約束
「本当にそんなのでいいのか?」
「いいの。これが、いいの」
「レアがそれでいいならいいけどさ」
「うん。約束」
約束、か。俺との記憶を失う前のレアとも約束したな。悪魔がいなくなった世界になったら一緒に夏祭りに行こうって。
その約束を今のレアは知らないだろうけど、俺は覚えていて実行するつもりだ。
どちらの約束も、叶えてみせる。
レアがすべての記憶を失くして別人のようになり、俺の事を拒絶した場合は諦めるしかないけどな。
まださっきの『お願い』から受けたよく分からない衝撃から抜け出せず声が震えそうになるのを抑え、普段通りを装ってレアに声をかける。
「もう一一時だ。明日の朝は早いしそろそろ自分の部屋に戻って寝た方が良い」
「うん、そうする。……チェス、楽しかった」
「ああ、俺もだ」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
チェスセットを大事そうに抱えながらパッと背中を向けるレア。もっと話したい気もするが、これでいい。
新たな約束をした。それだけでもう十分だった。レアは開錠ボタンを押して俺の部屋から出ていく――――はずなのだが、なぜだかドアの前で微動だにしなくなった。
「どうしたレア?」
「……開かない」
「え?」
「ドアが開かない」
「すぐアリアに連絡をとろう」
ディスプレイ上の非常呼び出しボタンをタッチし、アリアを呼び出す。
「はいはーい。何用かなー?」
画面に作業中のアリアが映し出される。何かの書類を作成しているようだ。こちらの方、つまりはカメラを見向きもしない。会話をしながら書類作成するつもりのようだ。こいつはもっと高度な並列作業ができるからこれくらいは朝飯前なのだろう。
「俺の部屋のドアが開かないんだが」
「あーそれね。ボクがロックしといたよー。中からは開けられないようになってるー」
耳を疑うとはまさにこの事。サラッと何てことを言ってくれるんだこいつは。
「あー、えーと、理由を聞いてもいいか?」
「理由? ふっ、無粋だねタッくん。そんなの分かりきっているじゃないか。惹かれ合う男女の最後の夜。お互いあと一歩が踏み出せずやきもきしてるところに救世主のごとく現れたボク! うーんナイスアシスト」
「今すぐロックを解除しろ。でなければエクシスでドアを斬り裂く」
「ざんねーん。その部屋は特別製でタッくんのエクシスだろうと脱出は不可能でーす。その部屋トイレもシャワールームも冷蔵庫も揃ってるし一晩くらい部屋から出なくてもどうってことないでしょ。んじゃボクはまだまだやる事だらけで徹夜コースだからこのあたりで失礼するよーん。朝になったら自動でロック解除されるようになってるから安心してねー。グッナーイ」
一方的に通信を切られる。それから何度か呼び出しボタンを押したが無駄だった。
一緒に画面を見ていたレアと思わず顔を見合わせる。
「……俺は床で寝る。それとアリアは明日会ったら一発ブン殴る」
「床で寝る必要は無い。明日は大事な日だからベッドで寝て。それとアリアは殴っちゃダメ。計画に支障がでる」
「こんな事されてよくそんな冷静でいられるな。アリアは計画に支障がでないよう手加減して殴るから問題無い。それより寝る場所だ。俺がベッドで寝なきゃいけないならレアはどこで寝るっていうんだ?」
「ベッド」
「いや、だからベッドは一つしかないって」
「ベッド」
「……おい、もしかして」
「そのもしかして。一緒のベッドで寝る」
そんな無表情、無抑揚な声だとおかしな事を言っている感覚が薄れるが確実にマズい事言ってるよなこれは。
「いやそれは流石にダメだろ」
「なぜ?」
「なぜって言われても……」
明確に答えられない。なんとなく倫理的によろしくない気がする。
「ダメな理由が無い。から大丈夫」
「大丈夫、なのだろうか」
「大丈夫」
「そ、そうか。まあレアがいいならいい、のか?」
「いい」
「……了解した」
半ば押し切られるように承諾してしまった。
俺とレアはそれぞれ寝間着状態のためこのまますぐ眠れる。
俺はなかなか動き出す事ができなかったが、レアはなんの迷いもなくベッドに潜り込んでいった。本当に何とも思っていないようだ。
「タクト。早く寝なさい」
「急に命令口調になったな」
「明日に支障が出る」
「分かったよ」
幸いにもレアは壁際、ベッドの端っこに陣取っていたため、俺はレアの反対側の隅っこに身体をねじこむことができた。ベッドはダブルサイズで、レアとの距離が結構開いていて安心した。
「電気消す」
「そうだな。それじゃあ改めて、おやすみ」
「うん。おやすみなさい」
消灯。
部屋が暗闇に包まれ、何も見えなくなる。
微かに聞こえる息づかい以外は一人で寝ているのと変わらない。そんなに緊張しなくてよさそうだ。
とは言ってもこんな状況下でそうそう眠れるはずもなく。
横になってから何分経っただろう。不意にレアが俺に話しかけてきた。さっき早く寝ろと自分で言ったばかりなのに。
「タクト。明日。ついに、きた」
「そうだな。とうとうやってきた」
自然と会話がはじまる。レアも寝付けなかったようだ。
「タクトとの記憶を失う前のわたし、今のわたしとの三ヶ月間、どうだった?」
「有意義な任務だった」
「……それだけ?」
「まあこの一言で集約できるかな、と」
「……そう」
なぜだろう。背筋がほんの少し寒くなったような気がする。
「逆にレアはどうだったんだ? 急に俺と住むことになって戸惑っただろう」
「別に。感情が動きにくいからそんなに気にならなかった。……突拍子も無く夏祭りをしようだとか言い出したり、色んな遊びをしたり……」
楽しかった。
レアは確かにそう言った。
普段は口に出さないから本当にそう思ってくれていたか確信は持てなかった。
楽しかった、ただその言葉だけで報われたような気がした。
そこから会話が途絶え、俺、そしてきっとレアもウトウトしはじめた頃。
……タクト、約束……守ってね。
そんな声が、眠りに落ちる直前の俺の耳に入ってきた。
守るさ。夏祭りに行く約束も、チェスをする約束も。
だから、帰ってこいよ。回帰なんかするなよ。
眠りゆく中、密かにそう願った。




