抗えぬ誘惑
デブラック男爵領。そこは領主であるデブラック男爵が住む、人口七〇〇人ほどの小さな町が一つと、人口が一〇〇人に満たない農村が二つあるだけの、ごく小さな領地だった。
そしてその領地を治めるデブラック男爵家は、代々領民から税を搾り取ることに生き甲斐を感じているかのような治政をしており、特に現当主であるドフトリアン・デブラック男爵は貴族以外は人も家畜も変わらないと考えるような、ゴリゴリの貴族主義者である。
その手腕は冷酷かつ傲慢を極め、先代が生来の不摂生により五〇代で早逝したことで一〇年前に家督を継ぐと、口を出せる者がいなくなったのをいいことにそれまで民がギリギリ生きられる程度に抑えられていた税率を更に引き上げ、今も放蕩三昧の日々を送っている。
その結果今や民は常に腹を空かせ、盗賊ですら領内では仕事をせず、隣領へと出向いて仕事をするような有り様なのだが……そんな男爵領のとある村に、その日近頃ではめっきり見ることもなくなった若い旅人がやってきていた。
「ほぅ、ここが男爵領か……想像以上に寂れているな」
「そうね、これはちょっと……」
領都ではなく小さな農村の片割れにやってきたスタン達は、周囲を見回しそう感想を述べる。まだ午前中だというのに畑仕事をしている者の姿はちらほらとしか見えず、村の中も奇妙に静まりかえっている。
「まずは話を聞いてみるか……おーい、そこの御仁!」
村の入り口付近に佇んでいるだけでは何も始まらない。スタンは近くで畑仕事をしていた五〇代くらいの男性に声をかける。すると男性はだるそうに鍬を振るう手を止め、大きく息を吐いてからスタンの方に顔を向けた。
「ふぅぅ…………ん? 何だアンタ? 変な仮面被ってっけど、ここにゃ呪いを解いてくれる神官様はいねぇぞ?」
「ぬがっ!? これは別に呪われているわけでは…………ま、まあいい。そういうことではなく、昼間にしては仕事をしている者が少ないと思ってな。どうしたのかと気になったのだ」
「あーん? そんなことが気になるってや、アンタよそもん……に決まってらぁなぁ。この辺じゃ若いもんはもうおらんし、そんな仮面かぶっとったら嫌でも覚えとるわ」
「ハハハ、まあ確かに、余達は旅の冒険者だ。それで、どうして働く者が少ないのだ?」
スタンがカクッと仮面を傾けて問うと、男は地面に立てた鍬に寄りかかるようにして立ちながら、疲れた声で答えてくれる。
「そりゃあ働いたって金になんねぇからよ。どんだけ畑を耕したって、みーんな税金でもってかれちまう。それじゃ誰もやる気になりゃしねーだよ」
「そうか……だが税金が高いというのなら、尚更仕事に励まねば生きてゆけぬのではないか?」
「はーっ! んなのはみんなわかってっけど、出来た作物の八割も持っていかれたら、働いたって働かなくたって変わりゃしねーさ。ま、何にもしねーで蹲ってるとそれこそ体が動かなくなっちまうから、俺はこうして畑を耕してんだけどな」
「「八割!?」」
男の言葉に、スタンとアイシャの驚愕の声が重なる。戦争や自然災害などの復興のために換金率の高い小麦などに限定して七割ほどの高税がかかることはあるが、特にそういう事情があるわけでもない……つまり恒常的に全ての作物に八割の税となると、それはもう「死ね」と言われているのに等しい。
「それは……何というか、よく今まで生きてこられたな?」
「ははは、とられんのはあくまでも収穫した量の八割だかんな。いつかせがれが結婚した時のためにって貯めといた金があったから、何とかかんとか生きてこられたのよ。でもそれもそろそろ限界だで……精々あと二、三年ってところか」
「あの、息子さんは……?」
おずおずと問うアイシャに、男が遠い目をして空を見上げる。
「わかんね。前は町に普通に出稼ぎにいってたんだけど、一回だけ連絡があって、それっきりだぁ。便り出すのも金がかかるから仕方ねーけど、そんでも俺が生きてる間に、せめてもう一回くらいは会いたかったなぁ……」
「おじさん……」
その切ない言葉に、アイシャが心底同情する。しかしそんな悲しい空気を、スタンの力強い声が一蹴した。
「そうかそうか! ならば御仁の願い、余が叶えてみせよう! だがその前に……なあ御仁よ、村の中央付近で、大きな物を出して煮炊きをしても大丈夫な場所はあるか?」
「んー? 井戸の周りなら平気だと思うけども……アンタ、何するつもりだ?」
「それは見てのお楽しみだが……良ければ御仁も手伝ってもらえぬか? なに、ちょっとした力仕事だ。報酬もあるぞ」
「へぇ? 金がもらえんなら、別に手伝ってもええよ」
「なら頼む。ではアイシャ、行くぞ」
「はいはい。あんまり張り切りすぎないようにね」
村の男に案内され、スタン達は村の中央にある井戸の側へと移動した。そこはちょっとした広場になっており、村に人気が無いこともあって十分な空間がある。
「こんな感じだけんど、これでいいかい?」
「うむ、十分だ! ではアイシャよ、まずは土台を作るぞ……ファラオープン!」
ドサドサドサドサ――
そう言ってスタンが腕を振るうと、スタンの前方腰の高さくらいに黒い膜のようなものが広がり、そこからドスドスと多数の煉瓦が落ちてくる。
「はぁぁ!? な、何だこりゃ!? 黒いとこから煉瓦が降ってきとる!?」
「ほらおじさん、これを積み上げて竈にしていくから、手伝って!」
「お、おぅ? わかったで」
奇跡のような光景に呆気にとられる男に、アイシャが声をかけて手伝いを促す。そうしてアイシャと男の二人で煉瓦の竈を組み上げると、その完成を見てスタンが再び手を振るう。
「うむ、土台はこれで十分だな。では次は本命を出すぞ……ファラオープン!」
ドスンッ! ボトボトボト――
「ひぇぇぇぇぇ!?!?!?」
ガッシリした煉瓦の竈の上に、スタンの腰の高さほどもある大きな寸胴鍋が降ってきた。しかもそれに続いて、鍋の中に肉やら野菜やらがこれでもかと投入され続ける。
「な、な、な!? こりゃ、こりゃ一体!?」
「ふーむ、このくらいか?」
「ちょっと多くない? この村、そんなに人はいないと思うけど……」
「フッフッフ、甘いなアイシャよ。こういうのは見た目も重要なのだ。どうやっても絶対に食べきれないほど大量にあると思わせぬと、奪い合いなどに繋がることもあるからな」
「へー。ま、考えがあるならいいけど。はい、薪も並べ終わったわよ」
「了解だ。ではいくぞ……ファラオファイヤー!」
その場にしゃがみ込んだスタンが叫ぶと、カパッと開いた仮面の口から真っ赤な炎が迸る。そうして熱源を得た鍋にスタンが手ずから調味料などで味付けし、グルグルと長い木べらで中身をかき混ぜれば、小さな村のなかに美味しそうな匂いが漂い始めた。
「フフフ、注目されているな」
「そりゃ村の真ん中でこんなことやってりゃ、誰だって気になるわよ。でも近寄っては来ないわね?」
「まあ、現状では余所者が村の中で料理をしているだけだからな。故に必要なのは、最後の一押しであろう……よし、そろそろいいな」
鍋の中身がいい具合に煮えたことを確認すると、スタンは村中に聞こえるよう、大きな声を張り上げる。
「さあさあ村人達よ! これなるはファラオたる余がこの村に立ち寄ったことを記念する祝いの料理である! 諸人こぞりて存分にその腹を満たすがよい!」
「それじゃよくわかんないでしょ……えーっと、これは炊き出しみたいなものなんで、お金とかは一切とりません! 余らせちゃうと勿体ないだけなんで、どうぞ食べにきてくださーい!
ってことで、はい、おじさん。手伝ってくれたお礼に、最初の一杯をどうぞ」
「お、おぅ……?」
鍋の横に積み上げられた木の器を一つ取ると、鍋の中身を注いだそれをアイシャが笑顔で差し出す。それを受け取った村の男は理解が追いつかず一瞬戸惑ったものの、手にした器の温かさと立ち上る湯気の香りに我慢できずに中身を啜り……
「……うめぇ! こいつぁうめぇな!」
「そうであろう! ファラオの料理は至高の一品……とまでは言わぬが、普通に美味いはずだ。さあ、まだまだ鍋には料理が満ちておる。腹一杯になるまで好きなだけおかわりするといい」
「い、いいんかい!? ならもう一杯……プハーッ! こんな美味いもん、久しぶりだぁ!」
お世辞も何もない、心からの賞賛。心底幸せそうな男の声が村中に響き渡り……硬く閉められていた家の戸の一つが、キィと音を立てて開いた。





