薔薇騎士ロザリンド 前編
薔薇騎士ロザリンド……その内容をざっくり説明すれば、男性しか騎士になれない国で、女性ながらも性別を偽って騎士になったロザリンドが活躍し、その過程で帝国の姫に見初められ、最後は性別を超えた愛を結んで二人で駆け落ちする……という話である。
であれば男装の麗人であるアイシャは、作中でもそうである主人公のロザリンド役をやるかといえば……流石にそうではない。
「おやおや、どうもネズミ臭いと思えば、平民上がりのロザリンドじゃないか」
「デーヴィス様……」
ロザリンドの側にやってきて、嫌みったらしい口調で相手を見下す同僚の騎士。それこそがこの物語の敵役であるデーヴィス・マグナルであり、アイシャに与えられた役だ。本人は大丈夫なつもりだったが、それでもぎこちない体の動きに、会場から軽い笑い声が漏れる。
「うわ、あの子デーヴィス役なのね」
「緊張しちゃって、可愛い!」
「か、かわ……いや、そうじゃなくて。えっと……ほら、あれよ! 誰が私の名を……違う、高貴な名を呼ぶことを許可した?」
「も、申し訳ありません、マグナル卿」
「うむ、わかればいいのだ。分相応というのは大事だぞ?」
「は、はぁ……」
「……………………」
「……………………」
(あれ? 次の台詞なんだっけ!?)
「あ、あの、マグナル卿?」
「ふぁっ!? な、何……何だ?」
「その、これ以上マグナル卿の貴重な時間を費やしていただくのは忍びありません。十分反省致しましたので、今日のところはこのくらいでお許しいただけませんか?」
「……あっ!? ああ、そうだな! ならば寛大な私は許してやろう! だが次までには、せめてそのドブネズミのような臭いだけはどうにかしておけ」
「臭い、ですか? 湯浴みは欠かしておりませんが……」
「貴様の魂にこびりついた臭いだ! そんな臭いを放つ者が栄えある騎士団に所属しているなど、我慢ならぬ!」
「……つまり、私に騎士を辞めろと?」
「言っただろう? 分相応というのは大事だと、な」
「……………………」
「では、私はこれで失礼する。君が賢明な判断をすることを期待するよ、ロザリンド」
悔しげに顔を伏せるロザリンドを残して、デーヴィスがその場を去って行く。そうして舞台袖に入ると、アイシャは思い切り息を吐いた。
「ぷはぁー! あー、駄目! 失敗した!」
「あはは、大丈夫よアイシャちゃん。あのくらい何でもない……っていうか、むしろ上出来よ。最初こそとちっちゃったけど、後の台詞はちゃんと言えてたじゃない」
「そりゃまあ、ロザリンドの話はアタシもよく知ってますから。あーでも、あーっ!」
薔薇騎士ロザリンドは割と有名な話で、アイシャも子供の頃に何度も聞いたことがある。だからこそもっと上手くできると思っていただけに、完全に覚えていると思っていた台詞がいきなり頭から抜け落ちてしまったことに大きなショックを受けていた。
「ははは、そう嘆くことはなかろう? 実に見事な演技であったぞ?」
「うぅぅ……そ、そう?」
「うむ。デーヴィスなるものの尊大で底意地の悪い雰囲気が匂い立つようであったからな」
「……それ、褒められてるの?」
「ん? そちがそう言う演技をしたのであろう?」
「まあ、そうなんだけど……何だろう、凄く納得いかない感じがする」
嫌みな悪役を演じてみたら、実に嫌な奴に思えたと言われた。それは間違いなく褒められているはずなのに、アイシャのなかでどうにも納得がいかない。だがそんな気分など関係なく、舞台の方は進んでいく。
「ほら、悩んでる暇なんてないわよ! もう少ししたらまたアイシャちゃんの出番が来るんだから!」
「あ、はい! わかりました!」
「むぅ、余の出番は……」
「そっちはまだしばらく先ね」
再び舞台に上がる準備をするアイシャとは裏腹に、動けないスタンにミレディが苦笑する。
デーヴィスはその性質上、物語の前半では度々ロザリンドとの絡みがある。対してスタンの与えられた役は後半まで出番がない。なのでしばらくは様子をみるしかないのだ。
「ほらほらどうしたロザリンド! 貴様の自慢の剣の腕は、こんなものか!」
「くっ、剣に細工をするなんて、卑怯な……っ!」
舞台の上では、アイシャが生き生きとロザリンドを滅多打ちにしている。その小物臭溢れる演技はデーヴィスという役になかなかにはまっており、舞台からはまたも歓声があがっている。
「やれやれー! やっちまえー!」
「ロザリンド様、頑張ってー!」
「デーヴィスの底意地の悪さをあそこまで表現できるなんて、あの子、まさか本当は名のある役者なのでは……?」
「まだか! まだ認めないのか! これ以上意地を張るなら、今度はその尻を蹴り上げてやろう!」
「えっ!? あっ、ちょっ!? あふんっ!」
「そーれそれそれ! もっといくぞ-!」
「きゃっ!? ま、待って! 本当に待って!」
「知ったこっちゃないわね! ……ないのだ! ほれほれほれほれ!」
「アッハッハッハッハ! 負けるなロザリンド!」
「逆にデーヴィスの股を蹴り上げてやれー!」
「どうやら天の声も私の行動を祝福してくれているようだ! ならばもっと――」
「お待ちなさい! 一体何をしているのですか!」
観客の声に応えて更にロザリンドをいびろうとするデーヴィスの前に、舞台端から駆けてきた帝国皇女エレオノーラが立ちはだかる。怒り心頭なその表情に、今までニヤニヤ笑っていたデーヴィスの表情が驚愕に染まる。
「げぇーっ!? こ、皇女殿下!?」
「帝国騎士ともあろうものが、何と品の無いことを! これは一体どういうことですか、マグナル卿!」
「こ、これはその、ちょっとした戯れだったのです!」
「戯れ? そうですか。ではこれも戯れですね……えいっ!」
「ふぎゃっ!?」
エレオノーラの先の尖った靴が、デーヴィスの尻を蹴り上げる。その痛みにデーヴィスがぴょんと跳びはねると、勝ち誇ったような笑みを浮かべたエレオノーラがデーヴィスに言い放つ。
「同じ痛みを知って、反省しなさい! 目障りです!」
「ひぇぇー! お許しをー!」
尻を押さえて悲鳴を上げながら、アイシャが舞台袖に走って行く。その背に爆笑を受けながらスタン達のところに戻ると、アイシャがやり遂げた顔でグッと親指を立てて見せた。
「ふふふ、どうスタン? やってやったわよ?」
「お、おぅ。何というか、そちは本当に凄いな……しかし、話の流れ的に、これは大丈夫なのか?」
それまでは割と真面目な感じの演劇だっただけに、アイシャの作った空気はいいのか? そんな心配をするスタンに、ミレディがニヤリと笑う。
「勿論平気よ。元々薔薇騎士ロザリンドは色んな解釈のできるお話だから、受け入れてくれる演技の幅も広いの。だからすっごくシリアスに演じることも、さっきのアイシャちゃんみたいにおもしろーく演じるのも全然オッケー!
それにね……ほら、見て」
「ん?」
言われてスタンが舞台に目を向けると、そこではロザリンドとエレオノーラが真剣な表情で手を取り合い、顔を赤くして甘酸っぱい空気を作っていた。そこにはもう先ほどまでの笑いの空気は残っておらず、観客もまたうっとりとそんな二人を見つめている。
「どんな空気からでも元に戻せるのがプロってやつなのよ」
「なるほど……これは見事なものだ」
「ホント、本物の役者さんって凄いわよね」
「だから二人共、この後も変に気を遣わなくても、好きに楽しく演技して平気よ。私達がちゃーんと二人の演技を受け止めて、それに相応しい『薔薇騎士ロザリンド』を演じきってみせるから」
「そうか……」
プロの懐の深さに、スタンが改めて感心する。そうしている間にも舞台は進んでいき……次はいよいよ、仮面の淑女が登場する番だ。





