ファラオの教え
そうして誘導されながら進むこと二時間と少し。平原を越え森に入り、木々を分け入り辿り着いた先にあったのは、複雑に絡まる植物によって覆い隠された小さな穴の前であった。
「どうやらついたようだな」
「斥候部隊が来ているのだから、近くに巣があるだろうとは言われていたが……これは見つからないわけだ」
その入り口を見て、ローズが思わずため息をような声を漏らす。穴の直径は五〇センチほどしかなく、ここにあると知っていてなお、近くに寄って探さなければまず見つからない。森には他の獣や魔物も存在しているのだから尚更だ。
「でもこれ、どうやって中に入るわけ? どう考えてもアタシ達が入れる大きさじゃないけど」
「装備とかぜーんぶ外して、ぎゅーっと体を縮めればなんとか……なる、かな?」
「シーナの大きいお尻じゃ無理。私かエミリーなら、ギリギリいけるかもだけど」
「お、おっきくないし!」
「ほら、そこまでだ。だがこの大きさの穴に入るのは物理的に無理だと思うんだが……どうなんだいスタン君?」
ローズの問いかけに、スタンがホーンドアント達に仮面を向けた。するとホーンドアント達が身振り手振りで何かを伝えてくる。
「うーむ……ここに手を近づければいいのか? では……おぉぉぉぉ!?」
「えっ!? ちょっ、スタン!?」
言われるままにスタンが巣穴に手を近づけると、突如としてその体が物理的な大きさを無視してシュポンと巣穴に吸い込まれた。アイシャが焦って声をあげると、三秒ほどで今度はニュルンとスタンが穴から出てくる。
「ほっほーう! これは凄いな!」
「な、何!? ねえスタン、今何が起きたの!?」
「余にも仕組みはわからぬが、この者達の女王の権能らしい。熊くらいの大きさまでなら中に入れるようなのだ」
「へー。それは凄いわね。ローズさん、知ってました?」
「いや、初耳だ。そんな仕組みがあるなら、もっと広く知られていると思うのだが……?」
ローズが訝しげな視線をホーンドアント達に向けると、ホーンドアント達は慌ててわちゃわちゃと手や触角を動かして訴えかけてくる。
「ふむふむ……女王の権能であるが故に、女王が許可しないものには効果を発揮しないのだそうだ。通常ならば狩った獲物を巣の内部に運び込むためのものなのだが、今回は例外としてそれを余達にも適用しているとのことらしい」
「なるほど。確かにホーンドアントからすれば、敵である我らに利するように力を使うはずもない、か……」
「ローズ。それより早く行こう」
スタンを介した説明に、ローズは大きく頷いて納得する。だがそんなローズの隣では未知の仕組みに好奇心を刺激されてソワソワするミムラが催促しており、それを受けてスタンが再び前に出る。
「では、改めて余が先に行こう。内部の広さ的に、数秒待ってから一人ずつ入るのがいいだろうな。ということで、行くぞ」
「あ、じゃあ次はアタシね! ひゃっ!?」
シュポンとスタンが吸い込まれると、言われたとおり数秒待ってからアイシャがそれに続く。そこからミムラ、シーナ、エミリーと続き、最後にローズが中に入ると……そこには不思議な光景が広がっていた。
「明るい……それに広いな」
明らかな地下ではあるが、そこが明るいことは不思議ではない。何百、あるいは何千の魔物が生息する巣ならば、魔力が溜まって明るくなっているのは当然である。だがその通路の広さは意外だ。
「来たかローズ殿。これで全員だな」
「ああ、待たせてすまない。しかしこの通路は……」
「これも余を招くために、突貫で工事をしたらしい。もっとも流石に巣全体ではなく、ここから女王の間までの道だけだと言うことだがな」
「そう、か……」
縦横二メートルほどの幅のある通路は、並んで歩くのは難しいが一人であれば十分に立って歩ける広さがある。壁面は削ったというより溶かした感じの質感で、そこには五〇センチほどの穴が無数に開いている。おそらくはそれが本来の巣の中の通路であり、自分達のいるこの部分だけを無理に拡張したことでそんな形になってしまったのだろう。
「これは凄い……ホーンドアントの巣の中に生きて入った人間なんて、きっと私達が初めて」
「だよねー。普通は……何だっけ? 水攻め?」
「近くに川があったり、水魔法の使い手が何人も確保できている場合はそうですね。そうでない場合は周囲の環境を整えてから、巣の内部に煙を吹き込む火攻めが多いそうです。
ただどちらにしても複数ある巣穴の出入り口を全部抑えるには人数が必要になりますし、そこから水や煙に追われたホーンドアントが山のように出てくるんで、大変だって聞きましたけど」
「うわー……アタシ、ホーンドアントの巣攻めの依頼は絶対受けないようにしよう。まあそもそもB級の依頼なら受けられないけど」
「皆、そのくらいにしておくんだ。ここは仮にもホーンドアントの巣の中だぞ?」
今のところ襲われたりはしていないが、周囲には数え切れないほどのホーンドアントの気配が満ちており、通路の壁に開いた穴の奥からは、カチカチと顎を打ち鳴らす音が絶え間なく響いている。
そんな状況で同族を殺す話をし続ける仲間達に、ローズが臨戦態勢を維持したまま堅い口調で言う。するとシーナとエミリーは「しまった!」という顔で口を押さえ、アイシャは自分たちをここに招いた三匹のホーンドアントに向かって謝罪の言葉を口にした。
「あ、そうよね。ごめんなさい……」
カチカチカチ
「えっと……それは許してくれる感じなの?」
「ハッハッハ、大丈夫だアイシャよ。そもそも今まで争っていたという事実は変わらぬのだし、今後に関してもこの巣のホーンドアント達はともかく、他のホーンドアント達は変わらず人を襲い続けるのだ。
人で例えるなら、和平に望む国のなかで、戦争中の他国をどう攻め落とすかを相談していたようなものだ。同族ではあっても同士ではないのだから、それを責めるつもりはない……とのことだ」
「そう。よかった……ありがとう」
カチカチカチ!
ほっと胸をなで下ろすアイシャがそう言うと、スタンを先導していたホーンドアントの一匹がアイシャの足下にやってきて、気にするなと言わんばかりにペチペチと触覚で足を叩く。そんなホーンドアントをアイシャが少しだけ足を止めてしゃがみ込んで撫でると、ホーンドアントは嬉しそうにアイシャの手を触覚でペチペチした。
「フフッ、何よアンタ、ちょっと可愛いじゃない」
カチカチカチ
「ん? 一緒に行ってくれるの? いいわよ、じゃ、エスコートをお願いね」
カチカチカチ!
「……驚愕。アイシャまでホーンドアントと会話し始めた」
「いいなー! 私もお話したーい! エミリーはどう? 男の人よりは、ホーンドアントの方が大丈夫じゃない?」
「ホーンドアントは基本的に全部メス。性別もバッチリ」
「えぇっ!? そんなこと急に言われても……」
「おい皆、いくら何でも弛緩しすぎだぞ!」
変わらず雑談を続ける仲間達に、ローズが遂にいら立ち混じりの声をあげる。だがそんなローズを諫めたのはスタンだ。
「いいではないかローズ殿。むしろローズ殿こそ、もう少し気を抜いた方がいいと思うぞ?」
「スタン君!? 何を言うんだ。私はパーティのリーダーとして、皆を守る義務が――」
「わかっておる。だが故にこそ、リーダーであるローズ殿がそのように緊張し続けていては駄目なのだ。たとえ敵地のまっただ中であろうと、人を率いる者は悠然と構えていなければならない。でなければ緊張は部下に移り、些細なことでそれを暴発させてしまいかねないからな」
「っ……それは…………」
「無論油断と言えるほど気を抜くのは駄目だ。だが緊張し過ぎれば視野が狭まり、見えるものも見えなくなる。現にそちの仲間達には見えているものが、そちにだけは見えていない」
「……どういう意味だい?」
顔をしかめて問うローズに、スタンは優しく諭すように答える。
「言葉のままだ。同じ人間であっても、襲いかかってくる野盗と仲間であるミムラやシーナ、エミリーは違うであろう? ならばこの者達も同じだ。種ではなく個で見よ。少なくとも今この時、この者がそちや仲間を害するためにこの場にいるように見えるか?」
そう言って、スタンは先導していたホーンドアントの一匹をひょいと抱え上げる。するとホーンドアントは手足と触覚をワシャワシャと動かし、どこか申し訳なさそうな雰囲気を醸し出してくる。
それはローズの知るホーンドアントではあり得ない。もしそうならとっくにスタンの手首を噛みちぎって脱出し、自分に襲いかかってくるはずなのだから。
「…………未熟は私か。すまない、少々気を張りすぎていたようだ」
「なに、気にするな。大事な者の命を預かっていると思えばこそ、張り切りすぎてしまうのはよくあることだからな」
「にしても、まさか年下の男性にそんなことを教えられるとはね。スタン君、君は一体何者なんだい?」
苦笑しながら再び問うローズに、スタンは抱えていたホーンドアントを地面に下ろしてひと撫でしてから、いつも通りに胸を張って答える。
「余が何者かだと? 無論、ファラオである!」
サンプーン王国三五〇〇万の民の頂点に立つ男は、光の一筋すら入らぬ地下ですらキラリと仮面を輝かせるのだった。





