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自称完璧令嬢ベアトリス・ド・ラヴァルの不器用な恋

作者: 相馬

 わたくし、ベアトリス・ド・ラヴァルの朝は早い。侍女のクレアが入れてくれる紅茶の香りと共に、わたくしの一日は始まるのです。少し渋めの紅茶をゆっくりと楽しんでいる間、侍女のクレアがわたくしの髪を整える。


「お嬢様の御髪は今日も美しいですね」

「ありがとう。でもこの完璧令嬢ベアトリス・ド・ラヴァルですもの、美しいのは当然でしてよ。そんな当たり前の事で褒められても……嬉しいものですわー!」


 社交界の華とうたわれた母親に瓜二つのわたくしは、とても美しいと帝国中で評判ですの。白い肌、すらりと長い手足、エンジェルリングのできた金色の髪と、まるでアメジストをはめ込んだ様なきらきらと光る紫色の瞳。男女問わず、わたくしを見たものは心臓が一度は跳ねるらしいわ。

 『帝国一の令嬢』『 天界から舞い降りた天女』『至高のレディ』等など、わたくしを評する言葉は数知れず、そして誰もがそれを否定しない、はずです。


 着替えの為に鏡の前に立ったわたくしは驚いてしまいましたの。


「まぁ! クレア! 女神、女神様がご降臨なされましたわよ!」

「はぁー。そちらは女神ではなく、お嬢様でございます」

「あらあら、勘違いしてしまいましたわー!」


 何だかクレアが呆れている様な雰囲気ですけれど、まぁそれは仕方がないですわね。だってわたくしは鏡の前に立つ度に、この世のものとは思えないほどの美女を目の当たりにして驚いてしまいますのよー!


 わたくしは学業にも秀でていて、家庭教師の授業でも優秀な成績を修め、今では授業と言うよりほとんど共同研究みたいなものですの。それだけではありません。お茶会に参加すれば、他のご令嬢の些細な変化にも気が付き、時に髪の毛先を褒め、時に肌を褒め、多くの参加者を主催者でもないのにもてなしてしまうのです。帝国淑女の間では、ベアトリス様が参加されるお茶会は日頃たまったうっぷんが晴れていくようだともっぱらの噂でしてよー!

 

 才色兼備で完璧令嬢、それがわたくし、ベアトリス・ド・ラヴァルですわー!

 

 ですが、この究極完全体ベアトリス・ド・ラヴァルを完全体に格下げする者が存在致します。それが我が宿敵、ルシアン。

 ルシアンはラヴァル伯爵家の騎士団に所属している騎士で、黒い髪に少しワイルドな顔つき、比較的容姿は整っていますが、わたくしと比べてしまえば大した事はありません。

 

 今日もまた、騎士団の訓練場に顔を出してわたくしがうまくできない原因を調べなければ!


「ルシアン! 今日は、その……ええと、あれね! 良い天気! だと思うのですか?」

「……は、はい。そうだ、ですね?」


 そう。わたくし、ベアトリス・ド・ラヴァルはルシアンとだけ不思議と上手く話せなくなる呪いに掛かっておりますわー!


 本日の騎士団訪問も無事に終わり、今は自室で優雅にティータイムですの。

 

「ねぇ、クレア。わたくしはどうして彼の前だと上手く話せなくなってしまうのかしら?」

「はぁー。何度も申し上げましたが、それは恋煩いです」

「フフフ、アハハハハハ……オーホッホッホッホ! クレアのその恋煩いギャグは何度聞いても笑えませんわー! この完璧令嬢ベアトリス・ド・ラヴァルが騎士に恋? ありえなくってよー! ですが、このノートが埋まる頃にはきっと、彼に隠された秘密が暴かれる事でしょう。このわたくしが完璧でいられないなど許せなくってよ! 今に見ていなさい!」


 わたくしはルシアンとの会話の記録や、彼の様子を毎日マル秘ルシアン対策ノートにしたためていますの。どんな物事でも、詳しく知るためには大量の記録が必要ですわ。必要な記録かどうかは後で判断すればよいのです。今はとにかく大量の記録を残すことが最優先ですわー! 


「そうよ! 彼がラヴァル騎士団に所属している以上、彼の資料がお父様の執務室に保管されているはずだわ! そうと決まれば早速行動ですわ! クレア、行きますわよ!」

「お嬢様! 淑女たるもの走らないでください! チッ、無駄に足が速い!」

「オーホッホッホッホ! 淑女たるもの、はやる気持ちを抑えて体だけ先行していきますわー!」


 パーフェクトなわたくしは走る事だって得意中の得意ですのよー! 息を切らしながら付いてきたクレアと二人で、ラヴァル伯爵家当主の執務室につきましたわ。


「お父様、いらっしゃいませんのー? 入りますわよー?」


 ノックをしても返事がないのでお邪魔させて頂きますわね。お父様もわたくしが調べものの為に必要でしたの、よよよと言えば笑って許してくれますわ!

 書棚を調べていると、ラヴァル伯爵家に所属している人の『調査報告書』なるものを見つけました!


「クレア! 見つけましてよ! わたくしが見つけました。流石ですわね、自分で自分を褒めてあげたいところですが……ここはクレアに譲りましょう! さぁ褒めてくださいな!」

「わぁーおじょうさまはさいこうだー」

「えぇえぇ。当然知っていましてよ! オーホッホッホッホ!」


 調査報告書の中からルシアンの記録が書かれた紙を取り出します。名前や年齢、性別、身体的特徴や交友関係に至るまで、あらゆる個人情報が書かれておりますわね。一体どこに秘密が隠されているんでしょう。


「お嬢様、これは勝手に見てはいけない物だと思います。このことを知ればきっとルシアン殿もご不快に思われますよ」

「ちょっと、もうちょっとだけ! ……あった! これよ! きっとここに何かがあるわ!」


 出身地、貧民街。先ずは彼の生まれ育った貧民街を調べましょう。そこならばきっと、彼の秘密に繋がる手掛かりが隠されているはずですわ! そこからは速さ最優先です。クレアの忠告は受け流し、お父様にはおねだりをして、外出の許可を取り、馬車や護衛の準備まで済ませましたわ。

 

 クレアはわたくしが貧民街に行くことに強く反対しておりました。貧民街はとても危険なところで、面白半分で近づいた者が強盗に会い、泣きながら帰る途中で服まで取られたなんて話もあると言っていました。決して遊び半分で貴族の、それもわたくしのように美しい令嬢が向かうべきところではないのだ、と。


 確かに危険なところなのかも知れません。ですがわたくしはこうも思うのです。


「それほど危険な場所ならば、屋敷では手に入らない情報も得られるでしょう!」


 出発の日の朝、わたくし達は馬車で貧民街へと向かいました。あれだけ危険だと言っていたのにクレアも同乗していますわ。


「行きたくないのであれば、屋敷に残っていてもよろしくってよ?」

「そんな事ができる訳ないじゃないですか」


 ため息をつくクレアはたぶんまだ眠いのでしょうね。でなければため息をつく理由などなくってよ。

 貴族街から貧民街までは距離があるそうです。小一時間程馬車に揺られたら、なんだか少し気分が悪くなってきました。到着したとの護衛の声を聞いて待っていましたと言わんばかりの勢いで馬車から降りましたわ。ラヴァル伯爵家の馬車はとても豪華、でも豪華な馬車とはいえ、わたくしのお部屋と比べればただの狭い箱の中ですわ。

 外へでた解放感からわたくしはうーんと伸びをしたあと深呼吸をしました。


「ねぇ、クレア。何だか凄く臭いわ! 嗅いだこともない様な強烈な臭いよ! 毒? 毒かしら!」

「お嬢様、毒ではありません。これが貧民街というものです」


 驚きましたわね。狭い室内でもなく屋外なのにこんな淀んだ空気が漂っているなんて信じられません。


 わたくしは貧民街のこと等何も知りませんでした。優秀な貴族達が国を治め、それでも貧しいと言われる貧民街は、食卓に並ぶおかずが一品少ないくらいの認識でしかありませんでした。

 わたくしは完璧令嬢ベアトリス・ド・ラヴァルですが、どうやら箱入り娘だったようです。現実は何も知らず、綺麗な物だけをしまった箱の中で暮らしていたらしいですわ。己の無知を恥じるばかりです。

 

 わたくしの目に映る貧民街は恐ろしいものでした。まるで骨が動いているようにしか見えない女の子とゴミより酷い物を漁る男の子、地べたでうな垂れている大人や枯れ木の様な老人、馬小屋よりも酷いあばら家と柱だけの家、それが貧民街の現実でした……。遊び半分できていい場所ではありませんでした。それは危険だからという意味ではなく、そんな中途半端な気持ちで来ても何もしてあげられない。そういう話です。


「帰りましょう。今日はもういいわ」


 帰りの馬車では何も話す気になれず、窓から見える街並みを見て、わたくしは一体今まで何を学んできたんだろうと疑問に思いました。

 帝国民は偉大なる我らが皇帝陛下を讃え、皇帝陛下が歩まれる道は常に光に包まれるだろう、偉大なる我らが帝国が豊かなのは我ら貴族が寄り良い政治をしているから。そんなことばかり習っていたような気がします。

 完璧だと思っていたこと自体、まやかしだった、そんな気がしてなりませんでしたの。


 屋敷に帰ってからも何も喋ることなく過ごしましたわ。鏡に映る美しいわたくしをみて、今日みた貧民街で暮らす人々とわたくしでは何が違うのか考えてしまいます。当たり前の様に全てを与えられているわたくしと、満足に食事にすらありつけていない彼ら、どうしてこれ程までに差が生まれてしまうのでしょう。


 その日の夜、わたくしは眠る前のハーブティーを一口飲み、クレアに問いかけました。


「ねぇクレア。彼らはこのハーブティーの一口さえ飲んだことはないのかしら。いつも私が眠る前に当たり前のように飲んでいるこのハーブティー」

「どうでしょう。少なくとも貧民街にいる間は飲んでいないでしょうね」

「きっと私たち貴族は恨まれているんでしょうね。彼らは力のない瞳に精一杯の呪詛を込めて睨みつけている、そんな気がしてならなかったわ」

「……」


 わたくしはいつも何気なく飲んでいたハーブティーをゆっくり味わうように飲み、眠りました。

 

 次の日から精力的に行動しました。自分に宛がわれている遊興費を可能な限り削り、その浮いた費用で貧民街の支援を行うようお父様に直談判したのです。

 お父様はお前一人がそんな事をしても何も変えられない、と否定的な意見でした。お父様の意見が間違っているとは思いませんわ。わたくしもお父様の意見には賛成です。ですが、目的が違うのです。わたくしは支援する事で全てを解決するつもりなのではなく、全てを解決するまでの時間稼ぎをしようとしてるのです。


 貧民街の問題はわたくし一人が頑張ったところで今日明日解決するような問題だと思えません。ではもし一年後に解決できたとしましょう。そうなればきっと、昨日見た人達の多くは既に亡くなっていることでしょう。そうならない為の支援でしかありませんの。

 

 渋るお父様の説得には数日かかってしまいましたが、何とか許可をもぎ取りましたわー!

 その甲斐あって、食料品を大量に買い付け、護衛と共に貧民街へ向かい、毎日一回ではありますが配給を行うことが出来ましたの。

 わたくしの日課に騎士団訓練場の訪問以外に貧民街訪問も加わりました。


 今日もこれから騎士団訓練場へ向かいます。この完璧令嬢ベアトリス・ド・ラヴァル、貧民街の問題解決に向けて行動をしていましたが、ルシアンの謎を攻略する術もしっかりと考えましたわ。さっすがわたくしですわー!


「ねぇルシアン。どうしてルシアンは騎士になったんですの?」

「私は……まだ見習いだ、です」

「ではどうして見習いなんですの?」

「まだ、えーっと。まだダメだからです」

「まだダメってなにがダメなんですの?」


 うむ! 会話が成立していますわ! やはり完璧令嬢ベアトリス・ド・ラヴァルの名は伊達ではありませんわー!


 日課である、ゆけルシアン調査隊は無事に終了し、自室でのティータイム。わたくしは今日の成果はどうだったか自信満々にクレアに聞いてみました。クレアもきっと手放しでわたくしを褒めてくださることでしょう!

 

「クレア、今日のわたくしはどうでしたか? 新しい会話術を会得したのです! こちらから質問を投げかけ続ければ、会話が成立するんですのよー! 流石はわたくし、なんという発見! これは人類史に名を刻みますわー!」

「あれが……ですか? あれは尋問と言います」

「そう、尋問なのね。……か、会話ではなく?」

「えぇ。人類史に名を刻みましょうか? 完璧令嬢ベアトリス・ド・ラヴァル、車輪の再発明を達成する、と」


 人類の発展には失敗が付き物です。確かに今回は会話ではなく、尋問になってしまったかも知れません。ですがそれでも、このノートの一ページを埋めるくらい、また彼の事を知る事ができました。

 

 そんな日々を過ごしながら、いつもの様に配給をしていたある日の事です。わたくしは貧民街の住人に声をかけられました。


「なぁ、姫さん。確かに俺たちは姫さんのおかげで今日の飯にありつけた。だが明日はどうだ? 明後日は?」

「明日も明後日も配給は行うわ。ただ、全ての人にいきわたるかはわからないの」

「そう言う事をいってるんじゃねぇ! 俺たちは! 何も変わらねぇんだよ! 感謝はしてる。感謝はしてるさ。だがな、今日死ぬかわりに明日死ぬんだよ。それが貧民街での生活だ。そんな俺らみてぇな小汚ねぇ連中に施しを与えて、あんたは優しい自分にでも酔ってるのか? あんたは一体なにがしたいんだ!」


 護衛たちが剣を抜こうとしたので、それを手を挙げることでとめました。貴族に対しての接し方ではありません。場合によってはその場で切られてしまうでしょうが、そこまでするつもりはありません事よ。

 わたくしはこの男の間違いを指摘します。わたくしがやっているのはあくまでも延命措置でしかないのです。そしてそれはわたくしの力のなさの証左でもあります。


「私がしていることはあなたの言う通り少なくとも今日死なないようにしているだけの延命措置よ。この貧民街は我々貴族の不甲斐なさが生み出している事はもうわかっているわ。だからといって今日明日どうにか出来るほど簡単な問題ではないの。どれ程の時間を要するかわからないけど、これからあなた達が笑って暮らせるような社会を作っていくつもりよ。だからその為の時間稼ぎをしているわ」

「はん、口先だけでは何とでもいえるだろ!」


 男はそう言って離れていきました。まだお話がありましたのに残念ですわ。

 男が去っていった代わりに枯れ木のようなご老人がわたくしの前に現れました。今日は先客万来のようですわね。

 先程のこともあって護衛達は素早くわたくしの前に立ちました。これではそのご老人とお話ができません。わたくしは護衛の間をスルリと抜けて、ご老人に目を合わせました。


「姫様、申し訳ないのう。あの男もワシ同様ここでの生活が長い。一度此処へ落ちるともう表には戻れんのが現実じゃ。そんなケツからひり出した様な現実にまみれて、新しく見付けた光が本当に安全な物なのか怯えているんじゃろうて。許してやってくれ」

「いえ、許すも何も怒っていませんよ。ただただ己の不甲斐無さを思い知らされるばかりです」

「ほっほっほ。姫様はようやっております。その証拠にこのジジイはこうして歩ける様になりました。どうか無理だけはなされませんように」


 そう言ってご老人は去っていきました。ご老人からは確かな感謝と励ましの気持ちを感じましたわ。

 今迄も毎日配給は行ってきましたが、こうして直接話をしたのは初めての事でした。ご老人の言葉に少しわからないものもありましたが、それでも普段と変わらないわたくしのまま会話ができました。ではやはり、ルシアンだけが特別な何かがあるのでしょう。


「ねぇルシアン、あなたはどうしてお話苦手の、人ですか?」

「えっと、それは失礼だ、なのです」

「そう、失礼だ、なのですか」

「お嬢様はなんで、毎日お、私に話しかけるのです?」

「決まっていますわ。あなたが特別、だからでしてよ」


 少しづつではありますが、会話らしくなり始めたと思います。日々、マル秘ルシアン対策ノートに書き留めている研究結果が実を結び始めたのでしょう。まだ思っている事をうまく言葉に出来なくて、少ない語彙になってしまったり、何だか上手くニュアンスが伝えられなかったりもします。ですがそれも時間の問題でしょう! あぁ! 流石はわたくし! 完璧令嬢ベアトリス・ド・ラヴァルは完璧の向こう側へと手を伸ばし始めましたわー!


 ですが、その予想に反して中々前に進めなくなりましたの。貧民街の方達とは挨拶を交わす仲になり、あの時の男性も、ご老人もよく話してくれるようになりましたわ。でもルシアンとだけは未だにうまく話せませんの。何故か言葉に詰まってしまって言いたい言葉も上手く出ません。

 

「ねぇクレア。貧民街でたくさんの人と話すようになったわ。彼らとの会話は私も、彼らも特に問題なく話せるわ。たまに分からない言葉もあるけれど……。なのに何故、未だに私とルシアンは会話がうまくいかないのかしら?」

「ですから姫様、それが恋煩いというものです。もうルシアン殿の事は諦めて下さい。彼とお嬢様では住む世界が違います」

「オーホッホッホ! クレアのその恋煩いギャグはつまらないですわー! ですが確実に彼の謎が解き明かされる日が近づいておりますわ」


 少し痛み始めたマル秘ルシアン対策ノートはそろそろ一冊目が終わりそうになっています。

 少しづつだとしても確実に上達しております。きっとこのノートが埋まる頃には彼の謎も解き明かされることでしょう! もうすぐ、もうすぐですわー!

 


 今日も今日とて訓練場へやって参りました。

 

「お嬢様、何故貧民街の支援を?」


 ルシアンから珍しく質問されましたわ。何故、貧民街への支援を始めたか、ですか。最初はルシアンと上手くお話出来なくて、ルシアンの事を調べる為に向かったんでしたわね。貧民街へ向かって、現実を知って、己の無力さを知りました。あの街はわたくし達国を治める貴族の未熟さの象徴です。決して目を逸らしていいものではないのです。わたくしが始めた支援は、この一年間で確実に実を結び始めました。帝国一の淑女たるわたくしが率先して支援を行う事で、貴族達も貧民街に目を向け始めました。

 お父様は、”以前まで貧民街の者は人では無いなどと言う貴族たちもいたが、最近は変わった。同じ人間を悪様に扱うなど野蛮な行いだという風潮に変わりつつある” と仰っておりましたわ。きっとこれからは良い方向に変わっていく。

 けれど、わたくしが支援を始めたきっかけは間違いなくあなたよ、ルシアン。あなたとはどうして上手にお話しできないのか、あなたと上手にお話するにはどうしたらいいか、それが知りたかったから貧民街へ向かったの。あなたがいなければわたくしは今も貧民街に目を向ける事はなかったでしょう。

 

「それはあなたが貧民街の出身だから上手く話せないのかと思ったからですわ」


 沢山の気持ちが渦巻いてうまく言葉になりませんでした……。違うのです。わたくしが言いたかったのはこんな言葉ではありません。ただ貴方とお話がしたくて、ただ貴方を知りたくて、だから貴方が生まれ育った場所を見てみたかった。そうしたら現実を知って……それでそれで――


「……そうですか」


 ルシアンは初めて行った貧民街で向けられた視線と同じ、酷く冷たい目でわたくしを見ていました。わたくしは去って行く彼の背中を見送る事しか出来ず、クレアに呼びかけられるまでその場を動く事さえ出来ませんでした。


 わたくしはベッドの上でずっと膝を抱えております。確かにわたくしはうまく言葉に出来ませんでした。でもだからってあんなに冷たい目で見なくても良いじゃありませんか。わたくしだって一生懸命、毎日毎日ルシアンに会いに行ってお話して、毎日毎日ノートに綴ってきました。その結果がこれですの? それはあんまりじゃありませんこと?


「……そもそもなんでわたくしがこんなに辛い思いをしなければなりませんの?」

「……だから言ったではありませんか。それは恋煩いだと」


 ……そう、ですか。今初めてクレアのその言葉がストンと落ちてきた様に感じました。恋煩い、沢山のご令嬢がお茶会で話をしていました。それをいつもわたくしはどこか他人事の様に聞いて、わかりますわとテキトーに賛同していただけでしたわ。

 もし本当にこれが恋煩いなのだとしたら、そもそもわたくしが彼に興味を持ったのはいつだったのか。

 

 ……そうです。思い出しました。初めてあった日、彼はわたくしに興味が無さそうだったのです。今迄パーティで会う殿方はわたくしの容姿に惹かれて、スグに下卑た視線を向けながら手や肩に触れようとしてきました。そして自分がどれ程優れているのか語り始めるのです。僕は以前こうだった、こんな事もできる、凄いだろうと自慢気に言うのです。わたくしという世界が生み出した宝にそんな自慢にもならないような話をした所で面白いわけがありません。

 けれどルシアンは違ったのです。わたくしに興味を示さず剣を振り、話しかけても触れるどころか目を合わせる事さえしませんでした。興味を持ったのはそんな些細な事だったと思います。わたくしに興味を持たない男性に対してどう接したらいいかわからなかったのでしょう。

 二人のあまりにも不器用な会話に自分で驚いて、自称完璧なわたくしはその原因をルシアンに求めました。今まで居なかったタイプの人に興味を持ち、その興味がいつの間にか恋心に変わっていたという事だったんですね。


 あぁ、丁度ノートが埋まり、謎も解けました。今ならきっとうまくお話が出来ます。このノートを持って謎は解けましたわよ、と声高々に宣言する事もできます。


 ですがわたくしは嫌われてしまいました。もう会いに行くことはないでしょう。

 今しがた完成したマル秘ルシアン対策ノートを胸に抱いて初めて泣きました。きっと産声以来ですわね。さすがわたくし。


「……だから言ったではありませんか。住む世界が違うから諦めるようにと」



 あれから三日はたったでしょうか。ベッドからおりていつも通り過ごそうと思っても、何故かそれが出来ずに居ます。今ではもう、このベッドの上がわたくしの世界、わたくしの国だと思っておりますわ。


「はぁー……。たかが失恋のひとつでそのザマですか」

「う、うるしゃい! 別に失恋ではありません! 彼のことはそういう……気持ちで……」

「はぁー……。そうやってまたメソメソ泣いて……。体からキノコが生える前に立ち直ってくださいね」


 クレアは部屋から出ていきました。わたくしは全身を見回します。キノコは生えていないのでまだ落ち込んでいても大丈夫です。


 更に数日たちました。貧民街の皆さんはどうしているでしょう。クレアにお願いして配給は続けておりますが、わたくしはもう何日も行っていません。


 コンコン


「失礼いたします。起きていらっしゃいますね。どうですか? そろそろ立ち直れそうですか?」

「立ち直るもなにも、わたくしはもうここから出ません。このベッドの上がわたくしの世界です。いつだって夢の世界では自由になれるんですのよ?」

「そうですか蛆虫やろう」

「い、今なんて仰って?」


 いつも呆れるばかりで怒った事の無いクレアが暴言を吐いたような気がしました。それも貧民街でたまに聞く様な言葉です。こんな所で変な影響が出ておりますわね。


「いつまでウジウジウジウジしてんだ蛆虫やろう! 何が完璧令嬢ベアトリス・ド・ラヴァルですか! ただの蛆虫じゃないですか。体からキノコも生えてるし」

「流石にまだ生えていませんわよ!」


 クレアは悲しそうな、怒っているような、わたくしに見せたことの無い表情で尚も続けました。

 

「いつだって自信に溢れて、いつだって何でもこなしてきたじゃないですか! 何で今回だけそれが出来ないんですか!」


 わたくしだってそうしたいです。出来ることならそうしたいです。ですがもし彼にまたあんな目で見られたらと思うと冷たい手で心臓を握られた様に痛み、わたくしは動くことが出来ないのです。

 きっと今のわたくしはしょぼくれたような情けない顔をしているのでしょう。

 クレアはそんなわたくしを受け入れる様な優しげな表情で近づいて来ました。優しくされたらわたくしはみっともなく泣いてしまうでしょうね。


 バチンッ!

 

「グチグチ言ってないでいいから走れ! 淑女たるものはやる気持ちを抑えて体だけ先行するんでしょう?! なら早く騎士団訓練場まで走って行きなさい!」


「は、はい!」


 生まれて初めて頬を引っぱたかれた衝撃と、クレアの恐ろしい剣幕に押されて訳も分からず部屋から訓練場まで走りだしました。

 訓練場にたどり着くとルシアンだけでなく、他にも沢山の騎士の方々がおります。皆様突然走って入ってきたわたくしを見て驚いた表情をなさっておりますわ。ですがそれはわたくしもです。言われた通り走ってきましたけどどうしていいかもわかりません。

 そんな時、クレアの言葉が頭を過りました。


 ”淑女たるもの、逸る気持ちを抑えて体だけ先行する”


 わたくしはその言葉にしたがって何も考えず、好きな様に動きました。騎士の方に一言詫びてから手袋を借り、それをルシアンに投げつけて高らかに宣言します。


「騎士、ルシアン、ラヴァル伯爵家が長女、ベアトリス・ド・ラヴァルがあなたに正式に決闘を申し込みますわー!」

「体だけ先行しすぎだバカお嬢様!! もう少し考えろ!」

「あいたー!」



 わたしくしはクレアに叩かれた頭を擦りながらお説教を聞いています。曰く、貴族が正式に決闘を申し込んだのなら間違いでしたでは済まない、だそうです。だからなんて事してくれたんだと怒っております。


「ですが、クレア? わたくしは貴方の言葉に従ったんですのよ? 淑女たるものって」

「それはお前の言葉だバカタレ」

「クレア……? 何だか口調が荒れていらっしゃいますわよ?」


 大きなため息をつくクレアにビクビクしながら決闘の準備を進めていきます。決闘は剣での一体一での勝負ですわ。


 訓練場に戻ると、多くの騎士が周りを囲んでいました。決闘がどうなるのか見届けるつもりなのでしょう。

 訓練場の中心にはルシアンが待っていました。


「お待たせしてしまったかしら?」

「いえ」

「そう、相変わらずあなたはお話するのが苦手のようですわね。ですがこのわたくし、ベアトリス・ド・ラヴァルはもう克服しましてよー! この決闘は勝者は敗者に対する命令権が与えられる。それで良いかしら?」

「ええ」


 わたくしとルシアンは少し離れた所で向かい合い、クレアからの開始の合図を待ちます。


「はじめッ!」


 合図と同時にわたくしは真っ直ぐ突き進みます。相手の動きにスグ対応出来るように歩幅は小さく、けれど速くルシアンの前まで走り、先ずは様子見で胴に一振を――当ててしまいました。


「勝負ありッ! 勝者、ベアトリス・ド・ラヴァル伯爵令嬢!」

「どういうことですの? ルシアンあなたわざと負けましたわね!?」


 わたくしの様子見の一撃は防具越しでもそれなりに痛かったのか、ルシアンは苦悶の表情を浮かべながらお腹を抑えています。


「お、私は酷い態度ですた。そのバツをあります」

「もう、ちょっと何言ってるかわかりませんわー!」

「お嬢様、とりあえずルシアンに命令なさっては?」


 正直、考え無しに命令権などと行ってしまったので特に何もないんですの……。どうしましょう。クレアはわたくしのそんな心の声が聞こえてしまったのか、いつもの呆れたような表情を浮かべております。そのお顔、実は好きでしてよ。


「あ、ルシアン。わたくしともっとお話をしなさい」

「はい。ほかはありますか?」

「え? 他? これって何個でも出来るお得な命令権でしたの? えっとでは……わたくしに変な遠慮しないで普通に喋ってくださいまし! 大方貴族への礼儀作法がわからなくて喋れないのでは無くて?」

「あぁ、その通りだよお嬢様。普通に喋っていいなら助かる」

「え、あ、ギャップ、あはいぃ」

「他には?」

「ま、まだですの? で、でしたら……も、もう……もう二度と……もう二度とあんな目でわたくしを見ないでくださいまし!」


 今日一番の大声が出た気がします。ずっとまともに動いて居なかったのに急に動いたので疲れが出たのか視界が歪んで見えます。


「悪かったよ。だからもうそんな顔して泣くな」


 どうやらわたくしは泣いていたようです。これがきっと人生三度目の涙です。一度目は産まれた時に世界を産声で祝福し、二度目はルシアンに冷たい目で見られたら日、そして三度目は今です。


「わたくしはルシアンに泣かされてばかりです。どうしてくれるんですか?」

「責任とろうか?」

「せ、せ、責任って……きゅう〜……」


 わたくしはルシアンのその言葉を最後に倒れてしまいました。遠くで心配するルシアンとクレアの声が聞こえますが、わたくしは空を飛んでいる様な気分なのでこれはきっと夢なのでしょう。


 翌日、目を覚ますとお医者様から急な運動を禁じられました。それはまぁ仕方がないことです。えぇ、この完璧令嬢たるベアトリス・ド・ラヴァルを持ってしても急な運動は負担が大きく気絶してしまいました。えぇ、仕方がない事です。


「気絶したのはルシアン殿のせいでは?」

「違います!」


 失礼なクレアの言は横に置いておくとして、やはり鏡に映るわたくしは今日も美しいです。


「ねぇクレア。折角こんなにも美しいのですからたまには屋敷の中でも夜会用のドレスを着てもいいのではなくって?」

「はぁー……。お嬢様、これから騎士団訓練場に行くからといって変に気合いを入れないでください」

「ちちちち違います!」

「お嬢様、アメジストの様な綺麗な両目がバタフライしております」


 結局普段と変わらない服装ですがそれでもわたくしは美しいですわー!

 今更隠しても仕方が無いので今日は新鮮な情報を鮮度を保ったまま書けるように、新しくなったマル秘ルシアン対策ノート2を持って訓練場へと向かいます。

 いつもこの時間は沢山の騎士の方々がいて、いつもの場所でルシアンが汗を拭いています。

 だからわたくしも、いつもの様に彼にこう声をかけるのです。

 

「ルシアン! 今日は、その……ええと、あれね! 良い天気! だと思うのですか?」


 自称完璧令嬢ベアトリス・ド・ラヴァルの不器用な恋 [完]

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ジャンルは違いますが別作品も投稿してますので、そちらもよろしければお願いします。

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