ファラオの推測
「アンタひょっとして、酔っ払ってる? ここはアステリア王国よ?」
突然訳のわからないことを言い出したスタンに、アイシャが怪訝な目を向けた。するとスタンはカクカクと仮面を揺らしてそれに答える。
「ああ、すまぬ、言葉が足りなかったな。確かに今はそうだが、ここにはかつて、サンプーン王国があったのではないかと思ったのだ」
「えぇ……? かつてって、何で? どういうこと?」
「順を追って話をしよう。まずは余とそちが出会った時のことだが……そもそも何故に余はあんなところにいたのだ?」
「そんなのアタシが知るわけないじゃない」
スタンの言葉に、ピュルリとパスタを吸い込みながら若干投げやり気味にアイシャが言う。そしてその言葉に、スタンもまた同意する。
「そうだな、そちが知るはずもなく……そして余にもわからぬ。サンプーン王国で暮らしていた日々の記憶はきちんと残っているのだが、何故あんなところで寝ていたのか、その辺の記憶が全くないのだ。
故に余が最初に考えたのは、何らかの手段で眠らされた余が寝台と共に秘密裏に運ばれ、遠い異国に放置された可能性であった」
「確かにそれはありそうだけど……でもアンタ王様でしょ? そんなの通じるの?」
強力な魔法や薬などを使えば、人を数日眠らせ続けることは可能だ。が、権力者……特に国王ともあろう存在が、その手のものに対策をとっていないなどあり得ない。そんな当たり前の指摘に、スタンは静かに仮面を横に振る。
「無論、通常ならば通じぬ。が、世に絶対などということがないのもまた事実。それに目覚めたとき、余の仮面のみならず、アンクのソウルパワーすら抜かれていた。となるとやはり、第三者が余の排除を狙い……だがいかなる理由か殺すことはできなかったため、国外に放置したのではと予想したわけだ」
「ふむふむ。それならまあ、あり得なくもないけど」
「そうだ。現実的に考え得るものとしては、これが最も筋の通った内容であった……あれを見るまではな」
「あれ? あ、お姉さん! こっちこっち!」
「はーい、揚げイモおまちどうさま!」
テーブル中央に置かれた揚げイモに、二人そろって手を伸ばす。そうして三本ほどサクサク囓ったところで、漸くスタンが話を続けた。
「もぐもぐ……アンクだ。ビッツの持っていたアンクを見たときに、ひょっとして違うのではないかと考え始めたのだ。
この地にサンプーン王国の名を知る者が誰もいない……まあそれはいい。いかな大国とはいえ遙かに離れた場所であればその名を知らぬ者の住む国もあるだろうし、余もまたこの国のことを知らなかったのだから、そういうこともあると納得できる。
そういう意味では、ソウルパワーや魂装具が存在しない代わりに、魔法と魔導具があるというのも理解はできる。技術形態が全く違っていて一切混じり合っていないほどに遠い国だから互いのことを知らぬというのは説得力があるしな。
そしてその上で、ピラミダーもどきがあることも、一応は許容できる。遠く話に聞こえたサンプーン王国の技術の結晶、それを魔法で再現しようとして不完全な形で暴走したと考えれば、こじつけ感が強いとはいえギリギリ理解できなくもない。
しかし……」
サクッと揚げイモを噛みちぎり、スタンの声に力が籠もる。
「アンクは違う。あれは余の知るアンクそのもので、実際に使うこともできた。余を遠い異国に捨てたというのなら、アンクが存在することだけは絶対にあり得ないのだ」
「むぐむぐ……何で? アンタを連れてきた人が落としたとか、そういうこともあるんじゃない?」
「わざわざ国の存在すらわからぬ遠方に余を捨てに来る者が、サンプーン王国の痕跡をその辺に残していくか? 特にピラミダーのないこの地では、アンクは魂装具を使うための命綱のようなものだ。なくしたからまあいいか、で済ますようなものではあり得ぬ。
あるいはこの国の者がソウルパワーの技術を盗むべく輸入したのだとしたら、そんな貴重なものをゴミにして捨てる? よしんば何らかの理由で手放したかったとしても、きちんと処分もせずにその辺に投げ捨てるなど、こちらもまたあり得ぬ。
つまり、ないのだ。アンクが存在するだけならともかく、その価値が一切認められず、ゴミとして何年も放置され続ける理由だけが、何をどうこじつけても思い浮かばぬのだ」
「あー…………」
揚げイモを食べて油っぽくなった口の中をエールで流しつつ、アイシャがスタンの言葉を考える。だがスタンが真剣に考え続けてわからなかった真実を、アイシャが今この場でふと思いつくなどという奇跡は起こらない。
「確かにアタシも何も思い浮かばないけど、でも何でそれが、ここが昔サンプーン王国だったなんて話になるわけ?」
「それこそが、この状況を説明できるもう一つの可能性なのだ。深い深い……記憶が曖昧になるほどの深い眠りについた余が、国が滅び民が死に絶え、サンプーンの名が世界から消えてなくなるほどの時の果てに目覚めた、という」
真剣な声色で、スタンが告げる。だがその度を超えた荒唐無稽さには、流石のアイシャも突っ込まざるを得ない。
「いやいやいやいや、それって二日三日って話じゃないわよね? そんな時間を寝て過ごすなんてできるわけ?」
「歴史に残っているのは、一〇年までだな。通常の手段では癒やせぬ重大な疾患を患ったファラオが、深く眠った状態のままで治療を受け、見事快癒したという記録が残っておる」
「一〇年!? サンプーン王国って凄いのね……でも、やっぱり一〇年じゃ無理じゃない? 国……はまあ、戦争でもあれば一〇年で滅んだりするかも知れないけど、誰も存在すら覚えてないってなるには短すぎるでしょ」
「確かにその通りだが、一〇年というのはあくまでも記録として残っている最長というだけで、理論上はもっと長く眠ることもできるようになっているのだ。ただそんなことをする意味もなければ、職務を果たさず眠るだけのファラオなど誰もファラオとは認めぬであろうから、実際にはやった者はいないというだけでな」
「むぅ……ならアンタは、とんでもなく寝坊した最初のファラオってこと?」
「ははは……かも知れぬという話だ。そして他にもアンクが捨てられていたりするのであれば、その可能性が少しだけ高まるという程度のことだな。故に検証なのだ。
ちなみに、この調査をデブラック男爵領で頼んだりしていないのは、ミニファラオ君を配らなかった理由に近いな。大量の人員と費用をつぎ込んで探してしまうと、偽情報や偽物が増えてしまう。しかし今の余にはそれを全て精査するほどの能力はない。
故にミムラ達のように、旅先で知り合った者に小遣い程度の報酬で軽く探してもらうくらいがいいのだ。それなら勘違いはあっても、金目当てで嘘をつかれたりすることがないからな」
揚げイモを囓りエールを飲み、周囲の喧噪に紛れながら話が終わる。だがそうして最後の揚げイモを口にしたところで、ふとアイシャの頭によぎるものがあった。
「ほーん……あ、待って。ひょっとしてこれ、ずーっと前にアンタが途中まで言いかけてやめた、あれのこと?」
「おお、よく覚えていたな。そうだ。このアンクの件と、この世界で確かな足場を築くために男爵領を利用……ゲフン、活用すること。それがエディス殿から忠告を受けた日の帰り道で考えていたことの内容だ。フフフ、自力でたどり着いたわけではないから、ご褒美はないぞ?」
「えーっ!? 最後はちゃんとアタシが気づいたんだから、いいじゃない! ミムラやシーナにばっかりじゃなくて、アタシにも何かちょうだいよ!」
「ならばこの最後のポテイトゥをやろう」
「最後って、もうこれ残りカスじゃない! 何、喧嘩売ってるわけ!?」
「いらぬのか? 余としてはこの、カリカリに揚がった小さなポテイトゥも美味いと思うのだが」
「……まあ、食べるけど」
皿に残った小さな揚げイモの破片を、スタンとアイシャがカリカリと囓っていく。きつい塩気と固めの歯ごたえに、たまらずエールをがぶ飲みしてしまう。
「プハーッ! って、誤魔化されないわよ!?」
「ハハハ、冗談だ。今すぐ渡せるものはないが、そちには幾度も世話になっておるのだ。必ずその働きに報いると、ファラオとして約束しよう」
「ほっほーう? ならまあ、期待して待っててあげるわよ」
ニヤリと笑ったアイシャが、最後の揚げイモをカリッと囓る。そうして綺麗になくなった揚げイモのように、スタンの重い推論も酒場の喧噪に消えてしまう。
待つということは、最後まで一緒にいるということ。それを一切意識せず自然に口にするアイシャを前に、酒場の照明を反射するスタンの仮面は、まるで微笑んでいるかのようにキラリと輝いていた。





