魔物という存在
正面で向かい合うウサギとファラオ。一見すると牧歌的な……ともすればちょっとマヌケな絵面だが、当人同士は真剣そのものだ。油断なく構えるスタンにぺったんぺったんとのんびり近づいてきた角ウサギだったが、スタンからおよそ二メートルほどまで近づいたところで、突如全力でスタンに向かって飛び掛かってくる。
「ぬっ!?」
その速度、およそ通常のウサギの一・五倍……つまりそれほど速くはない。ドーハンの剣すらかわし続けたスタンは余裕を以て体を横にずらし、その突進を回避する。
すると着地した角ウサギが、即座に振り返ってもう一度跳びかかってきた。今度はそれを手にした剣で防ぐと、空中で鉄の壁にぶつかったに等しい衝撃を受けた角ウサギは、そのままぽてんとひっくり返りながら地面に落ちた。
「ブフー! ブフー!」
「…………何というか、弱いな?」
起き上がり鼻息も荒く地団駄を踏む角ウサギを前に、スタンは拍子抜けしたような感想を漏らす。するとその背後から、アイシャが呆れた声で話しかけた。
「当たり前でしょ? 普通のウサギよりちょっと力が強かったり体力が高かったりするけど、ウサギはウサギだもの。不意を突かれたら怪我したり、角の刺さりどころが悪ければ死ぬことだってあるでしょうけど、正面から戦ったらそりゃ弱いわよ」
「おぉぅ、そうか。なら、あまり長引かせても意味がないな」
「ブフー!」
鼻を鳴らして三度跳びかかってきた角ウサギに、今度は剣を振るう。するとガチンという音を立てて角と剣がぶつかり合い、脳震盪を起こして地面に落ちた角ウサギの首を切り裂くことで、スタンの初めての対魔物戦闘は終了した。
「角は固いのか。にしても、魔物というからどれほどの脅威かと思ったが、この程度とは……いや、違うか?」
あっけない結末に油断しそうになる自分に、スタンは慌ててその考えを否定する。通常ほぼ無害であり、人を襲うことなどまずないウサギですら、それなりの殺意と脅威を与える存在となっていたのだ。ならば元になる動物がもっと強ければ、その危険度は飛躍的に跳ね上がる。
「狼や熊なら、野生動物のままであっても十分に脅威だ。その辺りが魔物化したならば、かなりの強敵になるはず……それに確か、魔物化するのは一般的な獣だけではなく、虫や植物なども含まれるのだったな?」
「そうよ。たとえば角アリはそのウサギくらいの大きさになってる上にとんでもない数が集まるから、小さな村くらいだと全滅することもある超危険な魔物ね。巣が見つかったら軍隊が派遣されるくらいヤバいわよ。角カマキリなんてクマくらい大きいから普通に強いし。
あとは蔓を触手みたいに動かす花とか、毒の粉をまき散らすキノコとかの魔物もいるわね。アタシは出会ったことないけど」
「魔物というのは、随分と滅茶苦茶だな……一体何がどうなるとそんな生き物が生まれるのだ?」
「さあ? そんなのアタシが知ってるわけないじゃない」
明らかに既存の生態系から外れた突然変異。訝しむスタンに、アイシャは考えることすらせずそう答える。学者ではない冒険者であるアイシャにとって、魔物の攻撃方法や弱点などは重要であっても、その成り立ちには興味がないのだ。
「ほら、それよりさっさと角を取りましょ。死んでればすぐに外せるはずだから」
「うむ、わかった」
そんなアイシャの言葉に、スタンは死んだ角ウサギに近づき、その額に生えた角を掴む。そのままグッと力を入れると、まるでワインのコルクでも抜いたときのような手応えでスポッと角が外れた。
「これが魔物の証か」
まるでネジのように、白地の上に黒い筋状の盛り上がりが螺旋状に巻き付いた角。これが生えていることが魔物の証であり、逆に言えば角がない限り、どれほど異常な生物であってもそれは魔物ではないというのがこの世界の定義だ。
「こうして手に取ると、随分軽いな? 簡単に外れたし、体に埋まっていたと思われる部分は精々一センチほど……これで一体どうやってウサギの体と繋がっていたのだ?」
「そりゃ魔力でしょ。その角に蓄えられた魔力のせいで、魔物は身体能力が高いの。代わりに常時角に魔力を吸われるから軽い飢餓状態みたいなのになってて、凶暴性もあがるって話よ」
「ここで魔力、か……理屈の分からぬ力とはこうも面妖なものであるのか」
「アタシからしたらソウルパワー? とか言うやつの方がずっとわけわかんないけどね」
唸るスタンに、アイシャがそう言って苦笑する。まったく違う世界を生きてきた者同士の常識が擦り合わされるには、まだまだ時間が必要なようだ。
「で、角を外したこのウサギの体は、もう普通のウサギと変わらぬのか?」
「厳密には角の魔力が体に残るから、全く同じってわけじゃないわね。でももっと強い魔物ならともかく、角ウサギくらいじゃ普通のウサギと変わらないわ。だから肉も皮も普通のウサギと同じ値段ね。残念ながら」
「そうか……ん? ならば死体から角を外す前に解体すれば、毛皮や肉の価値があがるのか? あるいは生きている状態で四肢を拘束し、皮を剥ぐなどしたらどうなるのであろうか?」
「えぇ? それはちょっとわかんないわね。そんなことする人いないだろうし」
「何故だ? 素材の価値があがるのなら、やってみる価値はあるだろう?」
「魔物を生きたまま拘束できる力があるなら、殺す前提なら一つ二つ上の獲物を狙えるでしょ? 苦労して弱い魔物の価値をあげるくらいなら、強い魔物を普通に倒してその素材を売った方が簡単にお金になると思わない?」
「むぐっ……いやだが、学術的な観点から言えば――」
「そういうのはえらーい学者先生の依頼を受けたら考えることで、アタシ達普通の冒険者がすることじゃないわ」
「むぅ……」
特異な魔物の生態に興味の尽きないスタンだが、アイシャの言い分も理解できる。少なくともスタン自身、ここで日銭を稼がなければ今夜の食事にすら困る可能性があるのだから、異論など唱えられるはずもない。
「ほらほら、余計なこと考えてる暇があるなら、さっさとそのウサギを担いで町に行きましょ。アンタ、金貨の換金したいんでしょ? あれ両替じゃなくて貴金属の買い取りになるだろうから、鑑定に時間かかったら今日中には無理かも知れないわよ?」
「おっと、そうであった! ならば仕事も完了したことであるし、すぐに町へと戻るとするか。ファラオープン!」
「アンタそれ……あー、でも、今更かぁ」
角ウサギの方は未だに血が滴っているのが嫌だったのか、薬草の入った籠だけを<王の宝庫に入らぬもの無し>にしまい込んだスタンに、アイシャは呆れと諦めの両方を込めた口調で言う。悪党を引き渡す時はちゃんと目立たない場所で黄金像を取り出させたのだが、さっきドーハンとレミィの前で堂々と使ってしまった以上、これの情報が拡散するのは時間の問題だと気づいたからだ。
「まあ、便利な道具を使わないってのも勿体ないしなぁ。でもアンタ、これから色んな奴がアンタに絡んでくるだろうから、ちゃんと警戒しなさいよ?」
「ハッハッハ、心配するな。そういう輩のあしらい方は心得ておる。なにせ余はファラオだからな」
「そっか、王様なら確かにそうよね。ならまあ、精々アタシを巻き込まないようにしなさいよね。アタシはアンタと違って、か弱い乙女なんだから!」
「わかっておる。では行くぞ!」
「はいはい、おーせのとーりに」
町に向かって歩き出すスタンに、極めて適当な感じで返事をしたアイシャも続く。こうして初めての仕事は成功に終わり、予定外の成果も得たが……そこから先に待っていたのは、予想通りに騒がしい日々であった。





