ファラオと子供と携帯食
「な、なあ? 本当にそいつはタダなのか?」
扉から顔を出したのは、くたびれた表情の中年男性であった。恐る恐ると言った感じの問いかけに、スタンは力強くカクンと仮面を縦に振る。
「無論だ! ファラオ来訪の祝宴だぞ? 金など取ったらそれこそ興ざめではないか!」
「そ、そうか……よくわかんねーけど、タダだっていうなら、俺ももらっても……?」
「勿論よ。はい、どーぞ」
ゆっくり外へと出てきた男に、アイシャが湯気の立つお椀を渡す。すると半信半疑だった男は数秒ほどそれを見つめてから、ゆっくりと中身を汁を啜る。
「はー……確かに美味いな。体に染み渡るようだ」
「だろ? なあ姉ちゃん、もう一杯って言ったら……」
「沢山あるから大丈夫よ。それに足りなかったらまた作れるし。そうよねスタン?」
「任せよ! ファラオたるもの、食材の貯蔵は十分である!」
「ならくれ!」
「お、俺も!」
二人の中年男性が空の器を持った手を伸ばし、アイシャがそれにゴロゴロ具材の煮込みスープをたっぷりと盛り付ける。そうして二人が美味そうに食事を続けることで、徐々に幾つもの家から人が出てきて料理を求め始めた。
「くそっ、お前等ばっかり美味そうに食いやがって! 俺も! 俺もくれ!」
「へっ、騙されたってもう奪われるもんなんてねーんだ! なら今だけでも腹一杯食ってやる!」
「おかーさん、これ温かくて美味しいよ!」
「そうね、美味しいわね……うっ、うっ……」
出てきた多くは中高年の男女だが、なかには数人だが子供もいた。外で自由に遊ばせるとそれだけ腹を空かせてしまうため、子供達は家の中にいることを半ば強制されていたのである。
久しぶりに口にする食べ応えのある料理に幸せそうな笑みを浮かべる子供に、母親と思わしき女性が涙ぐみながら一緒にスープを食べていく。その光景にスタン達が胸を熱くしていると、次にやってきた老女がアイシャに声をかけてきた。
「あのぉ、申し訳ないけれども、器をもう一つお借りしてもいいかね?」
「え、いいけど……お代わりは沢山あるから、ゆっくり食べても大丈夫ですよ? よそっておいちゃうと冷めちゃうだろうし」
「いや、私が食うんじゃなくて、家に孫が寝ててねぇ……このところずっと調子が悪くて寝てるから、持っていって食べさせてやりたいんだよ」
「それは心配ね。なら……」
もう一つ器を渡そうとするアイシャの手を、スタンが掴んで止める。
「待てアイシャよ。ご婦人、体調が悪いというのであれば、このスープは食べづらいのではないか?」
今回の煮込みスープは、食べ応えを出すために肉や野菜などの具材が大きめに切ってある。しっかり火を通しているので固いというわけではないが、それでも病人……特に子供であれば、このままでは食べづらいのは間違いない。
それを気にして問うスタンに、老女は困ったように顔の皺を深める。
「そりゃそうかも知れんけど、仕方ないじゃろ。そこは私が潰して食わせるとかすればええかと思うんじゃが」
「それも悪くはないが……ふむ。であれば余がご婦人の家に行くというのはどうだ? 重篤な病気はどうしようもないが、簡単な治療くらいならできるぞ?」
「おや、そうなんかい!? ならお願いしてもええかな?」
「うむ! 任されよ! アイシャ、少しの間ここを頼む」
「オッケー!」
そう言ってアイシャに鍋の番を任せると、スタンは老女と一緒に一軒の家へと入っていた。老朽化が進み隙間風の吹き込む部屋へと進むと、そこには薄い布団に寝かされた五歳くらいの少年の姿がある。
「はぁ……はぁ……」
「この子じゃよ。両親共に町に出稼ぎにいっておるから、私が面倒見てるんじゃ。じゃが仕送りの額は減る一方じゃし、逆に食い物の値段は上がってしもうて、本当にもうどうしようかと……」
「なるほど。とりあえず見てみよう……ファラオスキャン!」
心配そうに孫の手を握る老婆をそのままに、スタンはそう言ってファラオの秘宝たる仮面の力を発動させる。するとその目がピカッと輝き始め、迸った光の線が子供の体を上から下になぞるように動く。
「ひ、光った!? アンタそれ、大丈夫なのかい!?」
「大丈夫だ、問題無い……ふむ、これなら何とかなりそうだな」
ファラオスキャンの結果、子供が弱っている原因は病気ではなく単純な栄養失調であることが判明した。ただしその影響で内臓の働きが弱っているため、きちんとした手当は必要と判断する。
「ではまず、これを飲ませるぞ」
「それは……回復薬かい? そりゃ病気には効かないんじゃ?」
スタンが仮面の縁に手を突っ込んで取りだしたのは、回復薬の小瓶。それを見て首を傾げる老女に、スタンは静かに答える。
「広義では回復薬で間違いないが、中身が違うのだ。まあ見ておれ」
そう言って小瓶の蓋を開けると、スタンはその中身をゆっくり慎重に子供の口の中に注ぎ込んでいく。
ちなみに、この回復薬は市販されているそれではなく、アイシャの強硬な主張により市販の回復薬の空き瓶を洗い、中にファラオローションを詰め替えた品だ。精製後のものを入れているのでそれほど日持ちはしないのだが、今回はまだ作りたてなので何の問題もない。
「んっ……んぐっ…………」
「そうだ、しっかり飲み込め……よし、いいな」
数分かけて小瓶の中身を注ぎ終えると、スタンはしばし様子を見る。すると熱に浮かされていた子供がうっすらと目を開け、声を発した。
「うっ……な、なに? 仮面のおばけ……?」
「お、気づいたようだな」
「テッド! お婆ちゃんだよ、わかるかい?」
「おばあちゃん……? あれ、ぼく……?」
「ああ、ああ! ありがとうございます! ありがとうございます!」
「ハハハ、感謝するのはまだ早いぞ。治療はまだ途中だからな。少年……テッドか? 次はこれを食べるのだ」
泣いて感謝する老女を制しながら、スタンは再び仮面の縁に手を突っ込み、そこから土を固めたような長方形の物体を取り出す。
「えぇ、何これ……?」
「これは余の国で強い兵士達が食べていた携帯食だ。このままだと固い故に、唾でふやかしながら食べるのだぞ」
「う、うん……」
差し出されたそれを、テッドは恐る恐る口にくわえて言われたとおりにする。
「どうだ? 栄養満点ではあるのだが、正直味は――」
「……美味しい」
「……………………そう、か」
僅かに顔をほころばせ、必死に唾を溜めながら携帯食を食べ続けるテッドに、スタンは何とも言えない気持ちになる。これ一つで完結するように作られた携帯食は栄養が最重視されているため、味は二の次。
サンプーン王国製だけに食えぬほど不味いなどということはないが、それでも他の食べ物があるならこれを食べたいと思う者は滅多にいない。実際スタンも数度食べたことがあるが、味を思い出して苦笑することはあれど、また食べたいと思ったことなど一度もなかった。
だがそれを、目の前の子供は美味しいと言って必死に食べている。それほど飢えていたという事実に、スタンは胸が締め付けられるような思いを感じていた。
そうしてしばらくテッドが食べるのを待っていると、半分ほど食べたところでテッドが携帯食を口から離す。
「む、どうした? もう腹が一杯か?」
「ううん。残りはお婆ちゃんにあげようと思って。はい、お婆ちゃん」
「ああ、何て優しい子だい! お婆ちゃんはいいから、テッドが全部お食べ」
「でも……」
「心配するなテッドよ。こんなものはまだまだ幾らでもあるし、もっと美味いものも沢山ある。とりあえず何日かはこれを食べて過ごし、元気になったら……今度は本当に美味いものを腹一杯にご馳走しよう」
「え、本当に!?」
「ああ。ファラオは嘘などつかぬ。故に今はそれを好きなだけ食べるといい」
スタンの言葉に、テッドがチラリと老女の方に目を向ける。そこで老女が顔をしわくちゃにしながら頷くと、再びテッドが携帯食に齧り付いた。
「はぐはぐ……美味しいなぁ……美味しいなぁ……」
「安心せよ。そち達の未来、ファラオたる余がきっと明るいものにしてみせようぞ」
幸せそうに食事を続けるテッドを前に、スタンは想いを言葉にしながら、固くそう胸に誓うのだった。





