閑話:謎の護符
それから五日後。その日もティーチは何の気なしに孤児院へとやってくると、いつも通りにちょっとした雑用を手伝っていた。
「ティーチさん。そろそろ終わりますか?」
「おう、あとちょっとだぜ」
様子を見に来たマリアに、ティーチが地面を掘り返しながら言う。今日の仕事は子供達がやった草むしりの後始末だ。
力が弱かったり、あるいは注意力が足りなかったりで、子供が草むしりをしても、地表に出ている部分をむしるだけで地面の下に根が残ってしまっていることが多い。それだとすぐに次の草が生えてきてしまうため、ティーチはわざわざ地面を浅く掘り返して根の処分をしているのだ。
作業としては二度手間どころか、ぶっちゃけ最初からティーチが草をむしってしまった方がずっと早くて楽。だがそれをしないのは、子供達にとって「自分の住む場所の手入れを一生懸命やった」という経験が重要だとわかっているからだ。
「すみません。子供達も精一杯やってくれているんですが……」
「ははは、いいってことよ。ガキが足りねーのは当たり前だ。ならそこを補ってやるのが大人ってもんだろ……っと、よーし、完了!」
そんな話をしている間にも、草むしり……というか根掘りが終わる。立ち上がってうーんと腰を伸ばすティーチに、マリアが優しい顔で声をかけてきた。
「お疲れ様でした、ティーチさん。お茶を用意してありますから、是非休んでいってください」
「お、ありがとな。じゃ、お言葉に甘えて」
その誘いに応じると、ティーチはマリアと揃って孤児院の中に入っていく。途中ですれ違った子供達の頭をグリグリ撫でたりしてから奥の部屋に行くと、マリアの入れてくれたお茶を飲みながら雑談に興じる二人だったが……そんななか、ふとマリアがティーチに何かを差し出してきた。
「そうだ、ティーチさん。先日町でこんなものをもらったんですけど」
「うん? 何だこりゃ? 人の顔……?」
人の顔を模した金色の何かに、ティーチが思わず眉根を寄せる。何処か見覚えのある造形だったが、それが何処だったのかは今ひとつ思い出せない。
「これ何ですか、マリアさん?」
「ファラ・プッター様という聖人の顔を模した護符で、持っていると大切なものを護ることができるんだそうです。プッター教の方が町で配ってるんですよ」
「ファラ・プッター!? へ、へー…………?」
ティーチは、自分が坂の上の寺院の孫であることをマリアには言っていない。なので微妙に顔を引きつらせながらも平静を保とうとしたが、頭の中は激しく混乱する。
(ファラ・プッターって何だよ!? そんな名前聞いたこともねーぞ!? それに護符を無償で配るって、ジジイの奴何考えてんだ?)
売るというなら、まだわかる。教会の聖印やプッター教の数珠など、その宗派を象徴する道具を寄付をしてくれた相手に渡すというのは、何処の宗教でもやっていることだ。あるいはプッター教が無名の宗教であるなら、知名度を得るために無償で配るというのも無いことは無いだろう。
だがこの町で、プッター教を知らない者などいない。おまけに配られているのは寺院の跡継ぎとして英才教育を受けた自分も知らない謎の人物を模したという護符だ。祖父の意図が全く読めず混乱を深めるティーチに対し、それに気づかないマリアが話を続けていく。
「ティーチさん、もしよかったら、それ受け取ってください」
「えっ、俺に!? い、いや、でも、大事なものを護るって言うなら、マリアさんが持ってた方がいいんじゃねーか?」
「いいんです、私にはこれがありますから。それに……」
自分の胸に下がった聖光教の聖印に視線を落としてから、マリアがティーチの手に自分の手を重ねてくる。
「ま、マリアさん!?」
「ティーチさんは、時々凄く悲しそうな顔をしています。私にはそれが何かわかりませんけど……この護符が少しでも、貴方の大切なものを護ってくれればいいと思ったんです」
「……………………」
その言葉に、ティーチの息が詰まる。「何も知らないくせに」と怒鳴り散らしたくなる一方で、マリアから伝わる優しいぬくもりがそれを押し留め……ティーチの胸の中に言い様のない痛みが走る。
「ごめんなさいティーチさん。余計なことでしたか?」
「…………いや、そんなことねーよ」
せっかく出来たかさぶたを剥がされて、心の傷から見えない血が再びじわりとにじみ始める。それを隠しきれない自分の未熟さにティーチが内心歯噛みをしていると、突然外から叫び声が聞こえてきた。
「キャーッ!」
「大変だ! 姉ちゃん! マリア姉ちゃーん!」
そのただ事では無い様子に、二人は即座に席を立って建物の外にでる。するとそこには苦しげな顔で地面に横たわる子供と、心配そうな顔で周囲を囲む他の子供達の姿があった。
「これは……!? 何があったんですか!?」
「わかんねーよ! リーベルの奴、突然倒れて……」
「う、うぅ……」
「リーベル君! 大丈夫ですか!?」
呻きながらも体を起こしたリーベル少年に、マリアが慌てて背中を支えながら声をかける。
「マリアお姉ちゃん……」
「何処か苦しかったり痛かったりしますか?」
「ううん、もう平気……」
「そうですか、よかった……」
「おいリーベル、何があったんだ?」
ひとまずホッと胸をなで下ろすマリアを横に、ティーチがリーベルに問いかける。するとリーベルは困ったような顔をしながらも、ゆっくり今起きたことを語り始めた。
「あのね、ボク、いつもこれにお祈りしてたんだ」
「そいつは……聖印か? でもちょっと形が違うような?」
「うん。これね、前に町のゴミ捨て場で拾ったの。本物の聖印はもらうのにお金がいるから……だからこれにお祈りしてたんだ」
「そんな!? そのくらい、言ってくれれば私がいつでも用意したのに!」
「でも、お姉ちゃんに迷惑かけたくなかったから……」
「リーベル君……」
「マリアさん、その話は後だ。それでリーベル。続きは?」
「うん、それでね…………あ、あった」
少し周囲を探したリーベルが、地面に転がっていたそれを見つけて拾い上げる。
「この前町で、これをもらったの。大切なものを護れるっていうから、これと聖印を一緒にしてお祈りしたんだけど、そしたら何だか急に凄く気持ち悪くなっちゃって……」
「お前、そいつは……おい、ちょっとそれ貸せ!」
リーベルが手にしていたのは、プッター教が配っていたという謎の護符だった。ティーチはやや強引にそれを奪い取ると、ぐっと意識を集中してみる。するとそこに、ほんのわずかではあるが何らかの力の流れを感じた。
(何かが集まってる……吸われてる? 何だこれ、魔力じゃねーよな。でもこの感じ、どっかで……)
険しい表情を浮かべながら、ティーチは必死に自分の記憶を探っていく。一年、三年、五年……そうしてその記憶が一〇年前まで辿り着いたところで、ティーチの中に衝撃が走った。
「…………っざけんな」
「ティーチさん? どうされたんですか?」
「お兄ちゃん?」
「…………何でもねぇ。なあマリアさん。悪いんだけど、この護符が他にもあるなら、どっかに集めて誰も触らねーようにしといてくれねーか? 本当ならぶっ壊せりゃいいんだけど、どんな副作用があるかわかんねーから……」
「わ、わかりました。ティーチさんがそういうなら」
「頼んだぜ。俺はちょいと用事ができちまったからよ」
「えっ!? ティーチさん!?」
一方的にそう告げると、ティーチはその場から走り出す。目指す先は当然、坂の上にある寺院だ。
ティーチは決して忘れない。あの日……結界に身を捧げた両親が発した命の波動は、たとえその場にいさせてもらえなかったとしても、離れた部屋に閉じ込められていたティーチの中にしっかりと伝わってきた。そしてそれと同じものが、護符によって集められ、寺院へと送られている。
(持ち主の命を吸い取る護符だと!? ジジイが何を考えてるか知らねーが……そんなもん、俺が全部ぶっ壊してやる!)
覚悟と決意を暴走させたティーチは、目を血走らせながら町を抜け、長い階段を全速力で駆け上がっていった。





