これからも君の隣で
「祐奈、そろそろ家でないと遅刻するぞ」
「分かってるって」
もう高校生になったというのに、どたばたと落ち着きのない足音と、そんな返事と共に祐奈が階段を下りてきた。
「おー、似合ってるな」
「そう? じゃあ良かった」
見慣れた制服に身を包んだ祐奈と共に家を出る。
高校生活最後の春が始まった。
通学路の桜はまだ満開には至っていないが、新生活を始める人々の背中を押すようにその花弁を咲かせている。
いつも合わせている歩幅よりもわずかに小さいそれに合わせて、ゆっくりと通学路を進んでいく。
「こうやって一緒に登校するのも新鮮だね」
「そうだな。まあ、これからは普通になるのかもしれんけど」
「えー、お兄ちゃんと一緒は嫌だなぁ」
「酷いな、お兄ちゃん泣いちゃうぞ」
「芽衣さんとのイチャイチャを近くで見続ける身にもなってよ」
いや、そんなイチャついてないと思うんだけどなぁ、なんて溢せば、自覚ない分たちが悪いよなんて言葉が、諦めたような表情に合わせて、ため息と共に返ってくる。
くだらないやり取りを重ねながら歩いていると、芽衣との集合場所である駅前が見えてきた。綺麗に染められた金髪を探そうとすれば、彼女は目の前にぴょんと姿を現す。
「壮太に祐奈ちゃん、おはよ!」
「おう、おはよう芽衣」
「おはようございます、芽衣さん」
「今日は晴れて良かったね」
「はい!」
芽衣の言葉に祐奈が答えると、それを皮切りに女子トークが始まりだした。少しの疎外感を感じながらも、二人と共に通学路を歩む。
通いなれた道を歩き続けると、周りには見慣れた制服を身にまといながらも、少し落ち着きのない人影がちらほらと見受けられるようになって来た。俺にもそんな時期があったっけか、なんて思いながらさらに足を進めていくと、入学式の立て看板と華やかとはいいがたい、ささやかな装飾がなされた正門が見えてきた。
「お兄ちゃん、写真撮って」
「はいよ」
祐奈から携帯を受け取って、制服姿と立て看板を画面に収めようとしていると、制服の袖をぎゅっと引っ張られる。
「待って、壮太。その前にね」
「えっ?」
「ほら、これ」
そう言いながら芽衣はカバンの中から、丁寧に包装された化粧箱が姿を見せる。宮野先生を送り出すことで、手いっぱいだったから、記憶の片隅に投げやられていたが、先日のデートの延長戦で用意した祐奈の入学祝いだ。
「祐奈ちゃん、これ」
「俺と芽衣からの入学祝いだ」
改めて、入学おめでとう、と口にすれば、ちょうど芽衣の声と重なる。
「芽衣さん、ありがとうございます!」
「祐奈ちゃん、高校生活楽しんでね」
「はい!」
「お兄ちゃんもありがと」
「おう。じゃあ、写真撮るか」
改めて、祐奈と立て看板を画面に収めてシャッターを切る。渡したばかりのそれを大事に抱えて、満面の笑みを見せる祐奈。祐奈の入学を祝してか、桜も空気を読んで花びらをいくらか写真に収まるよう散らして見せたらしい。
「あれ、祐奈ちゃん?」
少し離れたところから祐奈を呼ぶ声が聞こえた。祐奈と共に振り返ってみれば、同じように一回り大きな制服に身を包んだ少女の姿がある。
「行っておいで、私たちとはどうせ別行動なんだし」
「また後でな」
芽衣と共に言ってみれば、少し迷うようなそぶりを見せていた祐奈も、うんと大きく頷いて、声をかけてきた友人の元へと足早に向かっていく。
「じゃあ、私たちも行こっか」
「そうだな」
新入生の姿が増えてきた正門から少し離れた場所にある掲示板。そこには在校生のクラス分けが張り出されている。もっとも、特進クラスへの進級が決まっている俺らには関係のない話なので、その横を素通りして、使い慣れた昇降口へと足を運ぶ。
「そうだ、教室行く前に屋上行かない?」
「別にいいけど、なんかあるのか?」
「うちの近くの桜は結構綺麗に咲いてたから上から見たいなって」
そういうことならと頷いて、ゆっくりと階段を上っていく。新しい教室のあるフロアを、かつての教室があったフロアを、そして祐奈の教室があるであろうフロアを通り過ぎてさらに上、屋上へと続く踊り場へ。
ゆっくりと扉を開いて、二人で屋上へと踏み出す。とっ、とっ、とっ、とリズムよく跳ねた芽衣は、そのままフェンス越しに街を一巡見てから、バッっと振り返る。
「壮太、綺麗だよ」
屈託のない笑顔と言葉が届くのと同時に風が吹き付けて、芽衣の髪がふわりと靡く。
ふと一年前の景色が重なった。
だが、あの時からは色んなものが変わった。俺たちを見守っていてくれた恩師は、昨日この街を去っていった。それと入れ替わるように祐奈がこの学校に通うことになった。ふとしたすれ違いから気まずいままだった人間関係にも決着がついた。
そして何より、俺はあの時とは違い、彼女のことを、芽衣のことを知っている。まだ知らないことも多いのだろうが、家族思いな一面も、平気なフリをして笑うことも、泳げないことも、一人で抱え込みがちなことも、ご飯をよく食べることも、猫が好きなことも、努力家なことも、ロマンチストだってことも、独占欲が強いってことも、笑顔がどうしようもなく可愛いってことも、それこそ、あげきれないくらいに知っていることが増えたのだ。
大した距離じゃないが、ゆっくりと歩いていくのは憚られ、足を弾ませながら彼女の隣へと行く。ここからは街並みが一望でき、そこには確かに綺麗に咲いている桜の姿もある。でも、それを楽しむのは二の次だ。まずは、そんな彼女の隣にいられるように、しっかりと手をつないでおかないとだ。
手を伸ばせば、どちらからともなく、手が重なって指は絡む。顔を見合わせて小さく笑ったあと、ようやくフェンスの向こうの景色に気を向ける。
春の空はどこまでも青く広がっている。暖かな日差しに照らされる見慣れた街並みはその青さに対抗するように色づきだした木々によって彩りが加えられている。
それは奇しくも、芽衣と出会ってからの俺の世界のようだった。
「芽衣」
小さく呼びかけた。
「どうしたの?」
少し不思議そうな顔でこちらに尋ねてくる。
「好きだよ」
言葉は自然と口からこぼれた。
「私も壮太のこと好きだよ」




