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偽りから始まる恋  作者: あやさと六花


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6/8

六日目 突きつけられた現実

 アシュトンが十五歳で社交界デビューしてから三年。初めは参加するだけで疲労困憊だった舞踏会だが、今ではすっかり慣れてしまった。

 もう最初の頃のように緊張することもないのだろうーーそう、思っていたのだが。

 

(パートナーがいるのといないのとでは大違いだな……)

 

 アシュトンは自身に体を預けて踊っているレイチェルを見やる。「もうすっかり元気になりましたから」との本人の言葉通り、彼女は病み上がりとは思えないほどその足取りもターンもしっかりしていた。


 アシュトンは舞踏会で数え切れないほど踊ってきた。今流れている曲も、何も考えずとも自然に踊れるほど身についている。

 なのに、体がひどく強張っていて踊りにくい。

 

「……あ」

「すみません、踏んでしまって……痛くはなかったですか?」

「いえ……」

「緊張してしまっているみたいです」

 

 はにかむレイチェルに、アシュトンは複雑な気持ちになる。

 

(ミスをしたのは僕のほうなのに)

 

 今のは明らかに、アシュトンのリードが悪かった。レイチェルのミスではない。

 レイチェルはアシュトンに恥をかかせないようにしてくれたのだろう。

 

(……情けないな)

 

 恋人として舞踏会に出られるのは今日だけ。緊張している場合ではないと、アシュトンは気合を入れた。



 

(どうにか、挽回はできたか……)

 

 演奏が終わり、アシュトンはほっと息を撫で下ろした。 


「ふふ。ダンスってこんなに楽しいんですね」

「僕も、すごく楽しかったです」

   

 緊張はしたが、これまで感じたことないような高揚感がある。ミスをしないように神経を張り詰めてヘトヘトなのに、もう一度踊りたい気持ちにさえなる。


 どうしてこんな気持ちになるのか。それは――

 

「好きな人とのダンスって特別なんですね」


 レイチェルの言葉にドキリとする。

 

(そう。僕は彼女のことが好きなんだろう)


 気づかないようにしていたが、もう誤魔化しようはなかった。


 レイチェルの恋心が薬によるものなのが悲しいのも、この関係が終わってしまうのが寂しいのも、慣れたダンスに緊張してしまうのも、でも最高に楽しかったのも、全部彼女が好きだからだ。


 いつからレイチェルに惹かれていたのかはわからない。最初は、ただ普段と違う彼女の変化にドギマギしていただけだったのに。

 彼女の内面を知るうちに、一緒の時間を過ごすうちに、もっと知りたいと一緒にいたいと思うようになっていた。


 もうすぐこの関係は終わってしまう。いっそ、この思いを告げてしまおうか。

 

(彼女とはこの数日、楽しく過ごしていた。薬の効果が切れたとしても、良い関係を築けるかもしれない) 

 

 アシュトンがそう考えていた時だった。

 

「ハリス子爵令嬢。よければ、次は私と踊ってくださいませんか?」


 ひとりの青年が、レイチェルに手を差し出した。

 背が高く、美丈夫なその男は、令嬢たちに人気の令息だ。

 

(この男が令嬢に声をかけるところを初めて見た)

 

 それほど、レイチェルが気になるのだろう。

 先程、この会場に入った時も、男嫌いのレイチェルに恋人がいることを驚く者は多かった。アシュトンに向けられた優しい笑顔に興味を引かれる者も。彼もそのうちのひとりなのかもしれない。

 

「……いえ。私にはパートナーがいますから。今日は他の方と踊りたくはないのです」

「一曲で構いません」

「お断りします」

 

 冷たい表情で、レイチェルは男を跳ねつけた。先程までアシュトンに見せていた柔らかい表情とは正反対だ。

 

 レイチェルは以前から、男性に対しては笑顔を見せなかった。アシュトンもこのような感情のない目を向けられていたものだ。

 

(……何を夢見ていたんだろうか)

 

 見慣れた表情を前に、アシュトンは現実に引き戻された気がした。

 

 本来レイチェルのアシュトンへの好感度など、あの令息と同じくらいのものだ。今好意を抱かれているのも、薬の効果でしかない。

 

「では、ドリンクでもーー」

「それ以上はお止めください。彼女は僕のパートナーですから。……失礼します」

 

 アシュトンはレイチェルの手を引くと、令息の前から立ち去った。

 



「やはり、ガザード様以外の男性は難しいですね。どうしても緊張してしまって……。どう断ろうか悩んでいたんです。助けてくださって、ありがとうございます」


 テラスまで避難すると、レイチェルは安堵したように息を吐いた。


 彼女の笑顔に、アシュトンも笑みを返す。


「目の前で恋人を口説かれていたら、止めずにはいられませんよ。……あ。そうだ。喉、乾いてませんか?」


 アシュトンは窓辺を通りかかった従僕から、ふたつグラスを受け取る。中にはワインが入っている。あの日の舞踏会で出されたのと同じ種類のものだろう。


「どうぞ。……今度は何も入っていませんよ」


 じっとグラスを見つめるレイチェルにそう冗談を言うと、彼女は破顔した。


「そういうつもりで見ていたんじゃないんです。……ただ、あのワインを飲んだおかげで、こうしてガザード様と過ごせるんだなと思っただけです」

「……そうですね」


 過ちではあったが、あれがなければレイチェルと親しく話すことなどもなかっただろう。


「もう少し、ここでゆっくりしませんか? 今日は貴女に興味津々の者が多くて、誘いもしつこそうですから。……あ。ご友人とか挨拶したい方がいるのなら気にせず戻りましょう」

「いえ、大丈夫です。友人たちはしばらくの間、遠くから見守ってくれるそうですので……。それに、たくさん踊って疲れましたし、こちらで休みながら話しましょう」


 星空を見上げながら、レイチェルとたわいもない話をした。

 あと一日で終わってしまうのを、名残惜しく思いながら。

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