ず繋ぎ直すから。どうか先生がずっと幸せでありますように。どうかずっと先生が笑って居られますように。そこに私が居ても居なくても、一生をかけて願い続ける。約束。先生の人生のひとときをいただけていること、深く感謝します。何百年、何千年経とうと朽ちることはないよ。この想いは、これからもずっと。

「私が守り続けます。」

「それは心強いな、2人で居れば大丈夫。」

きっとこれからも無理して頑張りすぎて、しんどくても繕ってしまうのでしょう?そんな先生を、綾音様をこれからもそばで支え続けられるように。泣いても笑っても、あなたを愛します。味方でいるよ。ずっと好きでいるよ。愛すよ。どれも、どうも。言ってほしかったのかもしれない。言ってほしかった言葉を誰かに伝えられたら素敵だから。何度も傷付けて苦しめた私だけど。たくさん伝えさせて。出会ってくれてありがとう。生かしてくれてありがとう。生きていてくれてありがとう。ありがとうでは足りないくらいありがとう。

「泣いてもいいけど笑ったほうがいいよ。」

頬を伝う涙を拭うやさしい声。目を見て笑って、時は過ぎていく。両手を重ね合わせて額をくっつけて幸せを噛み締めては。ここまで生きられたのも綾音様のおかげ。「先生、恋人になりませんか?!」なんて自分でもびっくりするような言葉をあの夜口走ってよかった。語彙力が消滅したおかげ、ありがとう自分。先生が家に来てくれただけで大イベントだったのに何年も一緒に過ごせるなんて誰が思っただろう。同じ時間を共有して肩を並べ合えているこの奇跡に感謝。先生に生かしてもらえてよかった。ありがとう、大好き。

「ずっとずっと大好きです。」

「私も大好きだよ。」

交わした誓いと接吻。重なる視線。命を、綾音様の全てを愛し続けることを心に固く誓った。頬を通り過ぎる風はまるで花吹雪のよう。結ばれるべきでなかったとしても、許されるものでなかったとしても。そこに愛があるのならなんだってできる。どんな逆境だってふたりで一緒なら乗り越えられると信じて。絡めた手を握りしめて、前を向いた。

「世界が終わっても、地球が滅亡しても愛しますから。」

「なんか宇宙進出できそうだな。来世も、きっと叶が繋いでくれるんだろうね。」

涙ぐんだ目で無理矢理笑うような声と視線を向けられると決壊寸前の私はまた大粒の涙を流すことになる。過去に傷付いた分、彼女には傷をつけたくなかった。苦しむところなんて見たくなかった。でも私のせいでたくさん苦しんでしまったんでしょう、先生。ごめんね。自分を自分で傷付けること、それは先生のことも傷付けるということ。

優しさを何度も振り払って飛び出した。試していた、というと感じが悪いがいつでも捨ててくれて構わないと心の何処かで感じていた。何度飛び出しても必ず見つけ出してくれた先生。雨の降る夜も、迷子になったときも。知らない夜の町に勝手に行ったときも。どこに行っても必ず私を見つけてくれた。先生がそう簡単に見放してくるような人ではないことくらい分かっているはずなのに。傷つけたくなかったのは自分自身だったのかもしれない。ふっと消えそうになっても先生なら軽そうに聞こえる言葉を心に響かせて、立ち止まらせてくれるのだろう。手を掴んで、真っ直ぐな声で。

来世も一緒に居てくれるのですか、綾音様。どこか安心を覚えてしまった。ずっと一緒に居ようね、来世でも恋人になりませんか?!って言うから。雨の日も風の日も、晴れても曇っても。先生のためならどこへだって駆け巡るよ。さよならだけが人生だったとしても。また逢えると信じていれば奇跡は起きる。いや、起こす。先生のためなら命を星のように燃やせるから。星を繋ぐから。一生に一度の恋物語を何度でも起こしてやる。泣いても叶わない、夢見事のような恋を叶える。

何万枚にもなりそうなくらいにたまった写真を整理しながら思い出に浸る。泣き顔も笑った顔もどれを見返しても幸せだ。あの日々はすぐそこにあるように見えるのにもう二度と届かない遠い場所にある。手を伸ばせば届きそうなのに、目を閉じればすぐそこに浮かび上がるのにもかかわらず。気付けば目で追っていたあの日も、今も、全部大切なのに。遠いようで近い。近いようで遠い。これが人生なのだと知った。いつか今日を思い出して、フッと笑えたら素敵だろうか。

ねぇ、先生。私より先に死なないでね。死ぬ順番間違えないでよね。間違えてるのはお前だろ、って言うかな。そうだね、間違えている。ただ置いていかれたくないだけ。先生の居ない人生なんて人生じゃないもの。息も命も全部捧げるからどうか。なんて、命も心も寿命が決まっている。先生が消えてしまうのは嫌なんだ。手を握りしめて祈ってもこればかりは届かない。小さな奇跡を積み重ねても奇跡は起こってくれない。

先生に出会えたから愛を知れた。好きを知れた。奇跡の積み重ねはたしかに心のなかで光った。死ぬときは先生の好きな夏がいい。最期の瞬間も先生を感じられるなら、笑って目を閉じられる。今日という日も走馬灯の仲間入りを果たすことだろう。出会えたあの日、初めて話したあの日。偶然ではなくて必然的な再会。巡る季節を何度も共に過ごした思い出。緊張と不安も、悲しみも痛みも全てが溢れ出していくなら。死んでも先生を感じられそう。死んでもしばらく死ねなさそう。走馬灯の尺が足りない気がする。死ぬこと以外かすり傷とは到底思えないが今までに負った傷は無駄ではなかった。今ならそう思える。

「恩返しするって、最初の手紙に書いたのに返すどころかもらってばかりです。」

「そんなことない。叶が生きてくれてる、それだけで十分恩返しなんだよ。」

一生かかっても恩を返しきれることはないな、そう思った。なにをしようが頑張ろうが先生のほうが私になにかを与えてくれる。どの言葉もストンと心に落ちて花を咲かせていく。先生には一生勝てないし敵わない。でも先生のことを生かすことができているのなら。それは栄光である。

思い出は形に残ってくれない。いつか消える記憶の中にしか残らない。言葉にできない想いはいつか消えない星になれるだろうか。まっすぐできらきらと輝きを変えるような星に。どれだけ真っ暗な闇に閉じ込められても一筋の希望となれるのなら。夢に変わるのなら。ずっとあなたと居られるのなら。この想いは何億の年月が経とうと変わらない。好きになれたこと、共に過ごした時間は紛れもない事実だ。神様が気付いてくれなくても彼女だけには見ていてほしい。もうひとりじゃないよ。

そっとアルバムを閉じた。またなにかをしている彼女が目に入る。なんだろうあの箱は。押し入れの整理なんてまた珍しいこと。

「綾音様、なんですかこれ。」

「あの…。」

押し入れの近くに寄ってみると箱の隙間からなにかが見えた。大量の写真、これまた酷い顔をした中学時代のものではないか。詰め寄る私とばつが悪そうにする綾音様。私の写真があるのはどうでもいい、綾音様の写真はどこにあるんだ。押し入れの中身をひっくり返すように探し続ける様子を静かに見ている誓いを交わした瞬間の写真。意味もなく見つめ合ってはなんだかおかしくなって笑える今が愛おしい。

人が一番最初に忘れるのは声だという。忘れるわけがない、何百年経とうと忘れたくない。失って気付くのではもう遅い。今目の前に居る大切な人を大切にするんだ。絶望なんて蹴散らしてしまえ。越えられない壁は壊してしまえばいい。幸せよりも辛い記憶のほうが残ってしまうなら何度でも塗り替える。苦しみを願いに変えて突き進む。長い人生の道のりをともに歩むと決めたのだから。忘れる日が来たとしても、想いは心に消えない星となって光る。

これからも、この先も綾音様とともに生きていく。どれだけ傷を負っても挫けそうになっても繋いだ手は離さない。私の恋はノンフィクションだから。終わりというリボンがほどかれる日を迎えたとしても、最後の最期までは。そんな私と綾音様で紡いでいく軌跡を辿った物語。

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