演技の神髄
「ぶっひゃっひゃっひゃっひゃ!」
「ぬぅ…………」
小さな舞台の袖にて、若い女性の爆笑と男性の不満げな唸り声が響く。
腹を抱えて笑っているのは、男装の麗人となったアイシャ。となれば笑われているのは当然スタンなわけだが……
「あーら、仮面君ってば似合うじゃない!」
「ミレディ殿」
そんな二人に声をかけてきたのは、この企画を行っているミレディ演劇団の団長、ミレディだ。ストロベリーブロンドの髪をした二〇代前半と思われる小柄な女性の登場に、スタンが仮面の艶を曇らせながら言う。
「似合っていると言われてもな……何故余がこのような格好を?」
スタンが着ているのは、ヒラヒラとしたピンク色の服だ。町娘と言えばこれ、という感じの服ではあるが、実際には汚れが目立つうえにあちこちに引っかかってすぐに破けてしまうため、こう見えて物語や演劇以外ではあまり見かけることがないというレアな服である。
「にあっ!? にあって……ふぐっ、クックックッ…………」
「ぐぬぬぬぬ……」
「ふふふ、アイシャちゃんは笑い上戸ねぇ……で、その格好をさせてる理由だけど、それは勿論、演劇だからよ! だって、せっかく演技するなら、今の自分からうーんと遠い方が面白いじゃない!」
「そう、か? 一般的にはこう、なりたい自分を演じるとかではないのか?」
「ちっちっちっ、それは子供がやるごっこ遊びであって、演技じゃないわ。演技っていうのはそういう夢とか理想とか、自分の現実の延長線上にあるものじゃなくて、全く別の自分になるってことなのよ!
たとえば……そうね。アイシャちゃんが『お姫様になりたい!』って思ってて、豪華なドレスを着てお姫様の役をやるとするでしょ? でもそれって、お姫様の気分に浸っているアイシャちゃんではあっても、『お姫様』という別人を演じるアイシャちゃんじゃないのよ」
「う、うむ?」
ミレディの説明が、スタンには今ひとつピンとこない。するとそれがわかっていたかのように、ミレディが小さく息を吐いて胸を張った。
「ま、難しいわよね。じゃあ実際にやって見せてあげるわ。まずはこれが、私がお姫様ごっこをしている状態ね。
ああ、今日は何ていい天気なのかしら? 新しく仕立てたドレスもとても素敵ですわ!」
そう言いながら、ミレディがその場でクルリと回ってみせる。裏方作業もしているせいか地味目なパンツルックのため仕草こそ愛らしいものの、その見た目、雰囲気は確かに「お姫様ごっこ」と称される程度のものに思える。
「で、次はお姫様の演技をしてみせるわね。
ああ、今日は何ていい天気なのかしら? 新しく仕立てたドレスもとても素敵ですわ!」
瞬間、ミレディの纏う空気が変わる。同じ声、同じ顔で同じ台詞を喋っているというのに、その聞こえ方がまるで違う。気品すら感じる雰囲気はまさしく王族のそれであり、作業着にも拘わらず、スタン達にはドレスの裾を翻して回るミレディの姿が幻視されたほどだ。
「これは……っ」
「凄い……」
「どう? 全然違うでしょ?」
「あ、ああ。全く違ったな」
「うわー、プロの役者さんって、やっぱり凄いのね」
「ふふーん、まあね! 今のでわかったと思うけど、要は『自分が誰かを演じている』という感覚じゃ、まだまだ半人前ってことなのよ。当然私も、まだまだ道半ばってところね。
あーでも、勿論二人にそんな高度なこと求めてないわよ? 単にいつもと違う自分になることで、そこから演技の楽しさを感じてもらえたらいいなって思っただけ。どう、わかってもらえたかしら?」
「うむ。まあ言いたいことはわかったが……」
「そう、よかったわ! それじゃ早速舞台に上がりましょうか!」
「いやいやいや!? 言いたいことがわかったのと、それを余が受け入れるのは別の話ではないか!?」
「何いつまでもグダグダ言ってんのよ! ファラオなら覚悟決めなさい!」
「ファラオは関係あるのか!? あっ、あっ、あっ……」
アイシャとミレディの二人に手を引かれ、フリフリ服のスタンが舞台の上へと上がっていく。すると舞台の前に集まった観客の注目が、一斉にスタン達に集まった。
「皆さん、お待たせしました! これより本日の公演を開始致します! なお本日は、こちらのお二人が演劇体験会に参加してくださいました! どうぞ温かい拍手でお出迎えください!」
パチパチパチ!
恭しく頭を下げるミレディに合わせて、スタンとアイシャもお辞儀をする。すると観客席から拍手が起こり、それと同時に感想の声も聞こえてくる。
「おい、何だあの仮面? 何かの宣伝か?」
「パパー、仮面の人が可愛い服着てるよー?」
「あの女の子、何かかっこいいわね。私も次の体験会に参加してみようかしら?」
「ふふふ、つかみはバッチリみたいですね。じゃ、一端下がって準備しましょうか」
スタン達にだけ聞こえる声でミレディがそう呟くと、三人は舞台の端に戻っていく。それに合わせて会場にナレーションが流れ、本日の舞台である「薔薇騎士ロザリンド」の幕があがった。
『時は今より二〇〇年程前。アルザンヌ帝国には薔薇騎士と呼ばれる者が――』
「は、始まったわね」
「うむ、そうだな」
「……何でアンタ、そんなに落ち着いてるわけ?」
「ん? それは勿論――」
「あー、聞いたアタシが馬鹿だったわ。はいはいファラオファラオ」
「むぅ……その扱いは流石に雑ではないか?」
「じゃあ違うの?」
「……まあ、ファラオだからだが」
「ほらみなさいよ!」
舞台袖から役者達を見ながら、スタンとアイシャはそんな会話を交わす。当初こそガチガチに固まっていたアイシャの体も、それによりいくらか緊張がほぐれてきたようだ。
「二人とも、準備は大丈夫?」
「あー、はい。まあ何とか……?」
「余も問題ないぞ」
と、そんな二人にナレーションの仕事を終えたミレディがそっと声をかけてくる。その手に持っているのは、今回の舞台の台本だ。
「ふふ、そんなに緊張しなくても平気よ。お客さんだって二人が素人なのはわかってるし、そもそもこの演劇体験会はもう何度もやってるから、ちょっとくらい詰まったり失敗したりしたって誰も何も思わないわ。
だから二人は、舞台の上で思いっきり楽しむことだけ考えればいいの! もし台詞が飛んじゃったなら、適当な事を叫んだって平気よ? その辺は私達がちゃーんとサポートするからね」
「ありがとうございます、頑張ります!」
「まあ、余は完璧に覚えておるがな」
素直に礼を言うアイシャとは裏腹に、スタンはそう言ってチラリとアイシャの方に仮面を向ける。するとアイシャもまたじっとりした目線をスタンの方に投げかけた。
「……え、何それ? ひょっとしてアタシに喧嘩売ってるわけ?」
「先に勝負と言い出したのはそちの方であろう?」
「へー。ふーん。そう。アンタはそういうこと言うわけね……いーわよ、ならアタシだって本気で演技してやるわよ!」
「フフフ、その意気だ。なに、ミレディ殿も言うとおり、失敗もまた思い出になると思えば、多少無様な姿も許容できるであろう?」
「はー!? いいわよ、アタシの方こそ、アンタの仮面をカックカクにさせてやるんだから!」
「おおー、二人共やる気ね? なら、そろそろ出番よ」
「任せて!」
「余の準備は、いつでも万端だ!」
「なら……はい、楽しんできてね!」
笑顔のミレディにポンと背中を押されて、まずはアイシャが先に舞台デビューを果たした。





