故郷
「さあ、それじゃアイシャちゃんには頑張ってもらうわよ! 何せ本番まであと五日しかないからね!」
「あはは……アタシにできますかね?」
張り切って自分の手を引くミレディに、アイシャがちょっと弱気な発言をする。スタンの手前ああ言ってはみたものの、普通に考えればたった五日で演劇の主演をやるなど無茶を通り越して無理だ。
だがそんなアイシャに対し、ミレディはニヤァと怪しげな笑みを浮かべる。
「勿論よ。あのねアイシャちゃん、できないって言うのは、負け犬の台詞なの」
「ま、負け犬!?」
「そうよ。だって『できない』っていうのは、諦めた時だけだもの。成長速度にこそ個人差があるけど、人は努力し続ける限り、絶対に前に進めるの。だから諦めたり心が折れたりして努力を辞めないなら、その先には『できる』しかないのよ!
そう! 人は何でもできるの! できるまで努力し続ければいつかはできるようになるんだから、諦めない限りできないことなんてないのよ!」
「えぇ……?」
拳を振り上げて主張するミレディに、アイシャは露骨に顔をしかめる。これはちょっと判断を早まったかな? と思い、一抹の希望を込めてライラの方を振り向いてみると、そこにもまた凄絶な笑みを浮かべる女優の姿があった。
「大丈夫よアイシャさん。この私が大淫婦のなんたるかを徹底的に叩き込んであげるから。そうね、とりあえず食事は脂身たっぷりの塩漬け肉と乾燥野菜を砕いて丸めた携行食を飲むだけにすれば五秒で済むし、用を足す時だって踏ん張るお腹に力を入れつつ声を出せば発声練習ができるわ。
夜だってひと嗅ぎするだけで死んだように意識が落ちる薬を使えば三時間睡眠で十分だし、寝ている間も耳元でずっと台本を読み聞かせてあげるから、一秒だって無駄にはしない。全部任せてくれて平気よ」
「……あー! アタシちょっと急用を思い出したっていうか、スタンを呼ぶのはやっぱり別の手段にしようかと……」
わざとらしい声を上げてクルリと背を向けたアイシャの両腕を、ミレディとライラがガッシリと掴む。
「遠慮しなくていいのよアイシャちゃん。私が貴方を立派な女優にしてあげるわ」
「そうよアイシャさん。必要経費は私が負担するから、何も心配いらないわ」
「ち、ちが! そういうことじゃなくて! え、二人共力つよっ!?」
「フフフ、行くわよアイシャちゃん」
「フフフ、頑張りましょうねアイシャさん」
「いや、待って! やだ、行きたくない! 助けて! 助けてファラオー!」
二人にズリズリと引きずられながら、アイシャが本気で助けを呼ぶ。だが悲しいことに遠ざかっていく黄金の寝台はピクリとも反応せず、アイシャは胸の中で壮絶にスタンに対する悪態を叫ぶのだった。
「ぬおっ!?」
一方その頃、突如として背筋に悪寒を感じたスタンは、思わず声をあげながらキョロキョロと周囲を見回した。だが当然この場に余人の姿はなく、スタンは何とも言えない不安な気持ちを抱えながらも仮面を傾ける。
「……気のせい、か? 何だかもの凄く強烈な負の思念を感じたのだが……まあ場所が場所であるしな」
この地にビガロが掠ってきたのは、助けられたライラだけではない。ならばきっと理不尽に掠われた者達の想いがまだ残っていて、それが感じられたのではないかと言うことひとまず納得しておき、せっかく時間ができたのだからということで始めたピラミダーの調査を再開した。
ちなみにだが、仮にあの時スタンが外に出ていた場合は、ソウルパワーの流れを辿ることで外部からここに繋がる道を探すつもりでいた。なので順序の違いはあれど、ピラミダーの調査自体は最初から決めていたことである……閑話休題。
「よしよし、残っておるな。最古の記録は……おおよそ一〇〇〇年前、か」
ピラミダーの活動記録には、一〇〇〇年前までの情報が残っていた。ただしその頃には既に稼働中となっており、いつ稼働したかの情報は既に失われてしまっている。というのも記録の保存は一〇〇〇年分までで、それ以後は順次消えていくように設定されているからだ。
「むぅ、こんなことならもっと長期、あるいは無期限に設定しておいてくれれば……と言うのは、流石に酷であろうしなぁ」
ピラミダーは毎年の簡易点検に加え、二〇年に一度の大規模点検が義務づけられている。通常ならばその時点で稼働状況の記録は別媒体に移して保存されるため、ピラミダー自体に保存する分は、不具合が起きたときのことを考えても一〇〇年分あれば十分だ。
だが真に大きな問題が起きた時にはそれすらも足りないかも知れないということで設定された保持期限が、この一〇〇〇年。必要十分な量の更に一〇倍という保持期限を設定した技術者に「それでも全然足りなかったぞ」と文句を言うのは、如何にファラオであろうとも傲慢が過ぎるだろう。
「ここは一応、余が消えて目覚めるまでで、最低でも一〇〇〇年経過しているということがわかっただけでも良しとするべきか。さて次は……お、これだ」
次にスタンが調べたのは、このピラミダーの登録名称だ。それが自分の知っているものであれば、このピラミダーが何処にあったものなのかがわかり、ひいては周囲のピラミダーの位置などもわかると思ったからだ。
幸いというか当然というか、ピラミダーの名称はすぐに判明し、しかもそれはスタンの記憶にあるものであった。なのでスタンは<王の宝庫に入らぬもの無し>からサンプーン王国時代の地図を取り出し、件のピラミダーに印をつける。
「うむ、ここが現在位置だな。となると……」
ススッと動いた指の先には、別のピラミダーが存在する。当時は何もない砂漠だったそこは、現代では緑溢れる大地にそびえ立つ山の中。
「チョイヤバダッタ……あの山の地下にあるという瘴気の発生源は、やはりピラミダーであったか」
ソウルパワーを扱うピラミダーが不正な動作を行うことで死を生み出す施設となることは、「死の墳墓」の存在で予想がついていたため、この事実にそこまでの驚きはない。あの時結界維持のために設置した魂装具に「不正な接続先」と表示されたのも、文字通り異常な稼働をしていたからだろう。
「そして最後は…………」
そのままスタンは己の旅路を遡るように、地図の上でゆっくりと指を滑らせていく。黄色ばかりが目立つ地図に緑の思い出を重ねながら辿り着いたのは、アイシャと出会ったマルギッタの町の側。
今でこそ森になっているが、そこもまた当時は砂漠だった。ただし単なる砂漠ではなく、それはスープゥ山脈より流れる大河のほとりに作られた、大量の魂装具と潤沢なソウルパワーの供給により、一〇〇万の民が何不自由なく暮らしていた巨大都市。
「サンプーン王国王都、ルクノール……余の宮殿があったところだ」
万感の思いを込めて、スタンが呟く。愛おしそうに地図を撫でれば、体感としてはさして変わらぬ……だが遠い過去と近い過去の思い出が、折り重なるようにしてスタンの脳内を流れていく。
故郷に帰るための旅が、故郷を探すための旅になり、故郷が既に無いことを知り、無くした故郷を求める旅へと変わって…………その旅路は、思いがけないところで終わりを迎えた。
そう、もう探す必要はないのだ。何故なら――
「何のことはない。見知らぬ遠い異国の地に飛ばされたのではなかった。余は最初から……最初からずっと、サンプーン王国にいたのだ。
ああ、愛しき我が民達よ。随分と長く待たせてしまったな……余はサンプーン王国二八代ファラオ、イン・スタン・トゥ・ラーメン・サンプーン! 今この時、我が身、我が心の全てを以て宣言しよう!
余、帰還!」
バッと両手を広げ、見えぬ空を見上げるようにして高らかにスタンが叫ぶ。その硬く冷たい金属の仮面からは、熱い雫が止めどなくこぼれ落ちていた。





