帰還方法
「はい、ここよ!」
ミレディがアイシャを連れ込んだのは、二メートル四方ほどの小さな天幕のなかだった。入り口を軽く閉じてから垂れ下がっていた紐を引くと、天幕の上部で二重構造になっていた布の手前側が開き、内部に外の光が差し込んでくる。
「ここから外からは見えないし、音も半分くらいしか漏れないわ。勿論聞こえないってわけじゃないけど、それでも事前通達してあるから、何なら悲鳴をあげたって平気よ!」
「いや、悲鳴って……」
「あら、そんなにおかしい? 演劇なら悲鳴くらいあげるわよ?」
「あ、そうか」
顔をしかめた自分の言葉にあっさりとそう返されると、アイシャはすぐに納得して頷く。確かに演劇ならば「殺してやる!」とか「助けて!」なんて叫ぶのは珍しくもなんともないのだ。
「で、ここで大丈夫? もっと広いところがよければそうするけど、それだと流石に完全に人目を避けるのは難しいわね」
「いえ、ここで平気だと思います。じゃあ後は、スタンから連絡が来るまで少し待ちましょうか」
「わかったわ」
そう言葉を掛け合うと、二人はしばしその場で待つ。すると一〇分ほどしたところで、再びアイシャの鞄から怪しげな音が鳴り響いた。
ファラファラファラファラ!
「あ、来たわね!」
「みたいですね。じゃあ早速……助けて、ファラオー!」
ミレディがアイシャの横に並んだのを確認してから、アイシャが叫ぶ。するとギュルギュルと回転しながら黄金の寝台が出現し、その蓋がパカリと開くと……
「ライラちゃん!?」
「……ミレディ、団長?」
「ライラちゃん!」
寝台のなかからふらりと倒れるように出てきたライラを、ミレディが全身で受け止める。するとライラは軽く周囲を見回してから、ボロボロと涙をこぼし始めた。
「この天幕、練習用の……帰れた。私、ちゃんと帰ってこられたんだ……っ!」
「ええ、ええ、そうよ! お帰りライラちゃん! 貴方が無事で、本当によかったわ!」
「団長……っ!」
抱き合う二人を前に、アイシャも思わず涙ぐみそうになる。だがそれよりも先に確認することがあり、アイシャは未だ鳴り続けているミニファラオ君の口の部分をいじって通話モードに切り替えた。
「スタン? 聞こえる?」
『おお、アイシャか。どうだ? ライラ殿は無事に着いたか?』
「ええ、来たけど……アンタはどうしたの?」
『それなのだが……どうもライラ殿が限界だったようでな』
そう前置きをしてから、スタンはアイシャに事情を説明を始める。
出入り口のわからぬ閉鎖空間から脱出するとなると、最も確実なのは外から助けを呼んでもらい、その者のところに転移することだ。だが寝台には一人しか入れないため、ライラを一緒に移動させるには<王の宝庫に入らぬもの無し>に入れるしかない。
だが万が一そのなかでライラが意識を取り戻すと、間違いなく大混乱になり、場合によっては心に取り返しのつかない深い傷を負うことも考えられる。故にどうしても事前説明をする必要があったのだが、目覚めたライラは精神的に酷く衰弱しており、とてもではないが<王の宝庫に入らぬもの無し>に入れることはできなかった。
かといって日の光すら差さぬ地下の閉鎖空間で、顔見知り程度の仮面男と一緒に過ごしながらでは心の回復など望むべくもないわけで……
『……ということで、やむなくライラ殿だけを先に地上に送ったのだ』
「ふーん、そうだったのね。事情はわかったけど、じゃあアンタはどうすんの? もう一回助けを呼べばいいわけ?」
『うむ、そうなるな。手間をかけるが、頼む』
「いいわよ別に、そのくらい。ミレディさん、ライラさん。悪いんだけど、ちょっとそこ空けてくれる?」
スタンの言葉を受け、アイシャが感動の再会を果たした二人に声をかけ、場所を空けてもらう。それを確認してからアイシャは改めてスタンに助けを求める声をあげたのだが……
「助けてファラオー! ……………………あれ?」
先ほどと同じように声を上げたにも関わらす、目の前の寝台は動かない。続けて何度か叫んでみたが、やはり何の反応もなかった。
「えぇ……? ねえスタン、こっちの寝台は何の反応もしないんだけど、そっちはどうなってるわけ?」
『こちらも特に反応はないな……調べてみるので、少々待ってくれ』
「了解」
小さくカチャカチャという音が聞こえるなか、アイシャは言われたとおりにしばしそのまま待つ。すると程なくして漏れ聞こえたのは、何とも不本意そうなスタンのうめき声であった。
『むぅ……』
「どうしたの? 何か問題?」
『うむ。どうやらライラ殿を寝台で送るために無理矢理認証を書き換えた結果、ファラオコールのシステムが動作不良を起こしているようなのだ』
「……? よくわかんないけど、何か壊れたってこと? それ直るの?」
『一応解決策はあるが……そのためにはそちに、少々難しい頼みを聞いてもらう必要があるのだ』
「えぇ……? アタシに何しろって言うのよ」
申し訳なさそうなスタンの声に、アイシャもまた困惑の声をあげながらもそう告げると、スタンはわずかに躊躇いながらもその方法を説明する。
『やってもらいたいこと自体は単純だ。今のように形だけの助けを呼ぶのではなく、本気で余に助けを求めてくれればいい。そうすれば問題の箇所がより緊急度の高い情報で上書きされ、正常に稼働するようになるはずなのだ』
「それって要するに、フリじゃなくて本気で危ない目に遭って、助けを求めろってこと? うわぁ……」
その内容に、アイシャは何とも言えない表情で空を……まあ天幕の中なので見えないが……仰ぐ。
当たり前の話だが、危機というのはやむを得ず訪れるものであり、自ら招き入れるものではない。とりわけ本気の……要は命の危機などというものを進んで体験したいとは、誰も考えはしないだろう。
「一応聞くけど、具体的にはどのくらい危なかったらいいわけ? 丸腰でゴブリンの群れの中に飛び込むとか、絶対死ぬ高さから飛び降りるとか? アンタには悪いけど、流石にそれはちょっと……」
『わかっておる。余とてそちが無理にそのような危険な目に遭うことを望んでいるわけではない。故に何か別の方法を考えようと思うのだが――』
「ねえ、それならアイシャちゃん、次の演劇に出ない?」
「えっ、ミレディさん!?」
アイシャ達が頭を悩ませていると、不意に横からミレディが声をかけてきた。驚いたアイシャが振り向くと、そこには目を泣きはらしながらも落ち着きを取り戻したライラと、そんなライラに優しく寄り添うミレディの姿がある。
「えっと、次の劇……ですか?」
「そう! アイシャちゃんにも言ったけど、五日後にうちは『氷の尾の大淫婦』を演るのよ! その主役をやったら、いい感じに助けを呼べるんじゃない? ほら、あのお話って最後は大淫婦が火あぶりになりながら助けを求めるシーンがあるし」
「でもそれって、ライラさんがやる役ですよね? なのに私がそんなこと……というか、そうよ! それでいいなら、ライラさんがスタンを呼べば……」
そう言ってアイシャが視線を向けると、しかしライラが辛そうな顔で首を横に振る。
「ごめんなさい、そうできればいいんだけど……正直今の私に、演技は無理よ。本当に情けなくて申し訳ないんだけど、まだ恐怖が体から抜けなくて……これじゃまともな演技はとても無理だわ」
「あー……」
青白くやつれた顔で震える手を見つめ、自虐的な笑みを浮かべながら言うライラに、アイシャは言葉を失ってしまう。確かにその状態で「好き放題に男を食いあさる大淫婦」の役がやれるとは、素人目にも思えない。
とは言え、それと自分が演じるのとはまた別の話。アイシャは困った顔をそのままに、今度はミレディに問いかける。
「でも、その……言い方は悪いですけど、演技で本気の助けを呼ぶって、できそうなんですかね?」
「それはアイシャちゃん次第だから、私には何とも言えないわね。でも最初から危ないことをするよりも、やってみる価値はあるんじゃない? 沢山のお客さんの前で演じる緊張感は、アイシャちゃんだって知ってるでしょ?」
「それは確かに……」
「それに私だって、全力で協力するわ。黄金仮面……スタンさんに助けてもらった身だもの、できる限りのことはさせて頂戴」
「ライラさんまで! うぅ、何か外堀を埋められている気が……えぇ、本当に?」
『ハッハッハ! 実際どうなるかはわからぬが、やってみればいいのではないか? 確かにそれなら危険はないだろうしな。余が直接見られぬのが残念だが……』
「アンタは別に見なくていいわよ! ったく……ハァ、仕方ないわね。いいわよ、やってやるわよ!」
周囲の流れに乗せられて、こうしてアイシャはなし崩しに『氷の尾の大淫婦』の主演をやることに同意するのだった。





