表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

壁に囲まれた少女

作者: 月立淳水

文章構造の実験作です


 まだ少女だった彼女は、壁に囲まれ生まれて育った。


 永遠のかなたから始まり永遠のかなたで終わる壁が、少女を鋳固め導いた。

 何度も何度も壁を伝って歩いたけれど、いつもたどり着く場所は同じだった。


 私は一体どこに向かうのだろう?

 私は一体どこにいるのだろう?


 まやかしだ。まやかしだ。


 古い古いフィルムは、壁の向こうの世界を生き生きと語っている。


 無限に広がる壁の向こうに有為に連なる世界がある。


 少女はずっと訝り続けてきた。大人たちが黙して語らぬこの世界の真実の姿を。なぜ我々がどこにも行けないのかを。


「この世界には、秘密があるわ」


 一人きりになったある日、小さくつぶやいた。


 その言葉は、どこにも反響せずに消えていった。


「秘密が秘密であるのには、理由が、あるのよ」


 訝り続けるだけの少女の旅は、終わりを迎えようとしている。彼女は小さくため息をつき、


「好きなように探せばいい」


 彼女は、立ち止まって天井を仰いだ。


 彼女の頭上には、ずっと天井がかかっているばかり。

 朝昼晩と色を変えるにぎやかな空は、世界にあるべき『太陽』を抱いていなかった。

 少女は無性に太陽を欲した。


 そこに太陽はなかった。太陽に照らされず少女は暮らし続けた。


 ――ある日、見慣れた場所に少女はいた。

 それから歩き出し、どこへともなく歩き着き――。


 少女はぼんやりとその風景を眺める。

 川の水は、さらさらと静かに流れている。

 その川面をじっと見つめた。


「……我ながらあきれるわ。こんなことに今まで気付いていなかったなんて」


 川は、ポンプでくみ上げられて、ポンプで地面の下へ消えている……。どこまでもどこまでもつなぎ続けている……。

 少女にとって、考えれば考えるほど、それはおかしなこととしか思えなくなっていた。


「水がどこから来るのか、なぜ誰も考えてないのかしら」


 本当の自然の中で、川がポンプでくみ上げられているなんてことがあるだろうか? あそこに見えるポンプ小屋を通って。


「フィルムの中では、川はどこからともなく流れてくるけれど」


 その川には、とても大きな秘密がある。


「結局、誰も、自分で確かめるしかないのよ」


 空を見上げても、相変わらずメリハリのない天井しか見えない。小さくほくそ笑んだ。

 ポンプ小屋へ至る道を、少女は、川に沿って歩いた。


 少女は明らかな不審感を覚えるそのポンプ小屋に踏み入った。


 ――きっとこのポンプ小屋。ここから、水が湧いている。どこからともなく湧いてきて、あまたの生命を育んで、どこへともなく沈んでいく。

 水がごうごうと流れる音が耳に障った。意思持たぬ水でさえ同じところをぐるぐる回る意味を知っているのに、この私は――。


 古ぼけて錆だらけの鉄の扉が目の前にあった。それは地下へと――秘密へと向かう扉。


 それこそ彼女が求めていたもの。


「意味? 意味ですって?」


 少女は、自問を思い出してあざけるように笑った。


 その『地下への入り口』は、彼女の前途を象徴するかのように、薄ぼんやりとして湿っぽい匂いがした。進む少女の足音が地上と地下を結ぶ階段に反響した。


 少女は、細い足を交互に規則正しく階段上に繰り出して行き、前に進んだ。

 ぬるりとする感触が足元を襲う。

 頭上に、小さな光が見える。あの小さな枠に切り取られた標本でしか見たことのない、『星々』のようだ。


 これから彼女を待ち受けているものを想像して、体がこわばる。

 少女はじっと足元を見つめる。足が震えて、前に進めないような気がする。


「こんなところにいるべきじゃないのに」


 そう思いながら、何とか一歩を踏み出す。


 少女がこれから進むのは、どこまでもどこまでも真っ暗な、人工的な薄明かりに照らされただけの暗い道だ。


 それは秘密の門。誰もが見つけているのに誰もが気づかないふりをしているのかもしれない。

 くぐりぬけた時、彼女はその目の前に横たわったものを見て、まるで迷路のようだわ、と小さくつぶやいた。


 それでも、やがてたどり着くのだ。真実の門に。


 長い長い時間をかけ、曲がりくねった道をひたすらに歩いた。時に分岐し、時に行き止まり、何度も立ち戻らされることもあった。

 目の前の扉……入り口、あるいは、出口を、見つめた。


 ようやくたどり着いた。私は出発点に立ったのだ。


 重いノブを捻りきしむ扉を開けた少女は、入り口に立っていた。


 目の前に初老の男が、じっと座っている。彼の目前の少女のことに、まるで無頓着の光を瞳にたたえて。その背後に、固く閉じた小さな窓が見える。


「扉を閉めなさい」


 少女は、逡巡した。ともすれば、自分の在り方はここにないのかもしれないと思った。――だが結局、少女は言われたとおりにするしかなかった。


「――私は『船長』だ。君に、帰れと命じることができる」


「……私が拒否したら」


「私が『船長』だという意味が――分かるかね?」


 船長は、鋭い視線で少女を刺した。少女は、その視線の意味を、ぼんやりと理解したように思う。


「知らずにたどり着く人もいるでしょうが、私は知りたくて……覚悟して、ここに来たのです」


「そうか」


「私はただ知りたかったのです。自分のいる場所を」


「もう一度警告しておこう。君は大変な禁を犯してここにいる。真実を知るというとてつもないタブーを」


 少女は答えず、船長をじっと見つめた。


「戻るかね?」


 少女は、首を振った。ここまで来て、戻ることは、もうできない。私はたどり着いたのだから。


「君が知ったこの真実を、どう扱っても構わない。だが、知ったことが本当に幸せか、……そうだな、十年後に、もう一度考えてみなさい」


 船長は、椅子から立って少女に近づいた。


「そうだ、君は、真実にたどり着いたのだ」


 と、うなずく。


「知ることより、知らないことの方が、恐ろしいもの……だと思うんです」


 さらに、少女は恐る恐る付け加える。


「きっと後悔はしません」


 船長は小さな窓に一歩、近づき、何かを問うように少女の相貌を覗き込んだ。


「これを見れば分かるだろう」


 振り向いて少女に背を向けた船長は、閉じられた窓の前に立ち、小さく鼻からため息した。


 その隙間から吹き出す不安が狭い空間を揺らした。

 恭しいしぐさで、船長はゆっくりと窓を開けた。


 ただただ、漆黒。黒。……太陽? そう思ったものは、あまりに弱々しく瞬いているだけ。

 窓の外に、少女が欲した太陽はない。


 たどり着くべき約束の地は、そこにはなかった。

 まごうことなき星々の世界が、窓枠に切り取られ、輝いている。

 少女は、じっと動かぬ船長の背中に視線を当て、動かせなかった。大槌のように重い真実が彼女の頭側をひどく揺らした。


「壁を伝ってもどこにもたどり着かない……ようやくわかったわ。()()()()()()()()()()のね」


 少女は、小さくうなずく。


「理解したかね?」


 そう、星から星へと人々を運ぶこの大きな壁に囲まれた箱――宇宙船に。


「――我々は、ただ乗っているのだ。ずっとずっと前から。祖父の祖父のそのまた祖父の……数え切れないほど代を重ねたはるか先人の時代から」


 彼はそう言って言葉を切り、続ける。


「……見えるだろう。無限の星界。故郷を失った我々は、あのどこへでもたどり着くことができるし、だどり着かないこともできる。そして我々は――」


 船長は、肩をすくめてゆっくりと向き直った。


「たどり着かないのさ」


 ぎょっとした視線が、その言葉の主を捕らえた。が、その眉の緊張はすぐに弛緩する。


「では……私はどこにたどり着くんですか?」


 少女は心地悪そうに身じろぎした。


「それは君が決めることだ」



 壁の向こうは空っぽ。何もない空っぽ。どこにもたどり着かない空っぽ。どこにでも行けるけれどどこにも行けない空っぽ。そして彼女が向かう先は――。



「それは私が決めること」


 少女は心地悪そうに身じろぎした。


「ではあなたは……どこにたどり着くんですか?」


 ぎょっとした視線が、その言葉の主を捕らえた。が、その眉の緊張はすぐに弛緩する。


「たどり着かないのさ」


 船長は、肩をすくめてゆっくりと振り返った。


「……見えるだろう。無限の星界。故郷を失った我々は、あのどこへでもたどり着くことができるし、だどり着かないこともできる。そして我々は――」


 彼はそう言って言葉を切り、続ける。


「――私は、ただ乗っているのだ。ずっとずっと前から。祖父の祖父のそのまた祖父の……数え切れないほど代を重ねたはるか先人の時代から」


 そう、星から星へと人々を運ぶこの大きな壁に囲まれた箱――宇宙船に。


「理解したかね?」


 少女は、小さくうなずく。


(くうかん)を伝ってもどこにもたどり着かない……わかったわ。()()()()()()()()()()()()のね」


 少女は、じっと動かぬ船長の背中に視線を当て、動かせなかった。大槌のように重い真実が彼女の頭側をひどく揺らした。

 まごうことなき星々の世界が、窓枠に切り取られ、輝いている。

 たどり着くべき約束の地は、あれらではない。


 窓の外に、少女の太陽はもはやない。

 ただただ、漆黒。黒。……太陽――そう思ったものは、あまりに弱々しく瞬いているだけ。


 恭しいしぐさで、船長はゆっくりと窓を閉じた。

 隙間から吹き出す不安が狭い空間を揺らした。


 振り向いて少女に向き合った船長は、閉じられた窓を背に、小さく鼻からため息した。


「これを見て分かったかね?」


 船長は少女に一歩、近づき、何かを問うように少女の相貌を覗き込んだ。


「きっと後悔はしません」


 さらに、少女は恐る恐る付け加える。


「知ることより、知らないことの方が、恐ろしいもの……今はそう確信しています」


 と、うなずく。


「そうだね、君は、真実にたどり着いたのだ」


 船長は、少女から離れて椅子に腰かけた。


「君が知ったこの真実を、どう扱っても構わない。だが、知ったことが本当に幸せか、……そうだな、十年後に、もう一度考えてみなさい」


 少女は、首を振った。ここまで来て、戻ることは、もうできない。私はたどり着いたのだから。


「戻るかね?」


 少女は答えず、船長をじっと見つめた。


「もう一度警告しておこう。君は大変な禁を犯してここにいる。真実を知るというとてつもないタブーを」


「ええ。私はただ知りたかったのです。自分の役割を」


「そうか」


「知りたくなかった人もいるでしょうが、私は知りたくて……覚悟して、ここに来たのですから」


 船長は、鋭い視線で少女を刺した。少女は、その視線の意味を、ぼんやりと理解したように思う。


「さて、私が『船長』だという意味が――分かるかね?」


「私が拒否したら?」


「――私は『船長』だ。君に、帰れと命じることができる」


 少女は、逡巡した。ともすれば、自分の在り方はここにあるのかもしれないと思った。――だが結局、言われたとおりにするしかなかった。


「扉を開けなさい」


 背後に初老の男が、じっと座っている。いまや、彼の目前の少女のことに、まるで無頓着の光を瞳にたたえて。その背後には、相変わらず固く閉じた小さな窓があるだろう。


 重いノブを捻りきしむ扉を開けた少女は、()()()に立っていた。


 ようやくたどり着いた。私は出発点に立ったのだ。


 背後の扉……入り口、あるいは、出口を、一瞥し目をそらした。

 長い長い時間をかけ、曲がりくねった道をひたすらに歩いてきた。時に分岐し、時に行き止まり、何度も立ち戻らされることもあった。


 それでも、たどり着いたのだ。真実の門に。


 くぐりぬけた時、彼女はその前途に横たわったものを見て、まるで迷路ね、と小さくつぶやいた。

 それは秘密の門。誰もが見つけているのに誰もが気づかないふりをしているのかもしれない。


 少女がこれから進むのは、どこまでもどこまでも真っ暗な、人工的な薄明かりに照らされただけの昏い道だ。


 そう思いながら、何とか一歩を踏み出す。


「こんなところにいるべきじゃないのね」


 少女はじっと足元を見つめる。足が震えて、前に進めないような気がする。

 これから彼女を待ち受けているものを想像して、体がこわばる。


 頭上に、小さな光が見えた。あの小さな枠に切り取られた標本でしか見たことのない、『星々』のように。

 ぬるりとする感触が足元を襲う。

 少女は、細い足を交互に規則正しく階段上に繰り出して行き、前に進んだ。


 その『地上への入り口』は、彼女の前途を象徴するかのように、薄ぼんやりとして湿っぽい香りがした。進む少女の足音が地上と地下を結ぶ階段に反響した。


 少女は、自問を思い出してあざけるように笑った。


「意味? 意味ですって?」


 それこそ彼女が求めていたものだと気づいたのだ。


 やがて古ぼけて錆だらけの鉄の扉が目の前にあった。それは地上への――秘密にさよならする扉。


 水がごうごうと流れる音が耳を潤した。意思持たぬ水でさえ同じところをぐるぐる回る意味を知っているのだから、この私は――。

 ――きっとこのポンプ小屋。ここから、水が湧いている。どこからともなく湧いてきて、あまたの生命を育んで、どこへともなく沈んでいく。


 少女はどこか親近感を覚えたそのポンプ小屋を後にした。


 ポンプ小屋へ至る道を、少女は、川に沿って歩いた。

 空を見上げても、相変わらずメリハリのない天井しか見えない。小さくほくそ笑む。


「結局、誰も、自分で確かめるしかないのよ」


 その川には、とても大きな秘密がある。


「フィルムの中では、川はどこからともなく流れてくるけれど」


 本当の自然の中で、川がポンプでくみ上げられているなんてことがあるだろうか? あそこに見えるポンプ小屋を通って。


「水がどこから来るのか、なぜ誰も考えてないのかしら」


 少女にとって、考えれば考えるほど、それはおかしなこととしか思えなくなっていた。

 生命の水は、ポンプでくみ上げられて、ポンプで地面の下へ消えている。どこまでもどこまでもつなぎ続けている。


「……我ながらあきれるわ。こんなことに今まで気付いていなかったなんて」


 その川面をじっと見つめた。

 川の水は、さらさらと静かに流れている。

 少女はぼんやりとその風景を眺める。


 それから歩き出し、どこへともなく歩き着き――。

 ――ある日、見慣れた場所に少女はいた。


 そこに太陽はなかった。太陽に照らされず少女は暮らし続けた。


 少女は自分だけの太陽を探した。

 朝昼晩と色を変えるにぎやかな空は、世界にあるべき『太陽』を抱いていないのだから。

 彼女の頭上には、ずっと天井がかかっているばかり。


 彼女は、立ち止まって天井を仰いだ。


「好きなように探せばいい」


 訝り続けるだけの少女の旅は、終わりを迎えようとしている。彼女は小さくため息をつき、


「秘密が秘密であるのには、理由が、あるのよ」


 その言葉は、どこにも反響せずに消えていった。


 ――二人になったある日、小さくつぶやいた。


「この世界には、秘密があるわ」


 少女はずっと隠し続けてきた。大人たちが黙して語らぬこの世界の真実の姿を。なぜ我々がどこにも行けないのかを。


 無限に広がる壁の向こうに無為に散りゆく世界がある。


 古い古いフィルムは、壁の向こうの世界を生き生きと語っている。


 まやかしよ。まやかしなの。


 あなたは一体どこにいるの?

 あなたは一体どこに向かうの?


 何度も何度も壁を伝って歩いたけれど、いつもたどり着く場所は違ったの。

 永遠のかなたから始まり永遠のかなたで終わる壁は、あなたの未来を鋳固めたりしないのよ。


 いつか少女だった彼女は、壁に囲まれ人生を終えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ