ダイ・プッター物語 前編
誰かと価値観を共有できることは、多くの人にとって幸福であるという。実際自分の信じる宗教に興味を持ってもらえたことで、ジーサンは嬉しそうに目を細める。
「そう言っていただけると、私としても実に嬉しいですな。では、どうでしょう? もしお二人がよろしければ、まずはプッター様の生い立ちからお話したいと思うのですが……」
「余としては願ったりだが、ジーサン殿の都合はいいのか?」
「勿論。プッター様の教えを広めることこそ、我らの役目でありますれば」
「ではよろしく頼む。アイシャよ、そちは――」
「せっかくあの階段を上ってきたんだから、そりゃ聞くわよ! 改めて考えると、そういう話ってちゃんと聞いたことない気がするし」
気を遣って問うスタンに、アイシャがそう言って軽く首を傾げる。するとジーサンは一つ大きく頷いてから話を始めた。
「では、お聞かせしましょう……ダイ・プッター様の本名はドーヤラ・シッタカプッタと言いまして、とある国の王族として生まれました。シッタカプッタ様は大変に聡明な子供で、わずか五歳にして国の法律を諳んじたと言われております。
一〇歳になる頃には国中の全ての本を読み尽くし、一二歳で国政に携わり、役人達の問うどのような難問にも瞬時に答えを出すことから、『シッタカプッタ様こそこの世の英知を全て携えた、世界最高の賢人である』と褒め称えられたほどでした。
ですがそんなシッタカプッタ様に、転機が訪れます。それはシッタカプッタ様の一五歳の誕生日のことでした。
シッタカプッタ様の誕生日には、毎年必ず国民のなかから選ばれた招待客がおりましてな。その年も運良く選ばれた家族が来ていたのですが……そこで幼い子供がシッタカプッタ様に対し、『どうして空に浮かぶ太陽は落ちてこないのか?』と問うたのです。
その時、シッタカプッタ様は衝撃を受けました。天に輝く太陽が落ちてこないということに、これまで疑問など抱いたことがなかったからです。
どれほど難しい法廷問答だろうと、国を行く末を左右するような政治問題であろうと即座に答えられる自分が、子供が疑問に思う程度のことすら答えられない。それを思い知ったことで、シッタカプッタ様はこうおっしゃいました。『ああ、自分は城の窓から外を覗くだけで全てを知った気になっていた、知ったかぶりの愚か者であった』と。
そうして己の無知を悟ったシッタカプッタ様は、その日のうちに城を出て世界を巡る旅に出たのです……と、ここまでがシッタカプッタ様の幼少期から旅立ちまでのお話となります。ここらで一息入れましょう。ショーサン!」
そう言って話を区切るジーサンが声をかけると、すぐにショーサンが丸くずんぐりした形の湯差しと、持ち手のない小さなカップをトレイに乗せて持ってくる。
それを三人の前に置き、湯気の立つ白湯を注いでから一礼して出て行くのを見送ると、皆が揃って白湯で口を湿らせる。
「なかなかに聞き応えのある話だな。秀でた英知を持っていたが故に、足下の素朴な知を見落としていたということか」
「頭がいいってのも大変なのね。アタシが同じ事聞かれたら、『何でだろうね?』って一緒に首をひねって終わりにしそうだけど」
「ハハハ、それはそれで一つの真理ですな。ですが当時のシッタカプッタ様は、わからぬものをわからぬと割り切ってしまうことを良しとはしなかったのです。
旅に出たシッタカプッタ様は、王族の身分を隠し様々なことに挑戦しました。民に混じって畑を耕したり、商売をしてみたり、時には獣に混じって野山に寝泊まりし、魚の真似事をして川に潜るなど、その探究心は人という枠を超えて世界全てへと向けられます。
ですが、所詮は人の身。四〇歳を過ぎる頃には、この世界はあまりに広く、全てを巡って知り尽くすことなど到底出来ないということを思い知らされました。
ではどうするか? 岩の上にて座禅を組み、風雨に晒されながら考え込むこと数年、遂にシッタカプッタ様は一つの境地に辿り着きます。それは世界を知るために、世界を巡る必要などないということです」
「……? えっと、それってどういうことなんですか?」
意味がわからず思わず聞いてしまったアイシャに、ジーサンが静かに微笑んでから話を続ける。
「人に限らず、世界に存在するものは多かれ少なかれ世界に影響を与えております。たとえば私がこうして話している声はお二人だけではなく周囲にも響いておりますし、私がこうして手を動かせば、それに影響されて世界には風が吹くわけです。
そしてそこには勿論私だけではなく、スタン殿やアイシャ殿、この世界に存在する全てのものの影響が混在しております。つまり今こうして自分の肌に感じるものは、世界中の全ての存在の吐息や鼓動、身じろぎ、瞬き……ありとあらゆる全ての全てが混じり合ったものなのです。
それに気づいた瞬間、シッタカプッタ様の心と体は、真に世界と一つになりました。吹き抜ける風が、降りしきる雨が、照らす日差しが、覆う闇が。自分を包む自然の全てが世界と繋がっており、それに触れる自分の体もまたその一部……個にして全なる世界であるという『悟り』を得たのです」
「ほほぅ、それが『悟り』か。町で聞いた話とは若干違うような気がするが……?」
「そちらは一般向けにわかりやすくしたものですな。今の話をそのままお教えしても、アイシャ殿のような顔になってしまいますから」
スタンの言葉に、ジーサンが若干苦笑しながらアイシャの方を見る。すると眉間にしわを寄せていたアイシャが、慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! 正直あんまりよくわかんなかったっていうか……」
「いえ、構いませんよ。というか、本当の意味での『悟り』は、我らとて一生をかけてその境地に至る修行を重ねるものですからな。むしろ今の話だけで理解されてしまっては、我らの立場がありませんぞ。
とはいえ、ご興味があるのであれば、もう少し本式の話もあります。そちらの方もお聞きになりますかな?」
「無論だ! ジーサン殿がいいのであれば、是非お聞かせ願いたい!」
「アタシも、ここまで聞いて続きを聞かないのはモヤモヤしちゃうから、聞きたいわ」
「それはそれは、素晴らしい心がけですな。では少し休憩を……そうですな、四半鐘(三〇分)ほどしたら、またこちらにいらしてください。おーい、ショーサン!」
「はーい!」
ジーサンに呼ばれ、再びショーサンがやってくる。
「このお二方を休憩室に案内して差し上げなさい。私は次の話を準備をするから」
「かしこまりました! ではお二人とも、こちらへどうぞ」
「うむ、すまぬな。ではジーサン殿、また後ほど」
「ありがとう、ショーサン君」
ショーサンに連れられ、スタン達は広間を出て近くにある小部屋に案内される。そちらもまた絶つ編みの床が敷き詰められており、部屋の中央には室内にもかかわらず灰の敷き詰められた場所に炭が置かれ、上に物が置けるような金属製の台座も据え付けられている。
「今火を熾してお湯を沸かしますね。お二人はそちらで楽にしていてください」
「木や草に囲まれた建物のなかで、火をつけるのか? 魔導具などを使った方が安全だと思うのだが」
「あはは、僕もそう思いますけど、何だったかな……ヨーシキビ? こういう感じの方が、お客様が喜ばれるんだそうです。って、これ言っちゃいけないやつだった! ご、ごめんなさい! 忘れてください!」
「ふふ、平気よ。告げ口なんてしないから」
子供らしく慌てるショーサンに、アイシャが破顔して答える。その後三人はシュンシュンと湯の沸いてくる心地よい音に耳を傾けながら、しばし雑談に興じた。





