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「で、だ。お前さんたち、王女と平民男の結婚パーティーには行くのかい」


 ヴィータの言葉に、ハルミアは心臓がはねた。聖女である末姫と剣士ガイの婚約は、平和記念パーティーで発表された。ということは、近い時期に結婚パーティーが開かれ、正式に祝うということだ。招待状こそまだ来ていないが、辺境の管理権限が今年いっぱいはある以上、必ずそれはハルミアとシリウスのもとに届く。シリウスは、窓から身を投げるほどの絶望に至った末姫と顔を合わせなければならないのだと、ハルミアは届いた時のこと、そして出席か欠席のどちらを選べばいいのかと決めかねていた。


「王家主催といえど、今年からもう私は管理者の権限を譲渡致しますから……」


 弱々しい声で返事をするハルミアの横顔を、シリウスはちらりと盗み見る。彼は末姫シンディーへの恋心を持ち合わせていなかった。末姫と婚約し、ともに旅をしたとき、彼の心にあるのは常に自分であり他者をそこへ入れたいとも、誰かの心に触れたいと思うこともなかった。


 よって、シリウスはハルミアが俯き辛そうな表情を浮かべることについて、祝賀パーティーの日に捧生の腕輪によって見世物の扱いを受けたこと、元々死神令嬢と揶揄され忌むべき存在として扱われているからだと結論付けた。


「私も、同じ意見です」


 ハルミアの言葉に続き、シリウスが頷いた。ヴィータは「いいんじゃないかい。王都も今や安全な場所じゃないからね」と忌々しそうに窓の外へ目を向けた。


「東の魔物……」

「なんです、東の魔物とは」


 ハルミアのつぶやいた言葉に、シリウスがすぐに食いついた。ハルミアは言いづらそうに


「東にまた、魔物が出たらしいのです」

「え……」


 シリウスは愕然とした。東の魔物は、シリウスやガイ、シンディーの率いた騎士団の手で完全に討伐したはずだった。魔物が無尽蔵に生み出されていた沼地もシンディーが封印をして、下級の魔物は近づいただけで消滅するよう、強い魔法もかけてある。にもかかわらず、なぜ魔物が出るのか。考えてもシリウスは思い当たることなく、新たにまた強力な魔物が沸いたのだと結論付けた。そして、新たな魔物が表れてもなお、自分に声がかからないことに、完全に国から必要とされなくなってしまったのだと悟り、誰にも気付かれないよう拳を握りしめる。


「それで、騎士団の状況は……?」

「視察団を派遣したと、先日文が届きました。念のため、気を付けるようにと……」


 ヴィータから話を聞いていたハルミアのもとに、東の状況を知らせる文が届いたのは、彼女から聞いて十日のことだった。国の防衛にかかわる伝達は東と西の果てに最も早く届くようにと決められているため、王家の対応の遅さが如実に表れていた。


「王家は大事にしたくないんだろうねえ。あんな演技がかった平和を大々的に示してしまったのだから」


 その言葉が、シリウスの心に重くのしかかる。自分を呼ばないのは、出るほどのことでもないからではないか。いまハルミアに魔力の権を譲渡されているから呼ばれないんじゃないか。だから呼ばれないだけで、きっと、自分が無能だからと、血を吐くほど努力した魔術の腕の評価が完全に落とされたわけではないはずだ。ぐるぐると思考は渦を巻いて、シリウスを苦しめ、彼は視線を伏せた。


 ハルミアはそんなシリウスを見て、机の下で自分につけられた捧生の腕輪に触れ、ヴィータと会話を交わしながらも自分の無力さを呪ったのだった


◇◇◇


「今日はありがとうございました」


 夕焼けに染まる森の小道を並んで歩きながら、ハルミアはシリウスに話しかける。ヴィータが見送る元小屋を後にして、シリウスはずっと考え込んだ様子で物思いにふけっていた。そして今はといえば、追い詰められた様子はなくただ前を見据えて歩いており、ハルミアは今だと声をかけたのだ。


「……え」

「刺繍と、あと、一緒に来るお願いを聞いてくださって」

「別に、捧生の印がある以上、私が貴方の許可なしにどこかへ出かけることは叶いませんからね。身体を動かしたいとも思っていましたし、丁度良かったんですよ」


 捧生の印は、隷属契約や奴隷契約とも呼ばれており、腕輪の所有者により激痛を与えられるほか、所有者の定めた場所を動こうとしても立っていられないほどの痛みを受けるものだ。よって、シリウスは、ハルミアの同意なしに外に出ることは叶わない。けれど、ハルミアが自分を屋敷に留め置くような人柄でないことも、なんとなくここ一か月の彼女の行動で分かってはいた。


「でも、それでも……ありがとうございます」

「別に」


 シリウスが呟いて、静寂が訪れる。遠くでは滲むように赤い夕陽が沈もうとしていて、二人の影がより濃いものになった。逆光の光がお互いの顔を見えなくして、ハルミアもシリウスも、ただ黙って歩いていく。


「これ、どうぞ」


 ぽつりと何気なく言われ、ハルミアが振り返るとシリウスがハンカチを差し出していた。


「え……?」


 シリウスがハルミアに不機嫌な調子でハンカチを押し付ける。彼女がそれを開くと、ハンカチにはともに見た花畑の花々が輪飾りになっている刺繍が入れられていた。


「王命の制約上、貴女は私の妻です。にもかかわらず、初めて贈る刺繍が知人になる老婆では、問題があるでしょう」」


 初めての刺繍。それだけではなく、シリウスからの初めての贈り物だ。ハンカチを見てハルミアは胸がいっぱいになって、目を輝かせた。優しい微笑みを浮かべた彼女に、今まで笑顔を見たことが見たことがなかったシリウスが目を見開く。その瞬間、二人の間に花びらをまとった大きな春風が吹き抜けて、慌ててハルミアはハンカチを握りしめた。


「あ、ありがとうございます。シリウス様」

「……別に、最低限の義務ですから。それより暗くなりますよ。行きましょう」


 置き去りにするように、シリウスは背を向ける。ハルミアはハンカチを亡くしてしまわぬよう、大切に大切に手に取って、彼の後を追ったのだった。


◇◇◇


 やがて街灯がぽつぽつと光を帯びてきた頃、二人にはオルディオン家の屋敷の前に馬車が泊まっているのが見えた。


「あれは、もしかして……」


 ハルミアの脳裏に、ある人物が過る。すると今まさにオルディオンの屋敷へ通されようとしていた人影は二人へ振り返り「おっ!」と快活でそれはそれは大きな声を上げた


「我が妹ではないか!」

「妹?」


 シリウスが知っているハルミアの家族構成に、兄は存在しない。首を傾げている間にうっすらと街灯に照らされ、輪郭がはっきりとしてきた。オルディオンの屋敷に入ろうとしていたのは、がっしりとしたシリウスと同い年くらいの青年だ。濃い赤銅色の髪は短く切られ、天を仰いでいる。闘志が燃えんとするほど強い青の瞳に、がっしりとした体格の――、


「姉の、婚約者です」


 公爵家次男、そしてハルミアの姉リゼッタと婚約をしていたノイルが、大きな鞄を抱え、二人の前に立ったのだった。


◇◇◇


「いやあ、実は乗っていた船が難破してしまってな。幸い怪我人や死人は出なかったんだが、俺の旅行計画だけは完全に駄目になってしまったんだ! わはは!」


 オルディオンの広間で、グラスを片手にノイルが楽しそうに笑う。ハルミアの姉、リゼッタの婚約者であるノイルは、雨季にだけオルディオンの土地へと足を踏み入れる。王国の魔道具開発を一手に担う公爵家次男である彼は豪胆な性格で笑い方も豪快だ。シリウスと並んで椅子に座るハルミアは、控えめに相槌をうった。


 本来、ノイルが訪れるのはハルミアの姉や両親が共に儚くなった雨季の第三週の真っ只中の日だ。ノイルは必ず命日の二日前に訪れ、命日が過ぎた明け方に屋敷を出る。しかしまだノイルが普段泊まる日から二週間以上の猶予があった。


「それで、俺の義弟になる婿様と会話もしたいしで、ここにやってきたんだ」


 シリウスは突然現れたノイルに、心の中で怪訝な顔をした。自分の身もほぼ居候の形に近いとはいえ、連絡もなしに泊まりに来るとは非常識であること、婿様婿様と半笑いで距離感を最初から詰めてくるノイルに対し、オルディオンの屋敷に共に入り互いの自己紹介を交わしながら失礼な男であると判断を下していた。


「俺は兄しかいないから、ずっと弟がいたらいいのにって思ってたんだ! そういえば婿様も上に兄がいたなあ、同じだな!」


 わはは、と、心のあまり触れてないところを図々しく土足で踏み込んでくるところも、シリウスの嫌悪のひとつだ。それとなく返事をしていると、ノイルはグラスを煽った。


「それに、最近東の魔物が騒がしくなっているし、この西の辺境を守る上でも安泰だ」

「東の魔物……ノイル様も旅の途中で話をお聞きに?」

「いや? 実際に見てきたぞ」


 あっけらかんとした物言いに、ハルミアもノイルも驚きで目を見開いた。ぽかんとしている二人に「なんでそんな顔してるんだよ」と笑いながらノイルはグラスを傾ける。


「見てきたって……と、遠くから、ですよね?」


「いや? 六体は殺したな。小さいのだけどな。丁度あのかかってる時計と同じ身の丈くらいだ。あっ、同時じゃないぞ? 行きに一体会って、帰りにも会う。みたいなことが続いたんだ」


 ノイルは平然と暖炉の上にかけられた時計を指す。彼は公爵家の子息で、剣術もある程度は習う。しかしそれは実戦向きではなく、あくまでも教養としてだ。


 魔力も人並み以上あるものの、日常的に使用する魔術に困らないだけで戦えるほどはない。それを知っているハルミアはとうとう驚きで何も言えなくなった。シリウスは眉間にしわを寄せたままノイルに問う。


「ノイル様は、どうやってその魔物を退治されたのですか」

「食った」

「……は?」

「嘘だよ。魔喰いは魔力を得られるらしいが短命になると言うからな! 道具を使ったんだ」

「道具?」

「ああ。俺の家は魔道具を扱う家だからな。まぁ、勘当されてるが……そこら辺を歩く時の為に色々くすねてきたんだよ。研究中のものも含めて。だからそれで殺した。なんならいくつかここに置いていくか?」


 傍らに置いていた大きな鞄をぼん、と叩くノイルに、シリウスは拍子抜けした。盗品を屋敷に置こうとするノイルに首を横に振り、脱力する。


「じゃあ、そろそろ寝るかなあ。俺は」


 気ままに伸びをするノイルの言葉に、ハルミアははっとした。ノイルの使う予定であった部屋は、今まさにシリウスが使っている。そしてノイルが泊まる部屋はないのだ。事前に部屋の説明を聞いていたシリウスは、一瞬停止したハルミアを見て顔をしかめた。


「えっと、すみませんがノイル様、お泊りに私のお部屋を使っていただいてもよろしいでしょうか?」

「は?」


 シリウスが意味が分からないというように低い声で聞き返す。ノイルも「何故だ?」と訳がわからない様子だ。ハルミアは慌てて付け足した。


「お恥ずかしながら、まだお部屋の準備が出来ていないのです。なので、私はアンリの部屋に泊めてもらうので、お兄様は私の部屋に……」

「いえ、ノイル様。それならば私の部屋にお泊りください。実は今ノイル様の部屋を使っているのは私です。私はハルミア様の部屋に泊まりますので」

「え」


 ハルミアの話をシリウスが素早く遮った。ノイルはといえば「お前ら寝室別だったのか?」と目を瞬いている。


「どうした。喧嘩でもしてたのか?」

「いえ。王都からオルディオンまでの長い旅路に疲れているからとハルミア様の配慮の元です。私自身体調を崩していたこともありまして、でももう今は本調子ですので」


 きっぱりとしたシリウスの物言いにハルミアは頭が真っ白になった。ノイルは「そーかそーか。ありがとうな!」と明朗に笑う。


「この方がよろしいですよね。ハルミア様」


 シリウスが冷ややかな目を向ける。ハルミアは静かに頷きながらただただそこに座っていたのだった。


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