分かたれてなお絶たれぬもの
「うぅぅ…………」
全ては自分の勘違いだった。そんな現実を突きつけられ、ティーチががっくりと項垂れる。するとそんなティーチを見て、ジーサンが小さくため息を吐いてから声をかけた。
「ほれ、ティーチよ。自分が何をしたかわかったなら、言うべきことがあるのではないか?」
「うぐっ!? そ、その……悪かったよ……」
「ハハハ、構わぬよ。特に今回は、取り返しのつかぬ被害なども出なかったしな。であれば既に反省している者を、これ以上責めるつもりはない」
「仮面……いや、スタンさん……」
濡れ衣を押しつけて一方的に攻め立てた自分を笑顔で許すスタンの姿に、ティーチは大人の余裕のようなものを感じた。同い年でありながら自分とは全く違うその在り方に、ティーチは改めて己の不甲斐なさに歯を噛みしめる。
「ハァ、本当に馬鹿やっちまったぜ。せっかく悟りを開いたってのに……」
「悟り? 何の話だ?」
「うおっ!? いや、それは……」
ティーチの呟きに混じった聞き捨てならない言葉に、ジーサンがぐっと顔を近づける。それに戦きながらもティーチが自分の身に起きたことを説明すると、ジーサンが今日一番の深いため息を吐いた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……何だそれは。そんなものが『悟り』であるはずがなかろう?」
「は!? 何言ってんだよジジイ! 俺は確かに悟りの境地に辿り着いたんだ! それでこう、スゲー力を……」
「一応確認してやるが、力というのは、ひょっとしてこれのことか? ……破っ!」
そう言うとジーサンは静かに目を閉じ、胸の前で両手を合わせて数秒意識を集中すると、気合いと共に右手を突き出す。するとそこから規模こそ違えど、ティーチが放ったのと同じ白い閃光が迸った。
「うぇぇ!? な、何でジジイがそれを使えるんだよ!? まさかジジイも『悟り』を開いてたのか!?」
「そんなわけなかろう! これは集氣法と言って、プッター教の正式な僧侶であれば誰でも使える技だ。別に特別なものでもないし、ましてや『悟り』とは何の関係もない!」
「う、嘘つくなよ! 俺はこの寺院で生まれ育ったんだぞ!? なのにそんなの、一度だって見たことない!」
「子供の前で危険な技など使うわけなかろうが。それにこの技の本質はゴーストやアンデッドのような歪んだ命を持つ者を撃退したり、瘴気を抑える結界を作ったりというものだ。そんな場所にお前が同行できたはずもないのだから、見たことがなくて当然だ」
「うごごごご……で、でも、俺は確かに扉を開くイメージが……」
分が悪いとわかりつつも必死に食い下がるティーチの言葉に、ジーサンが鼻を鳴らして呆れた目を向ける。
「フンッ! それこそ単なる想像……いや、妄想であろう。若い修行僧のなかには、たまにそうやって自分に都合のいい夢や妄想を信じて『俺は悟りを開いたぞ!』などと言う者が出てくるのだ。
まあ大抵の場合はしっかり諭してやれば理解するが、なかには自分が特別に選ばれた存在だと信じて疑わぬ者もいる。そういう輩は……」
「…………ど、どうなるんだよ?」
「数年して落ち着いて自分を顧みられるようになるとな、『若い頃の自分は何であんなことを言ってしまったんだろう』と、恥ずかしくて身悶えるようなるのだ」
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
非情なジーサンの宣言に、ティーチは数年を待たずして叫び声をあげて身悶え始める。人々を救うために決死の覚悟で悪の巣窟に飛び込み、悟りを得て邪悪な仮面野郎を討伐したはずが、自分の勘違いで突っ走った挙げ句、都合のいい妄想を並べて悟ったつもりになり、割と誰でも使える力をまるで奥義か何かのように解き放ち、怪しい仮面を被る変な趣味があるものの、町のために尽力してくれていた一般人を一方的に攻撃しただけ……その事実はまだまだ若いティーチには、あまりにも受け入れがたかった。
「記憶を! 記憶を消してくれぇ! それともいっそ殺して――」
「なあ、ティーチ」
正座したまま頭を抱え、上半身を激しくくねらせるというちょっと気持ち悪い動きを続けるティーチに、ジーサンが優しく声をかける。
「人というのは、誰でも過ちを犯し、後悔を重ねるものだ。私とて常に正しかったわけでもなければ、後悔していることもある」
「そう、なのか?」
「ああ、そうだとも」
まっすぐ見つめる孫に小さく頷くと、ジーサンの目がその向こう側を映す。
「もし私が若い頃、もっと必死に修行を積んでいたら……あるいはトーサンとカーサンを犠牲にせずに、私一人が人柱になることで結界を修復できたかも知れぬ。そうでなくても息子が結婚を決意した時、お前が生まれたとき……私の力が衰えるより前にそれを決断していれば、お前に両親を残してやることができたかも知れぬとな」
「ジジイ、それは……っ」
「ああ、意味のない妄想だ。私は死ぬべき時を見誤り、その結果息子夫婦を見送ることになってしまった。それどころか悲しみに沈むお前を救ってやることもできず、一人ここで寺院を維持することで精一杯……なんと情けないことか」
「ジジイ…………」
ついさっきまで上から自分を押さえつける恐ろしい存在であった祖父が、今は随分と小さく見える。実際ティーチの肩に乗せられた手は、火が出るような拳骨を落としたとは思えない、深いしわの刻まれた弱々しい手だった。
「それに対してお前はどうだ? 確かに勘違いで暴走し、人様に迷惑をかけた粗忽者であることに変わりはない。だがそうであったとしても、お前が行動したのは大事な人を護るためだったのだろう? 一刻の猶予もならぬとたった一人でここにやってきて、己が悟ったと勘違いするほどの決意と覚悟で技を放った。
無論、それは手放しに褒められるものではない。誰かに協力を要請したり、あるいは自分に何かあったときのために記録を残したり、やるべきこと、やらねばならなかったことはいくつもある。だがそれでも、お前の心根にある『人を救いたい』という想いの価値が変わるわけではない」
ジーサンが、ぎゅっと孫の体を抱きしめる。
「お前はトーサン……トールにそっくりだ。その心の在り方を、私はお前の祖父として、誰よりも誇りに思う。そしてお前がそう名乗ったのならば、私もまたこう返そう。
よくぞ戻った、ティーサンよ。チョイヤバダッタ寺院は、お前の帰来を心より歓迎するものである」
「ジジイ……ジーサン…………俺は…………話もしねーで、逃げちまって……だけど……なのに…………っ!」
「ああ、ああ。いいのだ。お前が元気に戻ってきてくれたのだから、それだけで十分だ。これもきっと、ダイ・プッター様の思し召しに違いない」
「何だよそれ……頑張ったの、俺だぜ……?」
「そうだな。だがそれと同じように、お前を取り巻き、お前を支える多くの人達もまた頑張ったのだ。無論、この私もな。そしてそういう大きな流れと一体となることを、ダイ・プッター様は『悟り』と呼ばれた。
故に人生全てが修行であり、そこに身を置くことはダイ・プッター様の思し召しなのだ」
「ははは、なんだそりゃ……本物の『悟り』ってのは、随分遠いんだなぁ」
「そうだとも。だがそれならば、これからゆっくり学んでいけばいい。文字だけで学んだ子供時代と違って、心と体全てでな。共に修行をしようぞ、ティーサンよ」
「ああ、わかったよジーサン。もう一回、頑張ってみるか……ハハハハハ……」
「くすん……何だかちょっといい話ね……」
「そうだな。分かたれてなお絶たれず。絆を結び直す情景は、いつだって素晴らしいものだ」
固く抱き合い、泣きながら笑う祖父と孫。刻まれた溝は消えずとも、埋まりさえすれば再び手は届く。そんな親子のやりとりを、スタン達は温かい気持ちになりながらしばし静かに見守るのだった。





