ファラオの輝き
「むっ、いかん!?」
ホーンドアントに足首を噛みつかれたアイシャが倒れた瞬間、ローズは手にした盾を構え、<挑発>を発動しようとしていた。シーナはアイシャを回収すべく飛び出しており、エミリーはアイシャの傷を癒やすための魔法を待機し、ミムラはシーナがアイシャを抱いて離脱したところに攻撃魔法を打ち込むべく杖を構える。
つまり、ローズ達のパーティによる「保険」は、十全にその機能を発揮していた。本来ならばアイシャは無事に救助され、「さっきは危なかったな」と笑って話して終わりになるところだったのだが……その未来は完全な予想外によって失われる。
「ぐっ!? な、何だ!?」
「うわっ!?」
アイシャの側にいたスタンの仮面が、突如として猛烈な光を放つ。その黄金の輝きにローズ達は全員思わず手で顔を隠し、動きを止めてしまった。それはほんの数秒のことではあるが、ホーンドアントが地に倒れたアイシャに致命傷を与えるには十分な時間。体勢を立て直したローズが慌てて視線を向けると……そこには奇妙な光景が広がっていた。
「ホーンドアント達が、動きを止めている……?」
光を浴びたであろうホーンドアント達が、まるで石像にでもなったかのようにピクリとも動かない。その異常事態にローズ達が呆気にとられていると、今度はその耳に天上の声が響く。
「控えよ、ファラオの前であるぞ」
「……っ!?」
その声を聞いた瞬間、ローズ達は反射的にその場に膝をついていた。しかもそれは強制されたとかではなく、まるで呼吸をするように「そうするのが当然である」と感じたが故の行動だ。
当たり前なのに、理解できない。混乱するローズ達は、目の前の光景に更に混乱を深める。
「えっ、嘘!? ホーンドアントが整列してるよー!?」
「……意味がわからない」
本能のまま、目の前の肉に今まさに食らいつこうとしていたホーンドアント達が、スタンの前に横一列になって並んでいる。
「あれ、何してるんでしょうか?」
「さあ? おそらくはスタン君が、仮面の魔導具を発揮したのだろうけど……」
エミリーの問いかけに、ローズが言葉だけで返す。そんな彼女たちの耳に、黄金の王からの言葉が再び響く。
「敵対するなら慈悲は無し。相対するなら覚悟せよ。然れどファラオの前に恭順するのであれば……その身を以てその意を示せ」
「ギ、ギギ……」
その言葉に顎を歪ませ歯ぎしりのような鳴き声をあげると、三匹のホーンドアントが動き出し、動かなかった四匹のホーンドアントの首を噛みちぎって頭を落とす。その後はまるで頭を下げるかのように触覚をピクリと垂れ下がらせると、静かに来た道を引き返していった。
「え、え!? 同士討ちして、逃げた!? ど、どういうことー!?」
「……本当に意味がわからない」
困惑に困惑が重なり、シーナは戸惑いの声をあげミムラは眉間のしわを深める。するとホーンドアント達を見送ったスタンが、徐にアイシャの方に近寄って手を差し伸べた。
「ふぅ……大丈夫かアイシャよ」
「……あ、うん。平気だけど……アンタこそ平気なわけ?」
「平気? 何がだ?」
「何がって、すっごい光ってるじゃない! ピッカピカよ!?」
「ハッハッハ、愉快なことを言うな。ファラオなのだから光って当然ではないか」
「えぇ……?」
やたらと輝いているスタンに、アイシャが遠慮なく訝しげな目を向ける。それからスタンの手を掴んで立ち上がろうとしたところで、足の痛みで思わずよろけてしまった。
「あっ!?」
「おっと、そういえば怪我をしているのだったな。おーい、エミリー! すまぬが回復魔法を頼めるか?」
「…………はっ!? あ、はい!」
スタンの呼びかけに、我に返ったエミリーがパッと立ち上がって二人の元に向かう。苦手な異性からの声かけではあったが、理解の及ばない状況とピカピカ光る黄金仮面に異性を感じる余地がなかったこともあり、ごく自然に返事をすることができた。
そしてそれを皮切りに、膝をついたままだったローズ達も次々に立ち上がり、スタン達の方へと合流していく。
「あー、スタン君。それにアイシャも、大事がなくて何よりだ……」
「ありがとうローズ殿。心配をかけてしまったな」
「スタン! スタン! さっきの何!? ホーンドアントが、スタンの命令を聞いているように見えたけど!?」
「ん? あれは……何であろうな? あまりにも余がファラオであったせいで、異種族相手にもその偉大さが伝わった……とかであろうか?」
「……? ごめん、説明されても理解できない」
「ならまあ、ファラオはそのくらい偉大であると覚えておけばよい。何せファラオだからな!」
「……………………」
スタンの台詞に、ミムラが言葉を失う。己が無知であることを知ることもまた知者への一歩だが、ここまで何もわからないと、流石にどう反応していいかわからなかった。
「はい、いいですよ」
「ありがとうエミリー。おー、凄い! 痛くない!」
と、そこで足の治療を終えたアイシャが、エミリーに礼を言って立ち上がる。破れたブーツまでは戻らないが、足首の方は傷跡もなく綺麗さっぱり治っていた。
「一応は治ってますけど、ちょっと深めの傷だったんで、今日一日くらいはあまり無理をしないでください」
「了解! やー、魔法って本当に凄いのねぇ……てかスタン! アンタいつまで光ってるのよ! いい加減眩しいからどうにかしなさいよ!」
「おっと、すまぬ。どうやら少々余の威厳が漏れてしまったようだ。しかし何故に……?」
アイシャに怒られ、スタンはカクッと仮面を傾けて考え込む。ファラオたる者、己の力を律することができないはずがない。にも拘わらずこうなってしまった原因に思考を巡らせていると、不意に仮面から機械的な音声が流れてきた。
『六〇分経過しました。生体防衛機構を再起動します』
瞬間、スタンの仮面から放たれていた黄金の光がシュッと収まる。それに気づいたスタンは、ポンと手を打ち納得した。
「なるほど、生体防衛機構を無効化していたから、変な風に力が漏れたり混ざったりしてしまったのか。ということはあの光景も……」
「光景?」
「……いや、こちらの話だ」
首を傾げるアイシャに、スタンはそう言って誤魔化す。するとアイシャはわずかに目を細めるも、それ以上は追求することなくその場で大きく伸びをする。
「うーん……っ! はぁ、疲れた。ねえローズさん、流石に今日はもうこれで終わりでいいですかね?」
「ん? そうだな。確かにこれだけ色々あったとなると、休む方が賢明だろう。今ならまだ日が落ちる前に町に戻れるだろうし、今日のところはこれで帰還する。意義はあるか?」
「なーし!」
「ん、賛成」
「私もいいです」
ローズの言葉に、シーナ達が肯定を返す。ちなみに発案者のアイシャはともかく、スタンに意思の確認を取らなかったのは、今回の依頼では基本的に進退の決定権がローズにあるからだ。無論意見は聞くが、いちいち了承を取ったりはしないのである。
「では、ヨースギスの町に戻ろう。帰りもランニング……と言いたいところだが」
「駄目ですよローズさん! アイシャさんの足首は治したばっかりなんですから!」
「ははは、わかっているさ。じゃあ皆で歩いて帰るとしよう。出発!」
「「「オー!」」」
全員が返事をして、一行が歩き出す。こうして理由のある理不尽に身をやつし、大いなる謎を生み出したスタン達の訓練初日は、その過程とは裏腹に穏やかに幕を下ろしていくのであった。





