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『宮瀬なんだよ。俺がずっと見てたのは』
『ちゃんと考えて、選んでほしい』
『どんなことになっても、俺とお前は変わらないから』
『以前の関係に戻っても、いつでも話は聞くから』
古賀さんの言葉が、永井さんの言葉が、何度も頭の中で繰り返される。古賀さんに抱きしめられた感触も、永井さんと重ねた唇も、まだ身体が覚えている。
楽しげに笑う古賀さんが、優しく微笑む永井さんが、私の中で大きくなっていた。私が思っていたよりもずっと。
混乱、していた。
私を見ていたと言った古賀さんに。それを分かった上で、自分か古賀さんかを選んでと言った永井さんに。
気持ちを伝えられて、戸惑った。選んでと言った永井さんに、なんでと戸惑った。
自分といてほしいと言われたら、私はそうしたのに。
だけど、永井さんはそれじゃだめなんだと言った。誰かに言われたから選ぶんじゃなくて、私が誰を必要なのかをちゃんと考えてほしいと。
私は、誰が必要なんだろう。
古賀さんは、いつだって私の欲しい言葉をくれた。永井さんは、ずるい私を求めてくれた。
古賀さんと永井さんだったら、古賀さんとの付き合いの方がずっと長い。だけど、永井さんとの関係が、それよりも浅いものだったとは思えない。
どうしたって、どちらが上だとか必要だんてこと、考えられなかった。それならいっそ、こっちだと手を引っ張ってほしかった。
ずるいと分かっていても、どうしたらいいか分からない。
***
観客席に繋がる扉を押し開けて、その熱気と歓声や応援の大きさに思わず顔をしかめる。一番上の兄に倣って小学校から中学までバスケをやっていたものの、昔から、このやかましさが好きじゃない。仕方ないかと溜め息をついて、後ろ手に扉を閉め、目的の人物を探す。
目的の人物とは、バイト先の塾で教えている高校生の女の子で、今日は彼女が助っ人で入っているバスケ部の試合がこの複合競技施設で行われているらしい。その施設がよく行くカフェの近くにあることを知っていたのと、自分もバスケをやっていたことを彼女に教えたせいで、「絶対見にきてよ!」と誘われてしまった。面倒くさいとは思ったけど、気を紛らわすのに丁度良いかなんて自分勝手なことを考えて、原付を走らせてここまでやって来た。
あれから、一週間経っている。永井さんに、選んでと言われて。あれから、永井さんとは会っていない。あの日だって、永井さんが離れてから、「帰ろうか」と言われて、今までで一番の早さで永井さんと別れていた。
古賀さんから気持ちを伝えられて、一週間以上経っている。学校は違えど、バイト先が同じでは古賀さんを避けることも難しくて、結局いつもの曜日に顔を合わせていた。古賀さんはいつも通りだけど、いつものように駐輪場で二人座って話すことはしなくなっていた。
正直、苛々もしている。二人とも、言いたいだけ言って、後は私だけなんて。そんな鬱憤を抱えていても、それを誰かに話すことなんてできずに、こうして上手い具合に問題から逃避していた。
観客席の通路を歩きながら、きょろきょろと視線を動かす。視力が悪い上に眼鏡も掛けていないから、誘ってきた高校生がどこにいるかまったく分からない。一応一階の試合コートにも目を向けたけど、ぎりぎり目を細めて見えた高校名はどこも彼女の通っている学校ではなかった。時間指定したんなら入り口で待っとくとかしろよ、なんてひどいことを考えつつ、入ってきた扉と真反対の位置まで来てしまう。バスケットコートが四面とれる体育館だ。ぐるっと観客席の通路を回るとけっこうな距離になってしまう。歩いてきた通路と反対側だったかな、と思った時に、左手にある観客席の階段から「先生!」と呼びかけられる声がした。
「先生! まじで来てくれたんだ!」
「来い来いうるさかったのは、どなたでしたっけね」
「うわあ、来てくれるとか思ってなかったし!」
去年から髪を伸ばしていると言っていた彼女は、肩より長くなったその髪を少し高めの位置で可愛らしいシュシュで一つにまとめていた。
「じゃあ、今から帰ろうか?」
「いやいや、そんなひどいこと言わないでよ」
笑いながら、彼女が最後の一段を上って私と同じ場所に立つ。彼女の後ろから、もう一人誰かがついてきていた。彼女の友達であろうその女の子は、驚いたように少し口を開けてじっと私のことを見ている。
「そ、想良! この人と、知り合い?」
ばしばしとソラ――教え子を叩いて尋ねる女の子は、どうやら私のことを知っているらしい。だけど、私の方はソラよりも短い髪をしたこの女の子の顔も知らなければ、名前も知らない。
「知り合いっていうか、塾の先生だよ。いつも言ってるじゃん。やたらハイテンションな先生がいるって」
「すみませんね。いつもやたらハイテンションで。来週の宿題増やそうか?」
「ちょ、うそ! ごめんって!」
叩かれた腕をさすりながら、ソラがあははと軽く笑いながら私のことを紹介した。私の言葉に慌てるソラの横で、女の子はじっとこっちを見てくる。
「えーっと、どっかで会った?」
興奮をはらんだその目を無視することもできず、その女の子に目を向けて尋ねる。
「会ったっていうか、知ってます。あの、いつも金曜日にカフェに来てますよね?」
ここの近くの、という言葉を足されて、彼女から視線を外し考える。それから思い当たって、もう一度女の子に目を戻した。
「カフェって、あっち方面の?」
永井さんといつも行っていたカフェの方向を指せば、女の子は「はい!」と嬉しそうに頷いた。ソラがきょろきょろと私と女の子に視線を動かす。
「あれ? 二人、知り合い?」
「いや、知り合いではないと思うけど……」
あのカフェのことを言われても、残念ながら女の子のことまでは分からない。ソラの言葉に苦笑いして返せば、女の子が若干落ち込んだように眉を下げた。
「私、あそこでバイトしてるんです。金曜日もいつもいました」
「え? あ、そうなの? うそ、ごめん!」
女の子の言葉にぎょっとなる。週一とはいえ、もう一年近くあそこに通っているのに、常勤している店員の顔も覚えていないなんて、自分の人見知り加減に嫌になる。落ち込む女の子の横で、ソラが爆笑していた。
「しょうがないって、彰。先生、授業の時はテンション高いけど、それ以外だと思いっきり人見知りするらしいから。あんまり周りに目いってないし、自分の興味あること以外どうでもいいんだよ。目も悪いし」
散々な言われようだけど、それは親からも友達からも言われていることなので、あえて反論はしない。じとっとソラを睨むも、ソラは気にすることなく大笑いしている。女の子はソラの言葉を聞いて、何でか少しだけ嬉しそうな顔をした。
「あ、でも、私も人見知りするんですよ。知らない人とだと、あんまり目合わせられないんです」
「あー、分かる分かる」
意外なところで共通点を見つけて、女の子の言葉に頷く。私の同意を得てか、女の子も嬉しそうに笑顔を見せた。人見知りなんてまったくしないと豪語していたソラが、その隣でおかしそうに笑っている。
「私、海堂彰っていいます」
「海堂さん? 彰ちゃん、の方がいい?」
「呼びやすい方でいいですよ」
「そっか。宮瀬春希です。ごめんね。気付かなくって」
お互い自己紹介をして、どうもどうもと軽く頭を下げる。何が嬉しいのか、女の子――彰ちゃんは自己紹介が終わっても嬉しそうににこにことしている。私の方は、彰ちゃんが永井さんのことを持ち出さないかひやひやしているのに。




