先達の教え
「では、最初に注意事項の方を話しておこう。と言っても基本的なことだけだがな」
軽くそう前置きしてから、ローズがスタン達に説明を始める。その内容は「リーダーの指示に従う」とか「自分勝手な行動はしない」などの常識的なことばかりだったので、スタンもアイシャも何の問題もなく同意した。
だが一通りそれらを言い終わったあと、ローズが少しだけ顔をしかめてスタンの方に顔を向ける。
「それと、これはスタン君にだけ頼むのだが……エミリーにはあまり近づかないであげて欲しい」
「む? 何故だ?」
今までとは違う意味のわからない内容にスタンがカクッと仮面を傾けると、ローズが自分に隠れるようにしているエミリーに痛ましげな目を向ける。
「シーナやミムラから、我々がパーティを組んだ経緯は聞いたんだろう? エミリーは貴重な癒法士で、かつ新人の女性冒険者ということで、欲に目がくらんだ男共から大分強引な勧誘を受けていてね。そのせいで未だに男性と接するのは得意ではないんだよ」
「む……」
「そんな、酷い……!」
ローズの言葉に、スタンとアイシャはそれぞれに憤りを露わにする。
癒法士とは、その名の通り癒やしの魔法を使える魔法士だ。人の体に直接作用するそれは通常の攻撃魔法などと比べると習得難度が高く、生まれ持った才能がないと後天的に身につけるのはかなり難しいと言われている。
そんな力を使える女性、しかも一五歳の見目麗しく気弱そうな少女となれば、ろくでもない輩が手を伸ばしてくるのは半ば必然であり、そうして怯えて縮こまっているエミリーを助けたのがローズであったのだ。
「で、でも! ローズさん達のおかげで、昔に比べたら大分よくなったんです! ただその、お仕事の話くらいなら平気なんですけど、ずっと雑談をするとか、直接触られたりすると、まだ怖くて……ごめんなさい……」
「いや、そちが謝る必要はない。頼んだのはこちらなのだから、余が全面的に配慮しよう……と、答えたりするのも駄目なのであろうか?」
頭を下げるエミリーにスタンがそう答えてから、ローズの方に仮面を向ける。するとローズはゆっくりと首を横に振ってから話を続けた。
「いや、いない者のように無視するやり方は、かえって心に悪い。だから……この表現が適切なのかどうかは自分でもわからないんだが、平民が貴族に相対する時のような距離感とでも言えばいいだろうか? 必要ならば声もかけるし話しかけられれば答えるが、仕事上の関係よりは距離を詰めないという、そんな感じだな。
何かあれば私の方でもその都度言わせてもらうし、微妙で難しいと思うのだが、よろしく頼む」
「わかった、善処しよう」
「大丈夫よエミリー。スタンが変なことしそうになったら、アタシが思い切り仮面をひっぱたいてあげるから!」
「ぬぅ? そこは普通に口頭で注意してくれればいいのではないか?」
「駄目よ。こういうのは目に見える形で『ちゃんと対処してくれた』ってわかる方がいいの。それにアンタ、そのくらいで怒ったりしないでしょ?」
「無論だ。余はファラオであるからな!」
「ならそういうことで。流石は偉大なファラオ様ねー、寛大寛大」
胸を張って言うスタンに、アイシャが笑顔でそう答える。その二人の距離感に、ローズ達も思わず笑みを浮かべた。
「普通王様の頭をひっぱたいたりしたら、首をはねられると思うんだが……まあいいさ。それじゃ注意事項も説明し終わったことだし、次は掲示板を見て、どの依頼を受けるか考えよう」
ローズのその言葉に、一行は揃って巨大な掲示板の方へと移動していく。そこに張り出された無数の依頼を一通り眺めると、ローズが一枚の依頼書に手を伸ばした。
「ふむ、これなどどうだ? ホーンドアントの討伐だ」
「ホーンドアント……ああ、角アリね。え、角アリって、凄い数が群がってくるからすっごく危ないんじゃないですか?」
ローズの提案に、アイシャが顔をしかめて驚きの声をあげる。だがそのいかにもな反応に、ローズは小さく笑って答える。
「ハハハ。アイシャ、それは巣を潰す場合だ。確かにホーンドアントの巣を潰そうとすれば、数百から数千、時には万を超えるホーンドアントに襲われることになる。おまけに巣にはクイーンがいるだろうから、その場合は最低でもB級の依頼だな。
だがホーンドアントは、巣の拡張のために五から一〇匹の斥候を頻繁に派遣するんだ。今回の依頼は、そっちの討伐となる」
「斥候……つまり、増援は来ない?」
「近くに別の斥候部隊がいればリンクすることはあるけど、それでも巣の時のように何十何百と集まるなんてことはまずないから、安心したまえ。
それにきっちり斥候を潰さないと新たな巣を作って大変なことになるから、ホーンドアントの討伐依頼はゴブリンと同じくほぼ常設依頼だ。D級冒険者なら習熟しておいて損はないよ。ということで、どうだい?」
「なるほどー。どう思うスタン? アタシはいいかなって思うんだけど」
自分達の知識のなさを今まさに思い知らされたアイシャは、納得しつつ相棒に問う。するとスタンもまた大きく仮面を揺らして同意の言葉を口にした。
「うむ、余もいいぞ。本格的な討伐依頼はゴブリン以来だしな」
デブラック男爵領でも戦ってはいたが、あれは食料調達を目的とした狩りであり、魔物の討伐ではなかった。無論魔物がいなかったわけではないのだが、その時はソウルパワーに余裕が生まれたことでファラオの秘宝で瞬殺してしまっていたため、冒険者として戦う技術が向上したということはない。
であればとやる気を見せるアイシャとスタンに、ローズもまた上機嫌で依頼書を剥がす。
「では決まりだな。特に人数や討伐数に制限のある依頼でもないし、私達と一緒に君達も依頼を受けるといい」
「む、いいのか? それだとそちら側の取り分が減ってしまうのでは?」
実力差がある上に、人数もスタン達が二人に対し、ローズ達は四人。教えてもらう立場なので無報酬でも構わないと考えていたスタンの問いに、ローズがニヤリと笑みを浮かべる。
「構わないさ。その代わり、見ているだけにはさせないよ? 先輩冒険者として、きっちり君達に戦い方を教えてあげよう」
「うわ、どうしようミムラ、ローズが笑ってるよ?」
「恐ろしい……きっと今日は血の雨が降る……」
「えーっと、ローズさん? 何か背後のお仲間から、とっても不穏なささやき声が聞こえたんですけど……?」
顔を寄せ合いこそこそと話すシーナとミムラの言葉に、アイシャが口元を引きつらせた。だがローズは妖艶さと凄惨さを併せ持つような笑みを浮かべたまま、そっとアイシャの肩を掴む。
「大丈夫さ。あの二人も以前に少し鍛えたことがあるけれど、そのおかげですぐに実力がついたしね。アイシャだってやればできる。私が立派なD級冒険者にしてあげるよ」
「大丈夫だよアイシャ! 死んだ方がましだと思うことはあっても、死にはしないから! ファイトー!」
「安心して、骨は拾ってあげる」
「安心する要素が一つもないんだけど!? ちょっ、スタン! アンタも何か言いなさいよ!」
「む? 厳しいが短時間で実力が高まるというのなら、旅の途中である余達にとっては願ったりではないか」
「あーはい! アンタはそういう奴よね! じゃ、じゃあ……エミリー?」
「あの……頑張って治しますから!」
「治されるの前提!? 何なの!? まともなのはアタシしかいないの!?」
「ふっふっふ、アイシャは元気がいいな。これは鍛え甲斐がありそうだ」
「いやー! 助けて! 助けてファラオー!」
「そう言われてもなぁ……」
助けを求めるアイシャの声に、スタンは困ったように仮面を揺らすだけに留める。やろうと思えばローズの腹部目掛けて寝台を出現させることはできるが、本当にそれをやったら助けを求めたアイシャ本人からひっぱたかれるのが目に見えているのだから、どうすることもできない。
「さあスタン君、早速一緒に依頼を受けてこようじゃないか! 楽しい楽しい猛特訓の始まりだ!」
「お、おぅ?」
ファラオは後悔などしない。が、今回はちょっと早計ではあったかな? と思いつつ、スタンはやたらと上機嫌なローズと共に受付の行列に並ぶのだった。





