間話:男爵の衝撃
「そもそも現段階でも、庭や屋敷内の手入れはさせているのであろう? ならばその範囲が広がるだけで、何も難しい事はないと思うが?」
「それは……いや、しかし…………」
領地全てがデブラック男爵邸であるというなら、それを美しく保つのは当主である自分の役目。そう言われれば確かにそうなのかも知れないが、かといってドフトリアンは素直に頷けない。
だがそんな気持ちを見透かしたように、スタンは優雅な手つきでワイングラスを傾けながら言葉を続ける。
「フフフ、わかるぞ。屋敷や道具の手入れには金がかかるものだからな。だがそれすらも悩む必要はない。なあ男爵殿、先に男爵殿が訪れた村は、言うほどにみすぼらしいものであったか?」
スタンの問いかけに、ドフトリアンが思考を巡らせる。スタンとの出会いばかりが印象に残っていたが、言われて思い出してみれば、確かに村はかなりの発展をしていた。あれならば邸宅の庭先と言ってもギリギリ恥ずかしくない程度ではあったと考えられる。
「確かになかなかの状態になっていたような……だがそれは、ファラオ殿が金を出したからではないのか?」
「いやいや、余の出費など微々たるものだ。あの村があそこまでなったのは、そこに生きる村人達が自ら動いたからに過ぎない。そしてそれこそが男爵殿の悩みを解決する鍵なのだ。
いいか? 村を……庭先を美しく保つのに、男爵殿は銅貨の一枚たりとも払う必要はないのだ。領民が男爵殿の所有する意思ある道具なのだと言うなら、その意思を以て自らを磨くようにさせればいい。そしてそう仕向けるためにすら、全く金などかからない。
そうだな。さしあたっては税金を半分にするとでも言えば、村人達は喜び勇んで村を輝かせ続けるのではないか?」
「ぜ、税金を半分だと!? そんなことをしたら、ワシに入ってくる金が減ってしまうではないか!」
態度を一転させ激高するドフトリアンに、しかしスタンは取り乱すことなく静かに仮面を横に振る。
「それも間違いだ。男爵殿は自分の邸宅内で、寝室から応接間に金貨を移すことを『金が減った』と考えるのか? どのみち領内にある全ての金は男爵殿のものなのであろう?」
「ぐっ、それは……」
「今現在誰が持っているかなど些末な問題なのだ。必要ならばいつでも取り上げられるのだから、それをわざわざ抱え込む理由などない。ましてやその金が領内……つまり自宅のなかで巡るだけなら、男爵殿の金は銅貨一枚とて減ってはいないのだからな」
「……た、確かにそうかも知れん。だが金は領内でだけ使うわけではなかろう! 他領に出て行く分はどうするのだ!?」
「それは勿論、稼げばいいのだ。何かを買ったら金が出て行くというのなら、何かを売れば金が入ってくる。そしてその売り物は、今までだって領民達が勝手に作ってくれていたのではないか? まさか収穫した作物などを、全て領内で食べ尽くしてわけではあるまい?」
「う、お…………そう、だな?」
ドフトリアンが気にしていたのは、自分の懐に入ってくる金だけだった。故に税として作物を取り立てても、それがドフトリアンに届いた時には既に金貨に変わっていた。
だが金貨になっていたということは、何処かの誰かにそれを売ったということだ。そんな当たり前の事実を、ドフトリアンはこの時初めて意識した。
「つまりは、こうだ。まずは税金を下げる。すると一見男爵殿の収入が減ったように感じられるだろうが、それは男爵家という寝室から領内の村という庭先に金貨を運んだだけに過ぎないのだから、気にする必要はない。
だが金貨の山を目にした領民は、まるでそれが自分の物であるかのように勘違いし、それを使って飲み食いをしたり服を買ったり、道具を整備したりする。そこでは金が動くが、その動いた先もまた男爵殿の領内……家の中だ。やはり金は減らず、そのくせ腹一杯に食った領民は元気に仕事をするようになる。
するとどうなる? 領民が作った作物やら手工芸品やらが領内のみならず、領の外でも売れることだろう。そうなると外から金が入ってくる……つまり男爵殿の財産が増えることになるわけだ。
どうだ? 何かおかしなところがあるか?」
「……………………」
スタンの語り終えた内容を、ドフトリアンは己の中で賢明に消化していく。繰り返し繰り返し、何度も何度も考えて……
「ない、な……完璧な理論だ」
そう結論づけた。
「馳走になったな、男爵殿。実に有意義な晩餐であった」
「ハッハッハ、それはこちらも同じことですぞ、ファラオ殿。貴殿に出会えて、本当によかった」
晩餐を終え、しばし後。男爵邸を出ようとするスタンを、ドフトリアン自らが正面玄関まで見送りに来て声をかける。その表情は実に晴れやかで、パッチリと見開いた目には夜空の向こう側が見えているようだ。
「それでファラオ殿、今後はどのようにするつもりなのだ?」
「うむ。男爵殿との知己も得られたことであるし、今度はこの領都デーブラも手を入れてみようと思うのだ。二つの村に続いてこちらも磨き上げれば、王の住む城より広大な男爵殿の領地の美しさは盤石のものとなるであろうからな」
「それはありがたい! ワシも何か手伝ってもいいのだが……」
「ハッハッハ、それには及ばぬ。それより男爵殿には、よりよい道具の活用法を考えてもらいたい」
「道具の活用法……?」
首を傾げるドフトリアンに、スタンが大きく頷いて言う。
「そうだ。領民は人に非ず、だが金貨を生み出す魔導具なれば、粗雑に扱うのは勿体ないであろう? 酷使した結果生み出す金が減ってしまうというのは既に実践したであろうから、丁度良きところを見極めるのが肝要だ。そればかりは領主である男爵殿にしかできぬからな」
「なるほど確かに……道具を上手く使いこなすことこそが、支配者たる貴族の手腕の見せ所というところですな」
「そういうことだ。なに、人の如く扱えなどと、口さがない輩と同じ事は言わぬ。勝手に増えるとはいえ数は限られているのだ。まずはそれなりに丁寧に扱い、それでも使えぬならば家の外に捨ててしまうのがいいだろう。壊すと破片を片付ける手間が増えてしまうし、家の中が血で汚れるなど不快であろうからな。」
「まさに! いやぁ、本当にファラオ殿はわかっておられるな!」
「無論だ。余はファラオであるからな!」
「「ハッハッハッハッハ!」」
軽快な笑い声が二つ重なり、夜の空へと吸い込まれていく。最後に二人は固く握手を交わすと、ひとまずの別れを済ませてスタンは馬車に乗り込み、村へと戻っていった。それを見送ったドフトリアンは、知らず息を漏らす。
「ふぅ……結局彼奴は、ワシに金の無心などしなかった。優れた審美眼に加え、あれほどの英知。まさか本当に……いや、それこそまさかだな」
己の頭に浮かんだ「本物の王」という考えを、ドフトリアンは小さく笑いながらかき消す。それは流石に荒唐無稽が過ぎるし、こうして信頼させてから最後の最後で騙されることもまだまだあり得る。だが……
「……男爵様? どうかなさいましたか?」
自分の隣に立つ使用人の姿を、ドフトリアンはマジマジと見つめる。今までは高い給料を払っているのに……男爵家の使用人としては安い方なのだが……今ひとつ働きが悪いと思っていたが、それもまた自分の金を右から左のポケットに移した程度のことだと考えると、見え方が違ってくる。
「お前の給金を少し上げてやる。だからもうちょっとマシな格好をして、しっかり働け」
「へ!? あ、ありがとうございます! ですが、どうして突然……? あ、いえ、勿論不満など何も無いのですが!」
「フンッ、貴様もまたワシの所有物であるというのなら、そんなしょぼくれた格好でいたらワシが恥をかくからだ。いいな、しっかりワシの役に立てよ?」
「勿論です! これからも精一杯頑張らせていただきます!」
突然昇級を言い渡された使用人は最初こそ戸惑ったものの、これで家族にする仕送りが増やせると喜び、まっすぐに背筋を伸ばして力強くそう答える。それはしおれて枯れかけた花が水を与えられピンと茎を伸ばしたかのようで……
「なるほど、こうやって庭を整えればいいわけか。ふっふっふ、ならばこのドフトリアン・デブラック、我が領地をワシに相応しい美しさに仕立て上げてやろうではないか」
ドフトリアンの内心は、相変わらず欲に塗れている。だが目にキラリと宿った光は、決して悪いものだけではなかった。





