閑話:貴族と平民
スタン達の滞在する町の中央付近にある、広大にして豪華な屋敷。そのなかにある一室にて、ひげ面の男はこれ以上無いほど困窮した表情で己の主にスタンとの交渉の結果を報告していた。
「失敗? 今失敗と言ったか?」
「はい。その……交渉は失敗しました」
真っ赤な絨毯に額がつきそうなほど頭を下げて謝罪するひげ面の男の前に対し、立派な貴族服を身に纏った三〇代くらいの細身の男が驚きに目を見開く。その視線が向かう先は、ひげ面の男の隣に立つ白髪の執事だ。
「ロージン、これはどういうことだ? この地の領主にして貴族であるこの私、ウルト・デーリッチの言葉が、どうしてこれほどまでに軽んじられる?」
「そうですな……まず第一に考えられるのは、アラン殿交渉術が私の予想を遙かに超えてどうしようもなかったということでしょうか」
「ちょっ!? ロージンさん、そんなことありませんよ! ってか、今までだってこの手の交渉は何度もやってきたじゃないですか!」
直接の雇用主ではないとはいえ、強い人事権を持つロージンの言葉に、アランと呼ばれたひげ面の男が思わず顔を上げて抗議する。三〇歳で冒険者を引退し、この屋敷に雇われてから八年。相応に結果を出してきたというのに、この程度のことで首を切られてはたまったものではない。
しかしそんなアランの内心や事情など、ロージンの知ったことではない。四肢を床について伏せているアランに向けて、ロージンは冷たい言葉を続ける。
「では、何故です? ウルト様のご希望通り、ドラゴンの子供を買ってくる……ただそれだけの、子供でも出来るようなお使いを三度失敗しておいて、一体どのような言い訳をするおつもりですか?」
「そ、それは……」
「よい、ロージン。確かにアランに高度な駆け引きは無理だろうが、そんなものは必要ないと判断したからこそ任せたのだ。平民相手にお前を出すわけにもいかないしな」
「その通りかと思います。出過ぎた真似を致しました」
デーリッチ家の執事たるロージンが直接出向くのは格下の貴族家か、平民であれば大商人やギルドマスターなどの役職持ちが限界だ。それより下の相手に直接派遣したとなれば、デーリッチ家の格が疑われてしまう。
それ故の判断だったと告げるウルトにロージンが恭しく頭を下げると、小さく頷いたウルトが改めてアランに話しかけた。
「で、アランよ。お前自身は何が原因と考える? お前の意見を述べよ」
「はい。その……最初に交渉したドラゴンの持ち主は、ドラゴンに対する情で。昨日交渉した者は、友を金で売る気はないとのことでしたので、こちらもまた情が原因ではないかと……」
「……………………?」
アランの報告を聞いて、ウルトが心底不思議そうに首を傾げる。
「どういうことだ? 確かに平民だろうと情くらいはあろう。だが同時に、平民というのは金のためなら我が子すら売り払うのだろう?」
「それは……」
ウルトの言葉に、アランは思い切り顔をしかめる。
アステリア王国のみならず、近隣のほとんどの国では奴隷売買は禁止されている。が、それはあくまで表向きであり、実際には地方の寒村で金に困った者が一生分の賃金と引き換えに連れて行かれる「一生奉公」というものがある。それが形を変えた奴隷契約であることは、誰もが知っていることだ。
だが、実のところその制度は言葉の印象ほど悪いものでもないことが多い。農家の次男三男のような存在は少しでも困窮すれば真っ先に口減らしの対象になるし、無事に成人しても継ぐ畑がないのでそのまま家を追い出される。
それくらいなら最低限衣食住に困らない場所に連れて行かれる方が、むしろ生き延びられる可能性が高くなるし、もし勤め先で意外な才能を見いだされたりしたら、出世して自分の家庭を持てる可能性すらあるのだ。
故に少しでもいい相手に我が子を売るというのは、貧しさに抗う術のない親が子供に与えられる最後の愛情なのだという考え方すらあるくらいなのだが、それを貴族であるウルトが理解できるかと言われれば、答えは否だろう。
「銅貨数枚などという金額であれば、情を優先するというのはわかる。だが金貨を何十枚と積み上げられてなお、平民が情を優先する? ロージン、これはどういうことだ?」
「そうですな……」
困惑を深める主の姿に、ロージンはわずかに考えてから答えを口にする。
「おそらくは、ドラゴンの金額を釣り上げるための口実としてそう言ったのではありませんか? 情があるからその程度の金では売れない、もっと高い額を提示せよ、ということかと」
「なっ!?」
「何だと!?」
その言葉に、アランとウルトが同時に声をあげる。だが二人の内心に浮かんだのは全く別の考えで……だがこの場で己の意見を述べられるのは、当然ウルトだけだ。
「何という強欲か! だが確かに平民ならば、そう考える事もありうる……しかし私が提示したのは金貨五〇枚だぞ? これ以上となると……まさか?」
「はい。おそらくは『白金貨』が欲しいのではないかと」
金貨一〇〇枚分の価値がある白金貨は、実のところ滅多に使われることがない。そのレベルの金額になると普通は証文によるやりとりになるため、現金など使わないのだ。
更に言えば、日常においては価値が高すぎて使いづらすぎるし、スリに盗まれたり盗賊に襲われたりしたら被害額が大きくなりすぎる。証文ならば換金する際に捕まえたりもできるが、硬貨となるとそういうこともできない。
なので、全財産を持ち歩くようなやむを得ない事情でもない限り、白金貨とは家の金庫にしまっておくだけのもので……だからこそ「白金貨を持っている」という事実そのものがステータスとして扱われるのだ。
実際、立身出世を夢見る商人が「俺もいつかは白金貨を手にしてやる!」と意気込むのは庶民に愛される歌劇の定番の一つであり、商人のみならず冒険者などでもそれを目標とする者はいる。だが……
(いや、違う。あいつらはそういう感じじゃなかった)
普通ならばあながち的外れということもないロージンの予想を、しかしアランは内心で否定する。生粋の貴族であるウルトや、何代にも渡ってデーリッチ家に仕えるロージンと違い、アランはごく普通の平民だ。だからこそ若いスタン達が本気でドラゴンに入れ込んでいると確信している。
「なるほど! 望外の幸運に恵まれたことに調子にのって、更に更にと求めているわけか……何とも浅ましい。いや、その浅ましさこそが平民の証か」」
「左様でございますな」
もっとも、それを口に出す権限がアランにはない。というか、否定したところで価値観が根本的に違うため納得などされないだろうし、下の立場から説得などそれこそできるはずもない。
「ならばそれに応えるのがよいのか? 生きたドラゴンの子供ということであれば、白金貨一枚ならまだ安いが……」
「いえ、それはいけません。そのようなことをなされては、平民は更につけあがり、最後には貴族の地位をよこせなどと言ってくるかも知れません。
それにそもそも、平民であればウルト様のお言葉をありがたく受け取り、喜んでドラゴンを差し出すのが当然です。にも拘わらず正当な対価を払うと言うウルト様のお慈悲を拒否した時点で、これ以上の情けをかける必要などありませんでしょう」
「それもそうだな。ではどうする? もういっそ奪ってしまうか? 確か奪っても、法的には問題ないのだろう?」
「勿論その通りですが、とはいえ当家の者が直接奪い取っては、他の貴族家の方から何か言われる可能性もございます。ですのでここは、別の策を用いるのがよろしいかと」
「別の? 何かいい方法があるのか?」
「はい。まずは――」
(ハァ、やっぱりこうなっちまったか……まあ、自分の選択の結果だ。精々頑張って逃げるんだな)
ドラゴンを手に入れる次なる手段を検討し始めたウルトとロージンの言葉を流し聞きしながら、アランは苦い表情を浮かべてそんなことを考えるのだった。





