閑話:悟りの境地
(まずは……怯えを捨てる)
頭の中でそう考えながら、ティーチは敵を前に目を閉じる。それはどう考えても自殺行為だが、その程度の恐怖を乗り越えられずして「悟り」に届くはずもない。
とは言え、悠長に無防備な姿を晒し続ければ殺されるに決まっている。故にティーチがやったのは、極限の集中。幼い頃から座禅を続けることで会得していた一秒を永遠に圧縮する技術にて、魂を押し潰さんばかりに己の力を凝縮させることで、内にある時の流れを加速させるのだ。
そうして意識するのは、ダイ・プッターの六門の教え。呼吸するより自然に浮かんでくるそれを、己の中で改めて咀嚼していく。
(今までと同じじゃ駄目だ。上辺をなぞってその通りにするんじゃねぇ。俺の中に教えを取り込む。じゃなきゃ門は開かねー)
高まった意識が無意識に語りかける。暗闇に満ちた心象風景のなか、ティーチの周囲に六つの門が現れた。
(一の門は、位置の門……俺は何処にいる? 何に縛られてる?)
ティーチの四肢に、鎖が巻き付く。それはプッター教であったり、孤児院の子供であったり、祖父を恨む気持ちであったり、両親に会いたいという想いであったりと様々だ。それらに縛られたティーチの体は宙空に貼り付けとなり、どれだけもがいてもそこから逃れることができない。
だが、それは違うと今ならわかる。ほんの少し認識を変えるだけで鎖は支えとなり、ティーチの顔が知らず微笑む。
(俺は何者にも縛られてなんていなかった。多くの人や想いに支えられ、泡のように護られ浮いている……それに気づけなかった俺は、ただのガキだった)
一つ目の門が開け放たれる。
(二の門は、荷の門……俺が背負っているのは何だ?)
浮いていたティーチを押し潰すように、その背中に重みがかかる。命を賭して町を護った両親の意思を引き継ぎ、己もまたいつか命を費やして町を護らなければならないという重責。捨てるには尊すぎて、だが背負うには重すぎて……しかし踏ん張る足から力を抜いてみれば、肩の重さはスッと消える。
(やれと押しつけられたんじゃない。俺がやりたいと望んだ。ならこれはのしかかってくる重さじゃない。俺の中にある、俺の一部……俺の誇りだ)
二つ目の門が開け放たれる。
(三の門は、産の門……俺は望まれて産まれたか?)
自分を捨てて町を選んだ両親。それを恨んだこともあったし、自分の存在が単に結界を維持するための消耗品に過ぎないのではと考えたことだってあった。ならば産まれてこなければよかったか? これまでの日々を思い出せば、その答えは明白だ。
(親父もお袋も、俺を愛してくれた。寺院での暮らしだけじゃなく、ひねくれて町に降りてからの暮らしだって悪くなかった。今俺がここに生きていることに、心からの感謝を)
三つ目の門が開け放たれる。
(四の門は、死の門……俺は死を恐れ、遠ざけているか?)
幼い自分は両親の死を受け入れられなかった、いずれ同じように自分も死を押しつけられるかと思えば、恐ろしくて夜も眠れなかった。そして勿論、今でも死は恐ろしい。
だが、死が無をもたらすわけではないことを、ティーチは知っている。愛する父と母が、それを身を以て教えてくれた。
(死ねば終わりは変わらない。だが死んだ先にも世界は続いている。だから俺は死を受け入れて前に進む。いつか誰かが、俺の死を踏み越えて進んでいけるように)
四つ目の門が開け放たれた。
(五の門は、後の門……俺に続く奴はいるか?)
寺院を飛び出してしまった自分に、後輩と呼べるような存在はもういない。誰かを育て導くなんて、半端な自分にできるはずもないのだ。
では、自分は何も伝えられていないか? そんなことはないと、ティーチの中で小さな笑顔が首を振る。
(教えたなんて大層なことは言えねーけど、孤児院のガキ共には俺なりの生き方を見せてきた。どうしようもねー反面教師かも知れねーけど、あいつらならきっと、俺なんかよりずっと立派な大人になるはずだ)
五つ目の門が開け放たれた。
(六の門は、録の門……俺は何かを残せたか?)
最後の最後で、ティーチの歩みが止まる。形になるようなものなんて、ティーチはこれまで何も残してこなかったのだ。もしこのままここで死んでしまったりすれば、後には何も……
(へっ、馬鹿言ってんじゃねーよ! 待ってる奴がいるのに、俺がこんなところで死ぬもんか! 記録はこれから生きて残す! 今日この日の出来事が、その最初の一ページだ!)
それは未来への誓い。生きるという強い想いを、歴史に刻む覚悟と決意。そうして六つの門が全て開いたのを確認すると、ティーチはゆっくりと目を開けた。
「であるからして……む? 漸く目を開けたか」
「……何で攻撃しなかった?」
目を閉じてから開くまで、おおよそ五秒。完全に無防備になっていた自分にひたすら話しかけていたらしい仮面男に、ティーチは訝しげな声で問う。
「何故? 今言ったとおりの理由だが?」
「そうか。つまり俺を生きて洗脳できねーと、利用できねーってことだな?」
「は!? 待て、そちは今余がした説明を何一つ聞いていなかったと!? 目を閉じていたのはわかっていたが、まさか本当に寝ていたのか!?」
「ああ、ついさっきまで、俺は寝ぼけたガキだった。だが今はもう違う。俺なんか簡単に洗脳できると侮ったツケ、たっぷり払わせてやるぜ! ハァァァァ!」
自分の洗脳話術が通じないことに驚いている仮面男を無視して、ティーチが叫び声をあげながら気合いを入れる。するとティーチの魂が激しく沸き立ち、その体から可視化するほどのオーラが立ち上る。
「ぬぉぉ!? 何だそれは!? 余の『王の威光』に近い感じがするが……?」
「これぞ俺の悟りの境地! 我が命の脈動を以て、悪鬼羅刹を討ち滅ぼす乾坤の一撃と成さん!」
「いやいやいやいや!? 何故ここでそんな、英雄が覚醒したような雰囲気を醸し出しているのだ!? そういうのはもっと場面を選ぶべきであるというか、少なくとも今ではないと思うぞ!?」
その強大な破邪の力を感じ取ったのか、黄金仮面が焦った声をあげる。だがティーチはそれを一切気にすること無く、敵とその背後にある邪悪な魔導具に向けて両手を突き出して構え、そこに魂の力を振り絞って凝縮させていく。
「もう俺は、現実から逃げてた頃の俺じゃねぇ! 今なら胸を張って言える! 俺は、俺の名は……」
「逃げていないというのなら、とにかく話を――」
「寺院生まれのティーサンだ! 破ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「何だと!? 皆集まれ! ファラオシールド!」
猛る命の本流が解き放たれ、真白き光が洞窟の中を満たしていく。その激しい閃光が収まると同時に力を使い果たしたティーチ……ティーサンはがっくりとその場に膝をつき……だがニヤリと笑みを浮かべる。
「は、はは……やってやったぜ…………」
眼前からは邪悪な魔導具が跡形も無く消え去り、黄金仮面は地に倒れ伏している。見事己のやるべき事をやり遂げたティーサンが最後の力を振り絞って立ち上がると、不意に背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「こ、これは!?」
「ジジイ!? 生きて、たのか…………よかった…………」
「ティーサン、お前……」
ふらつくティーサンの側に、ジーサンが静かに歩み寄ってくる。満足げな笑みを浮かべるティーサンに対し、ジーサンはその頭にそっと手を添え……
「この、馬鹿者がぁぁぁぁ!!!」
「ぐはっ!? な、何で……!?」
今まで見たこともないような怒りの形相を浮かべたジーサンの拳骨により、ティーサンの意識は再び闇へと沈んでいった。





