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パーティーから三日が経った早朝のこと。王都からオルディオン家の領地に昨晩戻ったハルミアは、目を覚ますと両親と姉に挨拶を済ませ、すぐに黒の外出着に着替え領地の西の果てへ向かった。茨の森を潜り抜け領民を弔う墓地に足を運ぶと、墓守の老婆であるヴィータをつかまえた。
「私、結婚することになりました」
「そうかい。そりゃめでたい。ならこんな陰気臭い場所に来てないでさっさと帰んな」
本来ならば突拍子もないことであるが、ヴィータはさして驚かず、墓と墓の隙間を縫うように生える露草を引き抜いていく。
オルディオンの墓地は日中でも回りが山に囲まれ、わずかにしか太陽の光が差し込まない。木々も領民が多く住まう市街の木々とは異なり葉も緑ではなく黒々として、どこもかしこも尖っている。子供の描く禍々しい森のようなこの辺りは風土柄霧に包まれやすいこともあり、常に陰鬱な雰囲気を纏っていて人が訪れることは極端に少なかった。
「相手はルヴィグラ家のシリウス様です」
「興味ないねえ」
「今日、あちらが婿に来るのです」
ハルミアも雑草抜きを手伝っていると、ヴィータは「たまげたなぁ」と墓石の隙間から生えるクローバーから目を逸らすことなく淡々とした声色を発した。
ヴィータは、ハルミアがオルディオン家の領地に移り住んでからの付き合いだ。元々人付き合いを好まず、温和で気さくなオルディオンの民ですら距離を置いている。子供たちも「魔女みたいだ」と怖がり姿を見ただけで逃げてしまう存在だ。
本人もそれを望むような態度で、話しかけられても軽くいなすような返事しかしない。気難しい老人であるが、ハルミアが毎日決まった時刻に墓地に訪れるようになってからはぽつぽつと言葉を交わすようになった。
「式の準備があるだろうに、あんたはこんな婆さんとっつかまえて何をしようっていうのかい」
「いえ、式はもう、終わったのです」
「……」
「それで、折り入ってご相談なのですが、捧生の印を解除する方法をご存知ないですか、出来れば、契約した人間に分からないように」
捧生という単語を聞いて、ヴィータはそれまで雑草やクローバーにしか向けていなかった瞳をぎょろりとハルミアへと向けた。
「そのシリウスという男は、王家に何した」
「はい……あの、婚約者である第二王女に不敬を働いたと……」
「で、お前に婿入りさせようってかい。西の変人に婿入りさせて、罰を与えようなんぞまぁ陰湿なやり口だね。首の一つでもはねてしまえばいいものを……」
はぁ、とヴィータはしわがれた声で大きくため息を吐いた。骨と皮で形成されているような指でハルミアの左腕を掴むと、彼女の腕にはめられた蒼水晶が輝く腕輪を指で数回はじく。
「駄目だね、契約は王家の魔力でしかどうにも出来ない。王族殺すか、竜か、それこそ魔族にでも何とかして貰わない限りあんたは死ぬまでこの腕輪と一緒だ」
「魔族……」
「滅多なこと考えるもんじゃないよ。腕輪に一太刀受ける前に心臓貫かれて終わりさ。それに、腕を切り落とされたところで契約は変わらないよ」
ヴィータは「良かったじゃないか。シリウスという男もそれは分かっているだろうから、あんたに変なことはしないだろうよ」と喉の奥で笑ったあと、ハルミアに向かって指をさした。
「いいかい。その坊ちゃんに、お前が魔法が使えないことは絶対に知られちゃならないよ」
「それは……分かってます」
「腕輪がある限りあんたの意にそぐわないことをすれば、奴に頭を斧で割るような痛みを与えられる。お前を害することも出来ない。でもね、魔法士としてお国を相手に働くなんてこと、真っすぐで無邪気な人間には出来ないんだよ。舐められるようなふるまいをするのは絶対におやめ。間違っても愚図のベスみたいなことはするんじゃないよ」
「……はい」
いつになく強い口調のヴィータに、ハルミアがためらいがちに頷く。
ハルミアは少ない魔力を持って生まれた。およそ人並みの子供以下の力しかなく、日常的に魔法を使うことはおろか他人の魔力の気配を感じることすら難しい。彼女の秘密は家族、オルディオン家の屋敷の使用人たち、ヴィータ、そしてあともう一人、彼女の姉の婚約者が知っており、死神令嬢と呼ばれ呪いを与えられると王都の人間たちに忌避されることは彼女にとって都合のいいことでもあった。
「魔法が使えないなんて、言えるわけありませんよ」
魔力が少ないということは、迫害の対象にされやすい。それを伝えるということは、自分の身を守る力がないと伝えることと同義だ。ハルミアが視線を落とすと、ヴィータが「ほら、今日婿に来るならさっさと準備をしたらどうなんだい」と手についた泥を払い、懐から包みを取り出してハルミアに放り投げた。
「これは?」
「目眩ましさ。どうせ魔法に頼り切ってる奴なんぞ、古知恵に興味なんて持たない。人の力なんて見向きもしないさ。何かあったらそれを奴の足元に投げておやり、ただし、一個しかないからね、ここぞという時に使うんだよ」
ヴィータは魔法を好まない。ないわけでもないが、手を使わずに何かをすることに嫌悪を抱く老人であり、ほかの領民と異なって山々に採集に赴き自分で火を起こし薬を作っては売ることで暮らしている。墓守は趣味の一環で、迎えを待っている時間を潰しているのだとフィーネは元より聞いていた。
「ありがとうございます。また、明日来ますね」
「もう二度と来るんじゃないよ。毎日毎日ここへ来て、私もうんざりしてるんだからね」
ふん、とヴィータは不満げに鼻を鳴らす。ハルミアは彼女に頭を下げ、包みをしまうと霧が立ち込める墓地を後にしたのだった。
それからハルミアは屋敷に戻り、朝食を済ませると使用人たちと共にシリウスを迎え入れる準備を始めた。婚姻自体突然のことであったものの、オルディオンの屋敷にはいくつもの空き部屋があり、そのどれをも彼女は使用人たちと共に入念に手入れをしていた。
数ある部屋の中でも、姉の婚約者が使うはずだった部屋が最適だろうとシリウスをそこに招くと決め、ハルミアは今まさに姉の婚約者好みである派手で奇抜な調度品を、天体を模した置物や永遠に循環を続ける水時計、観葉植物の鉢などに入れ替える作業を使用人のベスと共に行っている。
「ベス、私はシリウス様について新聞に載っていること以外は何も知らないのですけれど、ベスは何か知ってますか?」
「いやあ、騎士団から追い出される前も噂は聞いてたっすけど……、ものすごーく真面目で、あんまり誰とも話さないとか、なんだろう、ヴィータの婆さんほどじゃないすけど、たぶん気難しい人だと思うっす!」
「そうですか……」
ベスは、今年で二十一になる青年だ。過去に王都の騎士団で働いていたことがある。だから彼に何かシリウスについて聞けないかと思ったハルミアは、要領を得ぬ答えに落胆した。
(望まぬ結婚を強いられたのだから、少しでも彼の心が和らぐようにしたいけれど……)
ハルミアは、柔らかで厄介な想いを向ける相手と結ばれる権利を、王命で与えられた。しかし彼女は全く望んでいなかったのだ。ほんの少し、人生の瞬きにしかならない刻の中でその姿を少しだけ見たい。もう一度声を聴くことが出来たら嬉しい。でも、彼の冬を溶かした瞳に映り込みたいとは思わない。それどころか、誰とも幸せになりたくない、誰とも生きていたくない――というのが、彼女の願望だった。
「それで、ノイル様用の調度品はどうするんすか? 結構な量っすけど……」
「あの方が来るまでは、屋根裏にしまっておきましょうか」
ハルミアの姉の婚約者であったノイルは豪快で、規則や常識という言葉が頭の中の辞書に無い。明るくはつらつとして、気落ちし憔悴した姿を見せることはほとんどない。太陽を思わせる橙の髪に、いくら外に出ても真っ白く澄んだ肌の美丈夫はどこへ行っても人目を惹き、常に話題の中心にいた。
声が大きく自由を体現した生き方は人に下品と言われてしまうこともあるが、そんな気性は姉と婚約しても変わらず、侯爵家の次男という立場ながら、ハルミアが十四歳の頃からあちこちを視察と言って鞄ひとつで放浪を始め、彼の領地はおろか婿入り予定であったオルディオンの領地に滞在するのも殆どないほどだ。
しかしそれでも一年に一度、姉に会う為にオルディオンの領地に足を踏み入れはして、丁度今から一月後が約束の日であった。ハルミアもノイルが屋敷に訪れる準備を始めており、その準備をシリウスへ回すことで突然の婚姻の準備も酷い混乱に陥ることなく済んだのである。
(シリウス様にノイル様を紹介しておかなければ……それに、ノイル様にもお伝えしないと……。手紙を送れないけれど、多分国内にいるのであれば、シリウス様が婚約を破棄されたことや、婚姻の相手が私になったことはノイル様も知っているはず……いや、知らないかもしれないわ)
ノイルは、俗世に興味がない。新聞を読むこともなければ、貴族同士の噂話に交わることもない。さらに自分の興味がないことは、とことん視界に入れない。よってハルミアはこれから自分の想い人がどんな経緯をもって婚姻に至ったかを説明しなければならず、深いため息を吐いた。
「大変です、御嬢様!」
しかし、そんな彼女のため息を破るように、どたどたと騒がしい足音と共に侍女が部屋へと駆け込んできた。
「どうしたのですか。アンリ」
「屋敷に向かって辻馬車が向かってきています! たぶん! おそらくたぶん! いや絶対にルヴィグラ家の婿殿です!」
「落ち着いてください。それより貴女はまた屋上でスコープを覗いていたんですか?」
侍女のアンリは、ハルミアの指摘に手に持っていたスコープをさっと背中に隠した。ロングスカートに沿うように隠そうとしているとはいえ、華奢な彼女の背中では、天体の星々を観察するために、本来設置し用いるそれは大きすぎる。
アンリの趣味は、屋敷の屋上でスコープを使い、方々を観察することだ。あまりいいことではないため、ハルミアはそれとなく注意をしたがやめる気配は見えない。
ハルミアは呆れ目を向けた後、はっとして窓に目を向けた。
「シリウス様がもう屋敷に? 到着は夕方のはずでは?」
「はい。ですから私も驚きまして、のんびり屋上で皆を警備をしていたら、馬車がこっちに来て……あっ、あれです!」
「あの横顔、シリウス様っすね!」
ハルミアとアンリが並んで窓を見ていると、ベスがさらに二人の隙間から顔を出し、屋敷の門の前に今まさに止まった馬車を指した。御者は馬車を止めつつも、動く気配はない。なぜ扉を開きにいかないのかと不思議に思っている間に扉は開かれ、すらりとした人影が降り立った。遠目から見ても一本のピアノ線を通したかのような佇まいに、ハルミアは胸をときめかせるのではなく、ただただ愕然とした。
「シリウス様だ、どっ、どうしよう」
「それより御嬢様、何か妙ですよ。御者が動こうとしません。シリウス様が荷物を運ぶようです」
「えっ、おっ、お手伝い、お手伝いをしないと」
「落ち着いてくださいっす! さっきのアンリより酷いっすよ!」
「そ、そうですね、深呼吸をします」
ハルミアが大きく息を吸う、次の瞬間。アンリの「あ、魔法使った。荷物が屋敷の門の方へぽんぽん飛んできてますよ!」という言葉にハルミアは盛大にむせた。
「う、っああ、魔法が使えるからよね。えっと、じゃあ急いでお迎えしないと」
「じゃあ俺が魔法かけてあげるっす!」
「いえ、普通に私は歩いていきま――うわっ!」
言い終える前に、ベスが詠唱を放った。瞬く間にハルミアの足元に小ぶりな竜巻が起こり、彼女の足が勝手に動いていく。
「あわわわわ、わわわわわ!」
制御できない自分の足に引きずられるハルミアが振り返ると、ベスが小さな声で「あっしまった、どうしよう」と失敗を悟らざるをえない声を発した。
魔法を放った当人が、どうしようなんて言うのはやめてほしい。切実にハルミアは思ったが、悠長に自分を憂う暇などなく足はどんどん加速して、屋敷の廊下や大広間、階段を抜ける。
道中使用人の姿がちらりと見受けられたものの、屋敷の中で最も魔力が高いのは騎士団を追い出されたベスであり、対抗する魔法をかけられても無効化されてしまう。ハルミアが激突しないよう扉を開いたり、物をどかすことがやっとだ。とうとう屋敷の大扉が開かれると、泡が解け弾けるようにしてベスのかけた魔法が解けた。
「えっ」
ぽんと、ハルミアの体が投げ出される。ベスのかけた魔法は、すぐにシリウスを迎えるようにする為のものだ。よって、ハルミアの魔法が解けたということは、彼女がシリウスの前に辿り着いたということである。
「えっ」
「えっ」
ハルミアの視界いっぱいに、シリウスの整った怜悧な顔立ちが広がる。それどころか切れ長で晴れ渡った空色の瞳が広がり、やがて額に強い痛みと衝撃を感じた。
反射的に瞳を閉じながらも、ハルミアは察した。自分がいま、完全にシリウスにぶつかったことに。よって彼女は着地した瞬間、押し倒す形になってしまったシリウスの身体からすぐさま飛びのいた。
「も、申し訳ございません!」
「いや……」
シリウスは頭を左右に振り、何が起こったかよくわかっていない様子で瞳を彷徨わせた。やがてぼんやりと目の前に立つハルミアを見上げると、あっと目を見開いた。
「魔力石は!」
シリウスがその白い髪を振り乱し、血の気が引いた顔で地面を手でさらう。その姿を前に漠然と捧生の儀を行えば、自身の魔力を使うことも腕輪を持つ者に制限されることをハルミアは思い出した。そうか、先ほど魔法を使ったのは、魔力石を使ったからか。大いに焦るシリウスを前に彼女が冷静に納得する中、オルディオンの庭に絶叫が響いた。
「ああああああああああああぁっ! わ、私の魔力石が……!」
シリウスが、愕然としながら手を伸ばし拾い上げるのは、砕けた石の欠片たちだ。子供が海で拾う砕けた貝殻程になった魔力石たちは、輝きを失いただただ散らばるばかり、彼が握りしめ詠唱を行っても反応を示す様子は無い。
「あ……あぁ……」と絶望を帯びた声色で呻きただの石と化したものを拾い集める姿を見て、ハルミアは自分のしたことを理解した。
「も、申し訳ございません。貴重な魔力石を、えっと、べ、弁償致します。今すぐにとは言えませんが、必ず、必ず――!」
魔力石は、貴重な品である。人が一生のうち作れる石は三つほどと言われ、さらに膨大な魔力を必要とするため、少し魔力に自信がある程度では欠片を作るので精いっぱい。硬度はどうあっても硝子を超えることはないため、国内で生成されるのは主に戦時に備える軍事利用か、大規模な災害、疫病が広がってしまった際に用いる防災、救護に集中している。
「〜〜っ! ……だ、大丈夫です。じ、事故のようなものですし」
シリウスは一瞬、ハルミアを力いっぱい睨み付けた。しかしすぐに笑みを浮かべる。ハルミアが立ち上がろうとする彼に手を伸ばすと、避けるようにして立ち上がった。◇◇◇
「挨拶が遅れましたね。ハルミア嬢。私の名前はシリウス・ルヴィグラ。王家の命により、ここに馳せ参じました。突然のことで驚かせ、戸惑わせてしまっていることは承知ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「いえ、そ、その、こっこちらこそ、よ、よろしくお願いいたします」
ハルミアはしどろもどろになりながら頭を下げた。そんな彼女を見てシリウスは怪訝な目をした。
「ハルミア嬢?」自分の行動に疑念を抱かれていることが雰囲気で分かったハルミアは、シリウスの視線から逃れるように「お部屋までお運びしますっ」と彼の荷物を引っ掴み、屋敷の中へと入っていく。
「いえ、荷物は自分で持ちま――」
「御嬢様! っと、旦那様! 大丈夫ですか?」
想定よりずっと重いシリウスの鞄を、引きずらないよう腕に力を籠め運ぶハルミアの前に慌てた様子のアンリとベスが飛んできた。アンリがハルミアの持つ鞄を持ち、ベスがあわあわと手を動かしながら「どれをお持ちすれば?」とシリウスの両手に抱える鞄を見回した。
「使用人のアンリとベスです」
「へぇ、よろしくお願いしますね」
ハルミアが紹介すると、シリウスが柔和な笑みを浮かべる。その視線がどこか値踏みをするようで、ベスは委縮した。しかしシリウスの額にあるものを見つけ、あっと声を上げた。
「あっ、も、もしかして、ハルミア様とぶつかっちゃったっすか? 申し訳ございません! 実はさっき、俺の魔法で……」
「ベス!」
ハルミアは全てを話そうとしてしまうベスを反射的に止めた。しかし、ベスのある癖を思い出し、口を手で覆う。
「あっ……、えっと……――うっぷ」
そしてハルミアが口を手で覆うと同時に、ベスも自分の口を手で覆い、凄まじい速さでその場を離れた。
「どうしたんですか、彼は」
ベスの突然の行動に、シリウスの眉間に深いしわが刻み込まれた。不審者を相手にする目で、ベスの走り去った方向を見つめている。
「えっと、彼は、その、あまり身体が丈夫ではなくて……」
ベスには困った癖がある。それも嘘を吐くと吐いてしまうという、ベス本人の人生の歯車さえも簡単に歪めてしまう恐ろしい癖が。
しかし、本人が不在の間にそんな説明をできるはずもなく、ハルミアは「えっと、では、お部屋に」と強引に押し切ることにした。シリウスは警戒を隠さずベスの去った方向を見つめるも、ハルミアがそれ以上の説明はしないことを察し、屋敷の奥へと入ろうとする彼女の後に黙ってついた。
そのまましばし無言の時間が続き、さっぱりとした顔立ちのベスも合流してシリウスの荷物を運び終えると、彼は「荷ほどきは自分でしますので」とハルミアたちを部屋から退出させ、扉を閉じた。残されたハルミアたちは、アンリやベスは夕食会の支度に、ハルミアは自分の部屋へ、とぼとぼ戻っていく。
(初日から失敗してしまった……)
ハルミアは失敗がないよう、失礼がないよう心の中で何度もシリウスを迎え入れる練習をした。それは決して好意を持ってもらいたいからではなく、相手の記憶に残らないためだ。
自分の存在を認識されたくない。間違ってもおかしな人間だと思われたくない。たとえ常に黒一色の装いであっても、後から思い返される発言はしたくなければ、後に違和感を抱かれる動きもしたくなかった。そして今日ハルミアがした行動は、彼女が忌避していたはずの、印象に残る行動だった。
(忘れられる計画が……)
夕食会では変なことをしないよう十分に気を付けなくては。急がなくて済むように、もう今から大広間に座っていてもいいかもしれない。全くもって身にならないような対策を立てるハルミアの後ろから、ぱたぱたと忙しない足音が響いた。
またベスか、アンリか。何の気なしに振り返ったハルミアは、自分を追ってきた人物――シリウスを見て絶句した。
「し、シリウス様……、どこかお加減が……?」
「手紙を送りたいのですが、遣いをお借りしても構いませんか?」
「はい。もちろんです。私からアンリに渡しますね」
ハルミアが手紙を受取ろうとすると、シリウスがまた一瞬だけ怪訝な顔をした。先ほど大失敗をしたから疑われているのかもしれないと、ハルミアは不安な気持ちになる。しかしシリウスは「ありがとうございます」と甘く微笑み、手紙を差し出してきた。
「いえ、また何かあればいつでもおっしゃってください」
ハルミアは手紙を受け取り、シリウスに背を向ける。そしてそのまま、二人は反対方向へ足を進め別れたのだった。




