ファラオの企み
「…………………………………………」
ホーンドアント改めファラオアントの巣の直上。深い森であった地上部分に広がる光景に、ローズは完全に放心していた。
切り開かれた前庭には美しい花が咲き乱れ、ちょうどよく腰掛けられそうな倒木や清らかな水たまりなど、神が人の為に森を庭に作り替えたかのような調和のある美が広がる。そこではファラオアント達がはしゃぐように走り回っており、何とも平和な雰囲気が満ちあふれている。
そこを進むと、奥には土と木で作られた小さな宮殿がある。絡み合う太い木の幹の隙間から差し込む光は柔らかく室内を照らし出し、清涼な空気は神聖な気配すら感じさせる。
そして最奥には、巨大な玉座が存在する。そこには黄金に輝く女王とそれを護衛する朱金の騎士の姿があり、やってきたスタン達に対して深く頭を垂れた。
「ふむ、いい具合に出来たようだな。それに女王殿の移動も上手くいったようだ」
カチカチカチッ!
「うん? あー、確かにファラオクイーンアントでは少々おかしいか。ならばそちは、今日からファラオマザーアントと名乗るがよい」
カチーン!
敬愛するファラオに新たな呼称を与えられ、クイーン改めマザーアントが嬉しそうに顎を鳴らす。通路の幅の問題などから事実上一生あの小部屋のなかでしか生きられないはずだったマザーアントだが、スタンが<王の改革に留まること無し>にて作り上げたこの場所を巣として認識することができたため、マザーは生まれて初めて太陽の光の下にその身をさらすことが出来たのだ。
ガチガチガチッ!
ガチーン!
「ハッハッハ、そこまで喜ばれるなら、余も頑張った甲斐があったというものだ。のうアイシャよ?」
「はいはい、そーね。アタシは顔から火が出るくらい恥ずかしかったけど!」
笑うスタンに、アイシャが不貞腐れたような様子で言う。アイシャは今回もデブラック男爵領の時と同じ合いの手を頼まれたのだが、あの時は周囲に同調する人が沢山いたのに対し、今回は参加者は全員アリ。人の言葉を叫ぶのはアイシャだけだったので、それはもう恥ずかしかったのだ。それでもやり遂げたのは、半ばやけである。
「てか、アンタは平気なの? こんなに力使っちゃって、また干からびたりしない?」
「ああ、それは平気だ。どうやらソウルパワーと魔力をいい具合に混ぜると、一時的に出力を増すことができるようでな。扱いが難しいので戦闘用のファラオ秘宝にはとても使えぬが、今回のように時間をかけてもいい状況であればある程度は問題ない。それにファラオアント達からも随分とソウルパワーが集まってきておったしな」
人と違って余計なことを考えたりしないことや、そもそも存在そのものが変化したこともあり、ファラオアント達から集まってきたソウルパワーの量はかなりのものだった。これだけのものを作るために綺麗さっぱり使い果たしてしまったわけだが、そのことに後悔などあるはずもない。
「で、どうであろうかローズ殿? これならば地上への道中でそちの指摘してくれた『冒険者ギルドの調査員を受け入れる』という条件を満たせると思うのだが……ローズ殿?」
「……………………」
問うスタンに、ローズはポカンと口を開けたまま棒立ちになっている。これ以上はないと思っていた驚きを更にあっさり超える衝撃を与えられたことで、その思考回路は完全にショートしてしまっていた。
「あの、ローズさん? 大丈夫ですか? ……えっと、回復魔法使いますね?」
心配したエミリーが、ローズの額に手を当てて魔法を発動させる。だが別に怪我をしているわけではないので、当然効果はない。
「どいてエミリー。私がやる」
故にエミリーをどかすと、ミムラが懐から小瓶を取り出し、蓋を開けるとローズの鼻先に近づける。手にしているだけで顔をしかめてしまう刺激臭をもろに吸い込み、ローズが流石に咳き込んだ。
「ふがっ!? げほっ、えほっ!? な、何をするんだ!?」
「ローズ、正気に戻った?」
「正気? あ……ああ、平気だ。それでえっと、何の話だったかな?」
「冒険者ギルドへの報告の話。これで平気かってスタンが聞いてる」
「あー……」
言われてローズが視線を動かすと、そこにはたった二日で自分の中の常識を完膚なきまでに破壊した黄金仮面の冒険者の姿がある。その奥には巨大な金アリの姿もあるのだが、心の平穏を守るためか、無意識にそちらには焦点を合わせないようにしている。
「そう、だね。確かにこれなら、大丈夫なんじゃないだろうか」
「それはよかった。ファラオアント達にしても、地下の巣に部外者を受け入れるのは望ましくなかったようだからな。それに余の配下となったからには、相応の住処は必要だ。これならば侮られることもあるまい」
「侮られは……しないだろうね。うん……ただ、ここまで立派な住居を構えた希少種となると、ファラオアントそのものを狙う輩は出てくるだろうが……」
「その辺に関しては、冒険者ギルドの対応に期待したいところだ。そのための材料はいくつか考えておる」
「そうなのかい? それは今聞いても?」
「いいぞ。まず最も大きな利益は、ファラオアントによる治安の維持だ」
「治安? まさか町に入れるつもりかい!?」
その言葉に、ローズが大きな驚きを表す。確かにファラオアントは理性的な存在だと感じているが、それでも町中に大量の魔物が入り込むなどしたら大騒ぎになるし、何よりそれを人々がすんなり受け入れるはずがないからだ。
だがその指摘に、スタンは仮面を横に揺らす。
「ハハハ、まさか。いや、少数を従魔だったか? ということにして連れて行こうとは思っているが、ファラオアント達が守る治安とは、即ち町の外だ。
ファラオアントとて、生きるためには糧が必要だ。そして糧を得るということは、狩りをするということでもある。人は襲わず、だが魔物だけを狩る魔物。しかもそれはある程度冒険者ギルドからの意向を反映し、指定した魔物を優先的に狩ったり、逆に狩りすぎないように抑えたりするくらいはしてくれる。どうだ、実に有用だと思わぬか?」
「それは……確かに」
冒険者ギルドには常に魔物の討伐依頼があり、そこには町や領主、場合に寄っては国から報酬の出ているものも多く含まれている。何故なら余程大規模な魔物の群れでもない限りいちいち軍を動かしたりしたら多額の金がかかってしまうし、かといって放置することもできないからだ。
そしてそれらの費用は、基本的に税金である。その支出が減るというのであれば、役人達は大喜びすることだろう。
「もっとも、それだけでは現場の冒険者や仕事を仲介する冒険者ギルドの稼ぎが減ってしまう。それを補填するための手段として考えているのは、ファラオアントの短期雇用制度だ」
「た、短期雇用!? 魔物を……ファラオアントを雇うということかい?」
「その通りだ! 通常の従魔がどうなのかは知らぬが、ファラオアントは普通に会話が通じる。つまり特別な能力がなかろうと、普通の人と同じように仕事を頼むことができるのだ。
無論ファラオアント側にも選択権はあるのだから、囮にして使い潰すようなことはやらぬだろうが、その力を生かして荷物を運ばせたり、人では入れぬ狭い場所での作業や、アリとしての感覚を生かした採集なども頼めるかも知れぬ。小さくて力が強く、そのうえで意思疎通が出来るとなれば、できることは沢山あるはずだ」
「それは……いやしかし、そんなに上手くいくものかい?」
「ふふふ、そこは余達の腕の見せ所であろう」
懐疑的な態度を示すローズに、スタンが不適に仮面を揺らす。その仮面からはどこか黒いオーラが立ち上っているように見えて……
「うわ、またスタンがクロオになってるわね……」
カチカチカチッ!
ファラオアントを愛でていたアイシャが、何ともしょっぱい顔でそう呟いた。





